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第4章 激動の冬編
第103話 フェスティアとアストリアの想い
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ヘルベルト連合の龍の爪や、王都からの攻略部隊が入り込み、激動の状態を迎えているミュリヌス領内。
しかし表向きには激しい動きはなく、今日もまたいつもの一日が穏やかに終わろうとしていた。
冬の時期にしては珍しく過ごしやすい夜。もう間もなく春の気配を感じさせる空気の中、フェスティア率いる部隊は、広々とした高原で野営をしていた。
春になれば緑色の鮮やか草草が生い茂って美しい光景が広がるのだろうと思わせるが、冬の今は土色の大地が剥きだしとなっている状態だった。
昼間にアストリアがフェスティアから聞いた話では、特に行先もなく行軍しているとのこと。ゆっくりのんびりとした足取りで、フェスティアの気まぐれでここに野営を行うことになったのだった。
フェスティアやアストリアなどの地位が高い人間は、冬の寒風を完全に遮断する、ヘルベルト連合で作られた高級な布を使ったテントを個別にあてがわれている。そういった設備の設営や、夜間の警戒などは、全て奴隷兵士の仕事だ。
その暖かいテントの中、布団にくるまりながらアストリアはフェスティアの言葉を思い出していた。
『カリオス王子達が帰る理由を与えてあげればいいだけよ』
『帰る理由、ですか?』
『ええ。そのための細工は流々。まあ、見ていなさい。くすくす』
意味深に笑うフェスティア。その仕掛けまで明かされることは無かったが、きっとアストリアの考えの及ぶべくもない策略を巡らせているのだろう。何も知らされることがなくても、アストリアは無条件でフェスティアを信じる程に、絶大な信頼感を寄せていた。
昔からずっと、フェスティアはアストリアにとって憧れの対象だった。
何も知らない幼少の頃、アストリアはフェスティアのことをただの「お姉ちゃん」としか思っていなかった。
しかし今思えば、フェスティアはその頃から、普通の少女と違っていたのかもしれない。そんな幼い頃から、フェスティアの頭の中には連合代表になる絵図が出来上がっていたのではないか。
連合成立史上、最年少且つ初めての女性代表に就任したフェスティア。
彼女が生まれ育ったクリアストロという国は、今も大陸随所で当然とされている王政を取っていたのだが、彼女はそれを見事に崩壊させた。武力を用いた場面もあったが、それ以外の金銭や交渉、人脈など、持てる全てを用いて彼女は既存の政治体制に革命を起こしたのだ。
生まれによって、その人間の価値が定められてしまう血統主義だったクリアストロ国の社会体制が、実力があれば誰もが認められる実力主義の社会へと変革された。現実にフェスティアが代表となったことが、何よりの証左だ。
彼女は、血統が全てだという王政に対して憎しみすら抱いているようで、自国では「王」という呼称を廃止し、あくまでも自身を「代表」と呼称している。
そして遂には連合国の「代表」にまで就任したフェスティア。彼女の起こした革命は、クリアストロ内にだけではなく、連合全体に大きな波を起こしたのだ。
それをずっと側で見続けてきたアストリアの生き様はフェスティアとは正反対だった。大臣の娘という、ただそれだけで準備された道を歩み進んできただけだった。良い道も、悪い道も全て親や他人に決められたレールを辿ってきただけ。フェスティアのように自身で切り拓いた道などなかった。
そんなアストリアは、フェスティアに強烈に憧れの念を抱いていたのだ。
そもそも、大陸最大国家と呼ばれる聖アルマイト王国ーー一昨年には屈指の軍事国家であるネルグリア帝国をも降した大国に働きかけて、内乱を起こそうと画策するなど、大陸中を見渡してもフェスティアくらいのものだろう。
既に半分引退状態であるという現国王ヴィジオール。その王位継承候補の兄妹が骨肉の争いをすることで、聖アルマイトは多くの国力を削がれることを避けられないだろう。それによってヘルベルト連合が受ける利益は甚大であろうし、上手く立ち回ればヘルベルト連合が聖アルマイトの代わりに大陸の覇権を握ることも可能かもしれない。いや、フェスティアならば間違いなくその未来図を描いているはずだ。
--そうなれば、フェスティア代表が大陸の女王に。
アストリアはそう考えるだけで、まるで自分のことのようにゾクゾクと興奮してしまい寝付けなかった。自分は、女王となったフェスティアの側には、自分の姿が--それを想像すると、思わず顔がにやけるのだった。
「アストリア? 起きているかしら?」
布団の中で、勝手な妄想を浮かべながらゴロゴロを転がっていたアストリアは、不意にテントの外から声を掛けられると、心臓が飛び出そうなくらいに驚く。
「だ、だだだだっ……代表っ! ど、どうされたのですか?」
「少し寝付けなくて、お話に付き合ってくれないかしら? 入っても良い?」
「ももも、勿論ですっ!」
そういってからアストリアは軽く後悔した。自分はローブを羽織っただけの、あまりにもラフ過ぎる格好だ。こんな格好で連合の代表を招き入れるなんて--
しかし即座に着替えられるはずがなく、フェスティアはテントの入り口を開けてテントに入ってくる。
「だ、代表っ! そんな格好で……お体に触りますっ!」
「何言っているの。貴女も似たような恰好じゃない。この中は暖かいから大丈夫よ」
姿を見せたフェスティアも、アストリアと同じローブ姿だった。湯浴みでもしてきたのか、ほんのりと湿ったような髪からシャンプーの良い匂いが漂ってくる。
「それにこうやって引っつけば……っえい!」
「っ! あわ、あわわわわっ!」
フェスティアは悪い笑顔を浮かべながら、まるで幼女のように布団の中に飛び込んで、アストリアの身体を抱きしめる。
「ち、ちょちょ……うわっ……っった?」
ずっと憧れだった相手にいきなり抱きしめられて、思わず顔を赤面させるアストリアはまともに言葉がしゃべれなかった。そんなアストリアを見て、フェスティアはくすくすと笑う。
「小さなころは、よく一緒に寝てたじゃない。そもそも女同士なのに、何そんなに慌ててるの?」
「い、いやっ……だってっ! 今はフェスティア代表は代表なわけでっ……たかだか私如きにっ……!」
「--いや?」
残念そうにアストリアを伺うようなフェスティア。そこにいるのは、連合国の代表というよりは、いい歳をしているくせに甘えたがりの姉のようで、アストリアは思わず胸をドキリとさせる。
「い、いえ……代表がよろしいのなら」
「やったあ。じゃあ、暖かいからこのままね。えーい、ぐりぐりぐり」
「っふ……あはは、止めて下さい」
ふざけるようにしてアストリアの身体をくすぐるフェスティアに、ようやくアストリアも緊張がほぐれてきたのか、在りし日のような無邪気な笑顔で笑い合い、ふざけ合う2人。
「--ふふ。アストリアには本当に感謝しているのよ、私」
「え?」
不意に真面目な、それでいて優しい笑みを浮かべてフェスティアが言ってくる。
「今回、ミュリヌス領にこれだけの龍の爪を派兵出来たのは、貴女のおかげよ」
「代表……」
ヘルベルト連合国が有する軍事力”龍の爪”は、連合加盟国が人や物資、金銭を出し合って設立した、連合の利益のために武力を行使するための軍隊である。そういった特徴から、いくらフェスティアが連合代表と言えど、連合内には反フェスティア派の勢力もあることだし、彼女が龍の爪全軍を自由に動かすことは難しい。
しかし、アストリアの国ーーガルガント国は、連合国内では軍事的な面で最も強い影響力を持っており、龍の爪の大半はガルガント国によって出資されている。そうなると自然、龍の爪の運営管理については、ガルガント国は強い発言権を有している。
フェスティアがコウメイ達を攪乱出来る程の兵力を準備出来たのは、アストリアが大臣である父に口をきいた部分が少なくはない。
「私の描いた絵図は、そもそもそれなりの部隊を準備しないと成立しないものだったから、本当に助かったわ。よくお父様を説得してくれたわね」
「そんな……」
まっすぐなフェスティアの言葉に、アストリアは頬を赤らめる。
ガルガント国はフェスティア派勢力ではあるが、今回の龍の爪派遣に関しては、父親からは難色を示された。
グスタフと密約を結んでいることは父も承知している。しかし露骨に兵を出すとなると、万が一密約が聖アルマイト本国に知れることとなれば、どんな言い逃れも通じなくなる。デメリットとしては極めて大きい。
だからといって、それによるリターンは詳しくは分からない。アストリアも、聖アルマイトに内乱を起こさせるなどとは、ついさっき初めて聞いたことだったので、その時点で父親に説明できなかった。
しかしそれでも、これまでのフェスティアの実績と娘の必死の説得によって、これだけの戦力の派兵が実現したのだった、
フェスティアに抱きしめられるようにされると、彼女の体温が伝わってくる。暖かく柔らかいこの感触ーー子供のころはよくこうして引っ付いていたような記憶がある。
この人はすごい人だ。いずれ必ず大陸の女王として君臨するだろう。美しく、聡明で、強い、まるで女神のような女性。
もはや崇拝に近い思いを寄せるアストリアだったが、フェスティアの体温を感じていると、不意に嫌なことを思い出す。
「--代表。その聞きにくいんですが……」
「あ、待って」
重い口を開こうとしたアストリアの唇に、フェスティアが指を押し付けてくる。唇にフェスティアの指の感触を感じ、思わずびくっとするフェスティア。
「今は2人だけだから……昔みたいに『お姉ちゃん』って、呼んで欲しいな」
「そ、そんなこと……っ!」
「--それで? 何の話かしら?」
完全にフェスティアのペースで話を進められて、アストリアは複雑な表情をする。
恐れ多いけど、そんなことを言ってくれるのは嬉しい。でも今話そうとした話はそんな軽いことじゃないんだけど--
ニコニコ顔でこちらを見つめてくるフェスティア。アストリアは頬を赤らませながら、それでも質問を続けることにした。フェスティアの言う通り、2人の時でないと聞けないような話だ。
「その……だいひょ……お姉ちゃんが色々な手段で、今の地位に就いたことは知っています。それこそ、女であることも武器にして、色々な男と……あの、そういう関係に……」
「なんだ、そんなこと。真面目な顔しているから、何事かと思ったわ。それで?」
アストリアとしては、フェスティアに不快な思いをさせる覚悟だったのだが、当の本人はあっけらかんとしていた。
若干拍子抜けしながら、そして心が若干楽になるアストリア。
「あの……豚のような男ーーグスタフとも寝たんですか? お姉ちゃんみたいにきれいな人が……あんな醜い肥満中年に、お姉ちゃんがっ!」
最後の方は感情的になったアストリアが、目からポロポロと涙をこぼし始める。
自分の憧れの女性が、いくら目的のためといえど、それしか方法が無かったとしても、よりにもよって女性を性の対象以外には見れないような、欲望丸出しの汚い男に、その体を汚されたと思うと、まるで自分のことのように、悲しさと悔しさをにじませるのだった。
「ありがとう、アストリア」
そんなアストリアの思いをくみ取り、流れ出る涙を指で拭いながら、フェスティアは彼女のふわりとした髪を優しく撫でる。
「当然、寝たわ。ああいったタイプ程、女の身体で操りやすいし、その方が手っ取り早いと思ったからね。実際、私が唆したら簡単にリリライト王女にも手を出したしね」
そして何ともなしにそういうフェスティア。優しい顔と反して、その内容はなかなかに衝撃的である。
「ぐすっ……うう……すみません、私……」
フェスティアがそういう人間だということは理解しているし、仕方ないとも思っている。そんなことでフェスティアを軽蔑などしないし、むしろその強さに尊敬すらする程だった。
そのことは仕方ないとは理解も納得もするが、「妹」として大好きな姉が凌辱されたと知らされると、やはり感情的になるのが抑えられなかった。
しかし、相手がグスタフなだけに、凌辱されたということ以外にアストリアはもう1つ重大な懸念があった。
「あの男に抱かれた女性は……その、狂ってしまう……という話を聞いたものですから」
「ああ、そのことね」
先ほどからアストリアにとっては重大に思えることは、フェスティアにとって取るに足らないことなのか。ぐすぐすと泣き続けるアストリアは、またも拍子抜けしながらフェスティアを見る。
「これ、何か分かる?」
そういって見せるのは、彼女が耳に着けている装飾品だ。
透き通るような翡翠色をした宝石で作られた小さな耳飾り。アストリアは首をかしげる。
「これはファヌスと技術取引をして作った『魔抵石』よ。相手の魔力を封じ込める魔封石を改造したもので、放たれた魔法を防ぐ効果があるの。呪術も含めて、ね」
それはアストリアすら知らないくらいの最先端の技術だった。おそらくフェスティアと、その取引をしたファヌス以外で、この大陸で知る者はまだいないのではないか。
「理論上、この世の魔法は全て打ち消せるらしいわ。難点としては、魔法を防ぐたびに砕け散るから使い捨てになるんだけど、それなりの数を作ってあるから、今度貴女にもお守り代わりにあげるわね。これであの男の呪術を防いだのよ」
そのフェスティアの用意周到さに、アストリアは息を飲んで目を見開いた。
フェスティア伝いに、リリライトやミュリヌス学園の生徒、白薔薇騎士など、グスタフの手にかかった者の話を聞いていただけに、どうしてここまでフェスティアが正常を保っていたのかが不思議でたまらなかったのだ。
実はフェスティアは正常に見えるが、グスタフに操られているのではないか…と、腹の底では不安に思う部分もあった。そんな不安を抱えながらも今まで聞ける機会がなかったのだが。
やはりフェスティアは自分が憧れている通りの完璧な姉だ。そこに何の不手際も失態もない。そんなこと有り得ないのだ。
「本当にごめんね。そういえばアストリアには説明を忘れていたわ。リリライト王女の話とかは不安を煽っただけよね。てへぺろ」
前言撤回。やはりどこか抜けたところがある姉だ。可愛い。
「心配しないで。確かに今もグスタフと寝ることはあるけど、魔抵石がある限り私が操られることはないし、逆にグスタフは私の意のままに動いてくれているわ。ま、彼からすれば私を意のままに操っている気になっているでしょうけど」
好色な大臣と関係を持った時に、相手の異能に気づいたフェスティアは、それを利用することを思いついたのだろう。フェスティアはグスタフのような呪術は使えないが、あんな欲望まみれの男、操られたふりをして騙すことなど、フェスティアにとっては赤子の手をひねるようなものだ。
「ご、ごめんなさい。私ってば1人で馬鹿みたいに心配して……」
慌てるようにして謝るアストリアに、フェスティアは首を振って優しく笑いかける。
「貴女は強いわね、アストリア」
「えっ? ……ぁ」
思わぬ言葉を掛けられたアストリアが眼を見開くと、フェスティアはおもむろにアストリアのローブの紐を緩める。
「ひゃっ? なに? 何、を……」
顔を真っ赤にするアストリアを無視するように、そのまま彼女のローブを剥ぐようにしていくと、アストリアの肌が晒されていく。
「い、やぁっ! やだっ……見ないで、お姉ちゃんっ!」
慌てて身体を隠そうとするアストリアの手を抑えるフェスティア。
フェスティアは同性だし、アストリアがここまで嫌がるのは羞恥心だけではない。
テントの薄暗い灯りの下、晒されたアストリアの肌には、痛々しい傷跡がいくつも残されていた。
「こ、こんな汚い身体……お姉ちゃんに見られたくないっ! 止めてよぉっ!」
先ほどとは違う涙を流し始めるアストリア。そんな彼女を見るフェスティアの表情は悲しみに染まっていく。
この傷が、例えばフェスティアを守るために戦場でついたものなら、むしろ誇りを持つくらいだ。
しかし現実には違う。
これは、思い出すだけでも嫌悪と恐怖で吐き気を催す程の、決して消えない悪夢の痕跡。
「自分で選んだ私とは違う。貴女は、父親に無理やり政治の道具として、その身体を--」
アストリアの父もまた、ある意味ではフェスティアと同類の人間といっても良かった。
父は、一国の大臣たる地位を手に入れるために、自らの娘すらを利用していたのだ。これはその際の権力者達の加虐的な趣味でつけられ傷跡だった。
父親に政治の道具として利用されることを諦めて受け入れていたころの自分。全てを諦めて、死んだような目をしながら、ただただ汚い大人達の玩具となっていた、弱かった頃の自分。
これはそんな暗黒の時代の象徴そのもの。その頃の自分を見られたら、憧れの姉に嫌われてしまう!
しかし、フェスティアは優しく慈しむように微笑みかけながら言う。
「汚いはずないわ……これは弱かった貴女の証明じゃない。これは、アストリアががこんなに辛い思いをしても、それでも今も頑張っている貴女の強さを証明するものだわ」
「お姉ちゃん……」
憧れのフェスティアにそう言われただけで、忌まわしいだけのそれが、途端に誇りのように思えてくる。フェスティアにそう言われることで、嬉しさがこみあげてくる。
すると、突然フェスティアの舌が、身体の傷をなぞる様に這ってくる。
「っひゃあ?」
思わずびくりと身体を跳ねさせて驚くアストリア。もうすっかり古傷になっているので、痛かったりすることは無いのだが、くすぐったいような感覚に驚いたのだった。
「な、なにをっ……!」
「ありがとう、アストリア。貴女が側にいてくれたから、私はここまで頑張れたわ。だから、今度は私があなたを癒してあげたいの」
「お、お姉ちゃん……んむ」
驚くままのアストリアの顔を、フェスティアはそのまま自分の方へ振り向かせて、その柔らかい唇を奪った。
しかし表向きには激しい動きはなく、今日もまたいつもの一日が穏やかに終わろうとしていた。
冬の時期にしては珍しく過ごしやすい夜。もう間もなく春の気配を感じさせる空気の中、フェスティア率いる部隊は、広々とした高原で野営をしていた。
春になれば緑色の鮮やか草草が生い茂って美しい光景が広がるのだろうと思わせるが、冬の今は土色の大地が剥きだしとなっている状態だった。
昼間にアストリアがフェスティアから聞いた話では、特に行先もなく行軍しているとのこと。ゆっくりのんびりとした足取りで、フェスティアの気まぐれでここに野営を行うことになったのだった。
フェスティアやアストリアなどの地位が高い人間は、冬の寒風を完全に遮断する、ヘルベルト連合で作られた高級な布を使ったテントを個別にあてがわれている。そういった設備の設営や、夜間の警戒などは、全て奴隷兵士の仕事だ。
その暖かいテントの中、布団にくるまりながらアストリアはフェスティアの言葉を思い出していた。
『カリオス王子達が帰る理由を与えてあげればいいだけよ』
『帰る理由、ですか?』
『ええ。そのための細工は流々。まあ、見ていなさい。くすくす』
意味深に笑うフェスティア。その仕掛けまで明かされることは無かったが、きっとアストリアの考えの及ぶべくもない策略を巡らせているのだろう。何も知らされることがなくても、アストリアは無条件でフェスティアを信じる程に、絶大な信頼感を寄せていた。
昔からずっと、フェスティアはアストリアにとって憧れの対象だった。
何も知らない幼少の頃、アストリアはフェスティアのことをただの「お姉ちゃん」としか思っていなかった。
しかし今思えば、フェスティアはその頃から、普通の少女と違っていたのかもしれない。そんな幼い頃から、フェスティアの頭の中には連合代表になる絵図が出来上がっていたのではないか。
連合成立史上、最年少且つ初めての女性代表に就任したフェスティア。
彼女が生まれ育ったクリアストロという国は、今も大陸随所で当然とされている王政を取っていたのだが、彼女はそれを見事に崩壊させた。武力を用いた場面もあったが、それ以外の金銭や交渉、人脈など、持てる全てを用いて彼女は既存の政治体制に革命を起こしたのだ。
生まれによって、その人間の価値が定められてしまう血統主義だったクリアストロ国の社会体制が、実力があれば誰もが認められる実力主義の社会へと変革された。現実にフェスティアが代表となったことが、何よりの証左だ。
彼女は、血統が全てだという王政に対して憎しみすら抱いているようで、自国では「王」という呼称を廃止し、あくまでも自身を「代表」と呼称している。
そして遂には連合国の「代表」にまで就任したフェスティア。彼女の起こした革命は、クリアストロ内にだけではなく、連合全体に大きな波を起こしたのだ。
それをずっと側で見続けてきたアストリアの生き様はフェスティアとは正反対だった。大臣の娘という、ただそれだけで準備された道を歩み進んできただけだった。良い道も、悪い道も全て親や他人に決められたレールを辿ってきただけ。フェスティアのように自身で切り拓いた道などなかった。
そんなアストリアは、フェスティアに強烈に憧れの念を抱いていたのだ。
そもそも、大陸最大国家と呼ばれる聖アルマイト王国ーー一昨年には屈指の軍事国家であるネルグリア帝国をも降した大国に働きかけて、内乱を起こそうと画策するなど、大陸中を見渡してもフェスティアくらいのものだろう。
既に半分引退状態であるという現国王ヴィジオール。その王位継承候補の兄妹が骨肉の争いをすることで、聖アルマイトは多くの国力を削がれることを避けられないだろう。それによってヘルベルト連合が受ける利益は甚大であろうし、上手く立ち回ればヘルベルト連合が聖アルマイトの代わりに大陸の覇権を握ることも可能かもしれない。いや、フェスティアならば間違いなくその未来図を描いているはずだ。
--そうなれば、フェスティア代表が大陸の女王に。
アストリアはそう考えるだけで、まるで自分のことのようにゾクゾクと興奮してしまい寝付けなかった。自分は、女王となったフェスティアの側には、自分の姿が--それを想像すると、思わず顔がにやけるのだった。
「アストリア? 起きているかしら?」
布団の中で、勝手な妄想を浮かべながらゴロゴロを転がっていたアストリアは、不意にテントの外から声を掛けられると、心臓が飛び出そうなくらいに驚く。
「だ、だだだだっ……代表っ! ど、どうされたのですか?」
「少し寝付けなくて、お話に付き合ってくれないかしら? 入っても良い?」
「ももも、勿論ですっ!」
そういってからアストリアは軽く後悔した。自分はローブを羽織っただけの、あまりにもラフ過ぎる格好だ。こんな格好で連合の代表を招き入れるなんて--
しかし即座に着替えられるはずがなく、フェスティアはテントの入り口を開けてテントに入ってくる。
「だ、代表っ! そんな格好で……お体に触りますっ!」
「何言っているの。貴女も似たような恰好じゃない。この中は暖かいから大丈夫よ」
姿を見せたフェスティアも、アストリアと同じローブ姿だった。湯浴みでもしてきたのか、ほんのりと湿ったような髪からシャンプーの良い匂いが漂ってくる。
「それにこうやって引っつけば……っえい!」
「っ! あわ、あわわわわっ!」
フェスティアは悪い笑顔を浮かべながら、まるで幼女のように布団の中に飛び込んで、アストリアの身体を抱きしめる。
「ち、ちょちょ……うわっ……っった?」
ずっと憧れだった相手にいきなり抱きしめられて、思わず顔を赤面させるアストリアはまともに言葉がしゃべれなかった。そんなアストリアを見て、フェスティアはくすくすと笑う。
「小さなころは、よく一緒に寝てたじゃない。そもそも女同士なのに、何そんなに慌ててるの?」
「い、いやっ……だってっ! 今はフェスティア代表は代表なわけでっ……たかだか私如きにっ……!」
「--いや?」
残念そうにアストリアを伺うようなフェスティア。そこにいるのは、連合国の代表というよりは、いい歳をしているくせに甘えたがりの姉のようで、アストリアは思わず胸をドキリとさせる。
「い、いえ……代表がよろしいのなら」
「やったあ。じゃあ、暖かいからこのままね。えーい、ぐりぐりぐり」
「っふ……あはは、止めて下さい」
ふざけるようにしてアストリアの身体をくすぐるフェスティアに、ようやくアストリアも緊張がほぐれてきたのか、在りし日のような無邪気な笑顔で笑い合い、ふざけ合う2人。
「--ふふ。アストリアには本当に感謝しているのよ、私」
「え?」
不意に真面目な、それでいて優しい笑みを浮かべてフェスティアが言ってくる。
「今回、ミュリヌス領にこれだけの龍の爪を派兵出来たのは、貴女のおかげよ」
「代表……」
ヘルベルト連合国が有する軍事力”龍の爪”は、連合加盟国が人や物資、金銭を出し合って設立した、連合の利益のために武力を行使するための軍隊である。そういった特徴から、いくらフェスティアが連合代表と言えど、連合内には反フェスティア派の勢力もあることだし、彼女が龍の爪全軍を自由に動かすことは難しい。
しかし、アストリアの国ーーガルガント国は、連合国内では軍事的な面で最も強い影響力を持っており、龍の爪の大半はガルガント国によって出資されている。そうなると自然、龍の爪の運営管理については、ガルガント国は強い発言権を有している。
フェスティアがコウメイ達を攪乱出来る程の兵力を準備出来たのは、アストリアが大臣である父に口をきいた部分が少なくはない。
「私の描いた絵図は、そもそもそれなりの部隊を準備しないと成立しないものだったから、本当に助かったわ。よくお父様を説得してくれたわね」
「そんな……」
まっすぐなフェスティアの言葉に、アストリアは頬を赤らめる。
ガルガント国はフェスティア派勢力ではあるが、今回の龍の爪派遣に関しては、父親からは難色を示された。
グスタフと密約を結んでいることは父も承知している。しかし露骨に兵を出すとなると、万が一密約が聖アルマイト本国に知れることとなれば、どんな言い逃れも通じなくなる。デメリットとしては極めて大きい。
だからといって、それによるリターンは詳しくは分からない。アストリアも、聖アルマイトに内乱を起こさせるなどとは、ついさっき初めて聞いたことだったので、その時点で父親に説明できなかった。
しかしそれでも、これまでのフェスティアの実績と娘の必死の説得によって、これだけの戦力の派兵が実現したのだった、
フェスティアに抱きしめられるようにされると、彼女の体温が伝わってくる。暖かく柔らかいこの感触ーー子供のころはよくこうして引っ付いていたような記憶がある。
この人はすごい人だ。いずれ必ず大陸の女王として君臨するだろう。美しく、聡明で、強い、まるで女神のような女性。
もはや崇拝に近い思いを寄せるアストリアだったが、フェスティアの体温を感じていると、不意に嫌なことを思い出す。
「--代表。その聞きにくいんですが……」
「あ、待って」
重い口を開こうとしたアストリアの唇に、フェスティアが指を押し付けてくる。唇にフェスティアの指の感触を感じ、思わずびくっとするフェスティア。
「今は2人だけだから……昔みたいに『お姉ちゃん』って、呼んで欲しいな」
「そ、そんなこと……っ!」
「--それで? 何の話かしら?」
完全にフェスティアのペースで話を進められて、アストリアは複雑な表情をする。
恐れ多いけど、そんなことを言ってくれるのは嬉しい。でも今話そうとした話はそんな軽いことじゃないんだけど--
ニコニコ顔でこちらを見つめてくるフェスティア。アストリアは頬を赤らませながら、それでも質問を続けることにした。フェスティアの言う通り、2人の時でないと聞けないような話だ。
「その……だいひょ……お姉ちゃんが色々な手段で、今の地位に就いたことは知っています。それこそ、女であることも武器にして、色々な男と……あの、そういう関係に……」
「なんだ、そんなこと。真面目な顔しているから、何事かと思ったわ。それで?」
アストリアとしては、フェスティアに不快な思いをさせる覚悟だったのだが、当の本人はあっけらかんとしていた。
若干拍子抜けしながら、そして心が若干楽になるアストリア。
「あの……豚のような男ーーグスタフとも寝たんですか? お姉ちゃんみたいにきれいな人が……あんな醜い肥満中年に、お姉ちゃんがっ!」
最後の方は感情的になったアストリアが、目からポロポロと涙をこぼし始める。
自分の憧れの女性が、いくら目的のためといえど、それしか方法が無かったとしても、よりにもよって女性を性の対象以外には見れないような、欲望丸出しの汚い男に、その体を汚されたと思うと、まるで自分のことのように、悲しさと悔しさをにじませるのだった。
「ありがとう、アストリア」
そんなアストリアの思いをくみ取り、流れ出る涙を指で拭いながら、フェスティアは彼女のふわりとした髪を優しく撫でる。
「当然、寝たわ。ああいったタイプ程、女の身体で操りやすいし、その方が手っ取り早いと思ったからね。実際、私が唆したら簡単にリリライト王女にも手を出したしね」
そして何ともなしにそういうフェスティア。優しい顔と反して、その内容はなかなかに衝撃的である。
「ぐすっ……うう……すみません、私……」
フェスティアがそういう人間だということは理解しているし、仕方ないとも思っている。そんなことでフェスティアを軽蔑などしないし、むしろその強さに尊敬すらする程だった。
そのことは仕方ないとは理解も納得もするが、「妹」として大好きな姉が凌辱されたと知らされると、やはり感情的になるのが抑えられなかった。
しかし、相手がグスタフなだけに、凌辱されたということ以外にアストリアはもう1つ重大な懸念があった。
「あの男に抱かれた女性は……その、狂ってしまう……という話を聞いたものですから」
「ああ、そのことね」
先ほどからアストリアにとっては重大に思えることは、フェスティアにとって取るに足らないことなのか。ぐすぐすと泣き続けるアストリアは、またも拍子抜けしながらフェスティアを見る。
「これ、何か分かる?」
そういって見せるのは、彼女が耳に着けている装飾品だ。
透き通るような翡翠色をした宝石で作られた小さな耳飾り。アストリアは首をかしげる。
「これはファヌスと技術取引をして作った『魔抵石』よ。相手の魔力を封じ込める魔封石を改造したもので、放たれた魔法を防ぐ効果があるの。呪術も含めて、ね」
それはアストリアすら知らないくらいの最先端の技術だった。おそらくフェスティアと、その取引をしたファヌス以外で、この大陸で知る者はまだいないのではないか。
「理論上、この世の魔法は全て打ち消せるらしいわ。難点としては、魔法を防ぐたびに砕け散るから使い捨てになるんだけど、それなりの数を作ってあるから、今度貴女にもお守り代わりにあげるわね。これであの男の呪術を防いだのよ」
そのフェスティアの用意周到さに、アストリアは息を飲んで目を見開いた。
フェスティア伝いに、リリライトやミュリヌス学園の生徒、白薔薇騎士など、グスタフの手にかかった者の話を聞いていただけに、どうしてここまでフェスティアが正常を保っていたのかが不思議でたまらなかったのだ。
実はフェスティアは正常に見えるが、グスタフに操られているのではないか…と、腹の底では不安に思う部分もあった。そんな不安を抱えながらも今まで聞ける機会がなかったのだが。
やはりフェスティアは自分が憧れている通りの完璧な姉だ。そこに何の不手際も失態もない。そんなこと有り得ないのだ。
「本当にごめんね。そういえばアストリアには説明を忘れていたわ。リリライト王女の話とかは不安を煽っただけよね。てへぺろ」
前言撤回。やはりどこか抜けたところがある姉だ。可愛い。
「心配しないで。確かに今もグスタフと寝ることはあるけど、魔抵石がある限り私が操られることはないし、逆にグスタフは私の意のままに動いてくれているわ。ま、彼からすれば私を意のままに操っている気になっているでしょうけど」
好色な大臣と関係を持った時に、相手の異能に気づいたフェスティアは、それを利用することを思いついたのだろう。フェスティアはグスタフのような呪術は使えないが、あんな欲望まみれの男、操られたふりをして騙すことなど、フェスティアにとっては赤子の手をひねるようなものだ。
「ご、ごめんなさい。私ってば1人で馬鹿みたいに心配して……」
慌てるようにして謝るアストリアに、フェスティアは首を振って優しく笑いかける。
「貴女は強いわね、アストリア」
「えっ? ……ぁ」
思わぬ言葉を掛けられたアストリアが眼を見開くと、フェスティアはおもむろにアストリアのローブの紐を緩める。
「ひゃっ? なに? 何、を……」
顔を真っ赤にするアストリアを無視するように、そのまま彼女のローブを剥ぐようにしていくと、アストリアの肌が晒されていく。
「い、やぁっ! やだっ……見ないで、お姉ちゃんっ!」
慌てて身体を隠そうとするアストリアの手を抑えるフェスティア。
フェスティアは同性だし、アストリアがここまで嫌がるのは羞恥心だけではない。
テントの薄暗い灯りの下、晒されたアストリアの肌には、痛々しい傷跡がいくつも残されていた。
「こ、こんな汚い身体……お姉ちゃんに見られたくないっ! 止めてよぉっ!」
先ほどとは違う涙を流し始めるアストリア。そんな彼女を見るフェスティアの表情は悲しみに染まっていく。
この傷が、例えばフェスティアを守るために戦場でついたものなら、むしろ誇りを持つくらいだ。
しかし現実には違う。
これは、思い出すだけでも嫌悪と恐怖で吐き気を催す程の、決して消えない悪夢の痕跡。
「自分で選んだ私とは違う。貴女は、父親に無理やり政治の道具として、その身体を--」
アストリアの父もまた、ある意味ではフェスティアと同類の人間といっても良かった。
父は、一国の大臣たる地位を手に入れるために、自らの娘すらを利用していたのだ。これはその際の権力者達の加虐的な趣味でつけられ傷跡だった。
父親に政治の道具として利用されることを諦めて受け入れていたころの自分。全てを諦めて、死んだような目をしながら、ただただ汚い大人達の玩具となっていた、弱かった頃の自分。
これはそんな暗黒の時代の象徴そのもの。その頃の自分を見られたら、憧れの姉に嫌われてしまう!
しかし、フェスティアは優しく慈しむように微笑みかけながら言う。
「汚いはずないわ……これは弱かった貴女の証明じゃない。これは、アストリアががこんなに辛い思いをしても、それでも今も頑張っている貴女の強さを証明するものだわ」
「お姉ちゃん……」
憧れのフェスティアにそう言われただけで、忌まわしいだけのそれが、途端に誇りのように思えてくる。フェスティアにそう言われることで、嬉しさがこみあげてくる。
すると、突然フェスティアの舌が、身体の傷をなぞる様に這ってくる。
「っひゃあ?」
思わずびくりと身体を跳ねさせて驚くアストリア。もうすっかり古傷になっているので、痛かったりすることは無いのだが、くすぐったいような感覚に驚いたのだった。
「な、なにをっ……!」
「ありがとう、アストリア。貴女が側にいてくれたから、私はここまで頑張れたわ。だから、今度は私があなたを癒してあげたいの」
「お、お姉ちゃん……んむ」
驚くままのアストリアの顔を、フェスティアはそのまま自分の方へ振り向かせて、その柔らかい唇を奪った。
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