【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第3章『”剣士”覚醒』編

挿話 笑える話

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(アンナはまだ12歳だぞ。結婚など、そんな馬鹿な話などあるものか)

 ガンドロフとのひと悶着の後、ヴァルガンダルの家名や『親族』達との関係などとは全く無関係なところで、ルエールはそんなことを考えていた。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
 1年後――

(アンナはまだ13歳だぞ。結婚など、そんな馬鹿な話などあるものか)

 カリオスを始めとしたアルマイト王家の支援もあり、オブライト家は失脚し、ヴァルガンダル家を取り巻く『親族』関係は完全に整理されていた。

 したがって、もはやヴァルガンダル家へ後継者問題を指摘してくるのは、せいぜいカリオスやプリメータが冗談交じりにルエールへ再婚の気を聞いてくる程度だった。少なくとも娘のアンナの結婚をどうこう言う人間など皆無であるのに。

 しかし、それでも2年前と一言一句変わらないことを想っているルエールは。

 もはやただの親馬鹿だった。

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 さらに1年後――

(アンナはまだ14歳だぞ。結婚など、そんな馬鹿な話などあるものか)

「お父様? ……もうお父様ってば、ボクの話聞いてる?」

 何を話しかけても無反応な父に、アンナはくりくりと大きな瞳を向けて首を傾げていた。

「んっ……ああ、聞いているぞ」

 病弱で常に顔色が悪かった母とは対照的に、元気溌剌とした健康的な肌艶に、底抜けに明るい表情。細身ながらも、しっかりと鍛え抜かれたしなやかな細身の体躯。ここら辺はヴァルガンダルの血を色濃く継いだのかもしれないが、可愛らしい美少女然とした姿・顔の造形は、美人だったミュリアルの面影を思わせる。

 父の呼び方こそ「お父様」と修正されたが、一人称は相変わらず「ボク」。その他も、家で本を読んだり裁縫をしたりするよりも、外で男の子に混じりながら剣術修行に明け暮れることが楽しくて仕方ない様子。

 せっかく美人に生まれたのに――と、女の子らしく可愛らしく育てたいというミュリアルの遺志を託されたミンシィは、せめて髪型だけでも女子らしく……ということで、髪を伸ばさせてツインテ―ルにすることを提案。長い髪は剣術に邪魔で嫌がられると思ったが、意外にもアンナはそれを気に入っているようで、一度その髪型にしてからはずっとツインテ―ルのままでいる。

 アンナは、あんまり聞いていなそうな父の反応に、「はあ」と大きくため息を吐きながら、もう1度喋る。

「来年から騎士学校に通ってもいい?」

 顔を輝かせながらルエールの顔を覗き込んでくるアンナ。

 勿論、そのアンナの希望にルエールが反対する理由など1つも無かった。――ただの1つを除いて。

 これまでは、アンナの居場所は基本的にヴァルガンダルの屋敷だ。

 平民の子が通うような学校にはアンナは通っておらず、家庭教師を呼んだり、必要とあらば執事やメイド、或いはルエール本人が随伴したりして習い事に行く程度だ。

 しかし本格的に学校に通うとなれば、アンナの世界は一気に広がるだろう。交友関係だって、ヴァルガンダル家の者の眼が及ばなくなるのも目に見えている。

 今日だって王宮にてカリオスに、アンナが学校に通い始めれば恋人が出来るかもしれないなど、からかわれてきたばかりだ。

 学校に通って騎士について必要なことを学ぶのは大賛成。アンナが自ら自分の後を継ごうとしてくれるなどと、父としてこんなに嬉しいことはない。

 しかし、アンナに恋人が出来るなど、そんなことを想像するだけでも――

「私は反対ですよ。旦那様、お嬢様」

 と、そこに居合わせていたミンシィが割って入ると、アンナはあからさまに頬を膨らませて「ぶー」と不満を口にする。

(そうだろう、そうだろう)

 思わぬ援護射撃に、ルエールは胸中でうんうんとうなずく。やはり今のアンナに恋人など、百年早い。

「アンナお嬢様――剣術修行も大いに結構です。ですが、もっと他にもやる事もあるでしょう?」

「座学だってちゃんとやってるってば! 剣術理論のテスト結果だって、ケアレスミスだけでほとんど満点だったし――!」

「そういうことではありません!」

 いつもの何気ない会話とは明らかに違う、ミンシィの本気の怒気がこもった言葉に、ルエールもアンナもシン…と静まる。

「アンナお嬢様……貴女と旦那様が幸せに笑っているのを見ることは、私としてもこの上ない喜びです。ですが……ですが、もう少しだけミュリアル様の……お母様の想いを汲んでいただけませんか? これではあまりにも……」

 いつの間にか、ミンシィの声は怒りよりも哀しみの色が濃くなっている。目には涙が溜まり、声は震えていた。

「え? え? お母様? お母様が、なに?」

 突然に泣き出したミンシィに、アンナは慌てる。物心つく前に母を亡くしたアンナからすると、ミンシィの心情を推し量れないのは当然だった。

「ミンシィ……」

 代わりにルエールが、静かに首を横に振ると、ミンシィは黙ってそのまま部屋を出ていく。

「アンナ……お前は龍牙騎士になりたいのか?」

 部屋を出ていったミンシィに気をやりながらも、アンナはルエールに「うん」とうなずく。

「お父様と同じ龍牙騎士になって、陛下やカリオス王子を守りたい! 皆女だからって馬鹿にしたり白薔薇騎士になれって言ったりするけど、女のボクだって龍牙騎士になれること――ううん! 龍牙騎士団長にだってなれること、証明するんだ!」

 鼻息荒く言うアンナを見て、ルエールは眼を細める。

 実は女が生まれたという時点で、ルエールはミュリアルと同じ思いだった。

 ”剣士”の家系とは縁遠い可愛らしくて淑やかな人生を歩ませてやりたい、と。

 同時にそれはルエールにとっては、自らの後継者を諦めるということでもあった。

 代々続く”剣士”の家系に、ルエールが誇りを持っていないはずがなかった。それはかつてのガンドロフが付け狙う政治権力とは全く別の話。

単純に自分が継いだ家名と剣を継いでくれる男の子が欲しかった。

 アンナが生まれて来てくれていけないことなど何もない。しかし、そのことが残念ではないと言えば嘘になるのも、また事実だった。

 しかし、そのアンナがルエールの諦めていた夢を継ごうと言ってくれている。

 ルエールや他の誰もが強制したわけではない。むしろ『女だから』という、それだけの理由で諦めていたのはルエールの方だったのに。

 ヴァルガンダル家の娘だから……と、そんなことアンナは無自覚だろう。無自覚だからこそ、それは強制されたものではなく、アンナの純粋な想いだ。

 ――嬉しくないはずがなかった。

「そうか」

「わ」

 ルエールはそのままアンナの柔らかい髪を優しく撫でる。ふわふわとした柔らかく、暖かいアンナの髪。それは紛れもなくミュリアルの娘のものだ。

「立派な騎士になれ。応援しているぞ」

「えへへ。お父様、大好き」

 こうしてアンナの騎士学校への入学が決まったのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 更に1年後――アンナが騎士学校に通い始めると

(アンナはまだ15歳だぞ。結婚など、そんな馬鹿な話などあるものか)

「お父様、ただいま! えっと、クラスメートのウェム君。ちょっと訓練で怪我させちゃって……ミンシィさーん、いる? 傷薬持ってきてくれる?」

「あ……え、えっと……ルエール団長、失礼致します!」

 アンナが家に男友達を連れてきた時があった。

アンナと共にやってきた同学の彼はルグナンド家のウェムという名前で、龍牙騎士を目指す学生だ。目指している騎士団の団長など、学生の彼にとっては雲上の存在である。目の当たりにすれば緊張で固まるのは当然。

しかし、ルエールはそんな学生のウェム以上に、身体も表情も完全に固まっていた。

「ああもうお嬢様! また、お友達に怪我を……!」

「いやー、ちょっと白熱しちゃって。やっぱり男の子は強いなぁ。ねねね、お詫びにちょっと上がっていってよ」

「え、えぇと……い、いいの?」

「……」

 そんな賑やかなやり取りの中、ルエールだけが一言も言葉を発しない。というか、アンナが入ってきた玄関を未だにじっと見つめたままになっている。

「あー、いいのいいの。お父様ってば、時々ポンコツになるから」

「ポンコツ!? 龍牙騎士団長が? 王国三騎士筆頭が? 王国最高の騎士が?」

 名だたるルエールの肩書を連呼しながら、驚愕を隠せないウェムは恐る恐るルエールを観察する。……が、やはり石のように固まったルエールはこちらを向きもせずに、ただひたすら玄関のドアを見つめたままだった。

「ささ、どうぞ。ミンシィさん、おやつとお茶も持ってきてくれる?」

「かしこまりました、お嬢様」

 そんなポンコツになったルエールは完全に無視されて、アンナは自分の部屋に同級生の男子を連れ込むのだった。

□■□■

「ミンシィ、どうだった? 一体どういう関係なのだ?」

「ええ、それが――“悪くない”と」

 同級生のウェムを自分の部屋に連れ込んだアンナ。そのアンナに頼まれてお茶菓子などを持っていたミンシィは、部屋を出ると、すぐ近くで待ち構えていたルエールとわざとらしく声を潜めて会話をしていた。

「わ、悪くないだと? 一体何がどうして、どういった理論で、何の命令で、どんな陰謀があって悪くないと言えるのだ?」

「落ち着いて下さい、旦那様」

 明らかに狼狽しているルエールに対して、ミンシィはコホンと咳払いをして、持っていたトレイを抱くようにする。

「つまりアンナお嬢様は、ルグナンド家のご子息であられますウェム様のことを、格好良くて魅力的な男性だと――」

「お、おおおおおおおおおお……おおおおおっ……!」

 ミンシィのその言葉で、ルエールはこの世の終わりのような声を出しながら、頭を抱えて膝をつく。あのファヌス大戦の、最強の魔術師アルバキアと対峙した以上の絶望を表現する。

「ウェム様は、さすがあのルグナンド家のご長男だけあり、ご覧の通り顔面偏差値は極めて高く、経済的な面も申し分ないお家柄でございます。さすがにヴァルガンダル家には見劣りするものの、決して釣り合わない身分というわけではございません。それに、私の見立てでは――おそらくファーストキスまで、既に済んでいると」

「接吻も!?」

「接吻て……」

 とても貴族の当主とそれに仕える侍女とは思えないツッコミだったが、ルエールはそれを気にする余裕もないらしい。

「落ち着いて下さい、旦那様」

「……大丈夫だ」

 胃の底からこみ上げてきた胃液をなんとか我慢して、ルエールは手の甲で口元を拭いながら立ち上がる。が、その足元は危なげなくフラフラとしている。

「落ち着いて下さい、旦那様」

「大丈夫だ、分かっている。アンナも年頃の恋人で、娘がいて当然だ。あれだけ周囲の男なら、美人な娘が放っておかないのも当然のこと。動揺として喜ばしいことで、決して父などしていない」

「落ち着いて下さい、旦那様」

 無駄だろうなと思いつつも、ミンシィはポンコツのままの主人へ声を掛けるが

「アンナはまだ15歳だぞ。結婚など、そんな馬鹿な話などあるものか!」

「落ち着いて下さい、旦那様。誰も結婚の話などしておりません」

 動揺が加速しているルエールに比して、ミンシィはどんどん平静に、冷淡になっていく。本当にこの人が、”剣士”の家系ヴァルガンダル家の当主なのだろうか。

「ほ、本気なのかい? さすがにそんなことまで……!」

 アンナの部屋の近くでドタバタと喜劇を繰り広げているルエールとミンシィだったが、そんな空気を切り裂く声がアンナの部屋の中から聞こえてくる。

 その驚きに塗れた声は、どうやらウェムのものであるようだ。

「そ、そんなこととはどんなことだ! よもやあの男、可憐すぎるアンナと2人きりになって、その汚らしい獣欲を我慢できなくなったか! おのれ、ルグナンド家の息子であろうと関係あるものか! アンナに手を出そうものなら、剣士の名において全てを切り裂く!」

「落ち着いて下さい、旦那様!」

 とても他の誰にも見せられないルエールの情けない姿を、ミンシィは本気で後ろから抑え込む。が、冗談抜きな本気の親馬鹿ぶりを見せるルエールの勢いは、とても一メイドの力では抑えられそうにない。

 ――次の、アンナの言葉がなかったら。

「うん。ボクは今の学校を卒業しても龍牙騎士にはならない」

 そうやって聞こえてきたアンナの声に、ルエールはピタリと動きを止める。

 次に続くウェムの声は聞こえなかったが、当然「どうして?」という疑問が続いたはずだ。そして再び聞こえるのはアンナの声。

「ボクはお父様の背中を追い続けて、そしていつかは一緒に並びたいと、そう思っていたんだ」

 そう。それはルエールが諦めていたはずの夢だった。アンナ自身がそれを目指すことを、ルエールは心から喜んでいた。だから「ヴァルガンダル家の女」らしくない道でも、アンナを応援していた。

 いつか、ひょっとしたら娘と肩を並べて、国を守るために、同じ龍牙騎士として肩を並べる日が来る。誰に知られることもなく、そんな妄想を楽しんでいたくらいだ。

「でも、それじゃダメなんだ。お父様に追いついて並ぶだけじゃない。偉大なる”剣士”の家系を継いだお父様を追い抜かして、超えないといけないんだ。それをお父様に認めてもらった時、ボクはヴァルガンダルを継げる」

 しかし、アンナはルエールの知らないところで、ルエールの想像以上に成長していた。ルエールの期待を超える夢を、希望を抱くようになっていた。

「だから、ボクはお父様と同じ龍牙騎士団じゃなくて、白薔薇騎士団を目指すためにミュリヌス学園へ進むよ。お父様の名前が通用しない騎士団で、もっと厳しい環境に挑むんだ」

 父を目指すのではなく、父を超えること。

 ルエールは男児が生まれとしても、そこまでは思えなかっただろう。それをアンナが宣言しているのだ。

 娘を愛する父として、そして”剣士”の家系を継ぐ者として、こんなに嬉しいことはない。

「ボクの目標は、レイオール家に代わって白薔薇騎士団長になること! お父様が龍牙騎士団長の間にそれを叶えて、お父様と一緒に王国三騎士になることがボクの夢なんだ!」

 そうやって、相変わらず元気溌剌としたアンナの声に、ルエールは静かに瞳を閉じる。そしてその目尻には僅かに涙がにじみ出ていた。

 ――ミュリアルよ。私達が想っていたのとはだいぶ違うが、アンナは想っていたよりも遥かに立派に育っているぞ。この娘は、お前が望んだとおり周りの人達を幸せにする希望になる。

(アンナは、必ず私が無事に育てよう。それが父としての役割。そしてカリオス殿下を支える次世代の若者を……未来の希望達を育てることが、龍牙騎士団長としての私の役割だ)


 これは、幸せな時を過ごしていたヴァルガンダル家の物語の、ほんの一風景に過ぎない。似たような物語は、まだまだたくさんある。枚挙に暇がないくらいだ。

 親馬鹿なルエールと自由奔放なアンナの話は、本当に笑える話ばかりであったのである。
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