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第1話 夏の冷房代を節約する矢上
しおりを挟む窓から夕日が差す放課後、俺は教室に残って自習をしていた。
別に勉強が苦手ではない。単に家に帰ると課題外の勉強をする気が起きないからだ。
エアコン完備で、電気代も助かる。ネット通販で買った世界史の問題集を解いていた。
「ねえ、矢上君」
遠くで女子の声がする。勉強に集中しているのに、うるさい。スルーを決め込み、問題集にシャーペンを走らせる。関係ない話だが、俺の学力はうちの高校では、上の下だ。
「あのー、矢上君。勉強中に悪いんだけど」
声が近くでする。手の動きを止め、顔を上げた。かなり距離を置いて、吉沢(よしざわ)萌衣(めい)が立っていた。
「今日、わたしが日直で、教室の鍵かけ当番なの」
吉沢は壁にかかる時計を指差す。時間は午後六時近く、生徒は下校する時間だ。
「吉沢すまない、片付けて帰る」
「勉強頑張ってるのに、ゴメンね」
吉沢は申し訳なさそうに俯く。長い睫毛が下を向く。そして、手を後ろ手に組みながら、頬を綻ばす。
「矢上君、いっつも放課後自習してるから、わたしも見習わないと」
「謝らないでくれ。悪いのは俺だよ」
ヤバイ、ヤバイ。俺は机上にあったノートや問題集を、乱雑にバッグに放り込む。俺は自分でも信じられない早さで帰り支度を終える。
「鍵かけ手伝おうか?」
「一人でやるから……」
俺は教室内の全ての窓を閉めてまわる。それぞれの窓の鍵もしっかり閉めた。萌衣は俺から、一定の距離を保ちながら、困惑顔をしていた。
「ありがた迷惑だった?」
「ううん、ありがとう」
胸の前で手をブンブン振りながら、廊下側に立っていた。二人で密室状態になり、警戒心を抱かせてしまった。
早足で廊下に出て、吉沢から離れた所で立つ。吉沢は鍵を手にして、顔だけを俺に巡らせる。セミロングの髪が頬にふんわり触れた。
「ねえ矢上君、忘れ物ない?」
「ないぞ」
コクンと頷いてから、吉沢は扉の鍵を閉めていた。後ろ姿を眺めている俺に、訝しそうに顔を向ける。
「どうして見てるの?」
好きだから、言えない。
「た、大変そうだなって思って」
「そう?」
うん、と俺は首を縦に何度か振っていた。
「じゃあ、わたし、職員室に鍵を返してくる」
吉沢は軽い足取りで、廊下を後にして、階段の曲がり角に姿を消した。俺は反対側の階段を、駆け下りる。生徒用玄関で待ち構えるためだ。
危ないから、一緒に帰ってやろうか? このシチュエーションを、空想してしまう。頭の中何度も同じセリフを繰り返した。
靴箱前にいると、靴音が複数近づいてくる。俺は矢上、“や”で始まる名字。吉沢は“よ”で始まる。靴箱は近くだ。
息を潜めながら、それとなく演技で問題集を開くが、解説内容さえ頭に入らない。靴音が近づいてきた。吉沢だ。
「わ、びっくり……、靴箱でも勉強するの?」
「うん」
吉沢はつぶらな瞳を丸くしていた。可愛い!
「危ないから、良かったら駅までついて行こうか?」
「ゴメン」
吉沢は口ごもっていた。
「萌衣待たせちゃった?」
玄関側で女子の声がして、俺は顔を見た。同じクラスで、吉沢と仲良しの寺倉(てらくら)光紗(ありさ)だ。部活で残っていたのだろう。
「矢上って靴箱前で勉強して、変わってるな」
寺倉は口元を緩めながら、大声で笑っている。
「矢上君説明するね。一人で帰ると危ないでしょう? 光紗と一緒に帰る約束したの」
考えてみるまでもなく、女子は複数で登下校している。電車内でも一人は少ない。ミスッた。吉沢はスカートの裾を手で押さえながら、ローファーシューズを靴箱から出していた。
玄関で膝をすり合わせるようにしながら、ローファーに履き替えている。寺倉と一緒に仲良く外に出ようとしていた。
「危ないから、後ろついて行ってやるよ」
「10メートル以上距離を取って、ついて来い」
応じた寺倉は、軽く唇を尖らせている。少しうっとうしいのだろう。
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