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第3章『”剣士”覚醒』編

第134話 ヴァルガンダル家の物語Ⅷ――王妃ではなく母として

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 王都ユールディア王宮内にて。

「出産日、そろそろなんでしょう?」

 声を掛けられたルエールが振り向くと、そこには王妃の護衛騎士にして白薔薇騎士団長アイリーン=レイオールが柔和な表情を浮かべていた。

「色々大変だったみたいだけど、これで男の子が生まれてくれれば、ルエールも一安心ね」

「――ええ。これでようやくオブライト家関係からつつかれなくてすみますよ」

 嘆息しながらルエールが答える。

 ヴァルガンダル家の後継者問題は、当然のことながらルエールとミュリアルだけの問題ではない。ヴァルガンダル家と直接利害関係にあるオブライト家は勿論、それ以外の様々な貴族達も動向を注視している。

 もしもこのままヴァルガンダル家の後継者が生まれないということになれば、虎視眈々とヴァルガンダル家の地位や権威を狙っている者は少なくない。

 オブライト家にしてみれば、オブライトの血を継ぐ者がヴァルガンダルの後継者となれば、その地位は安泰である。そのためガンドロフは、以前から近縁の親戚も巻き込みながら、ルエールに子作りをせっつき続けていた。

 それはミュリアルが妊娠すれば落ち着くかと思いきや、妊娠したらしたで、今度は出産とその後に付いてあれこれと五月蠅い。せっか手に入れたヴァルガンダル家との繋がりを失うまいと必死なのだろう。そのガンドロフの必死さは、ルエールをうんざりさせていた。

「でもガンドロフ卿だけでなく、貴方だって嬉しいでしょう? 待望の子供ですもの」

「……。ええ、そうですね」

 少し間を置いてから、ルエールは僅かに喜びを込めた声で答える。

 単純に愛する妻との間に子供を授かったというのが嬉しいというのはあるが、それ以外にも後継者問題は当事者のルエールにとっても悩みの種の一つであった。

 ルエールはミュリアルと結婚してから、なかなか子を授かれなかったのだ。そのことを不安視していたのは、何もガンドロフや他の貴族だけではなく、実はルエールも同じだった。

 代々続く由緒正しきヴァルガンダルの名が、ひょっとして自分で終わってしまうのではないか。そんな不安や焦燥は、当然のことながらルエールにもあったのだ。

 しかし、これでようやく一安心。

 これでミュリアルが無事元気な男児を生んでくれれば、ヴァルガンダルの後継者問題は解決することとなる。

「改めておめでとう、ルエール。それにしても……ルエールもパパになるって考えると、なんだか少し可笑しいわね。くすくす」

 そうやって笑って祝福してくれるアイリーンを見て、ルエールはふと思い出す。

 確か彼女のレイオール家では、現在ひと悶着起きているという話を耳にしたのだ。

 レイオール家の当主――つまり、アイリーンの夫であるサイドラス=レイオールが不貞を働き、仕えていた侍女に子を孕ませていたという。

 貴族が愛人を囲うことなどは特に珍しいことではない。しかし王国3騎士に名を連ねる家系――しかも、高潔の象徴である白薔薇騎士団団長の家系となると、事情はまるで違う。

 レイオール家当主の不貞行為は、王宮内でも大きく取沙汰されているらしい。

 そんな汚れた家系に関わるアイリーンは、王妃の護衛騎士に相応しくないという声もあるようで、罷免するという話すら出てきているらしい。当の本人に悪いところは何もないどころか、彼女も夫に裏切られた被害者だというのに。

「男の子だといいわね。ヴァルガンダルの名に相応しい立派な男の子――あなた似の格好いい子かしら。とても楽しみね」

 自分がそんな苦しい状況にも関わらず、そんな部分を微塵にも見せないアイリーンは、ルエールにとっては頼れる姉的な存在であった。

「そういえば、ごめんなさいね」

「? 何がですか?」

 ルエールを祝福していたと思えば、急に申し訳無さそうな顔をするアイリーンに、不思議そうに問いかけると

「プリメータ様のことよ。あの方、素晴らしい方であることは間違いないのだけれど、行動力が溢れているというか、衝動的というか……」

「ああ」

 その言葉でルエールは、瞬時に察しがついた。

「確か、もう今日来ているんでしょう? 身重なのに、本当に奥様に申し訳ないわーーというか、プリメータ様も同じはずなのだけれども」

 頬に手を当てながら、アイリーンは困ったように息を吐く。

 王妃という立場からは考えられない程に破天荒なプリメータ。そんな彼女に、アイリーンは常々困らされているようだ。しかし、本気でアイリーンがプリメータにうんざりしているような様子は伺えない。むしろその物言いは親しさすら感じられた。

「良いんですよアイリーン卿。ミュリアルも、屋敷に引き籠っているばかりではあまりよくありませんから。この度のプリメータ様のお声掛けには、大変感謝しております」

 そんな会話を続けながら、2人は王宮内の廊下を歩み進めていく。

 それは、ファヌス大戦が終結した後、王都ユールディア王宮内での平和な一幕であった。

□■□■

「どうもどうも、よくお越し下さいました。そんなに緊張しないで下さいね。さささ、どうぞそこにお掛けになって下さいな」

「ははははは、はい……はひっ!」

 緊張するなと言われても、これ程無理な話も無いだろう。

 相手は大陸最大国家聖アルマイト王国のナンバー2。王様の次に偉い王妃様なのだ。

 対して自分は、たかだか成り上がりの成金商人貴族の家に生まれた平凡な小娘である。

 身分が違うとかいうレベルではない。同じ空気を吸うのすら申し訳なく思ってしまうミュリアルは、これでもかというくらい小さく硬く縮こまっていた。

「――もう。私ってば、そんなに怖いですか? 確かに巷では「戦姫」なんて、失礼極まりないあだ名をつけられていますけどぉ」

 その二つ名にはどうやら不満たらたららしい。プリメータはぷっくりと頬を膨らませながら、その不満を吐き出す。

 ここは王宮ユールディアの中庭園庭。王妃プリメータが従える白薔薇騎士団を象徴するような白薔薇を始めとして、様々な美しい花が咲き乱れる、実に美しい庭園である。

 麗かな春の陽気の下、柔らかい太陽の光を浴びながら、白いテーブルを囲む2人の女性。双方とも、すっかりお腹が出ており、傍目でそれと分かる妊婦である。

 王妃プリメータは、王妃らしく優雅な所作でティーカップに口をつけており。

 ヴァルガンダル家に嫁いだ商人の娘ミュリアルは、王妃とは身分差があり過ぎる商人の娘らしくカタカタと震えて固まっていた。

「もっと気楽にしていいんですよ、ミュリアル。ずっと前から、ルエールの奥様にお会いしてみたかったんですもの。ちょうど2人ともお腹に赤ちゃんがいますし、ママ友になりましょうよ」

「ママ友……」

 有り得ない。

 自分とプリメータが友人などと、恐れ多すぎる。

「こう見ても私、既に2人の子供を絶賛育て中の現役ママですから! 初めての出産と子育てで不安もたくさんあるでしょう? 遠慮せずに、先輩ママに頼って下さいな」

 ドンと胸を張って意気揚々と言うプリメータだが、遠慮せずに王妃様に子育て相談出来る人間などいたら、余程の大物か大馬鹿のどちらかである。

「母様~」

 と、唐突に2人の会話に割り込んできたのは、幼い子供の声だった。

 タッタッタッたいう軽快な足音と共に、妊婦2人の前に姿を現したのは、10歳そこそこであろう幼い金髪の男の子。王族の衣装を身に纏い、プリメータによく似た整った綺麗な顔立ちのその少年の名は

「あらあら、まあまあ。カリオスってばぁ~、ここまで来ちゃったのぉ~?」

 我が子である第1王子カリオスを見て、プリメータはにんまりと表情を緩めさせる。その顔は極めてだらしなく、ミュリアルから見ても、あからさまに「親馬鹿」と書かれている。

 母親に用事があってここまで来たであろうカリオスは、しかし見慣れない女性がいるのに気づくと、僅かに警戒心を込めた視線でミュリアルを見つめる。

「あっ……こ、これは失礼いたしました、カリオス王子! 私は――」

 ミュリアルが慌てて椅子から腰を浮かして第1王子にひれ伏そうとするが、その前にカリオスがつまらなそうな声で

「母様、こいつ誰? 貧乏で汚らしい女だな」

 ある意味では王族らしい不遜な感想、そして同時に幼い子供故の純粋な毒にミュリアルがショックを受ける暇もなく――

 プリメータは容赦なく、溺愛している息子の頬をパァンと叩いた。

「は? え? はあ? え?」

 プリメータは何が起こったのか理解出来ず、眼を白黒させるだけで、その場で凍り付く。

 そしてカリオスも最初は何が起こったのか分からなく、信じられないような目つきで母親を見つめていたが、やがてすぐに目から涙をあふれさせる。

「う、うわあああああああああん! 母様がぶった~!」

「カリオス!」

 それまで馬鹿みたいにニンマリとしていたプリメータが一瞬にて鋭い表情をしながら、泣きわめくカリオスの顔を両手で固定すると、自分と目を向き合わせる。

「何ていうことを言うの! 謝りなさい!」

「そ、そんな……プリメータ様! 私など……」

「貴女は黙っていなさい!」

 慌てて制止に入るミュリアルにも厳しく怒鳴りつけるプリメータ。

 それはつい今まで接していたプリメータと、本当の同一人物なのかと疑ってしまう程の変貌ぶり。そのプリメータの姿を見て、ミュリアルはこの優しい王妃が、戦場では「戦姫」と恐れられている……という夫の話を思い出す。

「だって、だってぇぇ」

「だってじゃありません! いい、カリオス? よく聞きなさい。確かに貴方はアルマイト家の血筋に生まれて、将来は聖アルマイトの王位を継ぐでしょう。聖アルマイトに住まう多くの人の上に立ち、導く王になると思います。

 でもね、よく聞いてカリオス。それはあなたが他の人よりも偉くて優れている人間というわけではないんです。ただ、役割が違うだけ。王子も、国民も、奴隷も、皆同じ人間なんです。そこは……そこだけは、絶対に勘違いしてはダメ!」

「よく、分からないよぅ」

 まだ10歳そこらの少年にどこまで理解出来るのか。しかしプリメータは息子に語り続ける。

「だから、王子だからといって、初めて会う人を上から、しかもそんな馬鹿にするような言葉なんて、絶対に許しません! 母様はカリオスがそんな子供だったらいりません」

「や、やだやだ! やだよぅ!」

 そのカリオスの反応を見れば、プリメータもカリオスも、普段はどれだけ互いを好き合っているのかが分かる。

 カリオスの必死な訴えに、プリメータはようやくニッコリと笑いながら

「では、きちんとごめんなさいが出来ますね?」

「うえ……うええ……はい、母様」

 カリオスが素直にそう言うと、プリメータはカリオスの顔を固定していた両手を優しく離す。そしてカリオスは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を手で拭いながら、ミュリアルの側まで近寄ってくる。

「ご、ごめんなさい」

「い、いえいえいえいえいえ! カリオス王子がおっしゃる通り、私なんて貧乏たらしくて汚らしくて貧相で……」

 まさかの第1王子に謝罪される事態になり、ミュリアルは眼がぐるぐる回っていた。

(こ、こんなのお腹の赤ちゃんに悪すぎますぅ)

 そんなことを思いながらミュリアルはは助けを求めるようにプリメータへ視線を送ると、プリメータも自分の方を見ており

「お願いです、ミュリアル。カリオスがちゃんと謝れたので、許してあげて下さい」

 と、まさかの王妃すらも目の前で両手を合わせて、言葉通りミュリアルに「お願い」する。

「ええええぇぇ?」

 夢にも思わないこの事態に、ミュリアルはただただ混乱するばかりだった。

 不安そうにミュリアルを見上げてくるカリオス。そして両手を合わせているプリメータ。

 別にミュリアルは、今のカリオスの言葉に不快感など無い。だから、謝られるいわれなどない。

 というか2人とも王族なのだから、王族らしく一般市民へ「命令」すればいいのに。こんなこと、ミュリアルにとっては恐れ多いだけだ。

 ――しかし、よく考えてみると。

 これは、当然のことなのかもしれない。

 親が悪いことをした子供を叱りつける。叱られた子供は自分が悪いことをしたと分かったから謝る。悪いことした親も一緒に謝り、許して欲しいという。

 それは同じ人間同士なら当たり前のこと。何の変哲もない、ごく普通の子育ての一光景に過ぎないのではないか。

 ならば――

「わ、わた……私は大丈夫ですよ、カリオス王子。きちんと謝ることが出来て、とっても偉いですね」

(わ、私は何ということを……!)

 第1王子を許す、などとあまりにも身の程知らずの言葉を吐いてしまうミュリアルは、即座に己の所業に恐れおののく。

 が、ミュリアルの言葉を聞いたカリオスは、すぐにぱあと顔を輝かせる。それは実に可愛らしい少年の笑顔だった。そんなカリオスの笑顔を見たら、ミュリアルのそんな感情は一瞬で吹き飛んでしまった。

「ありがとう! ねえ、名前は?」

「わ、私はミュリアルと申します、カリオス王子。ヴァルガンダルの……ルエール様の妻でございます」

「へえ~、ルエールのお嫁さんかぁ! ねえねえ母様、ルエールと違ってすごく優しそうだよ!」

「もう。カリオスは、またそういうことを……」

 そう言って嬉しそうに母へ駆け寄るカリオスに、プリメータは困ったように笑いながら頭を優しく撫でる。どうやらプリメータもそこはカリオスと同意見らしい。

 そうやって笑い合う親子は、とても幸せそうった。とても理想的だった。

 自らも間もなく母になろうというミュリアルは、そんな親子に思わず見惚れていたのだった。
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