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第70話 いらない子
しおりを挟む真っ白な長い廊下を、背筋を伸ばして貴也の母である冴子は歩いていた。憂鬱な気持ちをいつもの無表情を作り気持ちが周囲に悟られないようにしていた。
特別病棟の最上階にある部屋の前まで来ると深呼吸をした。
気合いを入れて、扉をノックするとすぐに返事が返ってきた。
「失礼いたします」と言って部屋に入り扉を閉めた途端、大きな奇声と共に衝撃を受けた。その勢いで後ろに下がり、扉に背中を打ちそのまま床に尻もちをついた。
「奥様」
見知らぬ男性の声が聞こえた。
何がなんだがさっぱりわからず、打った背中を抑えながら立ち上がった。
「なんで落ちたのですの?」と真っ赤な顔して金切り声を上げているのは憲貞の母である順子だ。それを、大柄な男性が抑えていたが暴れているので大変そうであった。
「順子。落ち着きなさい。まずは江本先生の話を聞かないか」
部屋の中央にあるベッドで横たわっている憲貞の父、圭一郎に優しく諭されると順子は不満そうな顔しているが口を閉じた。
「国安はなしてちょうだい」
自分を抑えていた男に向かって冷たく言い放つと彼は順子を離し、頭を下げると部屋に隅に立った。
それを冴子はじっと見ていた。
「すまないね、江本先生。息子が受験を失敗してしまったことで妻が取り乱してしまった」
どんな理由があろうと妻が他人を突き飛ばして平然としてられるこの男の神経を疑ったが、相手が怒ってもこの男は平気なんだろうなと思った。
大きすぎる権力とは性格を歪ませると実感した。
「お力になれず申し訳ございません」
冴子は感情を押し殺し、圭一郎のベッドの横まで来ると頭を下げた。
「絶対に合格させると言ったじゃないですの? だからあんなにお支払いしたのですわ」
興奮して今にも殴りかかりそうな順子の手を圭一郎はそっと握った。すると、少女にように顔を赤くして圭一郎を見た。
「順子、落ち着きなさい」
「はい。圭一郎さん」
圭一郎と話す時と、冴子や国安と呼ばれた男と話す時の落差が激しすぎて逆に面白かった。そんな家庭で育てば順子のような人間になるのかと思った。
「いいかい? 江本先生は“絶対受かる”なんておっしゃられていないよ」
「そうでしたっけ……」
「今日はね。江本先生が本当に息子の合格に全力を尽くしてくれたかの確認をするためにお時間を頂いたのだ」
圭一郎に言われると、順子は小さく頷いて乱暴を働いた事を謝罪した。
彼女が謝れることに冴子は驚きながら、謝罪を受け入れた。
「天王寺憲貞君の勉強計画と結果については以前報告致しましたことと変わりはありません」そう言って冴子は鞄からファイルに入った分厚い書類を圭一郎に渡した。
それを受け取ると、圭一郎はじっくりと1ページずつ確認した。
「ふむ。講師の叶和明氏はかなりの実績の持ち主だったな」
「ええ、御三家合格率トップで有名な塾の上位クラスを教えた経験を持っていますし、彼の担当したクラスはいつも多くの合格者を出していますの。だから、私サインしたのですわ」
順子は横から書類を覗き込みながら興奮気味に言った。
「うむ」と頷きながら圭一郎は憲貞の勉強時間とその成果を確認していった。
「それなのに、不合格とか信じられませんわ。江本先生のご子息は幕中も快晴中も受かっているのですよ。桜華は特待Sですわよね」
キッと順子に睨みつけられて眉を下げた。
息子を引き合いに出されても、困ると冴子は内心大きなため息をついた。息子の受験にはお金しか援助していない。勉強は自分でやっているし、食事を作っても食べてくれないことが多い。自分の身体を物と扱っているようで雑だ。
自分の息子のことを思うとため息がでた。だから、育児に苦労する順子の気持ちが全く分からないわけではない。
「順子、落ち着きなさい」
圭一郎がぎゅっと順子の手を握ると「はい」と言って静かになった。
「叶さんのことでご厄介になってからかなりの時間勉強しているな。成績も上がっているし過去問もかなり点数が取れるようにはなっている。しかし、御三家合格はこれじゃ難しいだろ」
「あの子ができないってことですの?」
「そうだな」
順子の言葉に頷くと、圭一郎は冴子の方を見た。彼の鋭い目でまっすぐに視線を送られると居心地がよくない。
「江本先生のご子息は家庭教師がいるのかね」
「いません」
「では、塾だけか。江本先生自身が教えることはあるのかね」
「私の職業上そんな時間はありません。受験日送迎のための有給を取るのも大変でしたよ」
1年以上前から上司に有給申請をして頭を下げたのを思い出した。医者は金回りがいいがブラックだ。人間関係も良好とは言い難い。
「だそうだ。順子」
順子は下を向いて「……ませんわ」とつぶやいた。その言葉がよく聞こえずに、圭一郎も冴子も順子の方に耳を傾けた。
「いりませんわ。あんな子、必要ないのですわ」真っ赤な顔をして順子は叫び、圭一郎の方を見た「ねぇ、いりませんわ。なかったことにして下さい」
「うむ」
あまりに残酷な発言に圭一郎も驚いたようで目を大きくした。
「御三家も受からないような人間は天王寺にはいりませんわ。すぐに捨てましょう」
「うむ」圭一郎は考えながら順子の瞳を覗き込んだ「家から出すのは構わんがやり方を考えないと変な噂が立ち天王寺の名が傷つく」
「あぁ、それは大変ですわ」
順子は顎に手をやり、少し考えると冴子を見てニコリと笑った。
「先生、いりません? 先生のご子息は憲貞が気に入っていましたわよね。上げますわ。もちろん、今後掛かる費用はお渡ししますわ。ですので、二度とあの子が私の前に現れないようにして下さいまし」
圭一郎は冴子の答えを待っているようで目があった。ここで断れば、憲貞は親戚中をたらい回しにされるだろことは予想できた。
「わかりました。学校や生活などで不十しない支援をお願いします」
「うむ」圭一郎は頷くと、部屋の隅で微動だにしない国安の方を見た。
すると、彼は頷きゆっくりと順子のもとに近づくと何を耳打ちした。すると彼女の顔が高揚した。
「あの、私この後用がありますので失礼致しますわ」そう言って国安と共に部屋を出て行った。
嵐が去ったように静かになった。
「江本先生、ありがとうございます」
圭一郎は礼を言ったあとしばらく冴子の顔を見た。そしてため息をついた。
「妻が、息子を捨てたこと本人には黙っていてくれないか?」
「はぁ」
「あの子が妻を逆恨みでもしたら困る。捨てられる原因を作ったのは本人だ。これだけ援助しているのに結果がでないなんて情けない」
小学校6年生の息子に対しての言葉とは思えないほど厳しい言い方に驚き不快に思ったがそれは心の中に収めた。
「ご子息と会えなくなり寂しくありませんか?」
「子どもは妻が欲しいと言ったから作ったのだ。彼女がいらないと言うなら必要ない。ただ、世間の目があるから江本先生の力をお貸し頂きたい。あらゆる形で礼はする」
礼などいらないと思ったが、憲貞のために資金があることには困らない。
「憲貞君のことはお任せ下さい」
あの両親のもとにいては憲貞があまりに不憫に感じた。
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