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十年に一度のバカ
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少し離れたところで問われ、愛生《あい》が何か答えようとした時──
「おーい」
愛生は目を見開いた。頭の中に、弟の声が聞こえる。見上げると、家の白壁をスクリーンのようにして、弟の顔がうつりこんでいた。目が合った愛生が呆然としているものだから、何度も同じ呼びかけをしてくる。
「京《けい》。なんで、お前……」
「兄ちゃん、ゲームのやりすぎで帰れなくなったんだって? 身内に迷惑かけんなよ」
「最悪だなお前……」
空気が急に変わる。京の口調は楽しげでさえあった。フェムトから繰り返しされたであろう説明を聞いてないどころか、勝手に理解したつもりになっている。
「その解釈は間違いだ」
必死に首を横に振るも、京は信じた様子がない。やっぱり、こいつはものすごいバカなのだと愛生は実感した。
もう二十歳を超えたというのに、成熟した様子が微塵もない。加えて本人が童顔で小柄なものだから、知らない人からは学生だと思われ、甘やかされている。身内はそろって、この現状を苦々しく思っていた。
「十年に一度のバカ」
「豊かな環境と本人の知性が生み出した絶妙な仕上がり」
「エレガントで味わい浅く、とてもバランスが良い珍回答」
「過去最高と言われた三年前を上回る」
と親戚がボジョレーヌーボーに例えて遊ぶだけのことはある。知らないのは本人だけだ。
「ま、泣くなよ兄ちゃん。なんとかなるって!」
今日もいつもの親指を立てた決めポーズでこの台詞をのたまっている。元気なバカほど鬱陶しいものはない。
「説明が難しかったかもしれんが、俺は困ってるんだ。お前と遊んでる暇はない。その生意気に立てた指をしまえ」
「へえ?」
それを聞くと、京は不思議そうな声を出した。丸い眉が、くっと上にあがる。
「そして誰でもいいから交代しろ。あっちの状況が知りたい」
それがどうしても気になっていた。今、波川たちはどう動いているのか。本当に帰る手段はないのか。システムは復旧したのか。知りたいことだらけだった。
「それ、無理らしいぜ」
「無理ってなんだ!?」
空中に向かって手を振り上げる愛生を見かねて、龍《りゅう》が口を開いた。
「フェムトが何か言ってきたの?」
「フェムトたちがコンピュータをハッキングして、音声ソフトで話しかけてきたんだよ。んで、俺が兄ちゃんのナビ役に選ばれたんだってさ」
愛生は顔を伏せた。なんでよりによってこのバカが。
「今適当にクリックしてみたら、ゲームの地図みたいなの出てきたぜ? 兄ちゃんたちにも同じのあるんだろ?」
「それを早く言え!」
「は?」
愛生は周りを見回していたが、そんな便利なものは欠片も見えない。弟だけに優先してそんな便利なものが与えられていると思うと、歯がみするしかなかった。
「ナビ役だけのお助け機能なんでしょうね」
龍が言う。愛生はうなずき、ふとあることに気づいた。
「……お前、さっきから俺たちがここをグルグル回ってるの見てたよな?」
「楽しそうだなと思って見てたよ?」
「お前の脳味噌はどんな作りになってるんだ!」
愚弟は何を怒られたのか分からない様子できょとんとしている。察するという能力が抜け落ちた男なのだ。愛生の背中を、子供をあやすように龍がさすってくれる。
「俺たちが行き倒れになってもいいのか! 早くその印の位置……無理だったら方角だけでも教えろ!」
「わ、わかった!」
べそをかいていた弟の表情が輝いた。やる気があるのは結構だが……おそらくその背後では、親族一同がもっとましな奴に代わってくれという声を発しているに違いない。
「……頼む。何も聞かないでくれ」
龍はそれだけで全てを察して、何も言わなかった。
「まあ……立場が逆じゃなくて、まだよかった」
弟ならきっと、毒味もせずに物を食う。誰かに誘われたらついて行く。何も考えず突き進んですぐ死んでいるに違いない。
それならまだ、自分で良かったと愛生は気を取直した。今は子供でも、次第に彼に責任感が芽生えることを期待しよう。
「しかし、それがいつになるか分からないでしょう?」
「……なんとかなるはずだ。きっと。たぶん。おそらく」
「それは希望的観測……あら?」
今度は龍が首をかしげ、驚いた顔のまま壁に歩み寄った。耳を抑えているので、彼女にも何か聞こえている様子だ。ただし、それは愛生には全く聞こえない。
「もう終わったか?」
愛生がそう声をかけると、なぜか彼女は嬉しげな顔になっていた。
「ナビは私にもいたみたいです。妹が、ナビをしてくれるそうで」
確かに龍には妹がいるが、まだ七歳のはずだ。確か名前は虎子《とらこ》。
「地図は出せるのか」
「虎子が画面を右クリックしたら出てきたと言っていました。目標地点は南に一キロ前後。大きな洋館で、宿になっているところ。最短距離で進めるルートを教えてくれるそうです」
「そんな軽々と……」
愛生は唖然とした。なぜ、知能にここまで差があるのか。龍が自慢げに微笑むのを見て、肩を落とすしかない。
「世の中不平等だ。うらやましい。俺はお前がうらやましいぞ、龍」
「そんな死んだ魚みたいな目をしないでください。たまたまです」
「そんなわけあるか。プレイヤー同士を仲間割れさせようっていう、ひどい運営が考え出した手だろ」
「はいはい、よしよし」
龍が撫でてくれたから良かった……愛生は無理矢理、そう思うことにした。
「妹と京さんは、同じコントロールルームにいるそうです。愛生には、声は京のものしか聞こえないようですが、日ノ宮と月ヶ祠の一族総出で、二人のサポートにあたると。……ただ、さっきのように」
京のナビにしかない、または京しか気づいていない情報を、本人が黙っていてはサポートのしようがないという。
「それは当たり前だな……」
「できるだけ情報共有するよう、皆から言っておいてもらいます」
「月ヶ祠《つきがや》には世話になりっぱなしだな」
企業と出資者の関係ではあるが、日ノ宮《ひのみや》と月ヶ祠に絆があるのは間違いない。月々祠は内心日ノ宮への怒りで煮えくりかえっているだろうが、龍を助けるためには愛生を生かしておかなければならないことも承知しているだろう。あの家なら、公私にわたって学者や専門家にいくらでもコネがありそうだし、安心だ。
「……帰ったら波川《なみかわ》共々、どうなるか分からんが」
愛生は月ヶ祠の面々に追いかけられる自分を想像し、立ち止まってため息をついた。土下座程度で済めばいいのだが。……いや、焼いた石の上で土下座とか言われるかもしれない。色々言い訳を考えておこう。
「またか」
愛生たちはナビの指示に従って進む。試しに特定の通り以外に向かおうとすると、行き先を阻まれる。工事中の看板があったり、巡査が十数名も詰めていたり、荷物が積んであったりと邪魔の形式も様々だ。運営側の意図が絡んでいることは明白である。愛生たちは時々踵を返しながら、先へ進んだ。
パリは中央の第一区から、渦巻きを巻くように番号がついている。セーヌ側より北か南かで呼び名が変わるのも特徴的だ。
こちらは南側(現地では左岸ともいう)をモチーフにしているらしく、美術館や教会に混じって、エッフェル塔もどきの建物が見える。
地区によって貧富差が大きいらしく、町並みもがらりと変わる。この区は比較的裕福な設定で、そぞろ歩く人や物売りはこぎれいな服を着ていた。花が飾られた歩道を、子供のフェムトが、歓声をあげて走り去っていく。
その後ろを親が、たしなめながらついて歩いていた。妹のことを思い出しているのか、一瞬龍が寂しげな表情になる。しかしそれはすぐに消えた。
「住民も多そうですね」
うっかりすると人にぶつかりそうになるので、端に寄りながら龍が言った。
「昔は、パリの真ん中に人口が集中してたらしいからな。それにならってるんだろう」
今や家賃が高騰しているため、本物は市の中心部の人口が減りつつあるのだそうだ。フェムトたちは、そんなことは知ったこっちゃないのだろう。
愛生たちが行く道を進むと、教会の屋根が徐々に小さくなっていく。のんびりした風景を横目に路地に入ると、そろって青い肌をした小人たちがいた。合計、三体。髪も青いため、眼球と口からはみ出た歯だけが白く目立っていた。
彼らの身長は、愛生の膝ほどしかない。彼らは腰をかがめ、低い背をますます低くして、期待のこもった目で道端を見回している。何かを探しているようだった。
「あれはなんだ?」
「おーい」
愛生は目を見開いた。頭の中に、弟の声が聞こえる。見上げると、家の白壁をスクリーンのようにして、弟の顔がうつりこんでいた。目が合った愛生が呆然としているものだから、何度も同じ呼びかけをしてくる。
「京《けい》。なんで、お前……」
「兄ちゃん、ゲームのやりすぎで帰れなくなったんだって? 身内に迷惑かけんなよ」
「最悪だなお前……」
空気が急に変わる。京の口調は楽しげでさえあった。フェムトから繰り返しされたであろう説明を聞いてないどころか、勝手に理解したつもりになっている。
「その解釈は間違いだ」
必死に首を横に振るも、京は信じた様子がない。やっぱり、こいつはものすごいバカなのだと愛生は実感した。
もう二十歳を超えたというのに、成熟した様子が微塵もない。加えて本人が童顔で小柄なものだから、知らない人からは学生だと思われ、甘やかされている。身内はそろって、この現状を苦々しく思っていた。
「十年に一度のバカ」
「豊かな環境と本人の知性が生み出した絶妙な仕上がり」
「エレガントで味わい浅く、とてもバランスが良い珍回答」
「過去最高と言われた三年前を上回る」
と親戚がボジョレーヌーボーに例えて遊ぶだけのことはある。知らないのは本人だけだ。
「ま、泣くなよ兄ちゃん。なんとかなるって!」
今日もいつもの親指を立てた決めポーズでこの台詞をのたまっている。元気なバカほど鬱陶しいものはない。
「説明が難しかったかもしれんが、俺は困ってるんだ。お前と遊んでる暇はない。その生意気に立てた指をしまえ」
「へえ?」
それを聞くと、京は不思議そうな声を出した。丸い眉が、くっと上にあがる。
「そして誰でもいいから交代しろ。あっちの状況が知りたい」
それがどうしても気になっていた。今、波川たちはどう動いているのか。本当に帰る手段はないのか。システムは復旧したのか。知りたいことだらけだった。
「それ、無理らしいぜ」
「無理ってなんだ!?」
空中に向かって手を振り上げる愛生を見かねて、龍《りゅう》が口を開いた。
「フェムトが何か言ってきたの?」
「フェムトたちがコンピュータをハッキングして、音声ソフトで話しかけてきたんだよ。んで、俺が兄ちゃんのナビ役に選ばれたんだってさ」
愛生は顔を伏せた。なんでよりによってこのバカが。
「今適当にクリックしてみたら、ゲームの地図みたいなの出てきたぜ? 兄ちゃんたちにも同じのあるんだろ?」
「それを早く言え!」
「は?」
愛生は周りを見回していたが、そんな便利なものは欠片も見えない。弟だけに優先してそんな便利なものが与えられていると思うと、歯がみするしかなかった。
「ナビ役だけのお助け機能なんでしょうね」
龍が言う。愛生はうなずき、ふとあることに気づいた。
「……お前、さっきから俺たちがここをグルグル回ってるの見てたよな?」
「楽しそうだなと思って見てたよ?」
「お前の脳味噌はどんな作りになってるんだ!」
愚弟は何を怒られたのか分からない様子できょとんとしている。察するという能力が抜け落ちた男なのだ。愛生の背中を、子供をあやすように龍がさすってくれる。
「俺たちが行き倒れになってもいいのか! 早くその印の位置……無理だったら方角だけでも教えろ!」
「わ、わかった!」
べそをかいていた弟の表情が輝いた。やる気があるのは結構だが……おそらくその背後では、親族一同がもっとましな奴に代わってくれという声を発しているに違いない。
「……頼む。何も聞かないでくれ」
龍はそれだけで全てを察して、何も言わなかった。
「まあ……立場が逆じゃなくて、まだよかった」
弟ならきっと、毒味もせずに物を食う。誰かに誘われたらついて行く。何も考えず突き進んですぐ死んでいるに違いない。
それならまだ、自分で良かったと愛生は気を取直した。今は子供でも、次第に彼に責任感が芽生えることを期待しよう。
「しかし、それがいつになるか分からないでしょう?」
「……なんとかなるはずだ。きっと。たぶん。おそらく」
「それは希望的観測……あら?」
今度は龍が首をかしげ、驚いた顔のまま壁に歩み寄った。耳を抑えているので、彼女にも何か聞こえている様子だ。ただし、それは愛生には全く聞こえない。
「もう終わったか?」
愛生がそう声をかけると、なぜか彼女は嬉しげな顔になっていた。
「ナビは私にもいたみたいです。妹が、ナビをしてくれるそうで」
確かに龍には妹がいるが、まだ七歳のはずだ。確か名前は虎子《とらこ》。
「地図は出せるのか」
「虎子が画面を右クリックしたら出てきたと言っていました。目標地点は南に一キロ前後。大きな洋館で、宿になっているところ。最短距離で進めるルートを教えてくれるそうです」
「そんな軽々と……」
愛生は唖然とした。なぜ、知能にここまで差があるのか。龍が自慢げに微笑むのを見て、肩を落とすしかない。
「世の中不平等だ。うらやましい。俺はお前がうらやましいぞ、龍」
「そんな死んだ魚みたいな目をしないでください。たまたまです」
「そんなわけあるか。プレイヤー同士を仲間割れさせようっていう、ひどい運営が考え出した手だろ」
「はいはい、よしよし」
龍が撫でてくれたから良かった……愛生は無理矢理、そう思うことにした。
「妹と京さんは、同じコントロールルームにいるそうです。愛生には、声は京のものしか聞こえないようですが、日ノ宮と月ヶ祠の一族総出で、二人のサポートにあたると。……ただ、さっきのように」
京のナビにしかない、または京しか気づいていない情報を、本人が黙っていてはサポートのしようがないという。
「それは当たり前だな……」
「できるだけ情報共有するよう、皆から言っておいてもらいます」
「月ヶ祠《つきがや》には世話になりっぱなしだな」
企業と出資者の関係ではあるが、日ノ宮《ひのみや》と月ヶ祠に絆があるのは間違いない。月々祠は内心日ノ宮への怒りで煮えくりかえっているだろうが、龍を助けるためには愛生を生かしておかなければならないことも承知しているだろう。あの家なら、公私にわたって学者や専門家にいくらでもコネがありそうだし、安心だ。
「……帰ったら波川《なみかわ》共々、どうなるか分からんが」
愛生は月ヶ祠の面々に追いかけられる自分を想像し、立ち止まってため息をついた。土下座程度で済めばいいのだが。……いや、焼いた石の上で土下座とか言われるかもしれない。色々言い訳を考えておこう。
「またか」
愛生たちはナビの指示に従って進む。試しに特定の通り以外に向かおうとすると、行き先を阻まれる。工事中の看板があったり、巡査が十数名も詰めていたり、荷物が積んであったりと邪魔の形式も様々だ。運営側の意図が絡んでいることは明白である。愛生たちは時々踵を返しながら、先へ進んだ。
パリは中央の第一区から、渦巻きを巻くように番号がついている。セーヌ側より北か南かで呼び名が変わるのも特徴的だ。
こちらは南側(現地では左岸ともいう)をモチーフにしているらしく、美術館や教会に混じって、エッフェル塔もどきの建物が見える。
地区によって貧富差が大きいらしく、町並みもがらりと変わる。この区は比較的裕福な設定で、そぞろ歩く人や物売りはこぎれいな服を着ていた。花が飾られた歩道を、子供のフェムトが、歓声をあげて走り去っていく。
その後ろを親が、たしなめながらついて歩いていた。妹のことを思い出しているのか、一瞬龍が寂しげな表情になる。しかしそれはすぐに消えた。
「住民も多そうですね」
うっかりすると人にぶつかりそうになるので、端に寄りながら龍が言った。
「昔は、パリの真ん中に人口が集中してたらしいからな。それにならってるんだろう」
今や家賃が高騰しているため、本物は市の中心部の人口が減りつつあるのだそうだ。フェムトたちは、そんなことは知ったこっちゃないのだろう。
愛生たちが行く道を進むと、教会の屋根が徐々に小さくなっていく。のんびりした風景を横目に路地に入ると、そろって青い肌をした小人たちがいた。合計、三体。髪も青いため、眼球と口からはみ出た歯だけが白く目立っていた。
彼らの身長は、愛生の膝ほどしかない。彼らは腰をかがめ、低い背をますます低くして、期待のこもった目で道端を見回している。何かを探しているようだった。
「あれはなんだ?」
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