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王都の怪人

6話 出発

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 館の外に出た。
 今日は少し涼しい。
 夏の終わりもようやく実感できる。
 この時期はいろいろな所から甘い香りがし始める。
 ここは貴族が所有する狩猟をするための広大な森。
 意図的に果物の木を多めに植えてある。
「イーモン殿。本当に荷物はそれだけで?」
「ええ」
 男の生活用具などそんなものだ。
 小さめの旅行カバンを馬車の荷物置き場の隅に置く。
「……」
 男爵家の馬車。
 普段見慣れていたクルック元伯爵家所有のものと比べると、さすがに若干見劣りする。
 それでも機能性を重視した丈夫そうな造りだ。
 王都までの道のりに不具合は出ないだろう。
「ベアトリクス様、お手を」
「ありがとうございます」
 先に馬車に乗り込み、ベアトリクス様に手を差し伸べる。
「……?」
 握られた手は貴族の少女のものにもかかわらず、分厚く硬かった。 
 ……ここは、少しポイントを稼いでおくか。
「お手が豆だらけですね。大人顔負けの剣術の鍛錬を積んでいるのは素晴らしいです。しかしほどほどに」
 馬車に乗り込み、着席した瞬間にそう小言を言う。
 普通の貴族のお嬢様なら、平民にそんな注意をされたら気分が悪くなるだろう。
 しかし、この娘は違う。
 口元を緩め、少し頬を染め、窓の外に目をそらす。
「うるさいですわね。私の勝手でしょう?」
「しかし、あなた様は男爵家のご息女……」 
「あー、もう。この話は終わりにしてくださいな。せっかくの旅行気分が台無しですわ」
「わ、わかりました」
 話が途切れる。
 端から見ると、一見執事がいらぬ進言をしてお嬢様の機嫌を損ねたように見えるだろう。
「……」
 しかしベアトリクス様は機嫌が良くなっている。
「イーモン、長旅になります。何か暇つぶしを考えて欲しいですわ」
「かしこまりました」
 やはり成功だ。
 口調も弾み、こちらの信頼度が上がったかのような言葉。
 このお嬢様にとって会話の内容はさほど重要ではない。
 自分が剣術の稽古に勤しんでいる。
 おそらく、その事を私が理解していることに心地よさを感じている。
 改めてそう確信した。
「……」
 この調子で行くとするか。
 雇い主と使用人の関係でも……好感度を上げとけば、やりやすくなる。
「ベアトリクス様。出発します」
 御者台のほうから声が聞こえてきた。
「はい、お姉さま」
 そうして、車輪が軋む音が聞こえ馬車は動き出す。
 王都までの道のりは馬車で約一日半。
 途中どこかで宿を取る事になるだろう。

†††††

ヘザー男爵家所有の広大な森を抜けたあとは、ひたすら似たような景色を眺める事になった。
 小麦畑、草原、手入れされてない雑木林。
 そういったものが視界に入る。
「チェックメイトです」
「う、ううっ」
 揺れる馬車の中、対面に座った私とベアトリクス様はしばらくチェスを打っていた。  
 それは盤と駒が磁石でくっつく特注品だ。
「もう一度、もう一度勝負ですわ」
「仰せのままに」
 すでに十連勝だ。
 私は特にチェスが強いわけではないが、さすがに十六の少女には負けない。
「……」
 普通なら……わざと負けるとか苦戦させてから逆転負けの演出をするとか、いろいろ考えなければいけない。
 しかしこのお嬢様の相手はある意味楽だ。
 普通に負かしていれば、問題が起きないタイプ。
「その年にしてはよく勉強なされてますが、やはり年季の差はでますね」
「……まいりましたわ」
 また私の勝ち。
 それでもベアトリクス様の表情は明るい。
 恐らくは彼女にとっては勝ち負けは二の次なのだ。
 結果は出ずとも、怠けないで真摯に何かに打ち込んでいる。
 それを評価されたいと願う。
 ……私なりにその心境を分析してみた。
 彼女は将来に不安感がないのではないだろうか?
 容姿端麗、家柄は男爵家、性格が悪いとは言ってもそれを隠せないわけではない。
 今は学園で成績不振で留年することを恐れているが……。
 例えそうなったとしても、ヘザー男爵様に多少怒られる程度だろう。
 つまり……ベアトリクス様は例え怠けて生きても、さほど人生が変わらないのだ。  
 どちらにせよ、美貌を見込まれて有数の貴族に嫁ぐ未来に繋がるのだろう。
 だからこそ、怠けないで努力することに価値を見出す。
 そしてそれを深く理解する者を好意的にとらえる。
「……」
 今もベアトリクス様は薄手のドレスを纏い、夢中でチェスををしている。
 前かがみになっているので、いつものように胸の谷間が丸見えだ。
 しかし、それは私をからかっているわけでもない。
 ましてや誘惑しているわけでもない。
 男女の概念に無頓着なのだ。
 今は普段のチェスの戦術を学んだ成果を私に証明したくて必死。
「おや、かのムートン卿が百年ほど前に考案したとされる戦術ですか」
「あら、知ってますのね」
「そういう古典的なものも調べる気概は買いますが、使いこなせていませんよ。チェックメイトです」
「……あーあ。まいりましたわ」
 また勝負がついた。
 そしてまたさりげなく勤勉な姿勢を褒めておいた。
 使いこなせていない、という注意。
 誉め言葉とは真逆のそれらを散りばめ印象付けることで、私が好感度を操作している事に気づかれないようにする。
 それにしても、かれこれ半日チェスばかりしている。
 よく飽きないものだ。
「……おっ?」
 もう一度勝負を挑んできそうだったが、馬車の揺れが緩やかに止まる。
「ベアトリクス様、宿に着きました。お降りください」
 フィオナの声が外からした。
 私は手を取って、ベアトリクス様を誘導する。
「私は馬を繋いできます。イーモン殿、しばらく頼みます」
「わかりました」 
「お姉さま。まだ午後三時前ですのに、もう宿を取るのですか?」
「ええ、この先の宿場町で怪人の目撃情報が出ました。念のためここで一拍しましょう」
「は、はあ」
 キツネにつままれた表情をしている。 
 すぐに話しかけられた。
「イーモン、怪人など本当に存在するのでしょうか?」
「ああ、行方不明者が出るときに頻繁に目撃される、黒づくめに仮面の男……でしたね」
「ええ、たまに新聞に出ますね」
 巷を騒がせる怪人。
 大方誰かの作り話が一人歩きして広まったものだろう。
「……」
 そんなことより、気になる事がある。
「そういえばベアトリクス様」
「何か?」
「なぜあなたはフィオナさんをお姉さま、とお呼びになられるのですか?」
 そう、貴族の娘が使用人にそんな敬称を付けるのはかなり珍しいはず。
「なぜって、そのままですわ」
「え?」
「あの方は私にとって血の繋がったら姉なので」
「……?」
 それは、どういう事だろうか。

 
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