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第3章『”剣士”覚醒』編
第123話 暗中模索
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聖アルマイト王国王都ユールディア。
第1王子派の本拠地となるそこでは、前線のコウメイからの初勝利の報に浮かれる余裕もなく、今日も王宮内は騒がしかった。
「こ、こちらです! カリオス殿下っ!」
息を切らしながら、王宮内の文官がカリオスを引き連れるようにして王宮の廊下を走る。
そうして辿り着いた先にいたのは、頭から血を流して倒れているメイド――ミンシィと、淫蕩な表情を浮かべて笑っているアンナの姿だった。
アンナは寝間着を着崩しており、その胸元が見える程にまで乱れている。それは淫らな雰囲気などは皆無で、狂気を孕んでいる姿である。
「あ、カリオス殿下だぁ……♪」
「うっ、うう……お嬢様……」
その、あまりな光景に、カリオスは息を飲んだ。
ここまでアンナを身を支え尽くしていたミンシィが、地に伏して苦痛に顔を歪めている。命に関わるような怪我ではなさそうだが、その傷を与えた人物が誰なのかを察するのは、あまりにも簡単すぎた。
「新しいドスケベな玩具欲しいって言ったらぁ……ミンシィさんってば、泣いて怒るんだもん。ボクもついイラっときて、ちょっと頭小突いたら、こんなんになっちゃった。きゃはははははっ♪」
そのミンシィに応えるべく、悪しき呪いに歯を食いしばって耐えていたアンナは、狂った表情と声で狂笑を挙げる。
「で、殿下……」
そんな狂った光景に、カリオスを案内してきた文官は怯えた声を出して、カリオスに訴えかける。そんな彼を庇うように、カリオスはアンナの前に一歩進み出る。
「あ、やっと殿下がセックスしてくれるんですかぁ? やったぁ、久しぶりに生チンポセックスだぁ♪ 良かったら、そこのおじさんもどう? みんなで生ハメセックス乱交大会♪ あんっ、チンポに溺れちゃうっ♪」
「で、殿下……もう殺して……殺してください……」
アンナの足元で、その狂った発言を聞きながら呻くように言葉を零すミンシィ。それはミンシィのことを言っているのか、アンナのことか、それとも両方のことか。
そんなミンシィの苦痛を、アンナの悲惨さを、カリオスは直視することが出来ずに、思わず目を閉じる。
「きゃはははははっ、きゃははっ! セックス、セックスう♪ 王子チンポと生ハメ……っあが?」
そうして襲い掛かるようにカリオスに飛び掛かってくるアンナだったが、カリオスは眼をつぶったまま、いとも簡単に身を横にずらしてアンナを避ける。そしてそのまま無防備なアンナの頸部に強烈な手刀を叩きこむと、アンナはそのまま昏倒する。
一瞬の出来事に、カリオスの後ろに隠れていた文官は呆気に取られていた。
「すぐに治療班を呼んで来い。急げ」
「は、はい!」
カリオスに命じられて文官は飛ぶようにその場から走り去っていく。
そして一人になったカリオスは、未だ地面で泣いて震えているミンシィに、膝をついて手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
しかしミンシィは、そのカリオスの声掛けには答えず、嗚咽のような声を漏らす。
「う、ううぅ……殿下……旦那様もお嬢様も、どうしてこのような目にあわなければならないのですか。お二人とも、お国のために、アルマイト王家のために頑張ろうと、日々をささやかに生きていただけなのに……」
「――っ」
そのミンシィの声に、カリオスは答えられない。
こうなってしまったのは、勿論カリオスの罪などではない。カリオスの手が及ばない程の、理不尽な悪魔の力によるものだ。
しかし彼女が尽くした主人が死んだこと。その主人が遺した愛娘が、こんなにも悲惨な状況になっていること。
これらは、もしかするとカリオスの罪なのかもしれない。
「殺して……もう殺して……」
カリオスにとっては怨嗟とすら思えるその声――カリオスは何も答えることが出来ない。ただ膝をついて、苦しむミンシィを見ることしか出来なかった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
王都ユールディアが内乱勃発後の初勝利の報に湧いたのも、僅かな期間だった。
北の小国家群や東の旧帝国領などは、クラベール領の勝利をもって多少動きが落ち着いたものの、依然として油断はできない状況。
南のファヌス魔法大国については、相変わらず全く動きを見せない……というか、よく分からない状況が続いている。
これら以外にも、カリオスは更に大きな問題を1つ抱えていた。言うまでもなく、ヴァルガンダル親娘についてである。
本来なら国を挙げてでの葬儀をするべき聖アルマイトの英雄ルエールの死は、まだ伏せられたままだ。せっかくクラベール領の勝利で抑え込んだ小国家群に対して、再侵攻の隙を与えないための政治的判断である。
そしてそのルエールが遺した愛娘アンナ=ヴァルガンダルは、一時回復の兆候を見せていたのだが、再度グスタフの「異能」の呪いに囚われていた。
アンナは、王都に運び入れられた当初に立ち戻ったようだった。ひたすらに性の快楽を貪り続ける爛れた生活に溺れ、そして最近になって暴力的な言動が目立ち始めているという報告はカリオスも耳にしていた。
それでも、世話人であるヴァルガンダル家の侍女ミンシィが、懸命にアンナを支えて看護にあたっていた。しかし遂に肥大化したその狂暴性が、ミンシィを傷付けるまでに至った。
彼女は、肉体的な傷よりも精神的な傷が深刻だろう。
仕えるべき主人を失っても尚、残された娘に尽くしていたミンシィ。それこそ己の人生と命を、全身全霊を懸けていたはずだ。せめてアンナだけでも元に戻って、そして父の分まで幸せに生きて欲しいという一心で、自分の身など顧みずにアンナに寄り添っていたのに。
他の誰でもないアンナに傷付けられたミンシィの思いは――
「っくそ!」
カリオスは感情のまま、乱暴に拳を壁に叩きつけると、派手な音が部屋の中に響き渡った。今現在カリオスらがいる謁見室が、僅かに揺れるのが分かる。
「カリオス殿下……」
怒りに震えるカリオスの背後にいるのは、最高執政官リューゲルと紅血騎士団長ディードである。
「――殿下、誰かが言わねばなりません。ですので、私から具申致します」
そう言って、カリオスに一歩近づくのは、普段から感情をあまり表に見せない王国最強の騎士だった。前線へ向かったラミアに命じられて王都に居残ることとなったディードは、怒りに震えるカリオスに怯えることもなく、ただただ冷静に言い放つ。
「アンナ=ヴァルガンダルの処理を、真剣にご検討ください」
「っっっ! てめええっ!」
そのあまりなディードの発言に、カリオスは激昂してディードに掴みかかる。
ディードは抵抗せず、そのままカリオスの勢いを受け止めるように、なすがままとなる。しかしカリオスの怒りには、全く動じていない。真っ直ぐとカリオスを見たままだ。
「殺せっていうのか……! よくもそんなことが言えるな、ディード! あの娘には何の罪もないんだぞ! 何も悪いことをしていないのに、父親を殺されて、あんなに苦しんで……その上殺せと言うのか、お前は!」
「冷静にお考え下さい。彼女の存在は、我々にとって爆弾のようなものです。いつ爆発して、この聖アルマイトの中枢たる王都を崩壊させるか分からない極めて危険な存在です。早急に対処すべきでしょう」
カリオスが感情で言うのであれば、ディードの発言は理性の言葉である。
普段は王族に対して意見を申し出ることなど滅多にないディードが、ここまで激昂しているカリオスに対して食い下がるのは、彼にしか分かり得ない理由があった。
グスタフの「異能」にかかった英雄の直系である人間ーーつまりリアラ=リンデブルグと直接戦ったことがあるのは、ここではディードのみである。だからこそ、その強大さや恐ろしさを、身を持って理解しているのだ。
「もしもアンナ=ヴァルガンダルが、このまま「異能」に完全に堕ちた場合ーーそうしてカリオス殿下やラミア殿下に刃を向けるようなことがあれば、最早私の力でお守りすることは叶いません。治療の可能性も未だ見えない現状では、そうなってしまう前に手を打つべきです」
「……それ以上喋るんじゃねえ」
重なるディードの進言に、カリオスの声はかえって穏やかになる。しかしそこに込められた怒気は、それまでのものとは比較にならない程。まるでその声だけで、部屋の空気が揺れているよう。
カリオスの感情の器に汲まれた怒りという水は、もう溢れ出る寸前だった。
そんなカリオスの怒りを前にすれば誰もが戸惑わずにはいられないはず――しかし、ディードは平淡な口調で、同じことを訴え続ける。
「賢明なご判断を」
「ってめえええええ!」
毅然として意見を曲げないディードの頬に、カリオスは拳を叩きこむ。鈍い音と共にディードの顔が凹むと、平和主義者のリューゲルは思わず顔を背ける。
ディードは一切抵抗することなく、そのまま地面にのけ反るように倒れる。が、すぐに立ち上がると、殴られた箇所を手で押さえながら、再びカリオスを見据えた。
「ディード! てめえを更迭する! ふざけた口聞きやがって! 二度と騎士に戻れると思うなよ!」
「殿下! それは思い止まって下さい!」
そうして慌てて間に割って入ったのは、眼を背けていたリューゲルだった。
更にディードに殴りかからんとするカリオスの前に立ち、ディードを庇うようにする。
「クラベールで勝利したとはいえ、敵の戦力はまだまだ健在ですぞ! これからの戦い、ディード将軍無しで勝利することなど出来ません! コウメイ卿も、最高幹部の誰もが欠ければ勝てないと、そう言っていたじゃないですか!」
「ざけんな! こいつは、ルエールの娘を……聖アルマイトにあそこまで尽くしてくれたルエールの大切な子供を切り捨てようとしてんだぞ! 許しておけるか!」
「なればこそ、将軍のお気持ちもお察しください!」
カリオスの怒鳴り声に負けないくらい、リューゲルも珍しく声を荒げる。
そんな老執政官の、今までに見たことのない感情をあらわにした様子に、カリオスもハッと冷静に戻る。
「ルエール将軍は、王国3騎士筆頭でした。同じ3騎士の末席だったディード将軍にとっても、師のような存在でだったでしょう。そんな彼が、ルエール将軍を尊敬していないことなど、あろうはずもない。
だからこそ、亡くなったルエール将軍の代わりに、今度はディード将軍が聖アルマイトを思って、殿下に申し上げたことです。ルエール将軍が存命であれば、間違いなく同じことを彼が申し上げたはずです。
自らの思いも感情も全て殺して、尊敬していた師の娘を殺した方がいいと殿下に申し上げることなど……今この王都にいる人間で、ディード将軍以外の誰が出来ましょうか。どうか、どうか……ご慈悲を」
「……」
まるで自分自身が罪を犯した者のように、リューゲルは頭を下げて必死に訴えてくる。ディードはその後ろに控えて黙っているだけで、相変わらず無表情だ。何を考えているのかは、読みにくい。
――苦しくないはずが、ない。
民衆からも、王宮内でも、ルエールは誰からも慕われていた。そしてルエールが、男手一つで育てたアンナのことを、どれだけ愛していたのかを知らない者などいない。
そんなルエールが遺したアンナを殺せなどと、ルエールを慕っていたであろう1人であるディードがそれを口にするのに、どれだけの悩みと苦痛を伴ったのだろうか。
ディードは、その苦しみを全く外に見せない。
それは正に『王国最強の騎士』たるに相応しい、強靭な心の強さだ。
「……すまん」
冷静に戻ったカリオスは、ぼそりと呟くような声で謝罪する。無表情の王国最強の騎士は、僅かに反応を見せたが、すぐにまた無表情に戻る。
「――でも、アンナは殺させない。コウメイともそれで話がついている。アンナは救う。絶対にだ」
それは何の根拠もない、カリオスのただの願望だ。
感情を抜きにして冷静に状況を俯瞰してみれば、ディードの言い分の方が合理的なのは明らかだ。
アンナと同じ立ち位置の人間――つまり同じ英雄の直系でグスタフの「異能」下にあるリアラ=リンデブルグ。それと同じような脅威が、この王宮内で似たような力が暴走すれば、第1王子派を束ねるカリオスの身が危険に晒される。万が一カリオスが命を落とすようなことがあれば、それはそのまま第1王子派の瓦解に繋がるだろう。
狂暴化しつつあるアンナを殺してしまうことーーそれは、第1王子派の現状からしれみれば最善な選択肢かもしれない。
しかし、それが分かっていても、カリオスはその方法を決断できない。
何故ならば――
「ここでアンナを見捨てれば、リリライトを諦めることになる」
リリライトは今、手を伸ばしても届かない場所にいる。しかしアンナはそこにいる。手を伸ばせば届く場所にいるのだ。そんなアンナを助けることが出来なくて、どうしてリリライトを救えると言えるのだろう。
「リリライトを見捨てることは、リリライトを救うと言った俺に付いてきてくれているお前らを裏切ることになる。それに、何よりも俺自身を裏切ることになる……だから、アンナは救わないといけないんだ。絶対に見捨てない」
カリオスから発せられるリリライトの名前は、何よりも重い。
その重さが分かっているからこそ、リューゲルもディードも、それ以上カリオスに掛ける言葉は何もなかった。
「さっきの言葉は取り消す。すまなかった、ディード。これからも、俺とラミアに尽くしてくれると……その、助かる」
「――御意」
こうやって、王族ながら自らの非を素直に詫びることが出来るのは、カリオスの美徳であった。ディードは腫れてきた頬を抑えながら、カリオスへ頭を下げてから謁見室から立ち去っていく。
謁見室にはカリオスとリューゲルの2人が残されて、張り詰めていた空気が弛緩していく。するとリューゲルが大きくため息を吐く。
「肝が冷えましたぞ、殿下。今は仲間割れなどしている時ではありませんからな」
「分かってるさ。悪かったな」
バツが悪そうに言うカリオス。
今、第1王子派が内部分裂をしても、喜ぶのは敵だけだ。第2王女派や諸国に対抗するには、一丸となって立ち向かう必要がある。
直接の軍事行動、諸国を介したプレッシャー、そして特にリーダーであるカリオスの感情を揺さぶるような非人道的な数々の行為――これら第2王女派によるあらゆる攻撃に、第1王子派の中枢は揺さぶられていた。
ある意味では、クラベール城塞都市を占領される以上に、危機的な状況であると言っても良い。
(前線はコウメイ卿が何とかしてくれた。しかしアンナ嬢のことは、こちらで何とかしなくては……)
コウメイが、絶望的な状況に一縷の光を覗かせてくれたにも関わらず、このままでは王都が内部分裂しかねない。
諸外国のこと、アンナのこと、そしてリリライトのこと――元々激しい感情を持つ気質のカリオスが、むしろここまでよく耐えている方だ。しかし、もう危うい所まで来てしまっているのではないか。
これ以上何か重なる前に、早急に解決しなければならない。何か1つだけでも。
聖アルマイト王国の未来もそうだが、それよりもカリオス自身の心労を慮ると、リューゲルは切にそう願う。だが、何か具体的な解決案があるわけでもない。
「それで、次の予定はなんだったっけな」
そんなリューゲルの不安など関係なしに、暗雲が漂う中、現実は容赦なく進んでいく。
不安という闇に閉ざされて先が見えなくとも、今は立ち止まることは許されない。
暗中模索――あるかどうかも分からない希望を求めて、とにかく歩き続けなければいけないのだ。
だから、今は歩き続けることこそが、希望に繋がる道を作り出すと信じるしかない。
「次は、スタイン預かりの案件――例の、ファヌス魔法大国の密使との面会ですな」
戦場から遠く離れた王都ユールディアでも、カリオスの戦いが始まろうとしていた。
第1王子派の本拠地となるそこでは、前線のコウメイからの初勝利の報に浮かれる余裕もなく、今日も王宮内は騒がしかった。
「こ、こちらです! カリオス殿下っ!」
息を切らしながら、王宮内の文官がカリオスを引き連れるようにして王宮の廊下を走る。
そうして辿り着いた先にいたのは、頭から血を流して倒れているメイド――ミンシィと、淫蕩な表情を浮かべて笑っているアンナの姿だった。
アンナは寝間着を着崩しており、その胸元が見える程にまで乱れている。それは淫らな雰囲気などは皆無で、狂気を孕んでいる姿である。
「あ、カリオス殿下だぁ……♪」
「うっ、うう……お嬢様……」
その、あまりな光景に、カリオスは息を飲んだ。
ここまでアンナを身を支え尽くしていたミンシィが、地に伏して苦痛に顔を歪めている。命に関わるような怪我ではなさそうだが、その傷を与えた人物が誰なのかを察するのは、あまりにも簡単すぎた。
「新しいドスケベな玩具欲しいって言ったらぁ……ミンシィさんってば、泣いて怒るんだもん。ボクもついイラっときて、ちょっと頭小突いたら、こんなんになっちゃった。きゃはははははっ♪」
そのミンシィに応えるべく、悪しき呪いに歯を食いしばって耐えていたアンナは、狂った表情と声で狂笑を挙げる。
「で、殿下……」
そんな狂った光景に、カリオスを案内してきた文官は怯えた声を出して、カリオスに訴えかける。そんな彼を庇うように、カリオスはアンナの前に一歩進み出る。
「あ、やっと殿下がセックスしてくれるんですかぁ? やったぁ、久しぶりに生チンポセックスだぁ♪ 良かったら、そこのおじさんもどう? みんなで生ハメセックス乱交大会♪ あんっ、チンポに溺れちゃうっ♪」
「で、殿下……もう殺して……殺してください……」
アンナの足元で、その狂った発言を聞きながら呻くように言葉を零すミンシィ。それはミンシィのことを言っているのか、アンナのことか、それとも両方のことか。
そんなミンシィの苦痛を、アンナの悲惨さを、カリオスは直視することが出来ずに、思わず目を閉じる。
「きゃはははははっ、きゃははっ! セックス、セックスう♪ 王子チンポと生ハメ……っあが?」
そうして襲い掛かるようにカリオスに飛び掛かってくるアンナだったが、カリオスは眼をつぶったまま、いとも簡単に身を横にずらしてアンナを避ける。そしてそのまま無防備なアンナの頸部に強烈な手刀を叩きこむと、アンナはそのまま昏倒する。
一瞬の出来事に、カリオスの後ろに隠れていた文官は呆気に取られていた。
「すぐに治療班を呼んで来い。急げ」
「は、はい!」
カリオスに命じられて文官は飛ぶようにその場から走り去っていく。
そして一人になったカリオスは、未だ地面で泣いて震えているミンシィに、膝をついて手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
しかしミンシィは、そのカリオスの声掛けには答えず、嗚咽のような声を漏らす。
「う、ううぅ……殿下……旦那様もお嬢様も、どうしてこのような目にあわなければならないのですか。お二人とも、お国のために、アルマイト王家のために頑張ろうと、日々をささやかに生きていただけなのに……」
「――っ」
そのミンシィの声に、カリオスは答えられない。
こうなってしまったのは、勿論カリオスの罪などではない。カリオスの手が及ばない程の、理不尽な悪魔の力によるものだ。
しかし彼女が尽くした主人が死んだこと。その主人が遺した愛娘が、こんなにも悲惨な状況になっていること。
これらは、もしかするとカリオスの罪なのかもしれない。
「殺して……もう殺して……」
カリオスにとっては怨嗟とすら思えるその声――カリオスは何も答えることが出来ない。ただ膝をついて、苦しむミンシィを見ることしか出来なかった。
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王都ユールディアが内乱勃発後の初勝利の報に湧いたのも、僅かな期間だった。
北の小国家群や東の旧帝国領などは、クラベール領の勝利をもって多少動きが落ち着いたものの、依然として油断はできない状況。
南のファヌス魔法大国については、相変わらず全く動きを見せない……というか、よく分からない状況が続いている。
これら以外にも、カリオスは更に大きな問題を1つ抱えていた。言うまでもなく、ヴァルガンダル親娘についてである。
本来なら国を挙げてでの葬儀をするべき聖アルマイトの英雄ルエールの死は、まだ伏せられたままだ。せっかくクラベール領の勝利で抑え込んだ小国家群に対して、再侵攻の隙を与えないための政治的判断である。
そしてそのルエールが遺した愛娘アンナ=ヴァルガンダルは、一時回復の兆候を見せていたのだが、再度グスタフの「異能」の呪いに囚われていた。
アンナは、王都に運び入れられた当初に立ち戻ったようだった。ひたすらに性の快楽を貪り続ける爛れた生活に溺れ、そして最近になって暴力的な言動が目立ち始めているという報告はカリオスも耳にしていた。
それでも、世話人であるヴァルガンダル家の侍女ミンシィが、懸命にアンナを支えて看護にあたっていた。しかし遂に肥大化したその狂暴性が、ミンシィを傷付けるまでに至った。
彼女は、肉体的な傷よりも精神的な傷が深刻だろう。
仕えるべき主人を失っても尚、残された娘に尽くしていたミンシィ。それこそ己の人生と命を、全身全霊を懸けていたはずだ。せめてアンナだけでも元に戻って、そして父の分まで幸せに生きて欲しいという一心で、自分の身など顧みずにアンナに寄り添っていたのに。
他の誰でもないアンナに傷付けられたミンシィの思いは――
「っくそ!」
カリオスは感情のまま、乱暴に拳を壁に叩きつけると、派手な音が部屋の中に響き渡った。今現在カリオスらがいる謁見室が、僅かに揺れるのが分かる。
「カリオス殿下……」
怒りに震えるカリオスの背後にいるのは、最高執政官リューゲルと紅血騎士団長ディードである。
「――殿下、誰かが言わねばなりません。ですので、私から具申致します」
そう言って、カリオスに一歩近づくのは、普段から感情をあまり表に見せない王国最強の騎士だった。前線へ向かったラミアに命じられて王都に居残ることとなったディードは、怒りに震えるカリオスに怯えることもなく、ただただ冷静に言い放つ。
「アンナ=ヴァルガンダルの処理を、真剣にご検討ください」
「っっっ! てめええっ!」
そのあまりなディードの発言に、カリオスは激昂してディードに掴みかかる。
ディードは抵抗せず、そのままカリオスの勢いを受け止めるように、なすがままとなる。しかしカリオスの怒りには、全く動じていない。真っ直ぐとカリオスを見たままだ。
「殺せっていうのか……! よくもそんなことが言えるな、ディード! あの娘には何の罪もないんだぞ! 何も悪いことをしていないのに、父親を殺されて、あんなに苦しんで……その上殺せと言うのか、お前は!」
「冷静にお考え下さい。彼女の存在は、我々にとって爆弾のようなものです。いつ爆発して、この聖アルマイトの中枢たる王都を崩壊させるか分からない極めて危険な存在です。早急に対処すべきでしょう」
カリオスが感情で言うのであれば、ディードの発言は理性の言葉である。
普段は王族に対して意見を申し出ることなど滅多にないディードが、ここまで激昂しているカリオスに対して食い下がるのは、彼にしか分かり得ない理由があった。
グスタフの「異能」にかかった英雄の直系である人間ーーつまりリアラ=リンデブルグと直接戦ったことがあるのは、ここではディードのみである。だからこそ、その強大さや恐ろしさを、身を持って理解しているのだ。
「もしもアンナ=ヴァルガンダルが、このまま「異能」に完全に堕ちた場合ーーそうしてカリオス殿下やラミア殿下に刃を向けるようなことがあれば、最早私の力でお守りすることは叶いません。治療の可能性も未だ見えない現状では、そうなってしまう前に手を打つべきです」
「……それ以上喋るんじゃねえ」
重なるディードの進言に、カリオスの声はかえって穏やかになる。しかしそこに込められた怒気は、それまでのものとは比較にならない程。まるでその声だけで、部屋の空気が揺れているよう。
カリオスの感情の器に汲まれた怒りという水は、もう溢れ出る寸前だった。
そんなカリオスの怒りを前にすれば誰もが戸惑わずにはいられないはず――しかし、ディードは平淡な口調で、同じことを訴え続ける。
「賢明なご判断を」
「ってめえええええ!」
毅然として意見を曲げないディードの頬に、カリオスは拳を叩きこむ。鈍い音と共にディードの顔が凹むと、平和主義者のリューゲルは思わず顔を背ける。
ディードは一切抵抗することなく、そのまま地面にのけ反るように倒れる。が、すぐに立ち上がると、殴られた箇所を手で押さえながら、再びカリオスを見据えた。
「ディード! てめえを更迭する! ふざけた口聞きやがって! 二度と騎士に戻れると思うなよ!」
「殿下! それは思い止まって下さい!」
そうして慌てて間に割って入ったのは、眼を背けていたリューゲルだった。
更にディードに殴りかからんとするカリオスの前に立ち、ディードを庇うようにする。
「クラベールで勝利したとはいえ、敵の戦力はまだまだ健在ですぞ! これからの戦い、ディード将軍無しで勝利することなど出来ません! コウメイ卿も、最高幹部の誰もが欠ければ勝てないと、そう言っていたじゃないですか!」
「ざけんな! こいつは、ルエールの娘を……聖アルマイトにあそこまで尽くしてくれたルエールの大切な子供を切り捨てようとしてんだぞ! 許しておけるか!」
「なればこそ、将軍のお気持ちもお察しください!」
カリオスの怒鳴り声に負けないくらい、リューゲルも珍しく声を荒げる。
そんな老執政官の、今までに見たことのない感情をあらわにした様子に、カリオスもハッと冷静に戻る。
「ルエール将軍は、王国3騎士筆頭でした。同じ3騎士の末席だったディード将軍にとっても、師のような存在でだったでしょう。そんな彼が、ルエール将軍を尊敬していないことなど、あろうはずもない。
だからこそ、亡くなったルエール将軍の代わりに、今度はディード将軍が聖アルマイトを思って、殿下に申し上げたことです。ルエール将軍が存命であれば、間違いなく同じことを彼が申し上げたはずです。
自らの思いも感情も全て殺して、尊敬していた師の娘を殺した方がいいと殿下に申し上げることなど……今この王都にいる人間で、ディード将軍以外の誰が出来ましょうか。どうか、どうか……ご慈悲を」
「……」
まるで自分自身が罪を犯した者のように、リューゲルは頭を下げて必死に訴えてくる。ディードはその後ろに控えて黙っているだけで、相変わらず無表情だ。何を考えているのかは、読みにくい。
――苦しくないはずが、ない。
民衆からも、王宮内でも、ルエールは誰からも慕われていた。そしてルエールが、男手一つで育てたアンナのことを、どれだけ愛していたのかを知らない者などいない。
そんなルエールが遺したアンナを殺せなどと、ルエールを慕っていたであろう1人であるディードがそれを口にするのに、どれだけの悩みと苦痛を伴ったのだろうか。
ディードは、その苦しみを全く外に見せない。
それは正に『王国最強の騎士』たるに相応しい、強靭な心の強さだ。
「……すまん」
冷静に戻ったカリオスは、ぼそりと呟くような声で謝罪する。無表情の王国最強の騎士は、僅かに反応を見せたが、すぐにまた無表情に戻る。
「――でも、アンナは殺させない。コウメイともそれで話がついている。アンナは救う。絶対にだ」
それは何の根拠もない、カリオスのただの願望だ。
感情を抜きにして冷静に状況を俯瞰してみれば、ディードの言い分の方が合理的なのは明らかだ。
アンナと同じ立ち位置の人間――つまり同じ英雄の直系でグスタフの「異能」下にあるリアラ=リンデブルグ。それと同じような脅威が、この王宮内で似たような力が暴走すれば、第1王子派を束ねるカリオスの身が危険に晒される。万が一カリオスが命を落とすようなことがあれば、それはそのまま第1王子派の瓦解に繋がるだろう。
狂暴化しつつあるアンナを殺してしまうことーーそれは、第1王子派の現状からしれみれば最善な選択肢かもしれない。
しかし、それが分かっていても、カリオスはその方法を決断できない。
何故ならば――
「ここでアンナを見捨てれば、リリライトを諦めることになる」
リリライトは今、手を伸ばしても届かない場所にいる。しかしアンナはそこにいる。手を伸ばせば届く場所にいるのだ。そんなアンナを助けることが出来なくて、どうしてリリライトを救えると言えるのだろう。
「リリライトを見捨てることは、リリライトを救うと言った俺に付いてきてくれているお前らを裏切ることになる。それに、何よりも俺自身を裏切ることになる……だから、アンナは救わないといけないんだ。絶対に見捨てない」
カリオスから発せられるリリライトの名前は、何よりも重い。
その重さが分かっているからこそ、リューゲルもディードも、それ以上カリオスに掛ける言葉は何もなかった。
「さっきの言葉は取り消す。すまなかった、ディード。これからも、俺とラミアに尽くしてくれると……その、助かる」
「――御意」
こうやって、王族ながら自らの非を素直に詫びることが出来るのは、カリオスの美徳であった。ディードは腫れてきた頬を抑えながら、カリオスへ頭を下げてから謁見室から立ち去っていく。
謁見室にはカリオスとリューゲルの2人が残されて、張り詰めていた空気が弛緩していく。するとリューゲルが大きくため息を吐く。
「肝が冷えましたぞ、殿下。今は仲間割れなどしている時ではありませんからな」
「分かってるさ。悪かったな」
バツが悪そうに言うカリオス。
今、第1王子派が内部分裂をしても、喜ぶのは敵だけだ。第2王女派や諸国に対抗するには、一丸となって立ち向かう必要がある。
直接の軍事行動、諸国を介したプレッシャー、そして特にリーダーであるカリオスの感情を揺さぶるような非人道的な数々の行為――これら第2王女派によるあらゆる攻撃に、第1王子派の中枢は揺さぶられていた。
ある意味では、クラベール城塞都市を占領される以上に、危機的な状況であると言っても良い。
(前線はコウメイ卿が何とかしてくれた。しかしアンナ嬢のことは、こちらで何とかしなくては……)
コウメイが、絶望的な状況に一縷の光を覗かせてくれたにも関わらず、このままでは王都が内部分裂しかねない。
諸外国のこと、アンナのこと、そしてリリライトのこと――元々激しい感情を持つ気質のカリオスが、むしろここまでよく耐えている方だ。しかし、もう危うい所まで来てしまっているのではないか。
これ以上何か重なる前に、早急に解決しなければならない。何か1つだけでも。
聖アルマイト王国の未来もそうだが、それよりもカリオス自身の心労を慮ると、リューゲルは切にそう願う。だが、何か具体的な解決案があるわけでもない。
「それで、次の予定はなんだったっけな」
そんなリューゲルの不安など関係なしに、暗雲が漂う中、現実は容赦なく進んでいく。
不安という闇に閉ざされて先が見えなくとも、今は立ち止まることは許されない。
暗中模索――あるかどうかも分からない希望を求めて、とにかく歩き続けなければいけないのだ。
だから、今は歩き続けることこそが、希望に繋がる道を作り出すと信じるしかない。
「次は、スタイン預かりの案件――例の、ファヌス魔法大国の密使との面会ですな」
戦場から遠く離れた王都ユールディアでも、カリオスの戦いが始まろうとしていた。
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いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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