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第3章『”剣士”覚醒』編
第130話 ヴァルガンダル家の物語Ⅳ--大事の前の小事
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ルエール=ヴァルガンダルが歩んだ人生について、次に語るべき場面は、ヴィジオール率いる本隊がファヌス国境防衛瀬へ攻撃を仕掛けた時のことになるだろう。
当時、大陸最強の魔術師だったアルバキアを打倒した功績は、彼が英雄と称される契機となったものだ。
しかし、実はその前に、ルエールに決定的な衝撃を与えた小さな出来事があった。
それを抜きにして、それ以降のルエール=ヴァルガンダルを語ることは出来まい。
だから、公式には残っていない、ルエールが遭遇したこの小さな事件も軽く触れておこう。
いわゆる、大事の前の小事というやつだ。
それは、ファヌス国境防衛隊が拠点とするアデアラスの街に潜伏していたルエールらが、ヴィジオールの部隊が攻撃を仕掛けるまでの間、ファヌスの内情を探るべく街の中を探索していた時の事――
□■□■
戦争中のためいつもと違う緊張感は常に漂っているが、それでも非戦闘時は比較的静かで穏やかな空気を纏っている。
しかし、そんな空気を切り裂くように、街の中央広場では、多くの人が群がってざわついていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
悲壮な声を上げるのは、まだ年端もいかない10歳前後程の少年だった。それが、ファヌスの兵士に、強引に手を引かれて引き摺られるようにしている。
「イオ……イオ!」
「お姉ちゃん……っあ!」
兵士に引きずられる姉を追いかける少年は、姉と思わしき少女の手を引く兵士とは別の兵士から、槍の柄で頬を叩かれて、そのまま地面に倒れる。
相手が子供にも関わらず、容赦のない打撃に、少年の顔が一瞬にして腫れる。
「ひ、ひどい! 誰か……誰か助けて下さい!」
姉は涙混じりに、取り囲んでいる群衆に訴えかけるが、見ている人々は同情の視線を送るに留まる。
そしてぼそぼそと聞こえてくるのは
「あれ、確かクロード家のお嬢さんとお坊ちゃんだろう?」
「ああ。何でも旦那様はアルバキア様お抱えの魔術師だったみたいだけど、この前の戦闘で殺されたらしいなぁ」
「あー……子供2人は魔術が使えないんだっけ? じゃあ、仕方ないわね」
「ま、もともと威張り散らしていけ好かない貴族様だったしなぁ。ざまーみろってんだ」
ファヌスの魔術至上主義による、徹底した身分階級制度。その根幹はシンプルで、つまり魔術が使えれば偉い、使えなければ人間以下。ただそれだけだ。
貴族の中でも上級に位置する家系のクロード家だったが、その中核たる当主が先日の聖アルマイトとの戦闘で戦死したのだった。
当主自身は優秀な魔術師だったが、問題なのは残された子供2人。この子らは魔術の才に恵まれなかった。
優秀な魔術師である父の存在が無ければ、それまではどれだけ高級貴族だったとしても、残された2人はその瞬間に奴隷階級に落ちることとなる。
それが、魔術至上主義ーーファヌスという国の在り方なのである。
「おらっ! さっさと歩け! もうお前はお偉い貴族のお嬢様どころか、俺達と同じ人間ですらないんだぜ。これからは、前線で鬱憤が溜まっている奴隷兵士共の慰み者にでもなって生きるんだな」
「いやっ、いやーーーっ! そんなの、いやぁぁ!」
「だーいじょうぶだって。最近の魔法は、処女でもよがり狂って楽しめるようになる、強烈な精神魔法があるんだぜ。まあ、そんなの使ったら人生終了・廃人確定だけどな」
下卑た笑いを浮かべながらそんなことを零す兵士達の会話に、姉は半狂乱になりながら助けを求める。
彼女がまとっている、貴族レベルしか手に入らない高級なドレスが、状況の悲惨さと異常さを際立たせていた。
「ふぐ……うえ……うえええええ……」
そうして何も出来ないまま、少年は一人取り残される。
姉が兵士達に連れて行かれると、群れを作っていた民衆は散り散りになって解散していく。
残された少年に手を差し伸べる者はいない。声をかける者すらいない。
魔術が使えない少年は、この国ではもはや人間ではないのだ。家畜以下の存在に、人の言葉を掛ける人間など皆無なのだ。
――否。
「お、おおお……お、おぼっちゃん♪」
死臭に群がるハイエナの様に、人の不幸と弱みに付け込んで自らの欲望を満たそうとする人間はどこにでもいる。
「き、きききき……君、女の子みたいで、かかかかか、可愛いねぇぇ。ぼ、僕のおうちで、愛情たっぷりに飼ってあげりゅううっ! でゅふふふふ」
「ひっ……や、や……いやだぁぁぁぁぁあぁ!」
一人号泣する弟に、唾液を垂らしながら近づいたのは、腹がでっぷりと肥え太った中年男だ。見るからに醜悪で、同性異性問わず、その外見だけで近寄り難い程だ。知性の欠片も感じられない。
こんな男でも、魔術師である以上、この国では上級貴族。平民からすれば、声をかけることすら憚られる程の雲上の存在なのである。
だから、少年がどんなに泣き叫び助けを乞うても、誰もこの非人道的な行為に関わらろうとしない。
「――団長」
その光景を建物の陰から伺っていたのは、ルエール隊の5人。
ルエールはただ黙って見ていたが、無意識のうちに腰にぶら下げていた3本の剣の内の黒剣――ヴァルガンダルの剣の柄に手を掛けていた。
静かな表情の中に激しい殺気を込めるルエールを見て、今にも飛び出さんかと心配したクルーズが声をかける。
「あの少年だけでも救いましょうか」
別の騎士から声を掛けられて、ルエールは落ち着きを取り戻したのか、息を吐いてから首を横に振った。
「さすがに目立ちすぎる。今、私たちの存在が知れては、相手の喉元に喰いつくことが出来ない」
至極まっとうなルエールの意見に、一同は渋々納得する。
「噂には聞いていましたが、これがファヌスの魔術至上主義なんですね。魔術が使えないというだけで、小さな子供ですらあんな目に……」
今の自分達では手を差し伸べることすら出来ない。その無念さに、クルーズが震える声で無念を漏らす。
今の出来事は、ファヌスの人間にとっては常識でも、異国の彼らにとっては異常以外の何物でもない。
魔術の才能の有無で徹底的に差別され、周りもそれを当然だとしている、この国の文化が。
「理には適っているのだろう。こうして強固な身分制度を敷くことで、肉壁としての奴隷兵士部隊を強制確保しているわけだ。こうでもしなければ、使い捨ての如く使われる前線部隊の兵士など、やる人間などいないからな」
静かに冷静に言うルエール。
異国の中に入り、初めて接するその異常な文化に、表面上は冷静で見える。しかし、その内面は言葉で表現することなど到底出来ない程の衝撃を受けていた。
奴隷部隊は、斬っても斬っても後から湧いてくるように出てきて、魔術部隊を攻略するにあたって厄介な存在――その程度にしか思っていなかった。
だが、当たり前のことだが、戦場でルエールが斬り伏せてきた奴隷兵士達にはも、1人1人命があるのだ。家族がいる者もいただろう。
――ルエールにも、愛する妻とその胎の中にいる子どもがいるのと同じように。
「確か、クロード家とか言っていたな」
唐突なルエールの問いに、クルーズが「はい」とうなずく。
これまでの数度の戦闘で、ルエールは何人かのファヌスの魔術師を斬った。その中には名乗りを上げた者もおり、確かその中にはクロードの家名を名乗った人間がいたことを思い出す。
つまり、あの幼い子供達の親の命はルエールが奪ったのだ。
「団長? どうしました?」
ルエールの身体が僅かに震えたのを、側近のクルーズは敏感に感じ取ったようだった。しかしルエールは動揺することなく、すぐに取り繕う。
「……何でもない」
とはいうものの、普段あれだけ冷静なルエールが、ほんの僅かでも動揺を見せたのだ。それだけでもクルーズら配下にとっては衝撃的だった。
「戦争で仕方ないとはいえ、やり切れませんね。早く終わらせましょう」
それは、クルーズの心の底からの気遣いの言葉だったのだろう。
それが分かっていたから、ルエールは何も言い返さなかった。
自分の胸の中で、強大な違和感が渦を巻いていても、無理やりそれを押し殺して何も反論しなかった。
“戦争だから、仕方ない”
本当にそうだろうか?
あの子供らが悲惨な目にあったのは、ファヌスの悪政のせいだ。そう断じることに迷いも疑念もない。
しかし、その遠因を作ったのは間違いなくルエールだ。ルエールが彼らの親を殺さなければ、ひょっとしたら今もあの子たちは暖かい家の中で談笑していたかもしれない。
その掛けがえのない笑顔を、幸せを奪った自分が、本当に悪くないと言い切れるのか?
戦争だから仕方ないと、それでいいのだろうか?
(今までは、気付かなかっただけということか)
今日まで、聖アルマイトは大陸の覇権を握る最大国家として、強大な軍事力でもって外交戦略を進めてきた。暴力的な侵略国家というわけではないが、それでも関係がこじれた際には軍事的手段を積極的に採用するというスタイルだ。
今でもその方法が間違っていたなどは微塵にも思わない。それがあって、大陸全土が徐々に安定してきているのも事実であり、それは聖アルマイトの功績であろう。力でもって他国を制することは、必要だったのだ。
そのことは、ルエールの揺らぐことのない信念だ。
しかしそうした数多の戦争の裏では、たった今見たような悲惨な光景など、珍しくもなかっただろう。
ルエールは、ただ知らなかっただけだ。
戦争をすれば、こんなことあって当然のことだ。ルエールだって、理解はしている。
しかし強者たるルエールは、弱者の苦しみなど頭で”理解する”のが限界だった。
こうして実際に目にすることで、初めて“知る”こととなったのだ。
ただの偶然か、運命の悪戯か、ルエールは意図せずこの特殊任務に当たって、その弱者の苦しみを目の当たりにすることとなった。
(私は、あれが自分の身に降りかかった場合、“仕方ない”と耐えられるのか?)
仮に聖アルマイトがファヌスに侵略された場合を想像する。
そうなれば、残された妻や生まれてくる自分の子供が、先の幼い姉弟と同じ目に合っても何もおかしくないことだ。ファヌスからしてみれば、数多くの味方を殺した忌むべき敵の家族として、凄惨なる報復を受けることは間違いない。
もしもファヌスがその後に大陸の覇権を握って、理想郷のような世界を作ることとなっても、ルエールはそのことを“仕方ない”と受け入れることなど――
絶対に出来るわけがなかった。
「大丈夫ですか、団長。顔色が優れないようですが」
「……心配ない。さすがに疲労が溜まったようだ。少し休もう」
気遣ってくれる部下の言葉を適当に流しながら、ルエールは痛む胸に手を当てる。
これまでの聖アルマイトのやり方に、ルエールは疑問など持っていない。力でもって他国と渡り合う方法は必要だったのだ。何度も繰り返すが、それは間違いないのだ。
……今までは、必要だったかもしれない。
では、これからは?
これからもずっと同じように、悪と断じた敵国は力で蹂躙し、暴力でもって平和を維持することを続けていくべきなのだろうか。
(……分からない)
これまで数多の敵を斬ってきたルエール。それが聖アルマイトの、そしてこの大陸に暮らす人々のためだと信じて、当然だと思っていた。
しかし、ルエール自身が新たに子供を授かったタイミングで、こうして戦場以外での犠牲者を目の当たりにしたことは、ルエールのそれまでの信念や考え方に対して大きな疑問を投げかける。
(どのようにかは分からない……だが、聖アルマイトは変わらないといけないのかもしれない)
これから生まれてくる命のために。そして自分の子供達が幸せに暮らせる世界を作るためには、これから聖アルマイトは変わらなければいけないのかもしれない。
力による解決は、幸せを破壊して悲しみを生む。
しかし、ひょっとしたらそれ以外の上手い方法があるのではないか。
そう思った時に、ルエールの頭に真っ先に思い浮かんだのは
『どんなに情けなくて見苦しくても、生きて戻ることを最優先して下さい』
現場の第一線を預かる騎士に対して命を捧げるよりも生き延びろ、と。聖アルマイトの王族所縁の人間とは到底思えない王妃プリメータの笑顔と言葉だった。
自らの問いに対する答えについて、ルエールはどうもそこにヒントがあるように思えるのだった。
当時、大陸最強の魔術師だったアルバキアを打倒した功績は、彼が英雄と称される契機となったものだ。
しかし、実はその前に、ルエールに決定的な衝撃を与えた小さな出来事があった。
それを抜きにして、それ以降のルエール=ヴァルガンダルを語ることは出来まい。
だから、公式には残っていない、ルエールが遭遇したこの小さな事件も軽く触れておこう。
いわゆる、大事の前の小事というやつだ。
それは、ファヌス国境防衛隊が拠点とするアデアラスの街に潜伏していたルエールらが、ヴィジオールの部隊が攻撃を仕掛けるまでの間、ファヌスの内情を探るべく街の中を探索していた時の事――
□■□■
戦争中のためいつもと違う緊張感は常に漂っているが、それでも非戦闘時は比較的静かで穏やかな空気を纏っている。
しかし、そんな空気を切り裂くように、街の中央広場では、多くの人が群がってざわついていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
悲壮な声を上げるのは、まだ年端もいかない10歳前後程の少年だった。それが、ファヌスの兵士に、強引に手を引かれて引き摺られるようにしている。
「イオ……イオ!」
「お姉ちゃん……っあ!」
兵士に引きずられる姉を追いかける少年は、姉と思わしき少女の手を引く兵士とは別の兵士から、槍の柄で頬を叩かれて、そのまま地面に倒れる。
相手が子供にも関わらず、容赦のない打撃に、少年の顔が一瞬にして腫れる。
「ひ、ひどい! 誰か……誰か助けて下さい!」
姉は涙混じりに、取り囲んでいる群衆に訴えかけるが、見ている人々は同情の視線を送るに留まる。
そしてぼそぼそと聞こえてくるのは
「あれ、確かクロード家のお嬢さんとお坊ちゃんだろう?」
「ああ。何でも旦那様はアルバキア様お抱えの魔術師だったみたいだけど、この前の戦闘で殺されたらしいなぁ」
「あー……子供2人は魔術が使えないんだっけ? じゃあ、仕方ないわね」
「ま、もともと威張り散らしていけ好かない貴族様だったしなぁ。ざまーみろってんだ」
ファヌスの魔術至上主義による、徹底した身分階級制度。その根幹はシンプルで、つまり魔術が使えれば偉い、使えなければ人間以下。ただそれだけだ。
貴族の中でも上級に位置する家系のクロード家だったが、その中核たる当主が先日の聖アルマイトとの戦闘で戦死したのだった。
当主自身は優秀な魔術師だったが、問題なのは残された子供2人。この子らは魔術の才に恵まれなかった。
優秀な魔術師である父の存在が無ければ、それまではどれだけ高級貴族だったとしても、残された2人はその瞬間に奴隷階級に落ちることとなる。
それが、魔術至上主義ーーファヌスという国の在り方なのである。
「おらっ! さっさと歩け! もうお前はお偉い貴族のお嬢様どころか、俺達と同じ人間ですらないんだぜ。これからは、前線で鬱憤が溜まっている奴隷兵士共の慰み者にでもなって生きるんだな」
「いやっ、いやーーーっ! そんなの、いやぁぁ!」
「だーいじょうぶだって。最近の魔法は、処女でもよがり狂って楽しめるようになる、強烈な精神魔法があるんだぜ。まあ、そんなの使ったら人生終了・廃人確定だけどな」
下卑た笑いを浮かべながらそんなことを零す兵士達の会話に、姉は半狂乱になりながら助けを求める。
彼女がまとっている、貴族レベルしか手に入らない高級なドレスが、状況の悲惨さと異常さを際立たせていた。
「ふぐ……うえ……うえええええ……」
そうして何も出来ないまま、少年は一人取り残される。
姉が兵士達に連れて行かれると、群れを作っていた民衆は散り散りになって解散していく。
残された少年に手を差し伸べる者はいない。声をかける者すらいない。
魔術が使えない少年は、この国ではもはや人間ではないのだ。家畜以下の存在に、人の言葉を掛ける人間など皆無なのだ。
――否。
「お、おおお……お、おぼっちゃん♪」
死臭に群がるハイエナの様に、人の不幸と弱みに付け込んで自らの欲望を満たそうとする人間はどこにでもいる。
「き、きききき……君、女の子みたいで、かかかかか、可愛いねぇぇ。ぼ、僕のおうちで、愛情たっぷりに飼ってあげりゅううっ! でゅふふふふ」
「ひっ……や、や……いやだぁぁぁぁぁあぁ!」
一人号泣する弟に、唾液を垂らしながら近づいたのは、腹がでっぷりと肥え太った中年男だ。見るからに醜悪で、同性異性問わず、その外見だけで近寄り難い程だ。知性の欠片も感じられない。
こんな男でも、魔術師である以上、この国では上級貴族。平民からすれば、声をかけることすら憚られる程の雲上の存在なのである。
だから、少年がどんなに泣き叫び助けを乞うても、誰もこの非人道的な行為に関わらろうとしない。
「――団長」
その光景を建物の陰から伺っていたのは、ルエール隊の5人。
ルエールはただ黙って見ていたが、無意識のうちに腰にぶら下げていた3本の剣の内の黒剣――ヴァルガンダルの剣の柄に手を掛けていた。
静かな表情の中に激しい殺気を込めるルエールを見て、今にも飛び出さんかと心配したクルーズが声をかける。
「あの少年だけでも救いましょうか」
別の騎士から声を掛けられて、ルエールは落ち着きを取り戻したのか、息を吐いてから首を横に振った。
「さすがに目立ちすぎる。今、私たちの存在が知れては、相手の喉元に喰いつくことが出来ない」
至極まっとうなルエールの意見に、一同は渋々納得する。
「噂には聞いていましたが、これがファヌスの魔術至上主義なんですね。魔術が使えないというだけで、小さな子供ですらあんな目に……」
今の自分達では手を差し伸べることすら出来ない。その無念さに、クルーズが震える声で無念を漏らす。
今の出来事は、ファヌスの人間にとっては常識でも、異国の彼らにとっては異常以外の何物でもない。
魔術の才能の有無で徹底的に差別され、周りもそれを当然だとしている、この国の文化が。
「理には適っているのだろう。こうして強固な身分制度を敷くことで、肉壁としての奴隷兵士部隊を強制確保しているわけだ。こうでもしなければ、使い捨ての如く使われる前線部隊の兵士など、やる人間などいないからな」
静かに冷静に言うルエール。
異国の中に入り、初めて接するその異常な文化に、表面上は冷静で見える。しかし、その内面は言葉で表現することなど到底出来ない程の衝撃を受けていた。
奴隷部隊は、斬っても斬っても後から湧いてくるように出てきて、魔術部隊を攻略するにあたって厄介な存在――その程度にしか思っていなかった。
だが、当たり前のことだが、戦場でルエールが斬り伏せてきた奴隷兵士達にはも、1人1人命があるのだ。家族がいる者もいただろう。
――ルエールにも、愛する妻とその胎の中にいる子どもがいるのと同じように。
「確か、クロード家とか言っていたな」
唐突なルエールの問いに、クルーズが「はい」とうなずく。
これまでの数度の戦闘で、ルエールは何人かのファヌスの魔術師を斬った。その中には名乗りを上げた者もおり、確かその中にはクロードの家名を名乗った人間がいたことを思い出す。
つまり、あの幼い子供達の親の命はルエールが奪ったのだ。
「団長? どうしました?」
ルエールの身体が僅かに震えたのを、側近のクルーズは敏感に感じ取ったようだった。しかしルエールは動揺することなく、すぐに取り繕う。
「……何でもない」
とはいうものの、普段あれだけ冷静なルエールが、ほんの僅かでも動揺を見せたのだ。それだけでもクルーズら配下にとっては衝撃的だった。
「戦争で仕方ないとはいえ、やり切れませんね。早く終わらせましょう」
それは、クルーズの心の底からの気遣いの言葉だったのだろう。
それが分かっていたから、ルエールは何も言い返さなかった。
自分の胸の中で、強大な違和感が渦を巻いていても、無理やりそれを押し殺して何も反論しなかった。
“戦争だから、仕方ない”
本当にそうだろうか?
あの子供らが悲惨な目にあったのは、ファヌスの悪政のせいだ。そう断じることに迷いも疑念もない。
しかし、その遠因を作ったのは間違いなくルエールだ。ルエールが彼らの親を殺さなければ、ひょっとしたら今もあの子たちは暖かい家の中で談笑していたかもしれない。
その掛けがえのない笑顔を、幸せを奪った自分が、本当に悪くないと言い切れるのか?
戦争だから仕方ないと、それでいいのだろうか?
(今までは、気付かなかっただけということか)
今日まで、聖アルマイトは大陸の覇権を握る最大国家として、強大な軍事力でもって外交戦略を進めてきた。暴力的な侵略国家というわけではないが、それでも関係がこじれた際には軍事的手段を積極的に採用するというスタイルだ。
今でもその方法が間違っていたなどは微塵にも思わない。それがあって、大陸全土が徐々に安定してきているのも事実であり、それは聖アルマイトの功績であろう。力でもって他国を制することは、必要だったのだ。
そのことは、ルエールの揺らぐことのない信念だ。
しかしそうした数多の戦争の裏では、たった今見たような悲惨な光景など、珍しくもなかっただろう。
ルエールは、ただ知らなかっただけだ。
戦争をすれば、こんなことあって当然のことだ。ルエールだって、理解はしている。
しかし強者たるルエールは、弱者の苦しみなど頭で”理解する”のが限界だった。
こうして実際に目にすることで、初めて“知る”こととなったのだ。
ただの偶然か、運命の悪戯か、ルエールは意図せずこの特殊任務に当たって、その弱者の苦しみを目の当たりにすることとなった。
(私は、あれが自分の身に降りかかった場合、“仕方ない”と耐えられるのか?)
仮に聖アルマイトがファヌスに侵略された場合を想像する。
そうなれば、残された妻や生まれてくる自分の子供が、先の幼い姉弟と同じ目に合っても何もおかしくないことだ。ファヌスからしてみれば、数多くの味方を殺した忌むべき敵の家族として、凄惨なる報復を受けることは間違いない。
もしもファヌスがその後に大陸の覇権を握って、理想郷のような世界を作ることとなっても、ルエールはそのことを“仕方ない”と受け入れることなど――
絶対に出来るわけがなかった。
「大丈夫ですか、団長。顔色が優れないようですが」
「……心配ない。さすがに疲労が溜まったようだ。少し休もう」
気遣ってくれる部下の言葉を適当に流しながら、ルエールは痛む胸に手を当てる。
これまでの聖アルマイトのやり方に、ルエールは疑問など持っていない。力でもって他国と渡り合う方法は必要だったのだ。何度も繰り返すが、それは間違いないのだ。
……今までは、必要だったかもしれない。
では、これからは?
これからもずっと同じように、悪と断じた敵国は力で蹂躙し、暴力でもって平和を維持することを続けていくべきなのだろうか。
(……分からない)
これまで数多の敵を斬ってきたルエール。それが聖アルマイトの、そしてこの大陸に暮らす人々のためだと信じて、当然だと思っていた。
しかし、ルエール自身が新たに子供を授かったタイミングで、こうして戦場以外での犠牲者を目の当たりにしたことは、ルエールのそれまでの信念や考え方に対して大きな疑問を投げかける。
(どのようにかは分からない……だが、聖アルマイトは変わらないといけないのかもしれない)
これから生まれてくる命のために。そして自分の子供達が幸せに暮らせる世界を作るためには、これから聖アルマイトは変わらなければいけないのかもしれない。
力による解決は、幸せを破壊して悲しみを生む。
しかし、ひょっとしたらそれ以外の上手い方法があるのではないか。
そう思った時に、ルエールの頭に真っ先に思い浮かんだのは
『どんなに情けなくて見苦しくても、生きて戻ることを最優先して下さい』
現場の第一線を預かる騎士に対して命を捧げるよりも生き延びろ、と。聖アルマイトの王族所縁の人間とは到底思えない王妃プリメータの笑顔と言葉だった。
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