上 下
41 / 69
元伯爵令嬢との逃避行

1話 劇場の地下

しおりを挟む
 水滴の音が聞こえる。
 その音が反響している気がする。
 空気がヒンヤリしている。
 この感じは……地下か。
「……!」
 目を覚ました。  
 真っ暗だ。
 辺りは何も見えない。
「……」
 とりあえず手を握ったり閉じたりしてみる。
 自分の服装を確かめてみる。
 ヘンズリー家の食事会に招待されたときの服装のままだ。
 体に痛むところはない。
 喉も渇いてない。
 拘束などもされていない。
「チャーリー……あの野郎」
 自分をさらった者の名を口にした。
 怪人の正体だった者。
 あいつ……私をどうするつもりだ?
 怪人の目撃証言があって行方不明になった者ちは、未だに誰一人行方がわかってない。
 私もそうなる可能性が高い。
 そもそも、ここはどこだ?
 こう暗くては何もわからない。
「目が覚めたのね。イーモン」
「……!」
 右手の方向から、可愛らしい声が聞こえてきた。
 聞き慣れた少女の声。
「……ケイト様?」
 私は元の主の一人娘の名を呼んだ。

†††††

 暗くて何も見えない。
 マッチを擦る音が聞こえた。
 微かな焦げる臭いも漂ってくる。
 右手の方向がオレンジ色に光った。
「……ケイト様」
 再度名前を呼んだ。 
 ショートカットのサラサラの金髪。
 奇跡のバランスの美しい顔立ち。
 華奢で小柄な体。
 今はメイド服ではなく、狩人のような服装をしている。
 皮のズボンに丈夫そうなチョッキ。
 片手にランタンを持って私を照らしている。
 そして……ここが重要だ。
 腰には大振りのナイフが携帯され、肩には装飾された銃を担いでいる。
 やはり危険な存在だ。
 先ほどヘンズリー家にて聞いた事を思い出す。
 この少女は過去に快楽殺人の罪をおかしていたのだ。
「……」
 しかし目の前の少女は本来森の館でヘザー男爵家の使用人として働いてるはずだが……。
 ケイト・カミラ・クルック。
 なぜこの王都にいるのか。
「イーモン。悪いけど、こうなったからには、とことん付き合ってもらうよ」
「……」
 刺激しないようにしなければいけない。
 何しろ相手は武装している。
 しかし、まったく話が見えない。
「ごめん。状況がわからないよね?」
 私はその問に黙って頷いた。
「私ね、今騎士団に追われているんだ」
「……」 
「これまで人をいっぱい殺してきたのがとうとうバレちゃってね……」
 ケイト様は悲しげな顔でそう語る。
 その表情……。
 とても殺人鬼のものには見えない。
 私の目には、目の前の存在は多少お転婆な程度の繊細な少女に映った。 
 しかし本人が言うからには、彼女が殺人を繰り返した事は濡れ衣や間違いではないのか。
 ではこの状況……私は殺されるのか?

†††††

 息を飲む。
 ランタンに照らされた少女を見る。
 取っ組み合いに持ち込むべきか?
 しかしケイトを支援しているチャーリーがどこにいるかわからない以上、うかつな行動は危険すぎる。
 情報を集めるべきか。
 命の危険を感じる中、私の頭は生存の糸口を探すためにフルに稼働する。
「ケイト様、ここはどこですか?」
 自然とその質問が口から出ていた。
 そうだ。
 逃げるには、まずはこの場所の情報が必要だ。
 喋ってくれるとはかぎらないが……。
「ここ? 劇場の地下だよ」
 あっさり答えてくれた。
 少し拍子抜けする。
「劇場……ここは王都なのですか?」
「そうだよ。王都の中心街」
「……」
 この質問はそこで切り上げた。
 なぜケイトがここにいるかとか、自分をどうする気なのか等の情報は極論いらない。
 ここは王都、何とかして地上に出れば騎士団に助けを求める事ができる。
 今はそれがわかれば十分。
「……」
 しばらく沈黙が続いた。
 水滴の音の他に、水の流れる音も聞こえる。
 下水道ではなさそうだ。
 ここは一体なんなんだ。
「イーモン。チャーリーがあなたを連れてきてから五時間は経ってる」
「……!」
 向こうから情報を提供してくれた。 
 ケイトの話が本当なら、今は夕方か。
「劇でも聞きながら何か食べようよ」
「……?」
「あ、ここ綺麗な水とかトイレとかだいたい揃ってるから。食べ物はチャーリーが持ってきてくれるし」
「……」
 劇を聞く?
 一体何を言ってるんだ。

†††††

 ケイトに立ち上がるように促された。
「ついてきて。地上の劇を聞けるポイントがあるんだ。暇つぶしには持って来いなんだよね」
 そう言いながら背中を向けてきた。
 華奢な肩幅。
 細い腰。 
 この娘は何度も首根っこをつかんで取り押さえている。 
 その気になれば……。
「あ、もし今私に何かあったら……チャーリーがあなたを殺すからね」
「……!」
 突然振り向かれて、冷たい視線と共に言葉を投げかけられた。 
 これは……やはりうかつに動けない。
「とにかくついてきて」
 従うしかない。
 私は無言でケイトの後をついていく。
 しかし、本当に何がしたいんだ?
 未だにこの少女が殺人鬼とは思えないのだが……。
「着いたよ!」
「……」
「ほら、劇場の音がよく聞こえるでしょ? ちなみにこっちの音は絶対に向こうに聞こえないから叫んでも無駄だよ」
「こちらの音が向こうに届かない?」
「うん、詳しい事はよくわからないんだけどね」
 これは……信じるべきか?
 ここが本当に劇場の地下なら、一か八か助けを求めるのもありか?
「どっちにしろ、大声出したら殺すよ。チャーリーが飛んできて猟銃ぶっ放すからね」
「……!」
 ランタンに照らされた少女の視線は冷たい。
 あの森の館でのケイトのイメージとは異なる雰囲気。
 ……今はこのまま流れに任せるしかないか。
「よっと。イーモン、この辺に座って」
「……」
 先ほどからずっと私は無言だ。
 乾物の匂いがする。
 これは……ドライフルーツや乾し肉やパンか。
「食料はここに貯めてあるんだ。一週間分はある」
「……」
「しばらくしたらリブロストの森に向かって旅立つ、それまでは楽しもうか」
「……」
 この娘は一体何を言ってるんだ? 
 言動の一つ一つが難解だ。
 リブロストの森……王都のはるか南に位置する全容が解明されてない密林。
 そこに向かう?
「レディース アンド ジェントルマン! 今宵も当劇場にお集まりいただき……」
「あ、始まった。イーモン、コーヒーと紅茶どっちがいい? お湯を沸かすセットもあるんだ」
 ここが劇場の地下という情報は本当だった。
 王都の有名な劇団の劇が始まる音が聞こえてきた。
 ……つまり、目の前の存在を出し抜けば……地上へ逃げれるのが確定した。 
「……」
 ならば口八丁で乗り切ってやる。
 ケイトのかけて欲しい言葉を投げかけ油断させる。
 禁句を避けて刺激を避ける。
 そうやって時間を稼ぎつつ、現状の打破の糸口を見つけてやる。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

完結 嫌われ夫人は愛想を尽かす

音爽(ネソウ)
恋愛
請われての結婚だった、でもそれは上辺だけ。

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

処理中です...