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第35話 邪魔な息子
しおりを挟む真っ白な天井はいつも変わらない。毎日の規則正しい生活は身体には良いかもしれないが焦りを感じるため精神的には良くはない。
仕事は山ほどある。ここでもしているが現場にいるよりは質が落ちる。
更にここにきて、仕事以外にも処理しなくてはならない事があり頭が痛かった。長年あった問題を見ないようにしていたツケが回ってきた。
「……ですわよね? 圭一郎(けんいちろう)さん?」
圭一郎は横でずっと話している妻の順子(よりこ)に頷いた。
「憲貞は成績上がるのかしら。江本先生のご子息は頭がいいですが、教えるのが上手とは限りませんよね? やはり、家庭教師と私で常に見ていた方がいいのではないでしょうか?」
「江本先生の所に行くと行った時は喜んでいたではないか?」
「そうですが、いない日が続いて不安になりましたの。快晴中とは言いませんがせめて浅井中くらいは。桜華小の男子は殆どが御三家にいくのですよ。それなのに、憲貞は受験したから桜華中ですから難しいと言われるなんて」
順子は大きくため息をついた。
「桜華小にいますから内部進学できますがこれから心配です。桜華中が悪いとは思いませんが御三家に比べたら。なんで、こうなのでしょうか? 私は桜女子中、圭一郎さんは快晴中ですのよ?」
イライラとして順子は自分の手に力をいれた。
「私たちの優秀な部分は全てお兄ちゃんが持っていったのでしょうか。なら憲貞なんて産まない方良かったのかも知れませんわ。本当にアレでは天王寺の恥ですわ」
唇を噛み全身で怒りをあらわにする順子に圭一郎はため息をついた。
確かに憲貞は優秀ではない。だから桜華学園中学校にそのまま進学させてもいいと思っていたが、妻はそれが許せないようだ。
おそらく彼女は息子に強く当たっているのだろう。彼はいつも何かにおびえているように見えた。
上の子どもも桜華学園初等部にいたが、憲貞のように塾に行くことなく学校の勉強だけで快晴中学に合格した。同じように接しているので生まれ持った物の差だと感じていた。
「うむ。様子を見よう」と言って妻をひきよせて抱きしめると彼女は落ち着き頷いた。
「あなたがそう言うなら」
妻と憲貞はできるだけ長く離しておきたかった。少なくとも受験が終わるまでは妻と二人にはさせたくなかった。
どうやって彼らを離すか考えている矢先に主治医から申し出あった事に神は自分の味方をしていると感謝した。
憲貞が嫌いなわけではない。長男の方が好きと言う訳はない。どちらも妻が産んだ子どもだから悪く思ってはない。しかし、今の状況では妻が拘束されて自分から引き離されて可能性がある。それが怖かった。
子どもは妻がほしいと言ったから作っただけの副産物だ。
「ここ数日、笑顔を増えたな」
「え? そうでしょうか?」
「あぁ、以前はここでも憲貞のことばかり怖い顔で話をしていた」
「だって、それはあの子が全然勉強しないですよ。休日は10時間以上側にいて教えてあげているのに」
イライラとする彼女の顔を見て憲貞の名前を出したことを後悔した。妻には自分のことだけを考えて笑っていてほしい。
妻を抱きしめながら憲貞が永遠に帰ってこなくていいと思った。
「失礼致します」
扉を叩く音と同時に声がした。妻が慌てて圭一郎の胸から離れて身なりを整えると返事をした。それが寂しく思ったが仕方ないと諦めた。
主治医は入室するとすぐに「体調はいかがでしょうか?」と無表情でいつもの決まり文句を言いながらベッドに近づてきた。それを妻が笑顔で出迎えた。
「あら、江本先生。天王寺は元気でございますわ」
「そうですか」
と主治医は返事をしながら視線を向けられたので圭一郎は頷いた。その後、いつものと変わらない診察を受けて順調に回復している事を教えてもらった。
「あら、そろそろですわね」
妻が腕時計を嬉しそうに見るとスマートフォンを取り出して操作を始めた。しばらくすると目を大きくして口をスマートフォンの画面を圭一郎に見せた。
「ねぇ、凄いですわ。上がってますわ」
喜ぶ妻の顔を見ると心が温かくなった。
「これも江本先生のおかげです」
妻は主治医の方を向くと頭を深々と下げて礼を言った。
息子の成績を上がることは圭一郎にとって悪い話ではなかった。結果が出たのだから、もう少し息子の世話を頼む方向に話を持っていきやすい。
「いえいえ、ご子息の本来の力です。環境を変えて力を発揮できたようですので、もう少しこの環境で持続してはどうでしょうか?」
主治医の提案に驚いた。結果が出たのだがらと息子を自宅に返す話になると思っていたが真逆であった。願ってもない話であるが妻の反応が気になり黙って彼女の方を見た。
「でも……。私が見ないとあの子サボるのですわ」
「そうですか。息子が見ていますから問題ないと思います」
「そうですの……」
悩んでいる様子であった。
「貴也君が了承するのならいいのではないか」
「圭一郎さん」
「成績が上がったのだから、環境があっていのだろう」
「……そうですわね」
妻はスマートフォンの成績表とじっと見て迷いながらも承諾したので安心した。できることなら、永遠に帰って来なくて構わないと思っていた。
息子がいると妻が鬼と化する。彼女は本来優しい人だ。その人間を変えてしまう副産物はいらない。
「費用については直接渡そう」そう言うと妻が紙袋を持ってきた。
主治医はお金困ってないからとそれを断ったが、“生活費”と言って無理に押し付けた。
すると、彼女はじっとそれを見て何かを考えた。
「わかりました。では、全て息子に預けます。勿論、ご子息の生活は保証しますよ」
「先生がそう判断なさるならお任せします」
息子を預けて、何もしないなんて世間体の悪いことをしたくなかったために払った金であった。そのためどう使われようと気にならなった。
そもそも、警察沙汰にならないのなら主治医の家で息子がどう扱われてようどうでも良かった。妻が穏やかに過ごせるのであれば問題はない。
主治医は圭一郎の言うことに納得すると、現在の身体状況や今後も治療方針について説明をした。一通り話すと頭を下げて部屋を出て行った。
「圭一郎さん。これで憲貞は御三家に行けますわ」
「過度な期待はするものではない」
ワクワクする妻に、圭一郎は優しく諭すように伝えたが妻の耳に入ったが怪しい。
圭一郎は息子の成績を見て、彼には御三家のどこも大変だろうと思っていた。
「まだ半年ありますわ。ダメでしたら家庭教師を増やしましょう」
「うむ。桜華の中学でもいいでのはないか」
余りに息子に夢中になる妻にいい感情が持てなかった。こんなに入れ込むなら息子など作らなかったのに と後悔した。
「最悪の場合は仕方ありませんわ。本当にお兄ちゃんと違って憲貞は手が掛かりますわ」
「ほっとけばいい。以前はそうしただろう」
「お兄ちゃんは優秀でしたわ。でも、憲貞は手を掛けないとできない子なのですわ」
必死にスマートフォンで御三家情報を調べてる妻を圭一郎は悲しい目で見た。
心底邪魔な息子だと思った。
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