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第1話

お姉ちゃんは、他界したおばさんだった。

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 ワンルームアパートの一室。椅子に座る女子高生はぐったり顔を下げていた。詰襟の学生服を着た男がバールを振り落とす。
「殺すつもりは無かったんだぁ!」
 グシャッと骨の折れるような嫌な音が何度も響く。その度、フローリングの床が、赤色に塗られて行った。男はバールを捨てながら、膝から崩れるように床にへたり込む。女の膝をセーラースカート越しに抱きしめた。男の顔が女子高生の膝に埋まる
 ボタリボタリと血が男の頬に零れ落ちる。
「どうして、どうして死んだんだよぉ。俺はお前が好きだっただけだ! 俺の気持ちに応じてくれないから、こんなことになったんだ。俺は悪くない!」
 男が両腕で女子高生の胸の膨らみに手を伸ばした。女子高生が椅子に縛られ座った状態で仰向けに床に倒された。
 男は両膝を突いて、女子高生のセーラー服を襟元から手で破る。ピンク色のブラジャーが露になった。
「邪魔だ!」
 ブラジャーを力づくで剥ぎ取っていたが、破けたセーラー服のポケットに手が触れる。硬い物が当たる感触があった。血まみれの手でセーラー服のポケットからスマホを取り出す。一一九番に電話をする。
「救急車を。女子高生の心臓と呼吸が停止。直ぐ来て下さい」
 男と女子高生の唇が重なり、両の手のひらは胸を何度もグイッと押す。人工呼吸と心臓マッサージだ。男の赤い肘が、揺れる胸の膨らみの先端に触れ、血飛沫が白い胸を汚す。
 けたたましいサイレンの大音声が近くで消えた。血相を変えた救急隊員が部屋に踏み入る。男を引き離して、救命処置が行われる。救急車とほぼ同時に、駆けつけた警察官が男の身柄を確保した。
 高校生の男は一方的に恋愛感情を持っていた同級生を部屋に連れ込み殺害したと裁判で確定した。また、十八歳未満であることも考慮がなされた。
 男に下された地方裁判所の判決は懲役二十年だった。
 接見した弁護士は「刑務所で罪を償いなさい」と男に告げ、控訴することはなかった。刑務所に収監された男が病死したのはその半年後だった。 

   ☆☆☆
     
「お帰りなさい」
「ただいまぁー」
 新帆しんほは、玄関で両膝を擦り合わせるようにしながら、ローファーシューズを脱ぐ。エプロン姿の母親が、呆れ顔をしていた。
「靴を脱ぐ時は、靴べらを使いなさい。もう高校生でしょう」
「はいはい、次からそうするー」
「今日はお父さん帰らないから……」
「お母さん心配性、保育所のころ、庭に一人で出ただけで、叩かれた」
  母親が急いで玄関ドアのロックをする。新帆手のひらを自分の頭に軽く載せた。そして、ひょいっと絨毯が敷かれた玄関を上がる。スカートの裾がふんわり揺れた。セーラー服姿で自室に足早に進んで、ベッドに座る。
 上衣だけ着替えて、動きやすい部屋着のパーカーを羽織る。誰も見ていないので、スカートの裾を気にせず、前屈みになる。くるぶしに指を入れ、黒いハイソックスを脱いで素足になった。壁にかかった鏡の前で自身の顔を覗きこんで、髪の毛を軽くブラッシングしていた。
 窓の分厚いカーテンを開ければ、橙だった空が闇色に染まって行く。道路を挟んで自宅前にある小さな公園では、花びらが散った桜の樹が寂しそうに立っていた。
「また来年桜を咲かせてね」
    桜が散れば、花びらでいっぱいになった公園を近所の人達で掃除する。子供の頃から繰り返された毎年の光景だ。
 トイレに行き、洗濯機にソックスを放り込んでから居間に歩みを進める。大学生で姉の真帆まほが、デニム生地の服で身を包んで、雑誌を読みながらソファーに腰を下ろしている。
「お姉ちゃんもう帰ってたんだ」
  真帆は雑誌をラックに丸めて収納する。自身のスマホを弄りながら、上目遣いで一瞬だけ新帆をチラッと見た。
「違うよ。今日は大学もバイトも休み、朝からいたの。正確に言えば、昨日の夜から帰っていた」
  姉の嫌味に新帆はむっと下唇が上がるが、料理の準備を終えた母親が会話に割って入った。
「はいはい、二人とも仲良いね。ご飯にするから椅子に座って」
 立ち上がりながら、真帆は手をポンと新帆の頭に軽く載せた。新帆はうっとうしそうに手で払う。
「お母さんお姉ちゃんが、わたしの頭叩いた」
「こら、新帆の頭に手を載せたらいけないでしょう? 新帆にごめんなさいして」
「叩いてないよ、頭に手が触れただけ。ごめんなさいっと」
   真帆は新帆と視線を合わせず、自分の席に座る。お姉ちゃんだからってエラソーに、とぼやきながら、対面の席に新帆が座った。母親が料理を並べて行く。
「今日はお米焚くの失敗しちゃって急いでスパゲティ茹でたの。ナポリタンとトマトのベーコン巻き」
    夕食のトマト色が、白い皿に冴える。
    皿が悲鳴を上げそうな勢いで、フェークを真帆がナポリタンに刺す。気だるそうな表情をしてながら、言葉を落とす。
「トマトばっか」
  新帆は料理に手を合わせ頂きますをしてから、視界いっぱいに広がる赤一色の皿を見つめる。
「お母さん、わたし、ベーコンいらない。最近、怖い夢見るの血の色がね……」
「怖い夢?」
  母親の質問を遮ったのは、真帆だった。
「新帆は怖がりだからでしょう、わたしなら気にもしない。
「好き嫌い言っちゃいけないでしょう。わたしもベーコン好きじゃないけど、貰って上げる感謝して」
 トンと指先で真帆が新帆の頬を小突く。新帆は箸にぶら下がった赤いベーコンを真帆の皿に置いた。真帆が冷めた瞳で、フォークにぶら下がったベーコンを眺める。
「綺麗に置いてよ」
 トンッと指先でトマト色に染まった皿の端を突く。新帆は整った眉をいびつに歪ませながら、内心のエラソウに、との言葉を押し流す。

 三人が食事を終えた。母親がどこか表情が重い。
「食器を洗い終わったら、だいじな話があるから真帆も新帆も居間に居て」
 それぞれが交代で自分の食器を洗う。いつもなら、その後は各々が自分の部屋に戻るのだが、この日は違った。
 エプロンを外して折り畳んだ母親がテーブルを囲んで、娘二人に意を決したよう口を開く。
「今日はお母さんのお姉さんの命日なのは知ってるでしょう」
 真帆と新帆は不思議そうに顔を見合わせてから頷づく。しかし、真帆が新帆に皮肉っぽく頬を綻ばせた。
「だから、怖い夢見たんだ。おばさんの命日近いから深層意識で血とか気にしたんじゃない?」
「真帆少し黙ってて。新帆おばさんの命日覚えてくれたんだありがとう。今から話すことは、新帆が十八歳になるまで待ってから言おうと思っていたの。でも、新帆も高校一年になったから、お父さんとも話し合って話すことにしたの。お姉さんは交通事故で十八歳で亡くなったって言ってたけど、本当の死因は違うの。本当はね……」
「お母さんちょっと待ったぁ」
 素っ頓狂な声を上げながら、真帆がを手のひらでまた母親の話を制止した。
「この新帆が高校生になったからって、わたしが高校一年の時に話さなかった理由はどうして?」
 母親はテーブルの上で組んだ震えた指をもじもじさせながら、
「それも含めて全て話すから。最後まで聞いて」。
 普段見せない母の態度に気圧されたように、娘二人は真面目顔で相槌を打つ。
「お母さんのお姉さんの本当の死因は、殺人事件の被害者」
 真帆と新帆は、驚きで目を丸くしながら互いの顔を見やる。真帆は口を半開きにしている。新帆は心臓の高鳴りを収めようと、胸を押さえた手が豊かな胸に沈んで行く。二人が落ち着くのを待ってから、母親が言葉を続けた。
「十八歳の時、同級生の男に殺されたの。殺した男は刑務所に入ってすぐに病死した。あんな男に病死などもったいない」
 悔し涙が母の頬を伝い落ちた。真帆と新帆が同時にハンカチを差し出すが払いのけた。母親は指で涙を拭う。鼻水をティッシュで押さえる。目尻を吊り上げながら、風邪のような声になっている。
 母親のこんな表情は姉妹二人とも見覚えがない、また、真実を打ち明けられたショックは、心臓を冷たい手で握られたようだ。
 真帆と新帆も鎮痛な顔つきで押し黙ってしまう。
「それでね、真帆が高校一年で十六歳の時、学校でインフルワクチンと一緒に、前世鑑定をお願いしたの。そうしたら、お母さんのお姉さんの生まれ変わりが真帆って分かったの」
「え」
 真帆の驚き声が、居間を支配していた重い空気に混ざる。青ざめ気分が悪そうに頬を両手で挟んでいる。新帆が姉に貼り付けたような穏やかな表情を湛えた。
「さ、最近わたしが怖い夢見るの関係あるのかなー? お、お姉ちゃん、前世で殺され……、不幸な犠牲者だったんだ。前世より長生きしているの確定だから、ド、ドンマイ」
「あ、うん。人事だからって軽く言うなぁー」
 半分泣き顔の真帆が無理やりおどけたように拳を上げながら、冗談めかして声を伸ばす。何度も話を遮られたが、娘達のやり取りは、ふんわりと優しい風で心を洗れるようだ。母親が自分のティッシュペーパーで鼻を噛んで、涙を拭いて、落ち着いた口調になる。
「前世が高校生で亡くなっていたら、真帆が傷つくだろうし、不安な高校生活を過ごすと思って二十歳になるまで待っていたの。また、新帆にも、人に気をつけて高校生活を送って欲しい。だから、今日話したの」
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