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第6章 少年パティシエが何かを変える

第2話 めいあは禁止する

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 翌日、京旗はオーギュスティヌ・レミュール顧問を、忙しいスケジュールの間にどうにか捕まえた。
「晩餐会ですと……?」
 京旗がにこっと向けた営業用スマイルに、レミュールは顔をほころばせた。
「素晴らしい。ぜひご招待に預からせて下さい。もちろん、デセールはムッシュー・イッシキの?」
「ええ、スペシャリテです」
 じーん、と老人は、感動にうちふるえて絶句していた。
 場所はオテル・ワールという、ラグーンに面して眺望抜群の、ワール国随一のホテルのレストランを借り切った。厨房も頼み込んで使わせて貰う。厨房を貸すなど、ふつうは厭がられる話で、そこを口添えしてもらえるかどうかは賭けだったが、レミュールは快く請け合ってくれた。
「剣呑なことに足をつっこんでいるのでなければ、私のできることは、なんでもさせて下さい」
 仏・米・ワ国の外交関係を変化させるようなことでなければ、ということだ。
 顧問は、京旗が無事に帰還したことを、心から喜んでいた。


 その足で、京旗はJETRO事務所に行った。なんのことはない。ジェセダのマンションの桑原家が、その場所だ。というより、JETROの駐在員は代々、その事務所としている住戸に住むことになっているのだった。駐在員は、桑原が五代めだという。最後の駐在員になるかどうかは、京旗の企みの成否にかかっている。
「あさって、仏国アフリカ担当大統領顧問を、ディナーにご招待しました。よろしかったら、桑原さんもご一緒に、どうぞおいで下さい」
 桑原が、フン、こんどはなんのつもりだ、と軽蔑した表情を浮かべながら、
「それは名誉なことだな。ぜひ出席させて頂くよ」
「腕によりをかけて、お待ちして申し上げております」
 不適な笑み。優雅に、胸に手をあてて一礼する京旗。
 キザったらしい仕草をまったくよくやるぜ。キャラが戻ってきたみたいだな、オレ。
 頼もしい相棒が、自分の内に戻ってきた。活き活きといた分身が、つまり自分自身が、帰ってきたのを京旗は実感していた。


「ディナーって、何するのっ?!」
 めいあが追い掛けてきた。
 他に話す時間がない。伊太郎と二人、フルコースのメニューを作るので忙しく、京旗は学校をまた休んでいた。
「あ、晩餐会にはめいあもパパと一緒に来いよ。ワンピースは持ってるっすか?」
「バカにしないで。ねぇ、何作るの?!」
 食事会の内容で父と仏国顧問を説得するつもりなのだということは、予想していた。
「もちろん、極上の料理とお菓子っすよ」
「だーかーらー!!」
 具体的な作戦を明かさない京旗に、めいあは目を三角形につり上げた。同時に拳も振り上げていたが、その顔がふっと、真顔になった。
「ねぇ……ハチミツだけはダメだよ。パパは、ハチミツにいい思い出がないから……」
――うげっ! 転化糖としての切り札……!!
「それって、積極的に悪い思い出があるっていう意味すか?」
 めいあは、青ざめた顔で、そっぽを向いた。
「そうよ」
 思い出すのは、彼女も辛いことのようだ。
 京旗は、安心させるように、にこりと笑みを浮かべた。
「わかった。どういう理由かは聞かないすよ。ハチミツは使わないっす。忠告、感謝します」
「よかった…… 必ずパパを説得してね! 必ずね!!」
 説得できるの?とは、めいあは一度も聞かなかった。京旗がやると言ってから、無邪気なほど、微塵も疑わなかった。
 できるわけがない、無理だとまず疑ってかかるのは、大人たちの仕事だった。
「任せなさい。一色京旗は、ヨーロッパ一、世界一のパティシエっすよ」


「一色は、優しいな~。めいあのために、ワール国のために、身を捨ててまでそんなに頑張るなんて」
 大使公邸の厨房に、学校から直行してきて制服姿のあゆが現れた。
 伊太郎と、晩餐会の仕込みのリハーサルをしていた京旗は、思わず動揺した。「優しい」のひとことに、何故か体温はわずかながら上昇し、心拍数が微妙にだが高まる。
「だだだって、あゆサンだって、内戦激化して国外待避とか、日本人学校がなくなるとか、そういう噂がホントになったら、困りますよね?」
「大丈夫だよー。あゆは別に学校なんか行けなくなっても困らないし。なんだかんだとどこの国でも生きていくさ~。たぶんな~」
 のほほんと笑って、言いきるあゆ。
 京旗と伊太郎は、がくーっと一緒にうなだれた。
 吹っ切れた様子なのはいいが。鼻歌まじりで更衣室に向かう背中を横目で見送って、伊太郎は、
「ったく、ほんとは環境が変化するたび、のたうちまわって苦しんでるガキが……よく言うぜ」
 なんとなく、本人に内緒にしながら光源氏計画を密かに遂行する伊太郎の気持ちが分かってきた。
 のれんに腕押し、ぬかに釘。だけど猫に小判ではないと信じる。
 あゆには調理場が似合っている。というか、他にどんな人生を送る気なのか、想像もつかない。
 あゆ本人が特に望んでなくても、あゆのためにも、京旗は頑張りたかった。
「しかし、このメニューなあ」
 伊太郎は作戦会議に、京旗をひきもどした。手を動かしながら、
「アグーチなんて、お前、よく知ってたな。メイドのムサは、アフリカ料理は出さねぇだろ?」
 フゥトゥだのブイコセだのというワール国の庶民料理は、ムサは、プロフェッショナル・メイドの名誉にかけて、作ってくれない。主人の郷里の食事をなんでも出せるという特殊技能で、彼は、この貧乏な国では高給取りにあたる外国人の家庭づきメイドの職にありついている。肉まんでも餃子でも器用に手作りするし、そば粉を手に入れてくればそばも打てる男メイドが、なんで家庭の嫁が作れるような料理を要求されなければならないのだ?というわけだ。
「いやあ、まあ、ちょっと……」
 京旗は、アグーチの肉を食べた経験については、曖昧にした。
 あのときはパニックしたが、味は確かにおいしかった。この国の特産品をできるだけよく紹介するのが目的のフルコース・ディナーだと考えたら、ヨーロッパではお目にかかれないあの齧歯類をはずすわけにはいかない。
 ちなみに、それにあわせるソースの方にも、京旗はアイデアを出していた。
「チョコレート・ソースとは恐れ入ったね。オレも久しぶりだ」
 伊太郎もソースパンを回しながら、楽しげだった。
「もともと、カカオの発祥地メキシコのアステカ帝国じゃ、チョコレートは甘くなかったんだってな?」
 京旗の専門だが、さすがに伊太郎も知識が広い。
 カカワトルといって、唐辛子などスパイスを混ぜ、辛くして、飲み物として飲んでいた。嗜好品というより、薬だった。日本でも昔緑茶が薬として飲まれていたのと、同じようなものだ。そんなことまで、伊太郎のほうから話題にした。
 料理バカと菓子バカゆえか、そういう話を交換できるのが、京旗も楽しかった。
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