【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第3章『”剣士”覚醒』編

第127話 ヴァルガンダル家の物語Ⅰ--導入

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 秘密裏に行われた聖アルマイト王国国王代理カリオスと、ファヌス魔法大国第1王子イルギルスの秘密会談。

 大陸を代表する2国、ひいてはこの大陸中の将来の行く末を左右する密かな会談を終えたカリオスは、既に王都ユールディアへと帰都していた。

 リューゲルは、老体に無理をさせたせいで、王都に帰還したなり部屋で寝込んでしまった。但し疲労困憊というだけで、重大な体調不良というわけではなかったのは良かった。

 大してカリオスは、たいして疲労した様子もなく、王城内のとある部屋を訪れていた。

 その部屋は、王城の中でもごく限られた一部の人間しか近寄ることが出来ない場所。国王代理であるカリオスの、更に上の立場の人間が過ごしている部屋だ。

 ――そこにいるのは、本来の聖アルマイトの現国王、今は心労から病床に伏しているヴィジオール=ド=アルマイト。カリオスの実父である。

「陛下のご様子は?」

 ヴィジオールの病室前で直立不動にしている衛兵にカリオスが問うと、突然現れた国王代理の姿に衛兵は明らかに狼狽しながら

「は……はっ! 最近のところはご加減も宜しいようで! 今朝もお食事をしっかり摂られております」

「今、入っても大丈夫か?」

「は、はい! 殿下であれば問題ないかと」

 唾を飛ばしながら、衛兵はその身を横にずらすようにして、カリオスに病室のドアを明け渡す。カリオスは片手を上げて衛兵に軽く礼をすると、そのまま重々しいドアを押し開く。

 そして聖アルマイトを統べる父王ヴィジオールとの面会に臨むのだった。

□■□■

「陛下、カリオスです」

 そう言ってカリオスが入ると、父ヴィジオールはベッドの上で半身を起こしていた。

 かつては「戦神」と名を馳せて戦場を駆けまわっていた屈強な戦士の面影は、すっかり影を潜めてしまっており、全盛期に比べると身体はやせ細っていて、髪も白くなり、皺も随分と増えた。

 戦士アルマイト家当代の正統なる後継者であるヴィジオール=ド=アルマイト。

 掛け値なしに愛していた妻プリメータの死をきっかけに、父は急に老け込んできたように思う。今思えば、その頃から自身の役目を徐々にカリオスやラミアに引き継ぎ、自分は表舞台から身を引こうとしていたのではないかと思う。

 そして、リリライトの反乱が契機となり、ヴィジオールは一気に体調を崩して、遂に病床に伏して、代理とはいえ政権の全権をカリオスの譲渡している形となっている。

 大陸最強の人間と言われても、血の繋がった娘の凶行に、ヴィジオールが精神を病んだのは疑いようもなかった。

 すっかり弱った様子のヴィジオールの姿もまた、リリライトを取り巻く1つの悲劇である。カリオスは、そんな父を見ると、胸が締め付けられる思いだった。

「お加減は、いかがですか?」

 カリオスは、静かにベッドへ近づいてヴィジールに問いかける。

 ヴィジオールはベッドの側にある窓から、爽やかに晴れ渡っている景色を見ていたが、ゆっくりとその顔をカリオスへ向ける。

「今日は、いつもに比べると大分良いな」

 そう言う父の顔は、随分と穏やかになったと思う。

 軍を率いて常に戦場の最前線を行っていた「戦神」は、長らく政治や戦争といった場所から距離を置くことで、随分と心を癒されたのだろう。その時の父は、息子からしても、悪魔と見紛う程に恐ろしかったのに。

 現在の内乱の状況も、ヴィジオールに伝えているのは必要最低限。しかも悪い知らせは、なるべく耳に入れないようにしている。

 勿論、ヴィジオールの病状を慮ってのことである。それが良かったのだろう。

 リリライトの宣戦布告を聞いて倒れた時と比べると、ヴィジオール自身が言うように、かなり体調は落ち着いているようだった。

「お前の方こそ、こんなくたばり損ないの老害に構っている余裕などあるのか?」

「そのようなことを言わないで下さい、陛下。親を思わない息子が、いるはずがないでしょう」

「――兄を平気で殺そうとしている娘はいるがな」

 そのヴィジオールの皮肉めいた声に、カリオスは顔を歪める。

「陛下……リリライトは――」

「ここでは、父と息子で良い」

 カリオスの言葉を遮るようにヴィジオールの言葉が重ねられると、カリオスは口を紡ぐ。

 グスタフに関する話は、ヴィジオールにはしていない。

 リリライトの狂態を目の当たりにしていないヴィジールは、あの愚鈍にしか見えない無能大臣が、そんな恐るべき力を持っていることなど到底信じられないだろうし、カリオスからしても信じさせる術がなかった。それに、なんとか信じてもらえたとしても、今度はその未知の力に対して対抗できるのかという不安も煽っている。

 事実、カリオス達はグスタフの「異能」には、ほぼ対処出来ていないと言っていい状況だ。

 とにかく迅速に事態を収束してから全てを説明する、という腹つもりである。

「どうした?」

 口を閉ざしていたら訝しむように見てくるヴィジオールに、カリオスは首を振って「いや」と返答する。

「あなたの娘です。どうか、リリライトを信じてやって下さい。父上」

 カリオスはそれだけ言うが、ヴィジオールはため息を一つ返すだけだった。

 その言葉を父がどう受け取ったのか、カリオスには予想もつかなかった。

「情けない話だが、今の私はこんな状態だからな。この窮状はお前に任せる他無い。細かいことをいちいち私に許可を求めることも、報告も必要ない。好きにやればいい」

「――ありがとうございます」

 はっきり言って、父ヴィジオールとカリオスの政治思想は大きく異なる。それはカリオスがヴィジオール以上に、母プリメータの影響を大きく受けたせいかもしれない。

 それでもカリオスに全権を任せた以上、その言葉通りに全てを委ねてくれることは、カリオスにはありがたいことだった。

「それで、冗談はさておき、お前が直々に何の用だ? 状況の報告なら、いつも通り私の側仕えを使えばいいだろうに」

「父上に、直接お聞きしたいことがあり参りました。これは、他人を介して良いことではないと思ったので」

 そのカリオスの神妙な口調に、ヴィジオールは僅かに表情を変化させて、カリオスの様子をまじまじと見つめる。そんな父の観察の目に晒されながら、カリオスは本題を切り出す。

「ルエールのことは、お聞きになられましたか?」

「――ああ。実に惜しい人間を亡くしたな。それに、あれを殺す程の逸材が相手方にいることは、実に恐ろしいことだ。未だに私は事実だとは信じられんよ」

 ヴィジオールは平淡な声で、端的に答えてくる。

「あれほど、アルマイトに尽くしてくれた人間に対して、葬式の一つでも報いることは出来ぬとはな……」

 目を瞑り、独り言のようにつぶやいたそのヴィジオールの言葉は、カリオスの胸を痛烈に苛んだ。

 聖アルマイト王国の英雄ルエール=ヴァルガンダル。

カリオスにとってのルエールは、ヴィジオール以上に自分を厳しく育て、鍛えてくれた、大恩ある相手。今日カリオスが、“戦士”の直系として他国から恐れられる程の人間に成長したのも、全てルエールの尽力があってこそ。すっと近くで、盾となり危険から守ってくれることもあれば、間違いを犯した時に正すこともしてくれた。その身命の全てを掛けて、アルマイト王家と聖アルマイトに注いでくれた大恩ある相手。親代わりと言っても良い。

 それを失ってしまったということだけでも罪だ。その上、報いることが出来ないことなどあってはならないはずだ。本来ならば、国葬をもってしてでも、その死に報いるに足りないというのに。

 カリオスは実際に胸が抉られているかのような、苦しい表情になる。

 そして父を見れば、穏やかだった表情に、自分と同じように苦しそうな色を滲ませていた。

 今のヴィジオールの台詞は、カリオスに吐き捨てたものではない。むしろ自虐の意味だったのかもしれない。

 ルエール=ヴァルガンダルの功績に何も報いることが出来ていないのでは、カリオスではない。アルマイト家そのものなのだから、その筆頭たるヴィジオールの苦しみこそ、カリオスには計り知れないものなのかもしれない。

「娘のことは?」

 ずきずきと痛む胸を抑えながらカリオスが聞くと、ヴィジオールは不思議そうな顔で見返してきた。

「ルエールの妻は、男児が生まれない内に急逝したのだったな。あいつも、その妻への義理立てか、その後再婚することもなく、確かに子供は娘1人だった。確か、名は……」

「アンナです。アンナ=ヴァルガンダル」

 記憶を探るようにしているヴィジオールに、カリオスは言う。

「詳細は省かせていただきますが……今、アンナもとても苦しんでいます。治療がとても難しい呪いのようなものです。治療の方法も、目途も立っていません」

 カリオスは眼を閉じて回想する。

 狂って正気を失った、あの瞳。性の快楽に執着し、狂った淫語を吐きながら、飢えた雌犬のように本能を剥き出しにして雄を襲おうとする、あの異常な痴態。

「ルエールが、この世界に最後に遺した最愛の娘です。俺は、何としても彼女を救いたい」

 それが、何も報いることが出来ないルエールに対する、最大の報い。それは絶対に成さねばならないことだ。相手が、どれだけ理不尽で未知で悪魔じみた力だとしても、絶対に屈してはいけない。

 このままアンナが狂い死なせてしまったら――いや、最悪第2王女派へ帰順し、罪無き人々を大量にその手にかけるような事態に陥ってしまうことがあれば、悲劇以外の何物でもない。

 そのためならば、カリオスはどんなことでもするつもりだった。

 ディードのように、脅威になる前に処分するという、至って正常で理性的な判断を暴力的に却下してでも、何をしても、とにかくアンナは助からないといけないのだ。

 そうでなければ、ルエールがその生涯を賭けて、アルマイトに尽くしてくれた、その人生は一体何だったのか。

「それで? 私に何かしろと言うのか?」

 そのカリオスの、言葉なき声に何かを感じたのか、相変わらず感情は平淡なまま、しかし声には多少尖ったものが混じっているような声だった。

『あまりの目の前の悲惨さに、考えることを放棄してしまっていないかい?』

 それは、あの秘密会談で、イルギルスから投げかけられた問い掛け。

 どうにもならないアンナの現状から目を逸らし、とにかく諸悪の根源たるグスタフさえ倒せばどうにかなると思っていたカリオスは、それで現実に引き戻された。

 ――本当に、グスタフを倒せば、全て今までの元通りになるのか?

 フルダイン山脈を降りている最中も、ずっと悩んでいた。

 ――アンナも、リリライトも、それで元の生活に戻れるのだろうか?

 そんな保証など、あるはずもなかった。

 既に2人共――特にリリライトは――過ちを犯してしまっている。

 グスタフを打倒出来たところで、そこの解決には何も繋がらない。

(俺は、向き合いたくない現実に目を向けないといけない)

 ただ救いたいという想いだけ。

 それだけでは何も救えないことに、そのイルギルスの言葉で気付いた。

 だから、まずは近くにいるアンナから。

 アンナが狂ってしまっているという現実に目を向けよう。

 ――ルエールの娘だから強い。強いから、どんなに強大な力にも屈しないという現実逃避は止めよう。

 現状、治す手段が無いことを受け入れよう。

 ――未知なる力だ。コウメイ曰く「この世界の力ではない」何かだ。そんなものに、明確な治療手段などあるはずがない。ありもしない虚構の希望に縋るのを止めて、そのことを受け入れよう。

 だから、絶望的な状況であることを認めよう。

 ――それでも、救いたい。

 想いだけでは救えない。だけど、想いがないと救えない。

 アンナが救えなくて、恩人のルエールに報いることが出来なくて――どうして世界を守ることが、リリライトを救うことなど出来ようか。

 カリオスは、その想いを現実にすべく、その一歩を踏み出す。

『アンナ=ヴァルガンダルのことを、君はどれだけ知っているんだい?』

 どうすればいいのかという、どうしようもない問いに誠実に答えてくれたのは、やはりイルギルスだった。

 微妙な関係の国同士の王子という立場を超えた友人の言葉を、カリオスもまた誠実に受け止めることにした。

「今更ながら、俺は救おうとしているアンナのことを何も知らない。だから、まずは父上に教えて欲しいんだ。アンナが愛していた父親ルエール=ヴァルガンダルのことを」

 少しでもアンナのことを知ろう。

 父親から見た娘はどんな娘だったのか。どんな風に愛を注がれ育ってきたのか。どんな思いでミュリヌス学園に通い白薔薇騎士を目指していたのか――

 アンナと直接会ったこともないカリオスは、そんなことなど何一つ知らない。

助けたいと思う相手のことを、まずは知らなくてはならない。じゃないと救えるはずもない。

だからまず知ることから始めるのだ。

 そのためには、まず父親のルエールのことを聞きたいと思った。

 勿論、カリオスもルエールのことをよく知っているつもりだ。しかしそれは師という一側面に過ぎない。

 龍牙騎士団長、王国三騎士筆頭、英雄”剣士“の直系、そして父親としてのルエール――カリオスの知らないルエールの様々な側面を一番よく知っているのは、彼を側近として重用していたヴィジオールに違いないだろう。

 だから、カリオスはヴィジオールの下を訪れたのだった。

「ルエールのことを教えるのが、どうして娘を助けることに繋がるのかは分からんが……」

 ヴィジオールのその反応は最もだ。

 これは、ここに至るまで、そしてイルギルスの言葉を聞いたカリオスが、自分の脳内で組み立てた勝手な理屈だ。カリオス以外の誰にも、理解することは難しいだろう。

 しかし、ヴィジオールは息を吐いて笑うと

「まあ、いい。しばらく籠り切りの生活が続いて、満足に人と会話もしておらんからな。お前に時間があるのならば、ルエールの話を肴に、久しぶりに息子との会話と楽しむとするか」

 と、茶化すように言うのだった。

「――さて、それではどこから話した方が良いかな」

 そうして、ヴィジオールから語られるのは、ちょっとした物語。

「やはり、娘が生まれた頃の時代が良いか。あの頃は、もうお前は生まれていて、ラミアも生まれていたな。……そう、ちょうどファヌスとの大戦が終結した年だ」

 ヴァルガンダル家の物語が紡がれていくのだった。
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