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偽物の正義
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「今回は多数を集めているから、また違う目的なんでしょうね」
「それにしても、みんなよくそんな怪しげな職場にずっといるものだな」
オリバーは目を泳がせた。
「……まずいかもとは、思っているんじゃないでしょうか。しかし、その時本当に家すら失っていた同胞もいました。彼らは少しくらい怪しくても、それを断る気にはなれなかったでしょう」
人は弱い。一旦立場が弱くなり、惨めな思いを味わうと、与えられたものには無条件ですがりつきたくなる。それが、毒蜘蛛の垂らした糸だと薄々わかっていても。愚かだと思うが、愛生だっていつそうなるかなどわかりはしないのだ。
愛生《あい》は改めてオリバーを見る。そして彼の服に、絵の具がついているのを見つけた。
「もしかして……あんた、画家なのか?」
「ええ。画風が独特すぎるので、名前を変えてもすぐ分かってしまって……食うに困ってしまったんですが」
「作品はよく売れていたのか?」
「騒動が公になる前は、公展で入選もしていました」
少女に聞くと、貴族も足を運ぶ有名な展覧会だという。絵で言う日展のようなもので、そこで認められることでパトロンがつくこともあるそうだ。
「貧乏な中から切り詰めて切り詰めて絵の具を買って……ようやくここまできたのに、今じゃなんにもなりません」
自嘲気味に男は笑う。目の端に涙が浮かんでいるように見えた。そんな男を見つめ、龍《りゅう》はため息をついた。
「そこまでの画家が一気に仕事を失うなんて……何があったの?」
「誘拐事件ですよ」
「ちょうど現場が近いから、行ってみましょうよ。そこで説明するわ。おじさんは危ないから、ここで待ってて。鍵かけて閉じこもってれば、何も起きないわよ」
それを聞いたオリバーが、厳しい顔つきになる。
「でも、お嬢さんが危険では……」
「大丈夫よ。私はやると言ったらやる女なの」
オリバーはだいぶ長い間渋っていたが、最後にはとうとう納得させられていた。
「なんだか、違う意味でもかわいそうな人ですね」
「言ってやるな」
愛生は龍の肩を叩いた。
問題を知るには、街の西側へ移動しろとソフィアに言われたので、愛生はそれに従った。西と東の境には壁がそびえており、そこの門で妙に厳重な手荷物・衣服検査をされたが、それが済むと身分証の確認などは極めてぞんざいに済まされた。
「……いいのか、これで?」
愛生は首をひねった。きっと身分証が必要になると思い、ソフィアのを真似てわざわざ作っておいたのに。
しかし、その理由はすぐに分かった。
門の向こうは、悪い意味で別世界だった。道幅がそもそも狭いし、道路整備がきちんとされていないから、道の中央にも大きな窪みがあったりする。
表通りに来てもそれは変わらない。通りに面しているにしては店が少ないし、硝子の手入れもちゃんとされていない。そもそも硝子でなく、木戸の窓も多かった。
「なんだかごみごみしたところですね、さっきの駅とは大違い」
駅周辺が、昨今のイギリスを参考にしたと思われる町並みだったから、落差が激しすぎる。さっき、何かを持ち出していないかとそればかり衛兵が気にしていたのも納得だ。
「さて、準備するか」
ハーフエルフに対する反応を見るために、愛生はつけ耳を作って装備する。遠目に見たら、偽物だとはとてもわからなくなった。
「こっちよ。はぐれないでついてきて」
少し表通りを入ると、そこはさらに荒れた路地だった。表通りが一番ましで、奥になるほど目が行き届かなくなるのはどこも同じだ。
道の横に道祖神のように女性の像が並んでいるのに、まともに掃除もされず、割れた瓶やゴミが大量に転がっている。住民はなんとも思わないのか、と愛生はいぶかった。
「ひどいでしょ」
「ああ、言葉がないな」
「……昔から家は小さいし、決して豪華なところじゃなかったけど。でもほんの一年前までは、古いけど綺麗な通りだったのよ。住民同士、おしゃべりしながら掃除したりしてね。信じられる?」
小さな交差点にさしかかった時、ソフィアがそうこぼした。今の荒れようからは、とてもじゃないが想像できない。どこか他と間違えていないか、と愛生が言いかけたその時──殺気を感じた。
「止まれ!」
建物の陰から飛び出した格好になったソフィアを、愛生は慌てて引き戻す。その次の瞬間、壁に刺さりそうな勢いで何かが飛んできた。ソフィアは驚いた様子で、壁に体をぴったりとつける。
愛生は石が飛んできた方向を見やる。
像の横手から伸びる古びた階段の上から、にやにやと笑う集団が愛生たちを見下ろしていた。年頃はいずれも中学生くらい、肌は黒かったり白かったり様々だ。いずれも耳は普通で、エルフの血は入っていないようだ。
「さっきの石はそこから投げたのか。当たっていれば人が死んでるぞ」
愛生が真面目な顔で言っても、少年たちは笑うのをやめない。慌てるわけでもない。愛生の背筋が、寒くなってきた。
「現時点でも、立派な傷害だな。警察を呼ぶぞ」
「うるさい、ハーフエルフの人さらい」
愛生がにらんでも、少年たちはかえって楽しそうにしていた。するとソフィアが進み出て、少年たちより数段悪そうな笑みを浮かべる。
「私たちが人さらいだって証拠はあるの?」
ソフィアの強い態度に、少年たちは一瞬たじろいだ。
「な、なんだよ。俺たちは街のために……」
「私の父様は警察官なのよ。私の近くに石が投げられたと聞いて、放っておくわけないじゃない。あんたたちの居場所、草の根分けても探し出すわ。その時に同じ言い訳をして、通用すると思ってるの?」
この言葉を聞き、子供たちの顔に恐怖が浮かぶ。ひとりまたひとりと、足音を派手に上げて走り去っていった。
「聖女ライゼ像の前で狼藉を働くなんて。恥を知りなさい」
最後に、ソフィアはそう吐き捨てて愛生たちの元へ戻ってきた。
「全く、ひどいことを。親の顔が見てみたいな」
憤る愛生の横で、龍がじっと道の向こうを見ていた。視線の先を見ると、男が一人こっちをのぞいている。男は動きやすそうなシャツにパンツ姿で、肩から鞄を斜めにかけていた。鞄の口からは、まだ綺麗な新聞がたくさんのぞいている。
「新聞売りでしょうか。話を聞けたらいいんですが」
「ちょうどいい。龍、協力してくれ」
「喜んで」
愛生は男が横を向いた瞬間に、一気に距離をつめた。
「おい、おっさん。何か言いたげだな」
愛生の咎めるような視線に気付いた男は、慌てて逃げだそうとした。龍が静かに、男の逃げ道をふさぐ。
「俺は旅の者だ。この街でハーフエルフが石を投げられるようになった原因は、なんだ。知ってるんなら教えてくれ」
見ず知らずの愛生に詰め寄られた男は何度か逡巡してから、ようやく口を開いた。
「……最初からこうだったわけじゃないんですよ。最近、ここらで子供の誘拐事件が多発しましてね」
低い声で言われ、愛生は顔をしかめる。
「確か、人さらいってあのガキ共も言ってたな。それとなんの関係がある」
愛生が問い詰めると、男は顔を背けた。
「ええ。さらわれたのは子供ばかり、五人。一番最後の子は、三日前にいなくなったばかりでね……止まる気配なんて、ありゃしない」
愛生は一瞬言葉を失った。それでも気を取り直して、男に向き直る。
「誘拐が繰り返されているのは間違いないのか?」
「子供たちはみんな十二歳以下。自分でいつまでも姿を隠していられる年じゃない。それに、目撃者もいるんですよ。ハーフエルフが、馬車の中から子供を誘ってたって。許せないでしょう?」
男はまるで自分が見たかのように、大きな手振りをしてみせた。
「最初の子が行方不明になってから、今日でもうひと月になります。親御さんたちの訴えは、日に日に悲痛なものになってる。最初に誘拐された子供の親は、もう寝付いて長い。かける言葉も見つからない……恨みは貯まる一方だ。だから、ハーフエルフを自由にさせるわけにはいかないんですよ」
「それは最悪の事態ですが。それではハーフエルフが出歩くのが悪い、ハーフエルフが全部悪いって言っているようなものじゃないですか」
龍がそう言うと、男はいっそうムキになった。
「仕方ないでしょう。警察は頼りにならない。誰か殺されたら、あなた責任取ってくれるんですか?」
男はきっぱりと言った。その方法は間違っているが、男の目の中には、間違いを盲信しているからこその強さがあった。
「子供はあんたらを見てる。さっきの、あの狩りでもするような様子を見て気が済んだか? すっとしたか? ……結構な正義感だが、それはいつかあんたらを殺すぞ」
ゲームのキャラクターだと分かっていても、愛生はそう忠告せずにはいられなかった。モデルになっている、元の人物のためにも。
「さっきのことは悪かったと思いますよ。でも、見回りは街のために必要なことなんです。……じゃあ、私はこれで」
男は首を横に振った。所詮作り物の正義の味方、聞く耳は持っていないようである。
「それにしても、みんなよくそんな怪しげな職場にずっといるものだな」
オリバーは目を泳がせた。
「……まずいかもとは、思っているんじゃないでしょうか。しかし、その時本当に家すら失っていた同胞もいました。彼らは少しくらい怪しくても、それを断る気にはなれなかったでしょう」
人は弱い。一旦立場が弱くなり、惨めな思いを味わうと、与えられたものには無条件ですがりつきたくなる。それが、毒蜘蛛の垂らした糸だと薄々わかっていても。愚かだと思うが、愛生だっていつそうなるかなどわかりはしないのだ。
愛生《あい》は改めてオリバーを見る。そして彼の服に、絵の具がついているのを見つけた。
「もしかして……あんた、画家なのか?」
「ええ。画風が独特すぎるので、名前を変えてもすぐ分かってしまって……食うに困ってしまったんですが」
「作品はよく売れていたのか?」
「騒動が公になる前は、公展で入選もしていました」
少女に聞くと、貴族も足を運ぶ有名な展覧会だという。絵で言う日展のようなもので、そこで認められることでパトロンがつくこともあるそうだ。
「貧乏な中から切り詰めて切り詰めて絵の具を買って……ようやくここまできたのに、今じゃなんにもなりません」
自嘲気味に男は笑う。目の端に涙が浮かんでいるように見えた。そんな男を見つめ、龍《りゅう》はため息をついた。
「そこまでの画家が一気に仕事を失うなんて……何があったの?」
「誘拐事件ですよ」
「ちょうど現場が近いから、行ってみましょうよ。そこで説明するわ。おじさんは危ないから、ここで待ってて。鍵かけて閉じこもってれば、何も起きないわよ」
それを聞いたオリバーが、厳しい顔つきになる。
「でも、お嬢さんが危険では……」
「大丈夫よ。私はやると言ったらやる女なの」
オリバーはだいぶ長い間渋っていたが、最後にはとうとう納得させられていた。
「なんだか、違う意味でもかわいそうな人ですね」
「言ってやるな」
愛生は龍の肩を叩いた。
問題を知るには、街の西側へ移動しろとソフィアに言われたので、愛生はそれに従った。西と東の境には壁がそびえており、そこの門で妙に厳重な手荷物・衣服検査をされたが、それが済むと身分証の確認などは極めてぞんざいに済まされた。
「……いいのか、これで?」
愛生は首をひねった。きっと身分証が必要になると思い、ソフィアのを真似てわざわざ作っておいたのに。
しかし、その理由はすぐに分かった。
門の向こうは、悪い意味で別世界だった。道幅がそもそも狭いし、道路整備がきちんとされていないから、道の中央にも大きな窪みがあったりする。
表通りに来てもそれは変わらない。通りに面しているにしては店が少ないし、硝子の手入れもちゃんとされていない。そもそも硝子でなく、木戸の窓も多かった。
「なんだかごみごみしたところですね、さっきの駅とは大違い」
駅周辺が、昨今のイギリスを参考にしたと思われる町並みだったから、落差が激しすぎる。さっき、何かを持ち出していないかとそればかり衛兵が気にしていたのも納得だ。
「さて、準備するか」
ハーフエルフに対する反応を見るために、愛生はつけ耳を作って装備する。遠目に見たら、偽物だとはとてもわからなくなった。
「こっちよ。はぐれないでついてきて」
少し表通りを入ると、そこはさらに荒れた路地だった。表通りが一番ましで、奥になるほど目が行き届かなくなるのはどこも同じだ。
道の横に道祖神のように女性の像が並んでいるのに、まともに掃除もされず、割れた瓶やゴミが大量に転がっている。住民はなんとも思わないのか、と愛生はいぶかった。
「ひどいでしょ」
「ああ、言葉がないな」
「……昔から家は小さいし、決して豪華なところじゃなかったけど。でもほんの一年前までは、古いけど綺麗な通りだったのよ。住民同士、おしゃべりしながら掃除したりしてね。信じられる?」
小さな交差点にさしかかった時、ソフィアがそうこぼした。今の荒れようからは、とてもじゃないが想像できない。どこか他と間違えていないか、と愛生が言いかけたその時──殺気を感じた。
「止まれ!」
建物の陰から飛び出した格好になったソフィアを、愛生は慌てて引き戻す。その次の瞬間、壁に刺さりそうな勢いで何かが飛んできた。ソフィアは驚いた様子で、壁に体をぴったりとつける。
愛生は石が飛んできた方向を見やる。
像の横手から伸びる古びた階段の上から、にやにやと笑う集団が愛生たちを見下ろしていた。年頃はいずれも中学生くらい、肌は黒かったり白かったり様々だ。いずれも耳は普通で、エルフの血は入っていないようだ。
「さっきの石はそこから投げたのか。当たっていれば人が死んでるぞ」
愛生が真面目な顔で言っても、少年たちは笑うのをやめない。慌てるわけでもない。愛生の背筋が、寒くなってきた。
「現時点でも、立派な傷害だな。警察を呼ぶぞ」
「うるさい、ハーフエルフの人さらい」
愛生がにらんでも、少年たちはかえって楽しそうにしていた。するとソフィアが進み出て、少年たちより数段悪そうな笑みを浮かべる。
「私たちが人さらいだって証拠はあるの?」
ソフィアの強い態度に、少年たちは一瞬たじろいだ。
「な、なんだよ。俺たちは街のために……」
「私の父様は警察官なのよ。私の近くに石が投げられたと聞いて、放っておくわけないじゃない。あんたたちの居場所、草の根分けても探し出すわ。その時に同じ言い訳をして、通用すると思ってるの?」
この言葉を聞き、子供たちの顔に恐怖が浮かぶ。ひとりまたひとりと、足音を派手に上げて走り去っていった。
「聖女ライゼ像の前で狼藉を働くなんて。恥を知りなさい」
最後に、ソフィアはそう吐き捨てて愛生たちの元へ戻ってきた。
「全く、ひどいことを。親の顔が見てみたいな」
憤る愛生の横で、龍がじっと道の向こうを見ていた。視線の先を見ると、男が一人こっちをのぞいている。男は動きやすそうなシャツにパンツ姿で、肩から鞄を斜めにかけていた。鞄の口からは、まだ綺麗な新聞がたくさんのぞいている。
「新聞売りでしょうか。話を聞けたらいいんですが」
「ちょうどいい。龍、協力してくれ」
「喜んで」
愛生は男が横を向いた瞬間に、一気に距離をつめた。
「おい、おっさん。何か言いたげだな」
愛生の咎めるような視線に気付いた男は、慌てて逃げだそうとした。龍が静かに、男の逃げ道をふさぐ。
「俺は旅の者だ。この街でハーフエルフが石を投げられるようになった原因は、なんだ。知ってるんなら教えてくれ」
見ず知らずの愛生に詰め寄られた男は何度か逡巡してから、ようやく口を開いた。
「……最初からこうだったわけじゃないんですよ。最近、ここらで子供の誘拐事件が多発しましてね」
低い声で言われ、愛生は顔をしかめる。
「確か、人さらいってあのガキ共も言ってたな。それとなんの関係がある」
愛生が問い詰めると、男は顔を背けた。
「ええ。さらわれたのは子供ばかり、五人。一番最後の子は、三日前にいなくなったばかりでね……止まる気配なんて、ありゃしない」
愛生は一瞬言葉を失った。それでも気を取り直して、男に向き直る。
「誘拐が繰り返されているのは間違いないのか?」
「子供たちはみんな十二歳以下。自分でいつまでも姿を隠していられる年じゃない。それに、目撃者もいるんですよ。ハーフエルフが、馬車の中から子供を誘ってたって。許せないでしょう?」
男はまるで自分が見たかのように、大きな手振りをしてみせた。
「最初の子が行方不明になってから、今日でもうひと月になります。親御さんたちの訴えは、日に日に悲痛なものになってる。最初に誘拐された子供の親は、もう寝付いて長い。かける言葉も見つからない……恨みは貯まる一方だ。だから、ハーフエルフを自由にさせるわけにはいかないんですよ」
「それは最悪の事態ですが。それではハーフエルフが出歩くのが悪い、ハーフエルフが全部悪いって言っているようなものじゃないですか」
龍がそう言うと、男はいっそうムキになった。
「仕方ないでしょう。警察は頼りにならない。誰か殺されたら、あなた責任取ってくれるんですか?」
男はきっぱりと言った。その方法は間違っているが、男の目の中には、間違いを盲信しているからこその強さがあった。
「子供はあんたらを見てる。さっきの、あの狩りでもするような様子を見て気が済んだか? すっとしたか? ……結構な正義感だが、それはいつかあんたらを殺すぞ」
ゲームのキャラクターだと分かっていても、愛生はそう忠告せずにはいられなかった。モデルになっている、元の人物のためにも。
「さっきのことは悪かったと思いますよ。でも、見回りは街のために必要なことなんです。……じゃあ、私はこれで」
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