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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第112話 歌うたいの少女
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開戦以来初の勝利に酔っていた第1王子派陣営において、唯一人ずっと浮かない顔をしている人物がいた。
それは、王下直轄部隊所属龍騎士リューイ=イルスガンドだった。
彼は、論功式にて表彰された内の一人だ。
そこで称えられた彼の功績は、これまで誰もが立ち向かうことすら出来なった勇者リアラ=リンデブルグの猛攻を防いだこと。これまで勇者に対して誰もが成す術もなく倒れていた中、初めて勇者を退けたリューイの評価は高く、誰もが彼を褒め称えたのである。
確かに、自軍が勝利したことは喜ばしい。
今回の戦いではコウメイの策がはまって、このクラベールでフェスティア部隊の侵攻を食い止めたことについては、リューイも素直に嬉しく感じる。
しかしリューイ個人としては、今回の戦いでは1つの事実を思い知らされただけだった。
(俺は、リアラにまるで敵わなかった……)
既に陽は沈んでおり、人々は1日の活動を終えて床につく頃の時間だった。
夜の暗闇が支配する世界の中で、リューイは城塞都市西区の外れにある集合墓地を訪れていた。今回の戦いで戦死した者達も弔われている、広大な墓地だった。
墓地全体を見渡せるような小高い丘から、リューイは眼前に立ち居並ぶ墓地を見下ろしていた。
(龍騎士になってから、必死に努力してきた。絶対にリアラを助けると決めて、どんなに辛いことも耐えてきた。だけど……)
結果リアラとの直接対決で思い知らされたのは、リューイの実力ではリアラには到底及ばないということだった。
あのまま戦い続けていれば確実に殺されていたのは間違いない。あの時、既にリューイは体力も苦痛も限界だった。リューイからすれば、見逃してもらった以外の何物でもない。
あれだけ有利な状況下だったのにも関わらず、リューイは手も足も出なかったのだ。
龍騎士になってから、ひたすら努力と研鑽を重ねてきた。どんなに辛くて苦しくても、その努力を欠かしたことはなかった。そしてその努力は身を結び、今はラディカルやジュリアスなどの将軍格にも通用する実力を身に付けたという自負もあった。
それだけに、リアラとの実力差を思い知らされれば、リューイの胸中には絶望感と空虚感しか残らない。
そうなると、これまでは必死に考えまいとしていたことが、どうしても頭の中に浮かんできてしまうのだ。
――自分がやっていることは、無駄なのではないか。自分には、リアラを救うことは不可能なのではないか。
「……くそっ! くそっ! くそ!」
やりどころのない感情――怒り、悲しみ、無力感、後悔……ありとあらゆる感情を込めて、地面を殴りつけるリューイ。拳が痛み、皮膚が裂けて、骨が軋む。しかし地面は僅かに凹む程度。それでもリューイの身体の奥底からは、留まることがない激烈な感情が溢れ続ける。
「このままじゃ……俺はリアラに殺される」
それが、今回のリアラとの戦いでリューイが出した結論だった。それは努力だとか、そういったもので塗り替えることが出来ない絶対的な未来。
リアラ=リンデブルグの勇者の力は、それだけでも人類最強レベルーー更に、それにグスタフの「異能」で強化されたものは、変える術が存在しない絶対的に圧倒的な絶望をリューイに植え付けたのだった。
リューイは決して自分が死ぬことが怖いわけではない。もとより、リアラを助けるために命を懸けると誓った身だ。そのために命を燃やすことなど、今更怖くない。
リューイが恐れるのは、今彼の前に広がる現実――多くの墓標だ。
リアラの手によって多くの人々が殺されることーーつまり、リアラの罪が重なっていくこと。しかも、当然のことだが、それは本来のリアラと意志や人格が望んでいるものではない。
内乱が勃発してから今日まで、直接的にも間接的にも、リアラの勇者特性が要因となって犠牲になった人の数は知れない。そして、これからもリアラはグスタフの意のままに屍の山を築いていくだろう。
もしもリアラが正気を取り戻すようなことがあっても、果たして彼女がそんな自らの業を受け入れることが出来るのか。受け入れられなかった時にリアラが想うことは、なんだろうか。その結果、リアラが取る行動は――
普通に考えれば自死。或いは今とは別の意味で、正気を失い狂ってしまうだろう。
「くそ! くそ、くそ、くそ! くそぉぉぉぉぉ!」
激昂しながら、何度も拳を地面に叩きつけるリューイ。
コウメイ達の前では、心を折ることなく、ひたすらリアラを助けるという目標に向かって進んでいるように見えるリューイだったが、決して彼は特別な人間ではない。
愛する恋人が罪を重ねていくのを見ているのは、その結果であるこの墓地を見渡していると胸が張り裂けそうになる。しかも、自分ではそれを止めることが出来ない。自分以外でも、今のところリアラを止める方法が全く見えない。今も彼女を愛しているリューイにとって、これ以上の絶望があるものだろうか。
しかし聖アルマイト最高の騎士である“龍騎士”という立場が、その苦しさを皆の前で出すことを許さない。勝てない相手にでも、何度でも立ち上がり、ただ粛々と研鑽を重ねて続けて立ち向かっていかなければいけない。
それが”龍騎士”という勇者と戦うための称号に実力が追い付いていないリューイが、今出来る唯一のことなのだ。
だから、慕っているコウメイの前ですらこんな姿は見せられない。決して膝を、心を折ってはいけないのだ。
だからこんな心の弱さは、こうして1人の時だけにしか出せない。誰にも見せられない。
それは、平凡な人間であるリューイにとては、過酷で辛いものだった。
「♪~♪~」
「……ん?」
そんな己の無力さに打ちひしがれるリューイの耳に、ふと歌声が風に乗って運ばれてきた。
あまり聞いたことのないような曲調の歌に、リューイは今しがたの悩みも忘れて、心を奪われる。
(こんな時間に、誰かいるのか? こんな墓地に?)
墓地で歌っているのだから鎮魂歌なのだろうか?――それにしては、なんというか……こう、楽しい雰囲気の歌声のような気がする。というか、そもそも何故こんな時間で墓地に歌声が聞こえるのだろうか。
無意識に、リューイはその音の発生源を探るように歩き出した。僅かに聞こえてくる音を頼りにフラフラと歩いていくうちに、その歌の音源に近づいていく。
そして、その歌を歌っている人物を見つけた。
1本の大樹の下、リューイと同じように並ぶ墓地を見下ろすようにして、その歌声を奏でていたのは一人の女性だった。
年のころはリューイと同年代だろうか。彼女は黒い修道服に全身を包んで、夢中になりながら歌っている。最初にリューイが想った通り、死者達へ捧げる鎮魂歌のように歌っていた。
「♪~♪~」
しかし、やはり鎮魂歌としては曲調が明るすぎる。
神様や死者に捧げるような厳かな歌ではなく、大衆が楽しむような娯楽に近いよう音だ。
そんな楽し気な曲を、彼女はとても楽しそうに歌う。その顔は、とても綺麗で輝いていて、思わずリューイは見惚れていた。
「――誰っ?」
と、リューイの気配に気づいたのか、彼女は慌てて振り返ってくる。それと同時、突然に強い風が吹き荒び
「きゃあっ!」
彼女のフードが風に煽られて飛んでいくと、その中から美しい豊かな金髪が溢れる水の様に出てきた。
「--っ」
彼女の顔を見て、リューイは思わず息を飲んだ。
絶世の美少女――その程度の表現では足りない程、誰もが息を飲む程の可憐な女性だった。
リアラに誠実で一途なリューイですら、時と場所を忘れて頬を赤らませる程だ。似たような美貌の持ち主としては「純白の姫」リリライトが真っ先に思い浮かぶが、正直彼女すら霞むくらいの可憐さである。
汚れや傷など一切なく、綺麗で可愛らしいあどけなさを残した容姿。夜の闇の中にキラキラと輝くような碧眼と金髪は、彼女の周辺をも明るくしていると錯覚するほどの美しさだった。
しかし、彼女をそこまで魅力的にまで仕立て上げているのは、おそらくその容姿だけではない。
何故ならリューイの脳裏には、つい先ほどまで歌っていた彼女の顔――本当に、本当に楽しそうに歌う顔が強烈に焼き付いていたからだ。
「龍騎士、さま……?」
リューイの顔を認めて、彼女は半信半疑のまま首を傾げてそう言った。
龍騎士リューイ=イルスガンドと修道女システィーナ=ルズベリーの運命の出会いだった。
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「ちゃ、ちゃんと元帥様には許可をいただいていますよ? 好きな時に歌っていいって」
開口一番、システィーナはしどろもどろになりながら言い訳じみた説明を始めた。まさかこんな時間にのこんな場所に、王国でも最高の騎士である龍騎士がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
「あぅ……ごめんなさい。こんな場所で、あんな歌なんて不謹慎でしたよね」
若干涙目になりながら、殊勝な態度で頭を下げてくるシスティーナに、リューイは首を振りながら答える。
「俺はそんなに宗教とかは詳しくないんだけど……さっき歌っていた歌は、どんな歌なんだろう? 鎮魂歌とか讃美歌とか、そんな感じの曲じゃなかったけど。なんか、楽しそうな曲だった」
「う、うう……そうですよね。お墓の前でそんな歌を歌うなんて、よく考えたら私ってば常識外の女だわ」
それを言ったら、それを許可したというコウメイも非常識な男ということになるわけだが。
「コウメイさんが良いっていうなら気にしないでいいんじゃないか。俺は、良い歌だなって思ったよ」
「本当ですかぁ!」
リューイの肯定的な言葉を聞くと、両手を顔に当てていたシスティーナは顔を輝かせて、リューイの顔を覗き込む。
「私が自分で作った歌なんですっ! あまり世間にはない歌なんですけど、なんか元帥様が言うにはじぇい……ぽっぷ?だか、あにそん?ぽいって言われたんですけど、すごくノリノリになれそうだなって、喜んでくれたんですよぉ!」
「ノリノリって、あの人そんな言葉使うんだ。まあでも分かるよ。すごく楽しくて、なんかこう胸が躍るような気持ちになったよ」
やや興奮気味になって言ってくるシスティーナに苦笑しながらリューイが応えると、本当に歌が好きなのだろう、システィーナはうんうんと何度もうなずく。
「コウメイさんに許可をもらったって……もしかして、わざわざあの人の前で歌ったってことか?」
「い、いえいえ! 違います! そんな恐れ多いこと!」
リューイの疑問に慌てて首を振って、システィーナは説明する。
「私は見ての通り、都市の中にある聖王教会のシスターなんですけども、御勤めを……その……まあ、なんというか……少し自主的なお休憩をいただいていた時にですね、気分転換に今みたいに歌っていたんです。その時、たまたま元帥様に聞かれてしまいまして」
修道女の勤め中といえば日中だろう。そんな時間帯にコウメイが、城塞都市内の一角になる教会で歌うシスターの歌声が聞こえる場所にいたということは
「きっと、コウメイんさんもサボって散歩してたんだろうなぁ」
「ふ、ふええっ? 元帥様もお仕事サボるんですか?――って、もう! 私はサボりじゃないですよぅ!」
ぷんぷんと頬を膨らませて抗議してくるシスティーナだったが、すぐに機嫌を直して話を続けていく。
「そこで褒めていただけたんです。今まで勝てなかった第2王女派を追い払った元帥様って聞いていたから、物凄く怖い人だって思ってたんですけど……褒めてもらえてうれしかったなぁ。てへへ」
そうやって歌のことになると、本当に無邪気な笑顔を見せる。やはりその笑顔はとても可愛くて魅力的で、リューイの目を釘付けにするのだった。
「それでシスティーナは、どうしてこんな所で歌を歌ってるんだ?」
「あ~、それはですねぇ……」
そう聞かれたシスティーナは、ポリポリと頬を掻きながら、バツの悪そうな顔で答える。
「私達が住む街を守ってくれた兵隊さん達に、聞いてほしいなって思って」
「……戦死した人たちに?」
「はいっ」
満面の笑顔でうなずくシスティーナは、眼下に広がる墓地を背中にして両手を広げる。
「先日、領主様がとても素晴らしいお葬式を開いて下さいました。そこではお別れの言葉もあったし、しめやかな鎮魂歌も送られて、多くの人達が大切な人の死を悲しみ悼んでいました。とても悲しくて胸が苦しかったですけど、でも多分あれは死にゆく方を送るためには必要なことなんだと思います。亡くなられた方には、教会のこと色々世話してくれて騎士様もいらっしゃって……私も、たくさん泣きました」
その葬送式にはリューイも参列していた。勝利の裏側にはこれだけの犠牲者がいたことを痛感したし、あれを見ればシスティーナのその悲し気な顔も当然だと思う。
しかし、次に見せたシスティーナの顔は、自分の歌が褒められた時と同じ笑顔だった。
「そうやって悲しい気持ちは充分に伝えたから、もういいかなって。涙ながらにお別れをして、鎮魂歌もたくさん歌いました。だから、最後の最後くらいは、楽しい気持ちを伝えたいなって思ったんです。
貴方達が守ってくれた私は、ここで元気に生きているよ。今こんなにも楽しいんだよ。こんなに楽しく大好きな歌を歌っているよ――亡くなった兵隊さん達にそれが伝わったら、少しでも喜んでくれるかなって。
元帥様にそう言ってみたら“是非、彼らの目の前で歌ってやってくれ”って言われて……だから、ここで歌っていたんです」
「――へえ」
システィーナがここで歌を歌っていた理由と経緯を聞いて、リューイは自然と頬を緩ませる。
「あっ、あっ……教会の皆さんには内緒ですよ! 悲しむことが何よりの弔いなのに、こんな歌なんてけしからん!って、怒られちゃいます。秘密です。しーっ!」
唇に指を立てて念を押すように言ってくるシスティーナだったが、そもそも権力者であるコウメイが許可してるから大丈夫なのでは?――いや、この場合コウメイも教会に怒られることになるのだろうか?
その疑問はさておき、リューイは残る疑問をシスティーナに問いかける。
「でも、なんでこんな時間に?」
「うっ……そ、それは……いくら元帥様が良いって言ってくれても、さすがに墓地でこんな明るい歌を歌ってたらお墓参りに来た人に怒られると思ったし、それに私も恥ずかしいんですよぅ! まさか龍騎士様だって、こんな時間にこんな所にいるなんて、思わなかったんですー! 別に上手でもない私の歌を……あぅあぅ。もう、ばかばか!」
歌を褒められればうれしい癖に、そういった羞恥心も持っているらしい。感情豊かに表情をコロコロと変えるシスティーナが、なんだか可愛らしく思えて、リューイは笑ってしまう。
「あぅ……元帥様だけじゃなく、龍騎士様にも笑われました。なんか、今日は、なんだか色々と濃い1日です」
「リューイ=イルスガンドだよ」
急に名を名乗ったリューイに、システィーナはバッと顔を上げる。
「龍騎士様なんて柄じゃないから、名前で呼んでくれないかな。それに様付けじゃなくて、せめてさん付けにしてくれよ」
「そ、それっ……元帥様も似たようなことをおっしゃられていました。龍騎士様は元帥様の護衛騎士でもあられますから、主従って本当に似るんですねぇ、ほぇ~……って、そうではなくて! そんな恐れ多いこと、私にはとても……!」
「あの人はよく分かんないけど、少なくとも俺は龍騎士とはいっても平民だからさ。貴族出身のシスティーナからすれば、むしろ身分は低い方だよ」
「き、貴族って言ったって、私の家は名ばかりの貧乏貴族だったから、末子の私はこうして教会に売られてご奉公しているんですよぉ~」
自己紹介をされた時に聞いたことだが、システィーナはこんな明るい性格のくせに、結構暗い生い立ちを持っていることにびっくりした。
外見の美麗さから貴族であろうことは容易に察せられた。だが彼女が自分で言ったように、貴族とは名ばかりで、ただでさえ経済的に貧窮している中に何故だか7人もの子供達がいる大家族の貧乏貴族で、とても全ての家族を養い切れない状態だったようだ。そのため、7人兄弟でも最も末の子のシスティーナは教会へ奉公に出されたらしい。
システィーナは売られたと言うが、決して奴隷というわけではないので、その境遇は悲惨窮まるわけではない。というか、そもそもシスティーナの身体を引き換えに、彼女のルズベリー家が金銭を受け取っていることはないだろう。
労働力の提供の代わりに衣食住の面倒を教会が見るという、言わば住み込みで働いているようなものだ。例えば休みを使ってシスティーナが実家に帰ることなども許可されているし、実家のルズベリー家から縁を切られているわけでもなく、生活に過度な縛りが設けられていることはない。
「俺が様付けで呼ばれるなら、俺も君のことをシスティーナ様って呼ばないといけなくなる。名ばかりとはいえ、システィーナは貴族令嬢様なのは違いないし」
「ううぅ、龍騎士様は意地悪なんですね。それは私もちょっと嫌です。分かりました。では、リューイ様――リューイさんとお呼びします。ふう……」
ため息を吐きながら、何となく納得していない風を見せるが、とりあえずリューイの意見を聞いてくれたようだ。
「それで? リューイさんの方こそ、どうしてこんな所に?」
「俺は……」
――誰にも見せられない弱みを吐き出しに来た。
「ん?」
口をつぐんだリューイの顔を不思議そうにのぞき込んでくるシスティーナ。
自身の無力さを地面に叩きつけ、声に出して吼えて、多少は晴らせたかもしれない。しかし、それではあまりにも不十分だ。
リューイだって普通の人間だ。
自分の弱音を聞いて、慰めて欲しい。間違っていない、大丈夫だと誰かに言って欲しい。
そんな人間らしい弱さを持っているし、誰かに頼りたいくらいに弱っていた。
しかし龍騎士という立場が、勇者を倒して恋人を助けると誓った自分の決意が、それを決して許さない。
龍騎士は、聖アルマイトに住まう者ならば誰もが知っている英雄だ。特にこの苦しい戦時下においては希望のような存在だ。そんな騎士が、この目の前の平凡な一女性に弱音など吐けるわけもないではないか。
「――ま、いいんじゃないですか?」
「は?」
態度を翻した――とは違うが、それくらいのシスティーナの態度の変化に、リューイは思わず驚きの声を漏らした。
「いくら龍騎士様って言ったって、リューイさんだって私と同じ人間ですから。辛いときだってありますし、ひょっとしたら他の人から見たら下らないことで悩むことだってあると思いますよ」
平然とそうやって言いのけるシスティーナは、白い歯を見せてニッと笑う。
「多分、リューイさんの悩みなんて私の考えが及びもしないくらい大変なことでしょうし、私なんかが助けられるものでもないと思います。でも、そんな私でも出来ることがあるんですよ」
「出来ること?」
聞き返すリューイに、システィーナは嬉しそうに「はい」とうなずくと。
「歌うことです」
そう答えてから、システィーナは再び歌を歌いだす。
先ほどの歌と同じような、聞いているだけで心が躍り、楽しくなるような歌。
ーー今でも相変わらず、リューイの胸の中にはリアラへの想いと、どうすることも出来ない絶望感が残っている。
「♪~♫~」
しかし、それでもシスティーナのその歌は、暗闇に閉ざされているようなリューイの心を明るく照らす光のようだった。
その歌は風に乗り、2人の眼下に立ち居並ぶ墓地へと運ばれていく。
辺りは間違いなく暗い夜なのに、不思議なことにその墓の1つ1つが、淡い光を帯びているように錯覚してしまう。システィーナが言うように、この歌の楽しい気持ちが、そこに眠る死者の魂に伝わっているのかみしれない。
そう思うと、そこに眠る者達がシスティーナの歌に合わせて、皆で歌いながら楽しそうに踊っている姿が見えるようだった。
「あ……あはははは……あははははははっ!」
システィーナが歌い終わった後、リューイは大口を開けて笑いながら、惜しみない拍手をシスティーナに捧げる。
この気持ちがなんなのかはよく分からないが、心の底から笑ったのは、本当に久しぶり。それこそ、リアラと一緒に過ごしていた時以来ではないか。
「すごい! すごいよ、システィーナ!」
「う……そ、そこまで褒められると、段々恥ずかしくなってきます」
リューイは、このシスティーナの歌は何かに似ていると思った。
大切な人を想い、癒し、支え、強くし、そして幸せな気持ちにさせてくれるもの。
リューイにとってのそれは――
他の誰でもない、恋人のリアラそのものであった。
「少しは、気分晴れました?」
歌を賞賛してくれるリューイに、少し照れ臭そうに聞いてくるシスティーナ。そんな彼女の声を聞いて、眼に涙すら浮かべて笑っていたリューイは自信満々に答える。
「ああ、ありがとうシスティーナ。全く……恋人と喧嘩してるくらいで、落ち込んでる場合じゃなかったわ」
「そ、そんなことで悩んでいたんですか? 龍騎士様が? いや、まあそれはそれで大変なんでしょうけど……あうぅ、あれでも結構本気で心配してたんですけど、なんだか損した気分です」
「いやいや。相手が結構強くてさ」
「そういう問題ですか!? というか、龍騎士様よりも強い彼女さんて、ひょっとして聖アルマイト最強じゃないですか!」
--聖アルマイトどころか、全人類レベルで最強なんだが。
リューイからすれば嘘でも冗談でもないんだが、どこかふざけた空気になるのは仕方ないことか。それも含めて、このシスティーナと一緒の時をリューイは楽しんでいた。
(何を一人で抱え込んでいたんだ。バカバカしい)
慕っているコウメイにも言われたではないか。一人で戦わずに、頼るべき時には人を頼れと。……あの時は酔っていたが。
龍騎士だから誰にも頼れない、弱音も吐けないなんて、そんなバカバカしい話があるものか。
自分が挑戦しようとしている相手は誰だと思っている? かつて人類を完全支配し、世界を絶望のどん底に陥れた魔王を倒した勇者だ。魔王亡き今では、人類どころですらない、この世界における最強の生命体だ。
それ程の相手に、そんな情けない覚悟で勝つことなど出来るものか。
出来ることは何でもやる――頼れるものには何でも頼ればいいのだ。どんなに情けなくて、格好悪くて、惨めでも、恋人を助けるためには手段を選んでいる場合ではない。
だから、こうやって心が折れそうな時は、遠慮なく誰かに頼ればいい。ただそれだけのこと。
とても幸せなことに、リューイが何も言わなくても、助けてくれる人がここにいるじゃないか。
「ん? どうしました?」
無言で見つめてくるリューイを、首を傾げて見返してくるシスティーナ。そんな可愛らしい彼女の仕草が、今は他の何にも代えがたい支えとなる。
「ありがとう。システィーナの歌の……君のおかげで、俺はまた頑張れそうだ。まだ戦える」
「えぇぇぇ? わ、私としては出来れば彼女さんとは仲直りする方向でお願いしたいんですが……」
事情を知らないシスティーナからすれば仕方ないことだが、ちょっとズレた方向の反応をしてしまう。
「でもまあ、私の歌がリューイさんの支えになれたなら、嬉しいです。どういたしまして」
そうやって笑うシスティーナの笑顔があるから、支えてくれる人の存在をこれからも感じられるだろう。リューイの心は再び立ち上がる力を得るのだった。
「――それじゃあ、お返しってわけじゃないんですけど、私からもお願いが」
突然頬を赤らめてそう言うシスティーナに、リューイは怪訝な顔を向ける。
「出来れば、また私の歌を聞いて下さいね。こんなに褒めてくれたの、リューイさんだけだから、私嬉しくって!」
屈託も邪気もない天真爛漫な笑顔を向けられると、リューイは一「勿論だ」と二つ返事で答える。
「約束ですよ! そのためには、次の戦場からもちゃんと無事に生きて戻ってこなくちゃですね!」
「ああ、約束だ」
手を伸ばし、小指を絡める2人。
「彼女さんとの喧嘩も、程々に。――あ、良かったら彼女さんと一緒に聞いて下さいよ」
「――そうだな。必ず、連れて来るよ」
きっと、その時こそがリューイの想いが叶う時だから、その時を楽しみにしている。
龍騎士リューイ=イルスガンドが戦う理由が、また1つ増えた。
歌うたいの少女システィーナ=ルズベリー。
後に聖女と呼ばれるようになる彼女の歌が、この世を欲望をのままに支配しようとする悪魔への切り札と成り得るものであったーー現時点で、誰もがその事を知らないのは当然のことだった。
それは、王下直轄部隊所属龍騎士リューイ=イルスガンドだった。
彼は、論功式にて表彰された内の一人だ。
そこで称えられた彼の功績は、これまで誰もが立ち向かうことすら出来なった勇者リアラ=リンデブルグの猛攻を防いだこと。これまで勇者に対して誰もが成す術もなく倒れていた中、初めて勇者を退けたリューイの評価は高く、誰もが彼を褒め称えたのである。
確かに、自軍が勝利したことは喜ばしい。
今回の戦いではコウメイの策がはまって、このクラベールでフェスティア部隊の侵攻を食い止めたことについては、リューイも素直に嬉しく感じる。
しかしリューイ個人としては、今回の戦いでは1つの事実を思い知らされただけだった。
(俺は、リアラにまるで敵わなかった……)
既に陽は沈んでおり、人々は1日の活動を終えて床につく頃の時間だった。
夜の暗闇が支配する世界の中で、リューイは城塞都市西区の外れにある集合墓地を訪れていた。今回の戦いで戦死した者達も弔われている、広大な墓地だった。
墓地全体を見渡せるような小高い丘から、リューイは眼前に立ち居並ぶ墓地を見下ろしていた。
(龍騎士になってから、必死に努力してきた。絶対にリアラを助けると決めて、どんなに辛いことも耐えてきた。だけど……)
結果リアラとの直接対決で思い知らされたのは、リューイの実力ではリアラには到底及ばないということだった。
あのまま戦い続けていれば確実に殺されていたのは間違いない。あの時、既にリューイは体力も苦痛も限界だった。リューイからすれば、見逃してもらった以外の何物でもない。
あれだけ有利な状況下だったのにも関わらず、リューイは手も足も出なかったのだ。
龍騎士になってから、ひたすら努力と研鑽を重ねてきた。どんなに辛くて苦しくても、その努力を欠かしたことはなかった。そしてその努力は身を結び、今はラディカルやジュリアスなどの将軍格にも通用する実力を身に付けたという自負もあった。
それだけに、リアラとの実力差を思い知らされれば、リューイの胸中には絶望感と空虚感しか残らない。
そうなると、これまでは必死に考えまいとしていたことが、どうしても頭の中に浮かんできてしまうのだ。
――自分がやっていることは、無駄なのではないか。自分には、リアラを救うことは不可能なのではないか。
「……くそっ! くそっ! くそ!」
やりどころのない感情――怒り、悲しみ、無力感、後悔……ありとあらゆる感情を込めて、地面を殴りつけるリューイ。拳が痛み、皮膚が裂けて、骨が軋む。しかし地面は僅かに凹む程度。それでもリューイの身体の奥底からは、留まることがない激烈な感情が溢れ続ける。
「このままじゃ……俺はリアラに殺される」
それが、今回のリアラとの戦いでリューイが出した結論だった。それは努力だとか、そういったもので塗り替えることが出来ない絶対的な未来。
リアラ=リンデブルグの勇者の力は、それだけでも人類最強レベルーー更に、それにグスタフの「異能」で強化されたものは、変える術が存在しない絶対的に圧倒的な絶望をリューイに植え付けたのだった。
リューイは決して自分が死ぬことが怖いわけではない。もとより、リアラを助けるために命を懸けると誓った身だ。そのために命を燃やすことなど、今更怖くない。
リューイが恐れるのは、今彼の前に広がる現実――多くの墓標だ。
リアラの手によって多くの人々が殺されることーーつまり、リアラの罪が重なっていくこと。しかも、当然のことだが、それは本来のリアラと意志や人格が望んでいるものではない。
内乱が勃発してから今日まで、直接的にも間接的にも、リアラの勇者特性が要因となって犠牲になった人の数は知れない。そして、これからもリアラはグスタフの意のままに屍の山を築いていくだろう。
もしもリアラが正気を取り戻すようなことがあっても、果たして彼女がそんな自らの業を受け入れることが出来るのか。受け入れられなかった時にリアラが想うことは、なんだろうか。その結果、リアラが取る行動は――
普通に考えれば自死。或いは今とは別の意味で、正気を失い狂ってしまうだろう。
「くそ! くそ、くそ、くそ! くそぉぉぉぉぉ!」
激昂しながら、何度も拳を地面に叩きつけるリューイ。
コウメイ達の前では、心を折ることなく、ひたすらリアラを助けるという目標に向かって進んでいるように見えるリューイだったが、決して彼は特別な人間ではない。
愛する恋人が罪を重ねていくのを見ているのは、その結果であるこの墓地を見渡していると胸が張り裂けそうになる。しかも、自分ではそれを止めることが出来ない。自分以外でも、今のところリアラを止める方法が全く見えない。今も彼女を愛しているリューイにとって、これ以上の絶望があるものだろうか。
しかし聖アルマイト最高の騎士である“龍騎士”という立場が、その苦しさを皆の前で出すことを許さない。勝てない相手にでも、何度でも立ち上がり、ただ粛々と研鑽を重ねて続けて立ち向かっていかなければいけない。
それが”龍騎士”という勇者と戦うための称号に実力が追い付いていないリューイが、今出来る唯一のことなのだ。
だから、慕っているコウメイの前ですらこんな姿は見せられない。決して膝を、心を折ってはいけないのだ。
だからこんな心の弱さは、こうして1人の時だけにしか出せない。誰にも見せられない。
それは、平凡な人間であるリューイにとては、過酷で辛いものだった。
「♪~♪~」
「……ん?」
そんな己の無力さに打ちひしがれるリューイの耳に、ふと歌声が風に乗って運ばれてきた。
あまり聞いたことのないような曲調の歌に、リューイは今しがたの悩みも忘れて、心を奪われる。
(こんな時間に、誰かいるのか? こんな墓地に?)
墓地で歌っているのだから鎮魂歌なのだろうか?――それにしては、なんというか……こう、楽しい雰囲気の歌声のような気がする。というか、そもそも何故こんな時間で墓地に歌声が聞こえるのだろうか。
無意識に、リューイはその音の発生源を探るように歩き出した。僅かに聞こえてくる音を頼りにフラフラと歩いていくうちに、その歌の音源に近づいていく。
そして、その歌を歌っている人物を見つけた。
1本の大樹の下、リューイと同じように並ぶ墓地を見下ろすようにして、その歌声を奏でていたのは一人の女性だった。
年のころはリューイと同年代だろうか。彼女は黒い修道服に全身を包んで、夢中になりながら歌っている。最初にリューイが想った通り、死者達へ捧げる鎮魂歌のように歌っていた。
「♪~♪~」
しかし、やはり鎮魂歌としては曲調が明るすぎる。
神様や死者に捧げるような厳かな歌ではなく、大衆が楽しむような娯楽に近いよう音だ。
そんな楽し気な曲を、彼女はとても楽しそうに歌う。その顔は、とても綺麗で輝いていて、思わずリューイは見惚れていた。
「――誰っ?」
と、リューイの気配に気づいたのか、彼女は慌てて振り返ってくる。それと同時、突然に強い風が吹き荒び
「きゃあっ!」
彼女のフードが風に煽られて飛んでいくと、その中から美しい豊かな金髪が溢れる水の様に出てきた。
「--っ」
彼女の顔を見て、リューイは思わず息を飲んだ。
絶世の美少女――その程度の表現では足りない程、誰もが息を飲む程の可憐な女性だった。
リアラに誠実で一途なリューイですら、時と場所を忘れて頬を赤らませる程だ。似たような美貌の持ち主としては「純白の姫」リリライトが真っ先に思い浮かぶが、正直彼女すら霞むくらいの可憐さである。
汚れや傷など一切なく、綺麗で可愛らしいあどけなさを残した容姿。夜の闇の中にキラキラと輝くような碧眼と金髪は、彼女の周辺をも明るくしていると錯覚するほどの美しさだった。
しかし、彼女をそこまで魅力的にまで仕立て上げているのは、おそらくその容姿だけではない。
何故ならリューイの脳裏には、つい先ほどまで歌っていた彼女の顔――本当に、本当に楽しそうに歌う顔が強烈に焼き付いていたからだ。
「龍騎士、さま……?」
リューイの顔を認めて、彼女は半信半疑のまま首を傾げてそう言った。
龍騎士リューイ=イルスガンドと修道女システィーナ=ルズベリーの運命の出会いだった。
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「ちゃ、ちゃんと元帥様には許可をいただいていますよ? 好きな時に歌っていいって」
開口一番、システィーナはしどろもどろになりながら言い訳じみた説明を始めた。まさかこんな時間にのこんな場所に、王国でも最高の騎士である龍騎士がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
「あぅ……ごめんなさい。こんな場所で、あんな歌なんて不謹慎でしたよね」
若干涙目になりながら、殊勝な態度で頭を下げてくるシスティーナに、リューイは首を振りながら答える。
「俺はそんなに宗教とかは詳しくないんだけど……さっき歌っていた歌は、どんな歌なんだろう? 鎮魂歌とか讃美歌とか、そんな感じの曲じゃなかったけど。なんか、楽しそうな曲だった」
「う、うう……そうですよね。お墓の前でそんな歌を歌うなんて、よく考えたら私ってば常識外の女だわ」
それを言ったら、それを許可したというコウメイも非常識な男ということになるわけだが。
「コウメイさんが良いっていうなら気にしないでいいんじゃないか。俺は、良い歌だなって思ったよ」
「本当ですかぁ!」
リューイの肯定的な言葉を聞くと、両手を顔に当てていたシスティーナは顔を輝かせて、リューイの顔を覗き込む。
「私が自分で作った歌なんですっ! あまり世間にはない歌なんですけど、なんか元帥様が言うにはじぇい……ぽっぷ?だか、あにそん?ぽいって言われたんですけど、すごくノリノリになれそうだなって、喜んでくれたんですよぉ!」
「ノリノリって、あの人そんな言葉使うんだ。まあでも分かるよ。すごく楽しくて、なんかこう胸が躍るような気持ちになったよ」
やや興奮気味になって言ってくるシスティーナに苦笑しながらリューイが応えると、本当に歌が好きなのだろう、システィーナはうんうんと何度もうなずく。
「コウメイさんに許可をもらったって……もしかして、わざわざあの人の前で歌ったってことか?」
「い、いえいえ! 違います! そんな恐れ多いこと!」
リューイの疑問に慌てて首を振って、システィーナは説明する。
「私は見ての通り、都市の中にある聖王教会のシスターなんですけども、御勤めを……その……まあ、なんというか……少し自主的なお休憩をいただいていた時にですね、気分転換に今みたいに歌っていたんです。その時、たまたま元帥様に聞かれてしまいまして」
修道女の勤め中といえば日中だろう。そんな時間帯にコウメイが、城塞都市内の一角になる教会で歌うシスターの歌声が聞こえる場所にいたということは
「きっと、コウメイんさんもサボって散歩してたんだろうなぁ」
「ふ、ふええっ? 元帥様もお仕事サボるんですか?――って、もう! 私はサボりじゃないですよぅ!」
ぷんぷんと頬を膨らませて抗議してくるシスティーナだったが、すぐに機嫌を直して話を続けていく。
「そこで褒めていただけたんです。今まで勝てなかった第2王女派を追い払った元帥様って聞いていたから、物凄く怖い人だって思ってたんですけど……褒めてもらえてうれしかったなぁ。てへへ」
そうやって歌のことになると、本当に無邪気な笑顔を見せる。やはりその笑顔はとても可愛くて魅力的で、リューイの目を釘付けにするのだった。
「それでシスティーナは、どうしてこんな所で歌を歌ってるんだ?」
「あ~、それはですねぇ……」
そう聞かれたシスティーナは、ポリポリと頬を掻きながら、バツの悪そうな顔で答える。
「私達が住む街を守ってくれた兵隊さん達に、聞いてほしいなって思って」
「……戦死した人たちに?」
「はいっ」
満面の笑顔でうなずくシスティーナは、眼下に広がる墓地を背中にして両手を広げる。
「先日、領主様がとても素晴らしいお葬式を開いて下さいました。そこではお別れの言葉もあったし、しめやかな鎮魂歌も送られて、多くの人達が大切な人の死を悲しみ悼んでいました。とても悲しくて胸が苦しかったですけど、でも多分あれは死にゆく方を送るためには必要なことなんだと思います。亡くなられた方には、教会のこと色々世話してくれて騎士様もいらっしゃって……私も、たくさん泣きました」
その葬送式にはリューイも参列していた。勝利の裏側にはこれだけの犠牲者がいたことを痛感したし、あれを見ればシスティーナのその悲し気な顔も当然だと思う。
しかし、次に見せたシスティーナの顔は、自分の歌が褒められた時と同じ笑顔だった。
「そうやって悲しい気持ちは充分に伝えたから、もういいかなって。涙ながらにお別れをして、鎮魂歌もたくさん歌いました。だから、最後の最後くらいは、楽しい気持ちを伝えたいなって思ったんです。
貴方達が守ってくれた私は、ここで元気に生きているよ。今こんなにも楽しいんだよ。こんなに楽しく大好きな歌を歌っているよ――亡くなった兵隊さん達にそれが伝わったら、少しでも喜んでくれるかなって。
元帥様にそう言ってみたら“是非、彼らの目の前で歌ってやってくれ”って言われて……だから、ここで歌っていたんです」
「――へえ」
システィーナがここで歌を歌っていた理由と経緯を聞いて、リューイは自然と頬を緩ませる。
「あっ、あっ……教会の皆さんには内緒ですよ! 悲しむことが何よりの弔いなのに、こんな歌なんてけしからん!って、怒られちゃいます。秘密です。しーっ!」
唇に指を立てて念を押すように言ってくるシスティーナだったが、そもそも権力者であるコウメイが許可してるから大丈夫なのでは?――いや、この場合コウメイも教会に怒られることになるのだろうか?
その疑問はさておき、リューイは残る疑問をシスティーナに問いかける。
「でも、なんでこんな時間に?」
「うっ……そ、それは……いくら元帥様が良いって言ってくれても、さすがに墓地でこんな明るい歌を歌ってたらお墓参りに来た人に怒られると思ったし、それに私も恥ずかしいんですよぅ! まさか龍騎士様だって、こんな時間にこんな所にいるなんて、思わなかったんですー! 別に上手でもない私の歌を……あぅあぅ。もう、ばかばか!」
歌を褒められればうれしい癖に、そういった羞恥心も持っているらしい。感情豊かに表情をコロコロと変えるシスティーナが、なんだか可愛らしく思えて、リューイは笑ってしまう。
「あぅ……元帥様だけじゃなく、龍騎士様にも笑われました。なんか、今日は、なんだか色々と濃い1日です」
「リューイ=イルスガンドだよ」
急に名を名乗ったリューイに、システィーナはバッと顔を上げる。
「龍騎士様なんて柄じゃないから、名前で呼んでくれないかな。それに様付けじゃなくて、せめてさん付けにしてくれよ」
「そ、それっ……元帥様も似たようなことをおっしゃられていました。龍騎士様は元帥様の護衛騎士でもあられますから、主従って本当に似るんですねぇ、ほぇ~……って、そうではなくて! そんな恐れ多いこと、私にはとても……!」
「あの人はよく分かんないけど、少なくとも俺は龍騎士とはいっても平民だからさ。貴族出身のシスティーナからすれば、むしろ身分は低い方だよ」
「き、貴族って言ったって、私の家は名ばかりの貧乏貴族だったから、末子の私はこうして教会に売られてご奉公しているんですよぉ~」
自己紹介をされた時に聞いたことだが、システィーナはこんな明るい性格のくせに、結構暗い生い立ちを持っていることにびっくりした。
外見の美麗さから貴族であろうことは容易に察せられた。だが彼女が自分で言ったように、貴族とは名ばかりで、ただでさえ経済的に貧窮している中に何故だか7人もの子供達がいる大家族の貧乏貴族で、とても全ての家族を養い切れない状態だったようだ。そのため、7人兄弟でも最も末の子のシスティーナは教会へ奉公に出されたらしい。
システィーナは売られたと言うが、決して奴隷というわけではないので、その境遇は悲惨窮まるわけではない。というか、そもそもシスティーナの身体を引き換えに、彼女のルズベリー家が金銭を受け取っていることはないだろう。
労働力の提供の代わりに衣食住の面倒を教会が見るという、言わば住み込みで働いているようなものだ。例えば休みを使ってシスティーナが実家に帰ることなども許可されているし、実家のルズベリー家から縁を切られているわけでもなく、生活に過度な縛りが設けられていることはない。
「俺が様付けで呼ばれるなら、俺も君のことをシスティーナ様って呼ばないといけなくなる。名ばかりとはいえ、システィーナは貴族令嬢様なのは違いないし」
「ううぅ、龍騎士様は意地悪なんですね。それは私もちょっと嫌です。分かりました。では、リューイ様――リューイさんとお呼びします。ふう……」
ため息を吐きながら、何となく納得していない風を見せるが、とりあえずリューイの意見を聞いてくれたようだ。
「それで? リューイさんの方こそ、どうしてこんな所に?」
「俺は……」
――誰にも見せられない弱みを吐き出しに来た。
「ん?」
口をつぐんだリューイの顔を不思議そうにのぞき込んでくるシスティーナ。
自身の無力さを地面に叩きつけ、声に出して吼えて、多少は晴らせたかもしれない。しかし、それではあまりにも不十分だ。
リューイだって普通の人間だ。
自分の弱音を聞いて、慰めて欲しい。間違っていない、大丈夫だと誰かに言って欲しい。
そんな人間らしい弱さを持っているし、誰かに頼りたいくらいに弱っていた。
しかし龍騎士という立場が、勇者を倒して恋人を助けると誓った自分の決意が、それを決して許さない。
龍騎士は、聖アルマイトに住まう者ならば誰もが知っている英雄だ。特にこの苦しい戦時下においては希望のような存在だ。そんな騎士が、この目の前の平凡な一女性に弱音など吐けるわけもないではないか。
「――ま、いいんじゃないですか?」
「は?」
態度を翻した――とは違うが、それくらいのシスティーナの態度の変化に、リューイは思わず驚きの声を漏らした。
「いくら龍騎士様って言ったって、リューイさんだって私と同じ人間ですから。辛いときだってありますし、ひょっとしたら他の人から見たら下らないことで悩むことだってあると思いますよ」
平然とそうやって言いのけるシスティーナは、白い歯を見せてニッと笑う。
「多分、リューイさんの悩みなんて私の考えが及びもしないくらい大変なことでしょうし、私なんかが助けられるものでもないと思います。でも、そんな私でも出来ることがあるんですよ」
「出来ること?」
聞き返すリューイに、システィーナは嬉しそうに「はい」とうなずくと。
「歌うことです」
そう答えてから、システィーナは再び歌を歌いだす。
先ほどの歌と同じような、聞いているだけで心が躍り、楽しくなるような歌。
ーー今でも相変わらず、リューイの胸の中にはリアラへの想いと、どうすることも出来ない絶望感が残っている。
「♪~♫~」
しかし、それでもシスティーナのその歌は、暗闇に閉ざされているようなリューイの心を明るく照らす光のようだった。
その歌は風に乗り、2人の眼下に立ち居並ぶ墓地へと運ばれていく。
辺りは間違いなく暗い夜なのに、不思議なことにその墓の1つ1つが、淡い光を帯びているように錯覚してしまう。システィーナが言うように、この歌の楽しい気持ちが、そこに眠る死者の魂に伝わっているのかみしれない。
そう思うと、そこに眠る者達がシスティーナの歌に合わせて、皆で歌いながら楽しそうに踊っている姿が見えるようだった。
「あ……あはははは……あははははははっ!」
システィーナが歌い終わった後、リューイは大口を開けて笑いながら、惜しみない拍手をシスティーナに捧げる。
この気持ちがなんなのかはよく分からないが、心の底から笑ったのは、本当に久しぶり。それこそ、リアラと一緒に過ごしていた時以来ではないか。
「すごい! すごいよ、システィーナ!」
「う……そ、そこまで褒められると、段々恥ずかしくなってきます」
リューイは、このシスティーナの歌は何かに似ていると思った。
大切な人を想い、癒し、支え、強くし、そして幸せな気持ちにさせてくれるもの。
リューイにとってのそれは――
他の誰でもない、恋人のリアラそのものであった。
「少しは、気分晴れました?」
歌を賞賛してくれるリューイに、少し照れ臭そうに聞いてくるシスティーナ。そんな彼女の声を聞いて、眼に涙すら浮かべて笑っていたリューイは自信満々に答える。
「ああ、ありがとうシスティーナ。全く……恋人と喧嘩してるくらいで、落ち込んでる場合じゃなかったわ」
「そ、そんなことで悩んでいたんですか? 龍騎士様が? いや、まあそれはそれで大変なんでしょうけど……あうぅ、あれでも結構本気で心配してたんですけど、なんだか損した気分です」
「いやいや。相手が結構強くてさ」
「そういう問題ですか!? というか、龍騎士様よりも強い彼女さんて、ひょっとして聖アルマイト最強じゃないですか!」
--聖アルマイトどころか、全人類レベルで最強なんだが。
リューイからすれば嘘でも冗談でもないんだが、どこかふざけた空気になるのは仕方ないことか。それも含めて、このシスティーナと一緒の時をリューイは楽しんでいた。
(何を一人で抱え込んでいたんだ。バカバカしい)
慕っているコウメイにも言われたではないか。一人で戦わずに、頼るべき時には人を頼れと。……あの時は酔っていたが。
龍騎士だから誰にも頼れない、弱音も吐けないなんて、そんなバカバカしい話があるものか。
自分が挑戦しようとしている相手は誰だと思っている? かつて人類を完全支配し、世界を絶望のどん底に陥れた魔王を倒した勇者だ。魔王亡き今では、人類どころですらない、この世界における最強の生命体だ。
それ程の相手に、そんな情けない覚悟で勝つことなど出来るものか。
出来ることは何でもやる――頼れるものには何でも頼ればいいのだ。どんなに情けなくて、格好悪くて、惨めでも、恋人を助けるためには手段を選んでいる場合ではない。
だから、こうやって心が折れそうな時は、遠慮なく誰かに頼ればいい。ただそれだけのこと。
とても幸せなことに、リューイが何も言わなくても、助けてくれる人がここにいるじゃないか。
「ん? どうしました?」
無言で見つめてくるリューイを、首を傾げて見返してくるシスティーナ。そんな可愛らしい彼女の仕草が、今は他の何にも代えがたい支えとなる。
「ありがとう。システィーナの歌の……君のおかげで、俺はまた頑張れそうだ。まだ戦える」
「えぇぇぇ? わ、私としては出来れば彼女さんとは仲直りする方向でお願いしたいんですが……」
事情を知らないシスティーナからすれば仕方ないことだが、ちょっとズレた方向の反応をしてしまう。
「でもまあ、私の歌がリューイさんの支えになれたなら、嬉しいです。どういたしまして」
そうやって笑うシスティーナの笑顔があるから、支えてくれる人の存在をこれからも感じられるだろう。リューイの心は再び立ち上がる力を得るのだった。
「――それじゃあ、お返しってわけじゃないんですけど、私からもお願いが」
突然頬を赤らめてそう言うシスティーナに、リューイは怪訝な顔を向ける。
「出来れば、また私の歌を聞いて下さいね。こんなに褒めてくれたの、リューイさんだけだから、私嬉しくって!」
屈託も邪気もない天真爛漫な笑顔を向けられると、リューイは一「勿論だ」と二つ返事で答える。
「約束ですよ! そのためには、次の戦場からもちゃんと無事に生きて戻ってこなくちゃですね!」
「ああ、約束だ」
手を伸ばし、小指を絡める2人。
「彼女さんとの喧嘩も、程々に。――あ、良かったら彼女さんと一緒に聞いて下さいよ」
「――そうだな。必ず、連れて来るよ」
きっと、その時こそがリューイの想いが叶う時だから、その時を楽しみにしている。
龍騎士リューイ=イルスガンドが戦う理由が、また1つ増えた。
歌うたいの少女システィーナ=ルズベリー。
後に聖女と呼ばれるようになる彼女の歌が、この世を欲望をのままに支配しようとする悪魔への切り札と成り得るものであったーー現時点で、誰もがその事を知らないのは当然のことだった。
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