1 / 1
竹取物語の成り立ち(嘘)
しおりを挟む時は平安時代初期。平安京にある貴族の寝殿造りの邸宅があった。主人の名前は神保永常(じんぼうながつね)である。
彼は友人たちと毎月十五日に連歌の歌会をしてた。
庭園には桜の木が満開の時期。庭園に面した屋敷の引き戸を解放していた。多くの貴族や僧侶が集まって歌を詠んでいた。
歌会が終わり、円座になり茶会をしていた。一陣の風がなびき、散った桜の花弁が白い砂利や床に落ちる。
おかずが盛られた皿の数は多くあった。御膳に箸を彷徨わせながら、ほろ酔い気分で、頬を赤らめた奥の上座に座る神保永常が、欠伸をしている。
「ふあぁ~。上の句を作って詠んで、誰かが下の句を作って読むのも飽きたでごじゃる、長い物語を上下に分けて、二人で書いてみるのはどうでごじゃるか?」
早速二人が手を上げる。貴族の神山成之(かみやまなりゆき)と僧侶の田丸法師(たまるほうし)であった。あぐらのままで、体の向きを変えた神保永常がお題を提案する。
「まず上のお題は次のニ点。美しい謎の姫の登場。多くの貴族が結婚を申し込む。でごじゃる」
永常は指を二本立てまくし立てる。
「そして、下のお題も同じく二点。求婚者に無理難題を振っ掛ける。そして最後は奇麗に立ち去る」
成之が小説の前半を、田丸法師が後半を担当することになった。二人とも当時、貴族社会では双璧をなす文人であった。同時に好敵手であった。
茶会を追えた二人は、牛車で帰路につき物語を書いた。
そして、運命の翌月十五日。再び歌会が永常の屋敷で開催される。二人の作品に素晴らしい出来栄えに、他の出席者たちは賛辞を惜しまなかった。
しかし一つだけここで問題が発生する。貴族の成之は漢文、逆に僧侶の田丸法師は仮名(かな)が多い文章だったのだ。
「最初に文体を指定しなかった麿(まろ)のせいでごじゃるの~。お二人の作品を預かって麿が物語を手直しするでごじゃる」
永常は一カ月を書け、二つの原稿を一つにまとめた。物語が継ぎはぎ状にならないよう、所々手直しもした。
これが『竹取物語』であった。
竹から生まれた美しいかぐや姫。貴族達が何人も求婚するが求婚者に対する無理難題を吹っかける。そして最後は故郷である月に帰る。当時の貴族や僧侶の間で口から口へと流行する。
しかし、その後問題が発生した。都の文章を司る役所、物語司(ものがたりし)が竹取物語の写本をたくさん作ろうとしたところ、永常、成之、田丸法師の三人ともが「私が作者」と主張して譲らないのだ。
当時の物語司正(ものがたりしせい【物語司の長官に相当】)は、三人の連名で竹取物語の写本作成を命じた。
物語司正に逆らえば、文人としての将来がなくなる時代であり、この決定に三人とも憤懣(ふんまん)やる方なかったと言う。
ここで平安時代の物語司の説明を少ししておこう。当時の物語司は小・講・集の三個の組織に分かれていた。
本題に戻そう。
自分一人が作者だと言い張る三人は、納得しておらず、大喧嘩の末、絶交してしまう。
当時はまだ著作権関係の法律は、現代のようには定められていなかった。それまで仲が良かった人物同士が縁を切るのは、いつの世でも悲劇である。
ところが事態は急変する。次の年、平安京では流行病(はやりやまい)が発生し、多くの人々が倒れたのである。現代の医学では、異説もあるが、ベータ熱と推定されている。
病気で伏した人々には、原稿を一つにまとめた永常もいた。死を悟ったは残り二人の作者、成之と田丸法師を呼ぶ。
「麿の名前は消してもらって、構わないでごじゃる。麿は作者でないでごじゃる」
お題を出した永常はそう言い残し、この世を去ってゆく。
しかし、成之と田丸法師は、それでも和解には至ることはなかった。
医学が進んでいなかった当時、流行病の猛威は想像以上に恐ろしいものであろう。
その数日後、成之も病に伏せた。絶交をしていたとはいえ、田丸法師も見舞いに行く。
「この成之の名前は作者から消してもらって構わぬ、田丸法師殿……」
田丸法師は郊外の寺に住んでいたからだろうか? 流行病にはならずに済んだ。何日も寺にこもり流行病で亡くなった全ての人々に祈りを捧げた。
その後、物語司を訪ねた。
「拙僧(せっそう)も含めて、三人全員の名前を竹取物語から消してください。竹取物語でえられた収入は、全て流行病で家族を亡くした人々に寄進します」
驚く物語司正に今までの経緯を話し、物語の収入に関する権利は一切放棄した。
その脚で田丸法師は京の都を離れ、民衆救済のため関東に向かった。
しかし、莫大な寄進は流行病の被害者に分配しても、あまりあるものだったのだ。
物語司正は、関東にいるはずの田丸法師を探そうとした。しかし、広い関東で一人の僧侶を捜すのは不可能であった。
思案を巡らせた物語司正は、関東の人々にも平安の都で作成された物語の喜びを伝えるべく物語司の支所を立ち上げる。
支所を作る場所を三人の名前、神山成之の“神”田丸法師の”田”から『神田』。神保永常の苗字から、『神保』。繋げて『神田神保町』と名づけられた。そこにも小・講・集のそれぞれの部署も置かれたのである。
その後、物語司が政府機関でなくなり分割された。現在、小・講・集は、神田神保町にある出版社の礎となる。
東京の神田神保町は現在、日本における出版や書店の街として賑わっているのは周知の通りである。(完)
――あとがき――
この物語はフィクションです。フィクションでないのは二点のみです。一点は『竹取物語』は平安時代に作られ作者が不明であること。二点目は神田神保町が本の街であることです。
実際の氏名・団体名とは全く関係ありません。また。物語司と物語司正も存在しません。
また、神田神保町の書店様や出版社様は平安時代の発祥ではありません。
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
月桂
秋初夏生(あきは なつき)
歴史・時代
久方の月の桂も黄葉する季節。
美しいと評判の左大臣家の姫君・小夜姫は、連香樹の香りの交じった秋の風に吹かれながら、池の脇に佇んでいた。
その池に映っていたのは......
永遠より長く
横山美香
歴史・時代
戦国時代の安芸国、三入高松城主熊谷信直の娘・沙紀は「天下の醜女」と呼ばれていた。そんな彼女の前にある日、次郎と名乗る謎の若者が現れる。明るく快活で、しかし素性を明かさない次郎に対し沙紀は反発するが、それは彼女の運命を変える出会いだった。
全五話 完結済み。
全ての物語の始まりの物語
色部耀
歴史・時代
今は昔、竹取の翁といふ者有りけり――
竹から生まれ、翁を富し、男を魅了し、五人の公家から言い寄られ、果ては帝と結ばれようかとする。
さらには、月に帰ってしまうと言う。
かぐや姫とはいったい誰だったのか――
謂わぬおもひで
ひま
歴史・時代
書生、楠木八之助はとある記憶を思い出す。
幼い頃に母代わりとなって愛情を注いでくれた人との思い出だ。
もう戻らぬ日々に思いを馳せて一日一日の記憶を、鮮明に思い返していく。
彼女への伝わらぬ想いと共に。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
真田記
蒼乃悠生
歴史・時代
主人公真田信繁(さなだのぶしげ)は安岐姫に支えてもらいながら、信繁に使える忍び者とのお話。
※真田十勇士ではありません
※基本的に一話完結型で進めていく予定です
表紙画像・アツコさん
【完結】長屋番
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ三作目。
綾ノ部藩の藩士、松木時頼は三年前のお家騒動の折、許嫁との別れを余儀なくされた。許嫁の家は、藩主の側室を毒殺した家の縁戚で、企みに加担していたとして取り潰しとなったからである。縁切りをして妻と娘を実家へ戻したと風のうわさで聞いたが、そのまま元許嫁は行方知れず。
お家騒動の折り、その手で守ることのできなかった藩主の次男。生きていることを知った時、せめて終生お傍でお守りしようと心に決めた。商人の養子となった子息、作次郎の暮らす長屋に居座り続ける松木。
しかし、領地のある実家からはそろそろ見合いをして家督を継ぐ準備をしろ、と矢のような催促が来はじめて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる