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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第99話 クラベール城塞都市決戦(17)――伸ばせない手
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「兵糧の強襲部隊は、君に任せたい。っていうか、君にしか出来ないだろう」
クラベール城塞都市アイドラド邸での首脳会議前ーーリューイはコウメイからそのように打診された。
「現状では勇者と勝負になるのは君しかいない。頼めるかな?」
「勿論です」
リューイが龍騎士としてこの戦いに臨んでいる最大の理由――それは悪魔の手に堕ちてしまった恋人を、その手から救い出すことだ。
『今、ここで死ぬ覚悟じゃなくて、明日へ希望を繋げるための勇気を見せて。だから、お願い。今は逃げて。死なないで』
あのフォルテア森林帯の激闘の最後にリアラが零した言葉が、今も鮮明に思い出される。
悪魔の呪いに囚われながら、一瞬だけでも本来の自分を取り戻したリアラは、自分のことではなくリューイの身を案じてくれていた。そこから紡がれた言葉は、リアラからリューイへの強い想いだ。
それだけリューイのことを想っているからこそ、その次の言葉が
『私、待っているから。絶対、絶対助けに来てね。大好きだよ、リューイ』
あの時、手を伸ばせば届く位置にいたのにその手を伸ばせなかった。その時のリューイの力では、リアラを救うのにまるで足りなかった。
そうしてようやく今――第2防衛線の戦いの時のような偶発的な接触ではなく――もう1度、彼女に手が届く距離へ。
今度こそは――
「くれぐれも、彼女に勝とうとはしないでくれ」
そんなリューイの決意を否定するように、コウメイが言ってくる。その顔にはコウメイ自身も苦渋に満ちていて、言いにくそうな罰の悪い表情が浮かんでいた。
「君が龍騎士になって以来、どれだけ努力をしてきたのか俺は側で見てきたつもりだ。そしてどれだけ強くなったかも、俺なりに評価している。だけど――」
その次にコウメイから紡ぎだされる言葉は、リューイには予想がついていた。それは他の誰よりもリューイ自身が自覚していたことだったし、他の誰からも何度も言われたことだ。
「今の君の実力では彼女に到底敵わない。無理だ」
はっきりと断言してくるコウメイに、リューイは瞳を向ける。
それは否定しようもない厳然たる事実。そんなことは分かり切っている。でも、それでも彼女を助けたいから、俺はこの戦いに……
そんなリューイの無言の抗議を受けて、コウメイは息を深く吐きながら答える。
「俺は、後々君は勇者対策における最大の切り札になると思っている。でも今はまだ時期尚早だ。本来なら出来る限り彼女と接触させたくない。だけど、当面の危機を乗り越えるために、仕方なく君に勇者を任せることになる。それは、分かるかな?」
「……はい」
コウメイは感情ではなく、冷静に言葉で訴えてくる。収まらない気持ちはあるが、慕う気持ちがある相手に諭されるように言われては、リューイも強く反論出来なかった。
「今回はあくまで時間稼ぎに徹して欲しい。君がリアラを止めてさえいてくれれば、ニーナ隊長が上手くやってくれるはず。敵が撤退せざるを得ない状況を作ってくれる。
だから全力で防御して、回避して、逃げ回って、そうすることでなんとか時間稼ぎをして欲しい。申し訳ないけど、今の俺にはそれくらいしか勇者への対抗手段が思いつかない。
いいね? 作戦は”命を大事に”だ。とにかく自分が生きることを優先するんだ。それが部隊全体の勝利にも繋がるしね。相手が隙を見せたとしても、それは全て罠だと思うこと。決して攻めに転じてはいけないよ」
それだけでも、凶悪な勇者特性を有するリアラが相手だとすると、たいしたもののはずだ。
「分かり、ました……」
本当は全然分かっていない。
今後、戦場でリアラと対峙するなど、こんな機会は数度とないだろう。この貴重な機会に、リアラを救い出したい。もう2度とあの悪魔の下へ彼女を戻したくない。これ以上、身体も心も穢されたくない。彼女に罪を重ねて欲しくない。
自分の力不足をいくら認識していようが、その心だけは誤魔化しきれない。
「決してこの戦いで終わりじゃない。この先、またチャンスはある。いや、俺が必ず作って見せる。だから今回は堪えて欲しい」
コウメイも、そのリューイの想いのほどが分かるからこそ、命令ではなく頼むのだ。
軍事全権を握り、リューイが護衛するべき主人である元帥という立場にも関わらず、コウメイは態度を低くしてリューイに頭を下げる。彼の想いが強く、そしてそれは尊敬すべきものだと思っているから。
「大丈夫です、コウメイさん。今回は、俺は……リューイ=イルスガンドとしてではなく、龍騎士――いや、王下直轄騎士として勇者リアラと戦います」
それは、恋人としてリアラを助けるためではない。聖アルマイトに仕える騎士として、部隊全体を勝利へ導くために戦うという覚悟の言葉だった。
そのリューイの覚悟を見て取ったコウメイは、安堵したような息を吐く。
「これは君にとって残酷な作戦だと思う。本当にすまない」
リューイはリアラに劣っているーーそういった前提のこの作戦は、リューイの実力を、これまでの努力を、恋人への想いを全否定し、リューイの誇りを傷つけるものだ。
側で見てきたコウメイこそが、そのリューイを認めたいと思っているにも関わらず、そのコウメイ自身がその作戦を決断し伝えるということは、やはり胸が痛ましかった。
「でも、必ず彼女を助けよう。彼女は何も悪くない。だからリアラ=リンデブルグは倒すべき敵ではなく、救われる人だと思っている。そのために、君だけに努力と忍耐を押し付けるのではなく、俺もその方法を必死に考えるよ。一緒に、頑張ろう」
そう言ってコウメイは、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。一見その軽薄に見える笑みは、実は軽くないことはリューイは分かっている。
「大丈夫。”なんとかなる”さ」
「--魔法の言葉、ですね」
そんなコウメイのおどけたような声を聞いて、リューイもようやく頬を緩める。
ここまで冷静に客観的にリューイの力不足を指摘するコウメイが、それでもリューイに期待を寄せてくるその意味は、一体何なんだろうか。
「どうして、コウメイさんは俺にそこまで……?」
その疑問を口にすると、コウメイはきょとんとしたような顔になる。「そんなことも分からないのか?」と言わんばかりにリューイを見やると、自信満々に
「そりゃ、リューイには主人公補正があるからなぁ」
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
結果として――
リアラ=リンデブルグは、第2王女派新白薔薇騎士団長としてこの戦争に参加して以来初めて焦りに駆られていた。
「このっ……!」
立ちふさがるリューイへ対して猛撃を仕掛けていくが、防御や回避に徹する相手に、どうしても致命的な一撃を入れることが出来ない。
「っぐ! はぁ、はぁ……!」
元々実力が桁違いなわけで、いくら相手が防御に徹しようが、少しずつダメージは与えていける。しかしリューイは、牽制のような軽い攻撃と致命的な攻撃を見極めいる。軽い攻撃は甘んじて受けながら、致命的な攻撃は確実に防御、若しくは回避してくるのだ。
今も顔面に裏拳は叩き込めたものの、喉元を狙って突き出した剣は防がれてしまう。
リューイは鼻から血を垂らしながらも痛みに怯むことなどなく、その瞳は力が込められたままで衰える気配など微塵にもない。むしろ、より強さを増しているようにすら見える。
(まずい……っ!)
すっかり余裕の表情を無くしたリアラ。
敵魔術部隊の火球は、そろそろ兵糧区画へ届き始めているはずだ。このままでは全ての物資が焼き払われてしまう。そうしてしまえば、リューイ部隊には勝利出来ても、クラベール城塞都市の攻略は失敗だ。
第2王女派は、このままでは開戦以来初めての敗北を喫してしまう。
「そこをどいてっ、リューイ! さっさと魔術部隊を蹴散らさないといけないの!」
「絶対に通さない! 絶対にだ! ここで必ず止めるっ!」
戦場でリアラがここまで声を荒げるのも初めてだ。それに返すリューイの声も、呼応するかのように荒くなっていた。
そんなリアラのいつもとは違う様子は、周囲の新白薔薇騎士達にも伝播する。感覚共有をする勇者特性は、こういった場面では味方に対してマイナスに働くのだ。
動揺が走る新白薔薇騎士達。彼女らが優勢だった戦場の空気が、徐々に塗り替えられていく。
(このままじゃ、本当に……!)
リアラは必死にリューイの攻撃を引き出すような戦い方をするが、リューイは決して手を出してこない。リアラがどれだけ致命的な隙を見せようが、その度に距離を取って時間稼ぎをしてくる。
防御と回避ーー驚くべき意志の強さで、リューイは時間稼ぎに徹していた。
「はぁっ……はぁっ……!」
致命的な攻撃は避け続けているとはいえ、勇者の熾烈な攻撃を受け続けていたリューイは満身創痍である。打撃を受けた顔ははれ上がっており、鎧の上から剣戟を受けた身体中も痣だらけになっており、激痛が走っていく。体力も、リアラの動きに対応にするために必死に動き続けてきた結果、限界に近い。
それでも龍牙真打を構えるリューイは、その剣も瞳も揺れることなく、真っ直ぐリアラと向き合っていた。
「く、くそ……!」
圧倒的優勢なのに。このままいけば間違いなく倒せるはずなのに。
満身創痍のリューイと、息を切らしてすらいないリアラ。
しかし両者の表情だけ見ていると、リアラが苦戦を強いられているようにしか見えなかった。
(おかしい。なんでこんなことに……!)
このままでは、撤退せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
どうしてこちらが追い込まれているのか?
そういえば、フェスティア率いる本隊はどうなっているのか? 負ける要素などない戦いのはずだったが、似たような状況に陥っているのではないか? 何故? どうして?
(……コウメイさん、か)
フォルテア森林帯で、唯一グスタフの陰謀を見破った、あの若き元帥の顔を思い出すリアラ。
「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
「――?」
不意に構えを解いたリアラは、瞳を閉じて深呼吸をする。
そして再び目を開いた時、リアラには余裕の表情が戻っていた。
「参ったね。完敗だよ、リューイ」
「え……?」
魔術部隊から放たれる火球群の轟音が鳴り響く中、リアラは笑みを浮かべながら敗北を認めた。
「これ以上戦っても無駄かな。ぜ~んぶ焼かれてお終いだよ。ここで粘ってリューイ達を皆殺しにするよりも、さっさと逃げて被害を最小限に抑えることにするよ」
そう言ってリアラが剣を握っているのと逆の左手を上に上げて振る。それが撤退の合図だったのか、伝令係であろう新白薔薇騎士が慌ただしく走っていく。
程なくして、リアラ部隊が撤退を始めるのだった。
□■□■
「追わなくていい! 罠かもしれん! 待機だっ!」
撤退をするリアラ部隊に、気持ちが早って追撃に走ろうとする龍牙騎士がいる。ルエンハイムは、それらを制止する命令を必死に飛ばしていた。
「さすがコウメイさんだね。徹底してる」
団長自らが殿を務めるつもりなのか、部隊が退がり始めてもリアラはその場に留まっていた。ルエンハイムの命令の声を聞きながらリューイを見据え、そのリューイは黙ったまま龍牙真打を構えて続けていた。
「悔しいけど今回は私達の敗けだね。ま、でもこっちが勝つのは遅かれ早かれ、って感じだからどうでもいいけど」
それは負け惜しみでもなんでもないのだろう。人類最強の力を有した勇者は、事も無さげにそう言うと、目の前ではリューイが剣を構えているにも関わらず一足先に剣を収めた。
「あっ、そうそう。勘違いはしない方がいいよ。すごいのは、あくまでこの状況を作り出したコウメイさんだから。リューイは、相変わらず弱っちくて全然ダメ。話にならないよ。今日だって、私が勝手に焦ったから失敗しただけで、次はこうはいかないから。もう時間稼ぎすらさせないよ?」
そうしてリアラはリューイに背を向ける。それはリューイの攻撃を誘うとかいう駆け引きなどではない、純粋な隙。まるで授業が終わった学生が家に帰る時のような後ろ姿にすら見える。
既にリアラの中では戦いは終わっているのだ。
「あー、やっぱフェスティアさんじゃコウメイさんには及ばないのかなぁ。ちゃんと『あの人』に報告としとかなきゃ。……あっ、やば。『あの人』のこと思い出しただけでセックスしたくなっちゃう。うーん、帰るまでにうっぷん晴らしに適当な娘をハメ倒しちゃおうかな♪」
それは未だ剣を構え続けているリューイに対する、これ以上ない愚弄だった。当のリアラに、愚弄しているという意識すらないことが、騎士としてのリューイの誇りを激しく傷つける。
しかし、その程度の挑発でリューイの強い意志が微塵にも揺らぐはずがない。コウメイに託された思いを受け止めたリューイの決意と覚悟は微動だにしない。
それ程までに強いリューイの意志を揺るがすことが出来るのは--
「ーー私を追ってきてくれないの?」
振り向きざまにそう言うリアラの顔は、あの時と同じ表情だった。
『私、待っているから。絶対、絶対助けに来てね。大好きだよ、リューイ』
見捨てざるを得なかった、あの時のあの言葉。
『手を伸ばして私を掴んで。そしてこの手を離さないでね』
あの時に約束した、あの言葉。
何があっても助ける。手を伸ばして、必ず助け出す。
「っおおおおおおおおおお!」
リューイの中で何かが弾けた。
初めて防御の構えを解いて、吼えながら地面を蹴るリューイ。背を向けて去ろうとするリアラの背に向けて手を伸ばす――
その時、リアラが口角を上げて悪魔のような邪悪な笑みを浮かべているのに、リューイは全く気づいていない。
「俺は、お前を――」
「馬鹿野郎っっ! 何してるっ!」
いざリアラに飛び掛かろうとしたところを、すんでの所で止めたのはルエンハイムだった。
遠くから2人の空気の急変に気づいたルエンハイムが、リアラを追おうとしたリューイの身体を後ろから慌てて抑え込んだのだ。
「離してくださいっ! 離せっ! 俺は、リアラをっ……あいつを助けないと」
「ダメだ! 元帥から散々言われただろう! 絶対に追ってはダメだ! ここで俺達が崩れたら、全て台無しだぞ!」
そもそも満身創痍、疲労困憊状態のリューイが、後ろからルエンハイムに全力で止められれば振りほどくことなど出来るはずもない。せいぜい抑えられた中でジタバタともがくことだけだ。
「……ちっ」
その舌打ちを最後に、リアラはもう振り向くこともなくさっさとその場から去って行った。
精鋭たる新白薔薇騎士の部隊は、退却するときすら、鮮やかに威風堂々と撤退していく。
そうして戦闘が終る。
終わった後も、敵の物資を焼き尽くすまで魔術部隊からの火球群は止まない。前線まで轟音を届かせることは、そこにいるフェスティア本隊を動揺させて士気を削ぐ。リアラ部隊が撤退した今、フェスティア本隊も撤退するまで追いつめるのが、リューイ部隊の残された役目だ。
――こうして、リューイ部隊はクラベール城塞都市決戦における最重要任務を成功させたのだった。
最強の勇者リアラが率いる部隊相手に勝利を収めた。
「くそ……くそぉっ! また負けたっ! また俺はリアラに勝てなかった……助けられなかった。約束、したのにっ……!」
しかし部隊を率いる龍騎士リューイは、ルエンハイムの手から解放されると、膝をついて地面を何度も何度も叩き、屈辱感と敗北感に塗れていた。
それは、とても勝利者の顔とは言えなかった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
※クラベール城塞都市決戦戦況
・都市内防衛戦 <決着>
〇ラディカル(全身火傷、右拳重傷) VS ×ルルマンド(戦死)
・正門前防衛線 <決着>
〇ジュリアス(呪具の呪いにより重傷)VS ×クリスティア(捕縛)
・前線防衛線 <戦闘中>
コウメイ VS フェスティア 【戦況拮抗】
※都市防衛隊(ジュリアス、ラディカル)合流
・兵糧強襲部隊<決着>
〇リューイ(負傷) VS ×リアラ(被害を抑えるため撤退)
クラベール城塞都市アイドラド邸での首脳会議前ーーリューイはコウメイからそのように打診された。
「現状では勇者と勝負になるのは君しかいない。頼めるかな?」
「勿論です」
リューイが龍騎士としてこの戦いに臨んでいる最大の理由――それは悪魔の手に堕ちてしまった恋人を、その手から救い出すことだ。
『今、ここで死ぬ覚悟じゃなくて、明日へ希望を繋げるための勇気を見せて。だから、お願い。今は逃げて。死なないで』
あのフォルテア森林帯の激闘の最後にリアラが零した言葉が、今も鮮明に思い出される。
悪魔の呪いに囚われながら、一瞬だけでも本来の自分を取り戻したリアラは、自分のことではなくリューイの身を案じてくれていた。そこから紡がれた言葉は、リアラからリューイへの強い想いだ。
それだけリューイのことを想っているからこそ、その次の言葉が
『私、待っているから。絶対、絶対助けに来てね。大好きだよ、リューイ』
あの時、手を伸ばせば届く位置にいたのにその手を伸ばせなかった。その時のリューイの力では、リアラを救うのにまるで足りなかった。
そうしてようやく今――第2防衛線の戦いの時のような偶発的な接触ではなく――もう1度、彼女に手が届く距離へ。
今度こそは――
「くれぐれも、彼女に勝とうとはしないでくれ」
そんなリューイの決意を否定するように、コウメイが言ってくる。その顔にはコウメイ自身も苦渋に満ちていて、言いにくそうな罰の悪い表情が浮かんでいた。
「君が龍騎士になって以来、どれだけ努力をしてきたのか俺は側で見てきたつもりだ。そしてどれだけ強くなったかも、俺なりに評価している。だけど――」
その次にコウメイから紡ぎだされる言葉は、リューイには予想がついていた。それは他の誰よりもリューイ自身が自覚していたことだったし、他の誰からも何度も言われたことだ。
「今の君の実力では彼女に到底敵わない。無理だ」
はっきりと断言してくるコウメイに、リューイは瞳を向ける。
それは否定しようもない厳然たる事実。そんなことは分かり切っている。でも、それでも彼女を助けたいから、俺はこの戦いに……
そんなリューイの無言の抗議を受けて、コウメイは息を深く吐きながら答える。
「俺は、後々君は勇者対策における最大の切り札になると思っている。でも今はまだ時期尚早だ。本来なら出来る限り彼女と接触させたくない。だけど、当面の危機を乗り越えるために、仕方なく君に勇者を任せることになる。それは、分かるかな?」
「……はい」
コウメイは感情ではなく、冷静に言葉で訴えてくる。収まらない気持ちはあるが、慕う気持ちがある相手に諭されるように言われては、リューイも強く反論出来なかった。
「今回はあくまで時間稼ぎに徹して欲しい。君がリアラを止めてさえいてくれれば、ニーナ隊長が上手くやってくれるはず。敵が撤退せざるを得ない状況を作ってくれる。
だから全力で防御して、回避して、逃げ回って、そうすることでなんとか時間稼ぎをして欲しい。申し訳ないけど、今の俺にはそれくらいしか勇者への対抗手段が思いつかない。
いいね? 作戦は”命を大事に”だ。とにかく自分が生きることを優先するんだ。それが部隊全体の勝利にも繋がるしね。相手が隙を見せたとしても、それは全て罠だと思うこと。決して攻めに転じてはいけないよ」
それだけでも、凶悪な勇者特性を有するリアラが相手だとすると、たいしたもののはずだ。
「分かり、ました……」
本当は全然分かっていない。
今後、戦場でリアラと対峙するなど、こんな機会は数度とないだろう。この貴重な機会に、リアラを救い出したい。もう2度とあの悪魔の下へ彼女を戻したくない。これ以上、身体も心も穢されたくない。彼女に罪を重ねて欲しくない。
自分の力不足をいくら認識していようが、その心だけは誤魔化しきれない。
「決してこの戦いで終わりじゃない。この先、またチャンスはある。いや、俺が必ず作って見せる。だから今回は堪えて欲しい」
コウメイも、そのリューイの想いのほどが分かるからこそ、命令ではなく頼むのだ。
軍事全権を握り、リューイが護衛するべき主人である元帥という立場にも関わらず、コウメイは態度を低くしてリューイに頭を下げる。彼の想いが強く、そしてそれは尊敬すべきものだと思っているから。
「大丈夫です、コウメイさん。今回は、俺は……リューイ=イルスガンドとしてではなく、龍騎士――いや、王下直轄騎士として勇者リアラと戦います」
それは、恋人としてリアラを助けるためではない。聖アルマイトに仕える騎士として、部隊全体を勝利へ導くために戦うという覚悟の言葉だった。
そのリューイの覚悟を見て取ったコウメイは、安堵したような息を吐く。
「これは君にとって残酷な作戦だと思う。本当にすまない」
リューイはリアラに劣っているーーそういった前提のこの作戦は、リューイの実力を、これまでの努力を、恋人への想いを全否定し、リューイの誇りを傷つけるものだ。
側で見てきたコウメイこそが、そのリューイを認めたいと思っているにも関わらず、そのコウメイ自身がその作戦を決断し伝えるということは、やはり胸が痛ましかった。
「でも、必ず彼女を助けよう。彼女は何も悪くない。だからリアラ=リンデブルグは倒すべき敵ではなく、救われる人だと思っている。そのために、君だけに努力と忍耐を押し付けるのではなく、俺もその方法を必死に考えるよ。一緒に、頑張ろう」
そう言ってコウメイは、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。一見その軽薄に見える笑みは、実は軽くないことはリューイは分かっている。
「大丈夫。”なんとかなる”さ」
「--魔法の言葉、ですね」
そんなコウメイのおどけたような声を聞いて、リューイもようやく頬を緩める。
ここまで冷静に客観的にリューイの力不足を指摘するコウメイが、それでもリューイに期待を寄せてくるその意味は、一体何なんだろうか。
「どうして、コウメイさんは俺にそこまで……?」
その疑問を口にすると、コウメイはきょとんとしたような顔になる。「そんなことも分からないのか?」と言わんばかりにリューイを見やると、自信満々に
「そりゃ、リューイには主人公補正があるからなぁ」
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
結果として――
リアラ=リンデブルグは、第2王女派新白薔薇騎士団長としてこの戦争に参加して以来初めて焦りに駆られていた。
「このっ……!」
立ちふさがるリューイへ対して猛撃を仕掛けていくが、防御や回避に徹する相手に、どうしても致命的な一撃を入れることが出来ない。
「っぐ! はぁ、はぁ……!」
元々実力が桁違いなわけで、いくら相手が防御に徹しようが、少しずつダメージは与えていける。しかしリューイは、牽制のような軽い攻撃と致命的な攻撃を見極めいる。軽い攻撃は甘んじて受けながら、致命的な攻撃は確実に防御、若しくは回避してくるのだ。
今も顔面に裏拳は叩き込めたものの、喉元を狙って突き出した剣は防がれてしまう。
リューイは鼻から血を垂らしながらも痛みに怯むことなどなく、その瞳は力が込められたままで衰える気配など微塵にもない。むしろ、より強さを増しているようにすら見える。
(まずい……っ!)
すっかり余裕の表情を無くしたリアラ。
敵魔術部隊の火球は、そろそろ兵糧区画へ届き始めているはずだ。このままでは全ての物資が焼き払われてしまう。そうしてしまえば、リューイ部隊には勝利出来ても、クラベール城塞都市の攻略は失敗だ。
第2王女派は、このままでは開戦以来初めての敗北を喫してしまう。
「そこをどいてっ、リューイ! さっさと魔術部隊を蹴散らさないといけないの!」
「絶対に通さない! 絶対にだ! ここで必ず止めるっ!」
戦場でリアラがここまで声を荒げるのも初めてだ。それに返すリューイの声も、呼応するかのように荒くなっていた。
そんなリアラのいつもとは違う様子は、周囲の新白薔薇騎士達にも伝播する。感覚共有をする勇者特性は、こういった場面では味方に対してマイナスに働くのだ。
動揺が走る新白薔薇騎士達。彼女らが優勢だった戦場の空気が、徐々に塗り替えられていく。
(このままじゃ、本当に……!)
リアラは必死にリューイの攻撃を引き出すような戦い方をするが、リューイは決して手を出してこない。リアラがどれだけ致命的な隙を見せようが、その度に距離を取って時間稼ぎをしてくる。
防御と回避ーー驚くべき意志の強さで、リューイは時間稼ぎに徹していた。
「はぁっ……はぁっ……!」
致命的な攻撃は避け続けているとはいえ、勇者の熾烈な攻撃を受け続けていたリューイは満身創痍である。打撃を受けた顔ははれ上がっており、鎧の上から剣戟を受けた身体中も痣だらけになっており、激痛が走っていく。体力も、リアラの動きに対応にするために必死に動き続けてきた結果、限界に近い。
それでも龍牙真打を構えるリューイは、その剣も瞳も揺れることなく、真っ直ぐリアラと向き合っていた。
「く、くそ……!」
圧倒的優勢なのに。このままいけば間違いなく倒せるはずなのに。
満身創痍のリューイと、息を切らしてすらいないリアラ。
しかし両者の表情だけ見ていると、リアラが苦戦を強いられているようにしか見えなかった。
(おかしい。なんでこんなことに……!)
このままでは、撤退せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。
どうしてこちらが追い込まれているのか?
そういえば、フェスティア率いる本隊はどうなっているのか? 負ける要素などない戦いのはずだったが、似たような状況に陥っているのではないか? 何故? どうして?
(……コウメイさん、か)
フォルテア森林帯で、唯一グスタフの陰謀を見破った、あの若き元帥の顔を思い出すリアラ。
「すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
「――?」
不意に構えを解いたリアラは、瞳を閉じて深呼吸をする。
そして再び目を開いた時、リアラには余裕の表情が戻っていた。
「参ったね。完敗だよ、リューイ」
「え……?」
魔術部隊から放たれる火球群の轟音が鳴り響く中、リアラは笑みを浮かべながら敗北を認めた。
「これ以上戦っても無駄かな。ぜ~んぶ焼かれてお終いだよ。ここで粘ってリューイ達を皆殺しにするよりも、さっさと逃げて被害を最小限に抑えることにするよ」
そう言ってリアラが剣を握っているのと逆の左手を上に上げて振る。それが撤退の合図だったのか、伝令係であろう新白薔薇騎士が慌ただしく走っていく。
程なくして、リアラ部隊が撤退を始めるのだった。
□■□■
「追わなくていい! 罠かもしれん! 待機だっ!」
撤退をするリアラ部隊に、気持ちが早って追撃に走ろうとする龍牙騎士がいる。ルエンハイムは、それらを制止する命令を必死に飛ばしていた。
「さすがコウメイさんだね。徹底してる」
団長自らが殿を務めるつもりなのか、部隊が退がり始めてもリアラはその場に留まっていた。ルエンハイムの命令の声を聞きながらリューイを見据え、そのリューイは黙ったまま龍牙真打を構えて続けていた。
「悔しいけど今回は私達の敗けだね。ま、でもこっちが勝つのは遅かれ早かれ、って感じだからどうでもいいけど」
それは負け惜しみでもなんでもないのだろう。人類最強の力を有した勇者は、事も無さげにそう言うと、目の前ではリューイが剣を構えているにも関わらず一足先に剣を収めた。
「あっ、そうそう。勘違いはしない方がいいよ。すごいのは、あくまでこの状況を作り出したコウメイさんだから。リューイは、相変わらず弱っちくて全然ダメ。話にならないよ。今日だって、私が勝手に焦ったから失敗しただけで、次はこうはいかないから。もう時間稼ぎすらさせないよ?」
そうしてリアラはリューイに背を向ける。それはリューイの攻撃を誘うとかいう駆け引きなどではない、純粋な隙。まるで授業が終わった学生が家に帰る時のような後ろ姿にすら見える。
既にリアラの中では戦いは終わっているのだ。
「あー、やっぱフェスティアさんじゃコウメイさんには及ばないのかなぁ。ちゃんと『あの人』に報告としとかなきゃ。……あっ、やば。『あの人』のこと思い出しただけでセックスしたくなっちゃう。うーん、帰るまでにうっぷん晴らしに適当な娘をハメ倒しちゃおうかな♪」
それは未だ剣を構え続けているリューイに対する、これ以上ない愚弄だった。当のリアラに、愚弄しているという意識すらないことが、騎士としてのリューイの誇りを激しく傷つける。
しかし、その程度の挑発でリューイの強い意志が微塵にも揺らぐはずがない。コウメイに託された思いを受け止めたリューイの決意と覚悟は微動だにしない。
それ程までに強いリューイの意志を揺るがすことが出来るのは--
「ーー私を追ってきてくれないの?」
振り向きざまにそう言うリアラの顔は、あの時と同じ表情だった。
『私、待っているから。絶対、絶対助けに来てね。大好きだよ、リューイ』
見捨てざるを得なかった、あの時のあの言葉。
『手を伸ばして私を掴んで。そしてこの手を離さないでね』
あの時に約束した、あの言葉。
何があっても助ける。手を伸ばして、必ず助け出す。
「っおおおおおおおおおお!」
リューイの中で何かが弾けた。
初めて防御の構えを解いて、吼えながら地面を蹴るリューイ。背を向けて去ろうとするリアラの背に向けて手を伸ばす――
その時、リアラが口角を上げて悪魔のような邪悪な笑みを浮かべているのに、リューイは全く気づいていない。
「俺は、お前を――」
「馬鹿野郎っっ! 何してるっ!」
いざリアラに飛び掛かろうとしたところを、すんでの所で止めたのはルエンハイムだった。
遠くから2人の空気の急変に気づいたルエンハイムが、リアラを追おうとしたリューイの身体を後ろから慌てて抑え込んだのだ。
「離してくださいっ! 離せっ! 俺は、リアラをっ……あいつを助けないと」
「ダメだ! 元帥から散々言われただろう! 絶対に追ってはダメだ! ここで俺達が崩れたら、全て台無しだぞ!」
そもそも満身創痍、疲労困憊状態のリューイが、後ろからルエンハイムに全力で止められれば振りほどくことなど出来るはずもない。せいぜい抑えられた中でジタバタともがくことだけだ。
「……ちっ」
その舌打ちを最後に、リアラはもう振り向くこともなくさっさとその場から去って行った。
精鋭たる新白薔薇騎士の部隊は、退却するときすら、鮮やかに威風堂々と撤退していく。
そうして戦闘が終る。
終わった後も、敵の物資を焼き尽くすまで魔術部隊からの火球群は止まない。前線まで轟音を届かせることは、そこにいるフェスティア本隊を動揺させて士気を削ぐ。リアラ部隊が撤退した今、フェスティア本隊も撤退するまで追いつめるのが、リューイ部隊の残された役目だ。
――こうして、リューイ部隊はクラベール城塞都市決戦における最重要任務を成功させたのだった。
最強の勇者リアラが率いる部隊相手に勝利を収めた。
「くそ……くそぉっ! また負けたっ! また俺はリアラに勝てなかった……助けられなかった。約束、したのにっ……!」
しかし部隊を率いる龍騎士リューイは、ルエンハイムの手から解放されると、膝をついて地面を何度も何度も叩き、屈辱感と敗北感に塗れていた。
それは、とても勝利者の顔とは言えなかった。
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※クラベール城塞都市決戦戦況
・都市内防衛戦 <決着>
〇ラディカル(全身火傷、右拳重傷) VS ×ルルマンド(戦死)
・正門前防衛線 <決着>
〇ジュリアス(呪具の呪いにより重傷)VS ×クリスティア(捕縛)
・前線防衛線 <戦闘中>
コウメイ VS フェスティア 【戦況拮抗】
※都市防衛隊(ジュリアス、ラディカル)合流
・兵糧強襲部隊<決着>
〇リューイ(負傷) VS ×リアラ(被害を抑えるため撤退)
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