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澄花と司 編

獅童司は生徒会長

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―――私立春聖館学院。
東の都を代表する貴族学校であり、財閥系、旧華族、名家の子息といった次世代の日本を担うべき存在らが集まる最高峰の舞台として知られているこの場所。
男女比は4:6、全校生徒は幼小中等部合わせて三千人を超えるマンモス校としても知名度があり、全国内外から名門の家系の者たちがこぞって入学を希望するほどである。
そこで行われる教育は多種多様を極め、外資系の生徒には外国法に関する事項を、政治家の息子には道徳と規律を提供する。
一般的な高校と異なり、トップレベルの洗練された教師陣の元、一人一人に個別に最適なカリキュラムを提供できるという点においては、謂わば大学水準の自律性が求められる。
また、自律性の他に校風として強制されるものが礼儀作法である。
校則に記載されているわけではないが、令嬢や御曹司が多く通う春聖館学院での生活は財閥間の軋轢を生む元凶となっており、粗野を溢さぬよう努める風習が次第に定着していったのだという。
司からすれば、そんな堅苦しい風習など心底どうでもいいとさえ思ってしまうのだが、それが伝統として定着している以上、それに従っておく必要があった。
春聖館学院を卒業した者たちが次に顔を交える場所は、企業同士の会合や政治の席等々。この学院で優位性を高めることこそが、即ち自らの威厳を今後永久に主張できる絶好の機会なのだ。

そして、その中で頂点に君臨する者がひとり、春聖館学院生徒会長―――獅童司。
日本を代表する名家、獅童財閥の次期当主として恐れ多くも知られ、次代の経済界の舵を担うと呼び声高い人物だ。
以前に何度か雑誌でも取り上げられるほどの実績の数々を残し、そんな彼を見た者達は卒倒し、尊き存在を崇め奉るのだという。
そんな偉大なる人物を乗せた車両が学院の玄関口に停まると、徒歩でエントランスを目指していた群衆が一斉に振り返り、黄色い歓声を上げる。

「あ、あれって! 獅童様が乗っている車じゃない!?」
「きゃあああ―――ッ!! 朝から獅童様が見られるなんて感激ね!!」

騒めく観衆に迎え入れられるように、長胴の形をした黒いリムジンの扉が開く。
運転していたメイド姿の女性がドアを引き、その中から現れた名君を見止めると、外野からさらなる歓声が上がった。

「毎朝こんな調子だと流石に通いづらいな……」
「仕方ありませんよ。それが司様のなせる魅力なのですから」

開幕一番にため息をつくと、運転役のメイド―――黒田聡未くろださとみがそう告げる。
長年獅童家に奉仕する傍ら、プロのレーシングドライバーとして一部の俗通にファンがいると聞くが、その礼儀正しい口調からは余りに想像し難い。
醸し出される冷静沈着な風貌は、まさに淑女と呼べるものであった。

「というかさ、名前に様付けは止めてほしいって言ったばかりだろ? 俺、そういう距離があるような言い回しが好きじゃないんだよ」
「これでも柔軟になった方ですが。以前の呼び名の方がお気に召しましたか?」
「いや、あれは少々個性的過ぎて……」

俺がまだ小学生だったか、成人したばかりの黒田が獅童家に雇われた際の第一声、「司陛下」という、なんとも形容詞し難い言い回しで名を呼ばれたのを覚えている。
それを恥ずかしげもなく堂々と言うもんだから、むしろ自分の感性が狂っているのかと自身を疑ってしまった。

「まあ、黒田がそれでいいなら俺は別に構わないけど」
「はい、恐悦至極の限りでございます」
「……やっぱり言い回しが独特だな」

そのツッコミを余所に、黒田は頭を下げながら「いってらっしゃいませ」と告げる。
一応頷きその場を後にしようとしたが、すぐに違和感に気がつき振り向く。
依然として車内から出てくる気配のない様子の澄花。ぶつぶつと何かを言いながら青ざめていた。

「澄花殿、もう学院に着きましたよ」
「や、やです……! もう司様の顔がまともに見れなくて……これでは給仕など到底為せませんよ!」
「何を言っておられるのですか。学院内で司様をサポートできるのは澄花殿だけですよ? メイド長なら尚更のことじゃないですか」

黒田が引っ張り上げようとするが、澄花は縮こまって動こうともしない。
怨念に似た雰囲気を纏い、ひたすら後悔に打ちひしがれていた。

「無理ですっ! せめて、せめて今日だけは別行動をさせてください……!」
「どうしたのというのですか。普段の冷静な澄花殿とは似つかないお姿……十七にもなって今更乙女気取りですか?」

なかなか出てこようとせずに駄々をこねる澄花とそれをなだめる(?)黒田。まるで保育園に我が子を預ける際の恒例行事のようだったが、これ以上は彼女が可哀そうだ。踵を返し、司は笑顔で助け船を出す。

「あのさ澄花、今朝のことなら俺は別に気にしてないよ。だから―――」
「なんでっ!? 気にしてたのは私だけって言うの!? あ、あんな人前でキ、キキキ―――」
「ぅおいぃいいい!? その先は絶対に口にするなよ!?」

とんでもないことを曝け出そうとする澄花の口を慌てて塞ぐ。
黒田含め他の生徒が周囲にいる状況では絶対に禁句だろうに、澄花は完全に気が動転していた。
それからなだめること数分、多々あってようやく彼女がリムジンから出てきてくれた。

「落ち着いた?」
「はい、少々取り乱してしまいましたが問題ありません」
「(少々……?)」

その発言にいささか疑問は残るが、取り敢えずは問題ないとのこと。司は気にせずに再びエントランスを向く。

「それではいってらっしゃいませ、司様、澄花殿」

その言葉を最後に黒田は切り上げて去って行く。
と同時に押し寄せる視線。同じ学院内の有名人を一目でも見ようと集まる生徒が密集し、休日の原宿のようになっていた。
俺達は互いにアイコンタクトを取り、いつも通り気丈に振る舞うよう意識して、この凱旋門をくぐる。

「あ、あれが獅童財閥の御曹司……間近で見ると威厳が半端ないな」
「でもさ、すげぇよな! 貴族みてぇに偉そうな奴らと違ってさ、俺達みたいな一般生徒にも優しいんだとよ! まさに民衆の味方だよな!」
「確かに。生徒会長のお陰で財閥系の奴らの横暴が抑制されてるって話もあるくらいだし、ほんとに生徒会長万歳だよ……」

過剰に司を崇め奉る生徒達に辟易しつつも、それを顔に出さずに会釈をして歩く。
もはや日常茶飯事となった観衆の囁き声。その内容はどれも真実ではあったが、結果として伴っただけで、実情は大したことではない。
雑誌の取材は父さんの仕事の傍らを担った程度のことを大袈裟に取り上げられただけ、一般生徒に優しく思われているのも、ただ司自身が身分差を嫌うという理由からである。

「(……でも、たったそれだけで、ここまでの名声は集められないか)」

この学院は、生徒の性質上、かなり特殊な部類としても知られている。
貴族層と呼ばれる財閥系や名家、政治家系等が占める派閥と、平民層と呼ばれる一般生徒らを総称した派閥。この二つに大きく分断しているため、両者の争いが絶えず起こっているのだ。
小競り合い程度で済めば御の字、酷い時には傷害沙汰にまで発展する。一応学院側のフォローも入るが、自らの財産的価値を自覚している名家出身の者達の要求に気圧され、平民層の生徒達は常に日の目を見ることは叶わない。
幼稚園から高校までの一貫したエスカレーター方式を採用する春聖館学院における貧富の格差は、学院生活における上下関係にも直結するのだ。

では、そんな春聖館学院の中で突然、平民層を支持する貴族層の者が現れたらどうなるのか。
本来であれば貴族層で胡坐をかいていれば安泰であるものの、その地位を返上して平民との協和を図るその姿はまさに希望。
平等を謳う彼のカリスマに惹かれ、瞬く間に支持を集めた結果、彼は今の生徒会長の座を掴んだのである。

しかし、皆は知らない。どうして司がそんな行いを働いたのかを。
素晴らしき高尚な思想の持ち主であると納得すれば楽であるが、そんな善人はこの学院には存在しない。
皆はそれぞれに野望を持ち合わせてこの学院に足を踏み入れている。それは彼とて例外ではないからだ。
では、司の野望とは何か。それは――――――

「ねえねえ、獅童様の隣にいる方って一体誰なのかしら? あまり見かけない者のようですが」
「あんた知らないの? あれは生徒会長の使用人よ。名前は……ちょっと忘れたけど、確か平民出身の奴って噂らしいわよ?」
「へ、平民!? どうしてそのような者を獅童様は隣に置くのかしら!? 獅童財閥の御曹司ともあろう方なのに!?」
「私に訊かれても知らないわよ……。でもまあ、ああいうのって大抵はお金に困った人達が志願するようなウジ虫の温床だってパパが言ってた」
「…………っ」

途中、耳に届く貴族層の女子生徒二人の心無い言葉。
隣にいる彼女に届いていないことを願って押し黙る司であったが、その願いは儚く潰え、澄花は思わず顔を引き攣らせてしまう。
早くこの場を去りたい、隣にいる彼にもそれが伝わるほどに澄花は怯えてしまっていた。
久しく忘れていた恐怖。この学院では平民層である澄花は歓迎されていない。
司の隣にいるということは即ち、このような罵声でも受け入れなければならないということ。
使用人と割り切っていた以前までとは違う、どこか得体の知れぬ悔恨が背筋にまで伝い、息が詰まりそうになる。

「(怖い……司、助けてよ……)」

心の中でそう叫ぶ。本当なら声に出したいのに、恐怖で声が出てくれない。
次第に震えが始まり、肩を丸めて両手を抱きしめても収まらない耳鳴り。
どうしたらいいのか分からない、そう思った時、スッと肩に回る大きな腕の感触が。

「―――大丈夫だよ、澄花」

司がそう言ってこちらに身を寄せると、上目遣いに澄花と目が合う。
一瞬だけ目を見開くが、すぐに安心したようで、澄花は次第に落ち着きを取り戻していった。

「守ってくれるんだ……ありがと、司」
「礼なんていらないよ。けど……もっと俺を頼ってもいいんじゃないの? もう遠慮しなくていいんだからさ」
「……ふふっ、そうだね。次からそうする」

そう言うと、澄花は頬擦りをしてくる。
一応死角にはなっているため、群衆には彼女がよろけてしまったようにしか見えないだろう。
だから今だけ、この一瞬だけの特別な時間を二人で共有する。
その中で司が思う一つの野望。それが誰のためであるのかは、もう言うまでもない。
この学院における習わし、それを嫌う者とその従者。
獅童司にとって生徒会長とは、この忌まわしい風習を破壊するための絶好の立場であった。
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