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悪役令嬢との恋
3話 ヘザー男爵家の本館
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返事がない。
もう一度ヘザー家の本館の裏口のベルを鳴らした。
やはり反応はない。
「困ったな」
かつてこの近くにあるクルック家の本館に訪れたときは、誰かかしら来客用に待機していたものだが……。
もしや使用人の数が少ないのか?
「イーモン殿?」
後ろから私の名が呼ばれた。
振りかえると、そこにはたくさんの袋を持った背の高い美しい女性がいた。
その女性は亜麻色の長い髪に執事服の女性……一瞬見とれてしまうほど凛々しい。
「フィオナさん。このイーモン・ケアード、召集に応じ参りました」
買い物帰りらしい女性がフィオナと気付いたので、すぐに丁寧に挨拶をした。
形式上、同じように返される。
「あの、ヘザー男爵家の執事長にご挨拶したいのですが」
そうだ。
まずはそれだ。
すると、フィオナは少し笑って答える。
「ああ。そういえばあなたにまだ言ってなかったな」
「え?」
「ヘザー男爵家の執事長は私なのだ」
「……! これは失礼しました」
先日の男物の服装で御者をしていた彼女のイメージに惑わされていた。
彼女がここの執事長なのか。
「と、言っても……執事長も何もここには執事は私しかいないのだがな」
「……え?」
「王都の男爵家の館とはどこもそんなものだ。使用人自体、大抵一人か二人」
「はあ」
意外だ。
クルック家の本館には約十人ほどの使用人が常にいたものだが。
「男爵家の方々は大抵は自分の領地に使用人を置くと?」
「そうだ。あなたが勤めていたクルック伯爵家は王都に持つ土地も広いから別だが、多数の貴族にとってここ貴族街の館はシンボルのような存在なんだ」
「……存じませんでした」
これは恥ずかしい。
この年になるまで知らなかった。
「別にこういう事実を知らない執事がいるのは珍しくないんだ。執事業務教育の学校ではこんなこと教えない。他の伯爵家以上の使用人も知らなそうだ」
「はあ……なるほど」
それはつまり、ここでは仕事のやり方などもすべてが違うと考えたほうがよさそうか。
†††††
裏口を私が開けた。
両手いっぱいに買い物袋を抱えたフィオナに頼まれた。
「改めてようこそ、イーモン・ケアード殿。旦那様とベアトリクス様はまだお帰りになられないから、しばらくゆっくりしてて欲しい」
「は、はい」
想像していた空気とだいぶ違う。
てっきりもっと多数の使用人がバタバタと働いていると思ったが……。
フィオナの後について歩く。
そしてヘザー男爵家本館の中を見渡してみた。
古城の一部。
まさにそんな印象だ。
古めかしい壁や床、それなのに威厳を感じる不思議さ。
掃除は完璧に行き届いており、内装は古い建物にマッチした色の飾りや絨毯で構成されている。
「……」
なんとなく部屋数を確認してしまう。
おそらく、一階は大広間や厨房、トイレ等のみ。
地下はワインセラーなど。
主一家の寝室は二階か。
使用人の部屋はどこだろうか?
「まずはイーモン殿が滞在中に過ごしていただく部屋に案内する」
「お願いします」
フィオナは買い物袋を厨房のテーブルに置くと、キビキビと歩き出した。
「部屋は地下になるのだが、問題はあるか?」
「ありません」
「当家は誰も酒の類を飲まない。本来ワインセラーになるべき地下室は使用人が寝泊まりする部屋に改造されていてな」
「なるほど」
「滞在中はこれを専用に持っていてくれ」
「ランプですか……珍しい型ですね」
「骨董品だ」
そうして、まずは地下へと続く階段へと案内された。
……まったくホコリはないが、幽霊でもでそうな雰囲気だ。
そのまま暗い地下にたどり着く。
そこには広めの大きな空間があった。
一階の大広間を半分にしたイメージだ。
少し肌寒い。
ここは本来ワインセラーなわけだから当然か。
「ここには基本ベッドとテーブルと暖炉とトイレしかない」
「……」
「何か必要なものがあったら言ってくれ。あ、トイレは水洗だ。勝手に王都の下水道に流れるから……その、持ち運びはいらない。地上への煙突の掃除もしたばかり、しばらく気にする事はない」
「十分な配慮です。私などにはもったいない」
本心だ。
こんなにいい部屋を用意してもらえるとは思わなかった。
暗いのも、ランプが多数置いてあるから問題なそうだ。
「それで、私はさしあたって何をすれば良いので?」
聞いてみた。
あの森の中の別荘とはまるで勝手が違うはずだ。
「イーモン殿はベアトリクス様を留年させない事だけ考えてくれればよい。これから二週間、その事だけに取り組んでくれ」
「は、はあ」
生返事をしてしまった。
そもそもその件は本当に続いているのだろうか?
あの時ベアトリクス様を罵倒した手前、家庭教師は他の者が担当しそうだが……。
このまま森の館にトンボ返りもあり得るかもな。
†††††
家庭教師の件がどうなるかわからない。
それでも準備は必要か。
「フィオナさん。ベアトリクス様の勉強を見るために資料が欲しいのですが」
「ああ、すまないが貴族街の本屋で揃えてきて欲しいんだ」
「貴族街の本屋……ですか」
「あそこはツケが聞く。この紋章を持っていってくれ」
「はい」
ヘザー男爵家の紋章が渡された。
使用人がそれを持っていき、ツケで買い物をすることはよくある事だ。
信用のある貴族ならではの風習か。
「では、私は夕食の準備があるのでこれで」
「はい」
……地下室を出て行こうとするフィオナ。
あることが気になって呼び止めた。
「フィオナさんはこの館に住まわれているので?」
「いや? 私は自宅から通っている」
「そうですか。呼び止めてすみませんでした」
そうして、カツカツと音を立ててフィオナは階段を登っていった。
……今の発言。
彼女はコックも兼任しているのか。
「さて」
約二週間とはいえ、自分が生活する部屋だ。
いろいろ確かめてみる。
寝心地のいいベッド。
ちょうどいい高さのテーブルと椅子。
どちらも良さげだ。
「地下にも水道が通っているのか」
水洗のトイレだけではなく、別個に水が出る蛇口がある。
先ほどフィオナは触れてなかったが、洗面台も桶もある。
身だしなみを整えるのに苦労はなさそうだ。
もう一度ヘザー家の本館の裏口のベルを鳴らした。
やはり反応はない。
「困ったな」
かつてこの近くにあるクルック家の本館に訪れたときは、誰かかしら来客用に待機していたものだが……。
もしや使用人の数が少ないのか?
「イーモン殿?」
後ろから私の名が呼ばれた。
振りかえると、そこにはたくさんの袋を持った背の高い美しい女性がいた。
その女性は亜麻色の長い髪に執事服の女性……一瞬見とれてしまうほど凛々しい。
「フィオナさん。このイーモン・ケアード、召集に応じ参りました」
買い物帰りらしい女性がフィオナと気付いたので、すぐに丁寧に挨拶をした。
形式上、同じように返される。
「あの、ヘザー男爵家の執事長にご挨拶したいのですが」
そうだ。
まずはそれだ。
すると、フィオナは少し笑って答える。
「ああ。そういえばあなたにまだ言ってなかったな」
「え?」
「ヘザー男爵家の執事長は私なのだ」
「……! これは失礼しました」
先日の男物の服装で御者をしていた彼女のイメージに惑わされていた。
彼女がここの執事長なのか。
「と、言っても……執事長も何もここには執事は私しかいないのだがな」
「……え?」
「王都の男爵家の館とはどこもそんなものだ。使用人自体、大抵一人か二人」
「はあ」
意外だ。
クルック家の本館には約十人ほどの使用人が常にいたものだが。
「男爵家の方々は大抵は自分の領地に使用人を置くと?」
「そうだ。あなたが勤めていたクルック伯爵家は王都に持つ土地も広いから別だが、多数の貴族にとってここ貴族街の館はシンボルのような存在なんだ」
「……存じませんでした」
これは恥ずかしい。
この年になるまで知らなかった。
「別にこういう事実を知らない執事がいるのは珍しくないんだ。執事業務教育の学校ではこんなこと教えない。他の伯爵家以上の使用人も知らなそうだ」
「はあ……なるほど」
それはつまり、ここでは仕事のやり方などもすべてが違うと考えたほうがよさそうか。
†††††
裏口を私が開けた。
両手いっぱいに買い物袋を抱えたフィオナに頼まれた。
「改めてようこそ、イーモン・ケアード殿。旦那様とベアトリクス様はまだお帰りになられないから、しばらくゆっくりしてて欲しい」
「は、はい」
想像していた空気とだいぶ違う。
てっきりもっと多数の使用人がバタバタと働いていると思ったが……。
フィオナの後について歩く。
そしてヘザー男爵家本館の中を見渡してみた。
古城の一部。
まさにそんな印象だ。
古めかしい壁や床、それなのに威厳を感じる不思議さ。
掃除は完璧に行き届いており、内装は古い建物にマッチした色の飾りや絨毯で構成されている。
「……」
なんとなく部屋数を確認してしまう。
おそらく、一階は大広間や厨房、トイレ等のみ。
地下はワインセラーなど。
主一家の寝室は二階か。
使用人の部屋はどこだろうか?
「まずはイーモン殿が滞在中に過ごしていただく部屋に案内する」
「お願いします」
フィオナは買い物袋を厨房のテーブルに置くと、キビキビと歩き出した。
「部屋は地下になるのだが、問題はあるか?」
「ありません」
「当家は誰も酒の類を飲まない。本来ワインセラーになるべき地下室は使用人が寝泊まりする部屋に改造されていてな」
「なるほど」
「滞在中はこれを専用に持っていてくれ」
「ランプですか……珍しい型ですね」
「骨董品だ」
そうして、まずは地下へと続く階段へと案内された。
……まったくホコリはないが、幽霊でもでそうな雰囲気だ。
そのまま暗い地下にたどり着く。
そこには広めの大きな空間があった。
一階の大広間を半分にしたイメージだ。
少し肌寒い。
ここは本来ワインセラーなわけだから当然か。
「ここには基本ベッドとテーブルと暖炉とトイレしかない」
「……」
「何か必要なものがあったら言ってくれ。あ、トイレは水洗だ。勝手に王都の下水道に流れるから……その、持ち運びはいらない。地上への煙突の掃除もしたばかり、しばらく気にする事はない」
「十分な配慮です。私などにはもったいない」
本心だ。
こんなにいい部屋を用意してもらえるとは思わなかった。
暗いのも、ランプが多数置いてあるから問題なそうだ。
「それで、私はさしあたって何をすれば良いので?」
聞いてみた。
あの森の中の別荘とはまるで勝手が違うはずだ。
「イーモン殿はベアトリクス様を留年させない事だけ考えてくれればよい。これから二週間、その事だけに取り組んでくれ」
「は、はあ」
生返事をしてしまった。
そもそもその件は本当に続いているのだろうか?
あの時ベアトリクス様を罵倒した手前、家庭教師は他の者が担当しそうだが……。
このまま森の館にトンボ返りもあり得るかもな。
†††††
家庭教師の件がどうなるかわからない。
それでも準備は必要か。
「フィオナさん。ベアトリクス様の勉強を見るために資料が欲しいのですが」
「ああ、すまないが貴族街の本屋で揃えてきて欲しいんだ」
「貴族街の本屋……ですか」
「あそこはツケが聞く。この紋章を持っていってくれ」
「はい」
ヘザー男爵家の紋章が渡された。
使用人がそれを持っていき、ツケで買い物をすることはよくある事だ。
信用のある貴族ならではの風習か。
「では、私は夕食の準備があるのでこれで」
「はい」
……地下室を出て行こうとするフィオナ。
あることが気になって呼び止めた。
「フィオナさんはこの館に住まわれているので?」
「いや? 私は自宅から通っている」
「そうですか。呼び止めてすみませんでした」
そうして、カツカツと音を立ててフィオナは階段を登っていった。
……今の発言。
彼女はコックも兼任しているのか。
「さて」
約二週間とはいえ、自分が生活する部屋だ。
いろいろ確かめてみる。
寝心地のいいベッド。
ちょうどいい高さのテーブルと椅子。
どちらも良さげだ。
「地下にも水道が通っているのか」
水洗のトイレだけではなく、別個に水が出る蛇口がある。
先ほどフィオナは触れてなかったが、洗面台も桶もある。
身だしなみを整えるのに苦労はなさそうだ。
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