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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第93話 クラベール城塞都市決戦(Ⅺ)--「強くなったね」
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そして現在――クラベール城塞都市正門におけるクリスティアとジュリアスの戦いは決着を迎えようとしていた。
「そんなに私を殺したいの……?」
もう抵抗も出来ないクリスティアへの、ジュリアスによる最後の一撃。
その瞬間、クリスティアには全てがスローモーションのように感じられていた。
巨大な両刃剣へと形状を変えた呪具『黒牙』を振り上げるジュリアス。彼の全身は呪具の呪いに蝕まれて、黒い血に塗れている。眼帯が外れた顔も血塗れ。閉じた左眼と右眼の両眼からも涙の様に黒い血が流れ出ていた。
そして、クリスティアを隻眼である右眼から発せられる感情は、憎悪にしか見えない。
(どうして……どうして……)
クリスティアが「異能」に汚染されたのと同じように、ジュリアスも呪具の呪いによって感情を凶悪化されているのかもしれない。
でも、それにしたって大事な親友から寄せられる圧倒的な憎悪の感情は、クリスティアの心をズタズタに切り刻む。
『私は、貴女を救います』
そう言ったじゃないか。
貴方は、私を”倒す”のではなく”救う”と。
そう言ったじゃないか。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
それなのに、どうして親の仇を見るようなそんな目で、これ以上ない殺意を込めた顔で、私を睨むの?
そんなに私が憎いの? 私を殺したいの?
どうして、どうして?
――私が、弱いから悪いの?
『貴女は幸せになるための生まれてきたのよ、クリス』
(――あ)
死際に瀕し、頭の中で母の言葉が響いた時ーー
大切な親友から殺意を向けられるまでに至り、ようやくクリスティアは気づいた。
(そうだった……ママが私に望んだのは――)
クリスティアの両眼から涙が溢れ出る。死の恐怖に怯えて流した涙とは全く違う意味合いの涙。
それは、これまで母親の本当の愛に気づけなった後悔の涙――
(ママが私に望んでいたのは、強くなることなんかじゃない)
“幸せになること”
最初からそう言っていたじゃないか。それ以外のことなんて言ってない。
強くなることなんて、望んでいない。
大好きな本を読んで、いつか物語に出てくるような素敵な人と結婚して、大好きな人との子供を産んで育てて、大切な家族と愛を育んで、最後は大切な人達に看取られながら穏やかに逝く。
そんな限りなく平凡だけど、幸せな人生。その人生には、貴族だとか妾だとか、強いとか弱いとか、そんなことは全く関係ない。母は、自分の娘などにそんなことを望んでない。
ただただ幸せに。それだけが母の願いだったはずなのに。
いつから、どうして、私は――
(そうだった……そうだよね、ジュリアス)
黒い刃と憎悪のを向けてくるジュリアス。その親友の顔を見て、クリスティアは頬を緩めた。
(ママの本当の気持ちに気づけず、勘違いして、たくさんの罪無い人達を傷付けてきた。私をずっと見ていてくれていた貴方も……こんなにも、傷付けてしまった)
ジュリアスの左眼。そして今も悍ましい呪具の呪いに全身を蝕まれている--自分が、彼をそこまで追いつめた。取り返しのつかない傷を負わせてしまった。
クリスティアは後悔の念に胸を締め付けられる。
だが、今さらもう遅い。
(こんな馬鹿な人間――憎まれて、殺されて、当然ね)
この最後の瞬間に、ようやくクリスティアは死を受け入れる。
自分など死んで当然だと。生きている価値などない。
これまで、周囲からたくさんの悪意を向けられてきた。それは理不尽で謂われなき感情だと思ってい。でも、実は最初から的を射ていたのだ。
だって、自分はそもそも生まれてきてはいけない人間だったのだから。
幸せになって欲しいと願った母を裏切り、自分を見ていてくれた親友を裏切り、己が欲望を満たすために罪無き多くの命を奪った、人類最低の愚か者なのだから。
「ごめんね、ジュリアス」
ぼそりと、静かにこぼすその最後の言葉ーーそれは怒りと憎悪に塗れた親友への耳に届いているとは、とても思えなかった。それでも、クリスティアは紡がずにはいられなかった。
最後の最後まで、世界の誰からも愛されなかった。母が死んでから、この死ぬ瞬間までずっと世界に1人きりだったクリスティア。
そんなクリスティアを唯一愛する母ティアリスーークリスティアをその元へ送るジュリアスのトドメの一撃は、せめてもの親友としての慈悲なのだろうか。
『貴女は幸せになるために生まれてきたのよ、クリス』
(今すぐ私もそっちに行くよ、ママ。天国では一緒に幸せになろうね)
“クリス”という、彼女にとって最高の愛を感じるその名前で呼んでくれる存在はもういない。この世界で、もうその呼び方を聞くことは出来ない。
だから、天国でまた母親にその名前で呼んでもらえるかと思うとーー
クリスティアは最後の最後になって、ようやく心の底からの幸せな笑みを浮かべることが出来た。
そして、憎悪に塗れながらも暖かくて慈悲深い親友の一撃をその身体に受け止めるべく、静かに目を閉じるのだった。
『死んだ母様が、私を愛してくれた母様だけが、いつも私のことをそう呼んでくれていたの。だから、これからはジュリアスもクリスって呼んで? ね?』
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「クリス! クリス、クリス! クリス――!」
母親以外にもう呼ばれることなどないだろうと思っていた、自分の愛称が聞こえる。ということは、もう天国に逝ったんだ! 天国のママが見つけてくれた! 痛みも苦しみも無かったけど、ようやく天国に来たのだ。ママと一緒になれたんだ!
ママ、ママ! 会いたかったよ! 私ね、頑張ったの。すごく頑張ってけど……でもダメだったの。幸せになれなかった。ごめんね、ごめんね……でも、これからはずっと一緒だよ。一緒に幸せになろうね。
「クリス……クリスっ…!」
心配しないで、ママ。クリスは大丈夫だよ。だって、もう痛くも苦しくもないもの。だからそんな泣きそうな声を出さないで。ママが心配するから、早く目を開けて起きないと--
ゆっくりと瞳を開いたクリスティアの、そのぼやけた視界に見えてきたのは、今にも泣きそうになっている親友ジュリアス=ジャスティンの顔だった。
「ジュリ、アス……?」
「クリス……良かった……!」
そして泣き出す。
自分を案じて流す涙は、呪いに蝕まれた黒い血の涙ではない。本来の透明な、正常な人間の涙だ。
そうしてクリスティアは、自分の身体がジュリアスの両手で抱きかかえられているようにされているのが分かる。ジュリアスは地面に膝をつきながら、横たわっていたクリスティアの背中を優しく支えていた。
彼が手にしていた禍々しい呪具は、既にその手になかった。元の大鎌の形状に戻って、彼の背後の地面に突き刺さっている。
「生きてるの、私……?」
「ええ、生きていますよ! 心臓が動いています。呼吸をしています。言葉を喋っています。その目で、私を見てくれています! クリス……本当に良かった」
大の男が、良い年をした男が、しかも龍牙騎士団副団長ともあろう男が、取るに足らない愚かしい女1人のために大泣きをしている。
なんという情けない姿だろう。
もともと中性的で女性らしい顔つきが弱弱しいと思っていた。片目を失って多少は厳つくなったと思ったが、それでもどこかなよなよとした雰囲気は払拭しきれていない。やっぱり、龍牙騎士らしくない、弱弱しく見えるけど、優しい人。
「――ふふ」
思わず笑けてしまう。
――でも、クリスティアは知っている。
ジュリアスがどれだけ強くなったのか。どれほどの誇り高き意志を持って、その強さを得ることが出来たのか。
だって、戦闘中から最後の一撃までジュリアスがクリスティアへ向けていたのは、本当に憎悪だったのか?
――答えは否。
ジュリアスは最初から言っていたじゃないか。
『私は、貴女を救います』
ジュリアスは自分を殺すなどと一言も口にしなかった。
ただ救うと、それだけをずっと言っていた。
そんな彼が、自分に殺意など、怒りなど寄せるはずがない。
最後の最後――自分に向けられていたと思っていたのは呪具の刃などではない。それは自分の心の弱さが見せた錯覚だった。本当は、あの最後の瞬間――自分には優しくて、暖かくて、力強い手が差し伸べられていただけだった。だから痛みも苦しみもあるはずがない。
自分があれだけ嘲り、侮蔑し、傷つけ、裏切ったにも関わらず、ジュリアスは救おうとしてくれていたのだ。それでも自分を信じて、呪具の呪いに蝕まれながらも、親友の私を救おうとしてくれていたのだ。
それなのに私は表面に見えるものだけを見て、ジュリアスに憎まれていると思い込んでしまっていた。彼を信じることが出来なかった。
母もジュリアスも、最初から単純明快にその言葉で示してくれていた。その何よりも暖かくて優しい気持ちに気づくことが出来なかった自分は、どれだけ愚かなのだろうか。
取り返しのつかない、とても大変なことをしでかしてしまった。罪悪感はあるし、これからその罪を償っていかなければいけないだろう。償い切れるのかどうかも分からない。
しかし今のクリスティアは、憑き物が取れたような、晴れやかな軽い気分になっていた。
それは--世界の誰からも嫌われていたと思っていたのに、だから自分も世界の誰をも嫌って傷付けていたのに--そんな中でも自分を信じてくれる愛の存在に、ようやく気付けたからだ。
「一緒にアルマイトに戻りましょう。もう誰も貴女を傷付ける人はいません。だから不安にならないで。もう大丈夫ですから……クリス」
ありったけの愛情を込めて、その愛称で呼んでくれるジュリアス。
「クリス、お帰りなさい」
母以外に、その呼び方で呼んでくれる人は、この世界にまだいるのだ。だから――
(ごめんね、ママ。まだそっちにはいけない)
クリスティアは、力が入らない手を、それでも懸命に動かす。そうして泣きながらこちらを見てくるジュリアスの顔を、頬を優しく撫でる。
「すごいね、ジュリアス」
黒い血で汚れた顔を、手でふき取るように、優しく撫でる。
彼は、親友は成し遂げたのだ。
どれだけ傷つき、裏切られても、最後には助けようとした人間を救った。この世界には存在しない、全てを理不尽に穢し尽くす悪魔の「異能」の力を退けたのだ。
それはどれほどの強さだろうか。クリスティアは素直に感嘆する。尊敬し、感謝する。
だから、ジュリアスがクリスティアにしてくれたように、クリスティアもジュリアスへ最大の愛情を込めて伝える。
「強くなったね」
――貴方のことを見ていて良かった。これからもずっと見ているね。
クラベール城塞都市正門前。
龍牙騎士団副団長ジュリアスと新白薔薇騎士クリスティアの決闘はここに幕が下りたのだった。
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クラベール城塞都市決戦戦況
・都市内防衛戦 <決着>
〇ラディカル(全身火傷、右拳重傷) VS ×ルルマンド(戦死)
・正門前防衛線 <決着>
〇ジュリアス(呪具の呪いにより重傷)VS ×クリスティア(捕縛)
・前線防衛線 <戦闘中>
コウメイ VS フェスティア 【フェスティア側優勢】
・兵糧強襲部隊<戦闘待機中>
リューイ VS リアラ 【???】
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クリスティア撃破後、完全に士気と勢いを挫かれた第2王女派部隊は霧散するように撤退していった。城塞都市内に入ってきた龍の爪と新白薔薇騎士らも、そのほとんどが壊滅し、戦死又は第1王子派に拘束されていた。
城塞都市内及び周辺における結果は、ジュリアス・ラディカル側の勝利という形で終結したのだった。
「大丈夫ですかい、副長」
残存戦力の掃討にもひと段落つき、ラディカルは城塞都市内の部隊を率いて、ジュリアスの部隊と合流していた。
ルルマンドとの戦いで負った怪我を治療する余裕などなく、ラディカルの全身には相変わらず火傷跡が目立つ。特にひどいのは、呪具『炎の暴君(フレイムタイランド)』の強烈な業火にまともにさらされた右手であり、ラディカルは応急処置的にそこには乱雑に包帯を巻いていた。
「はぁ……はぁ……ええ。大丈夫ですよ」
一方、ジュリアスも重傷である。
クリスティアにやられたケガに加えて呪具『黒牙』の呪いによる、身体へと精神へのダメージ。呪いの影響を受けて全身から噴き出るようにしていた黒い血はようやく止まったようだが、痛みや苦しみは重しのようにジュリアスの全身に残っている。
ジュリアスは顔についた黒い血をタオルで拭いながら、外れた眼帯をしっかりと装着しなおす。
「レーディル、ありがとうございました。貴方は都市に戻って、負傷者の手当や住民の皆さんを安心させてあげて下さい。それと『黒牙』と……彼女を頼みます」
この戦いで緊急的に自身の側近を務めてくれた王下直轄騎士レーディルへと、ジュリアスは側で横たわらせているクリスティアを視線で指し示す。彼女は今は意識を失って、眠ったようにしていた。
「クリスについては、細かいことはダストンさんに伝えています。あの人に託してくれれば、良いようにしてくれるはずですので」
「副長……」
ジュリアスより『黒牙』を渡されて、その巨大鎌を両手で抱えるようにしているレーディル。目の前の優男然としているジュリアスが、両手で持つのがやっとなくらいのこの超重武器を、先ほどまで軽々と振り回していたのが未だに信じられない。
それはさておき、レーディルははボロボロになったジュリアスとラディカルを不安そうに見ながら
「お二人が任された仕事はもう果たしたのでは? そんなボロボロになってまで、また最前線に行くんですか?」
第2王女派の突撃部隊の迎撃――これだけで充分すぎる戦果だろう。満身創痍の2人を見ていれば、もうこれ以上は無理をせずに、後方に控えていても褒める者はいれど責める者などいないだろう。
「がはははははははっ!」
そんな心配そうなレーディルの言葉を、ラディカルは笑い飛ばす。それを横で聞いているジュリアスも、静かに微笑を浮かべていた。
「ありがとうございます、レーディル。ですが、まだ戦いは終わっていません。コウメイ元帥が、最前線で命を賭けて戦ってくれています」
今まで歯が立たなかった第2王女派に、ここにきてようやく一矢報うことに成功した。
それは、この状況を作り上げたコウメイの功績が何よりも大きい。こうして大切な親友を取り戻し救えたことは、コウメイの力があってこそのことだ。
しかし今ジュリアスが言った通り、戦闘はまだ終わりではない。むしろここでの勝利によって、全体的な状況としてはようやく五分五分に押し戻せたくらいだ。
コウメイが支える前線が崩されてフェスティア本隊がここまで押し寄せてくれば、城塞都市は再び陥落の危機に瀕するのだ。そうならないためにも、ジュリアスもラディカルもゆっくりと休んでいる場合ではない。
それに何より--
(彼を敗者にするわけにはいかない)
聖アルマイト王国のため、そして何よりも自信を喪失して何もかも暗闇に閉ざされていた自分に親友を救わせてくれた。そのきっかけとなる部隊を与えてくれらコウメイに報いるために、ジュリアスは今自分が出来ることを全力でやり切るだけだ。
クリスティアに勝利し、彼女を救えたことで、龍牙騎士団副騎士団長ジュリアス=ジャスティンは完全復活した。
「うし。まだ動けれる連中をまとめましたぜ。いつでも行けます」
「ありがとうございます、ラディカル将軍」
ラディカルの報告に、力強くうなずくジュリアス。
部下が連れてきてくれた馬に跨ると、痛みと疲労からバランスを崩しそうになる。しかし歯を食いしばり、真っ直ぐと前を見据える。
「これより前線のコウメイ元帥の部隊へ合流! 一気に敵部隊を押し返し、クラベール領から第2王女派を追い出します」
クラベール城塞都市決戦の戦況は、遂に終盤へと突入しようとしていた。
「そんなに私を殺したいの……?」
もう抵抗も出来ないクリスティアへの、ジュリアスによる最後の一撃。
その瞬間、クリスティアには全てがスローモーションのように感じられていた。
巨大な両刃剣へと形状を変えた呪具『黒牙』を振り上げるジュリアス。彼の全身は呪具の呪いに蝕まれて、黒い血に塗れている。眼帯が外れた顔も血塗れ。閉じた左眼と右眼の両眼からも涙の様に黒い血が流れ出ていた。
そして、クリスティアを隻眼である右眼から発せられる感情は、憎悪にしか見えない。
(どうして……どうして……)
クリスティアが「異能」に汚染されたのと同じように、ジュリアスも呪具の呪いによって感情を凶悪化されているのかもしれない。
でも、それにしたって大事な親友から寄せられる圧倒的な憎悪の感情は、クリスティアの心をズタズタに切り刻む。
『私は、貴女を救います』
そう言ったじゃないか。
貴方は、私を”倒す”のではなく”救う”と。
そう言ったじゃないか。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
それなのに、どうして親の仇を見るようなそんな目で、これ以上ない殺意を込めた顔で、私を睨むの?
そんなに私が憎いの? 私を殺したいの?
どうして、どうして?
――私が、弱いから悪いの?
『貴女は幸せになるための生まれてきたのよ、クリス』
(――あ)
死際に瀕し、頭の中で母の言葉が響いた時ーー
大切な親友から殺意を向けられるまでに至り、ようやくクリスティアは気づいた。
(そうだった……ママが私に望んだのは――)
クリスティアの両眼から涙が溢れ出る。死の恐怖に怯えて流した涙とは全く違う意味合いの涙。
それは、これまで母親の本当の愛に気づけなった後悔の涙――
(ママが私に望んでいたのは、強くなることなんかじゃない)
“幸せになること”
最初からそう言っていたじゃないか。それ以外のことなんて言ってない。
強くなることなんて、望んでいない。
大好きな本を読んで、いつか物語に出てくるような素敵な人と結婚して、大好きな人との子供を産んで育てて、大切な家族と愛を育んで、最後は大切な人達に看取られながら穏やかに逝く。
そんな限りなく平凡だけど、幸せな人生。その人生には、貴族だとか妾だとか、強いとか弱いとか、そんなことは全く関係ない。母は、自分の娘などにそんなことを望んでない。
ただただ幸せに。それだけが母の願いだったはずなのに。
いつから、どうして、私は――
(そうだった……そうだよね、ジュリアス)
黒い刃と憎悪のを向けてくるジュリアス。その親友の顔を見て、クリスティアは頬を緩めた。
(ママの本当の気持ちに気づけず、勘違いして、たくさんの罪無い人達を傷付けてきた。私をずっと見ていてくれていた貴方も……こんなにも、傷付けてしまった)
ジュリアスの左眼。そして今も悍ましい呪具の呪いに全身を蝕まれている--自分が、彼をそこまで追いつめた。取り返しのつかない傷を負わせてしまった。
クリスティアは後悔の念に胸を締め付けられる。
だが、今さらもう遅い。
(こんな馬鹿な人間――憎まれて、殺されて、当然ね)
この最後の瞬間に、ようやくクリスティアは死を受け入れる。
自分など死んで当然だと。生きている価値などない。
これまで、周囲からたくさんの悪意を向けられてきた。それは理不尽で謂われなき感情だと思ってい。でも、実は最初から的を射ていたのだ。
だって、自分はそもそも生まれてきてはいけない人間だったのだから。
幸せになって欲しいと願った母を裏切り、自分を見ていてくれた親友を裏切り、己が欲望を満たすために罪無き多くの命を奪った、人類最低の愚か者なのだから。
「ごめんね、ジュリアス」
ぼそりと、静かにこぼすその最後の言葉ーーそれは怒りと憎悪に塗れた親友への耳に届いているとは、とても思えなかった。それでも、クリスティアは紡がずにはいられなかった。
最後の最後まで、世界の誰からも愛されなかった。母が死んでから、この死ぬ瞬間までずっと世界に1人きりだったクリスティア。
そんなクリスティアを唯一愛する母ティアリスーークリスティアをその元へ送るジュリアスのトドメの一撃は、せめてもの親友としての慈悲なのだろうか。
『貴女は幸せになるために生まれてきたのよ、クリス』
(今すぐ私もそっちに行くよ、ママ。天国では一緒に幸せになろうね)
“クリス”という、彼女にとって最高の愛を感じるその名前で呼んでくれる存在はもういない。この世界で、もうその呼び方を聞くことは出来ない。
だから、天国でまた母親にその名前で呼んでもらえるかと思うとーー
クリスティアは最後の最後になって、ようやく心の底からの幸せな笑みを浮かべることが出来た。
そして、憎悪に塗れながらも暖かくて慈悲深い親友の一撃をその身体に受け止めるべく、静かに目を閉じるのだった。
『死んだ母様が、私を愛してくれた母様だけが、いつも私のことをそう呼んでくれていたの。だから、これからはジュリアスもクリスって呼んで? ね?』
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「クリス! クリス、クリス! クリス――!」
母親以外にもう呼ばれることなどないだろうと思っていた、自分の愛称が聞こえる。ということは、もう天国に逝ったんだ! 天国のママが見つけてくれた! 痛みも苦しみも無かったけど、ようやく天国に来たのだ。ママと一緒になれたんだ!
ママ、ママ! 会いたかったよ! 私ね、頑張ったの。すごく頑張ってけど……でもダメだったの。幸せになれなかった。ごめんね、ごめんね……でも、これからはずっと一緒だよ。一緒に幸せになろうね。
「クリス……クリスっ…!」
心配しないで、ママ。クリスは大丈夫だよ。だって、もう痛くも苦しくもないもの。だからそんな泣きそうな声を出さないで。ママが心配するから、早く目を開けて起きないと--
ゆっくりと瞳を開いたクリスティアの、そのぼやけた視界に見えてきたのは、今にも泣きそうになっている親友ジュリアス=ジャスティンの顔だった。
「ジュリ、アス……?」
「クリス……良かった……!」
そして泣き出す。
自分を案じて流す涙は、呪いに蝕まれた黒い血の涙ではない。本来の透明な、正常な人間の涙だ。
そうしてクリスティアは、自分の身体がジュリアスの両手で抱きかかえられているようにされているのが分かる。ジュリアスは地面に膝をつきながら、横たわっていたクリスティアの背中を優しく支えていた。
彼が手にしていた禍々しい呪具は、既にその手になかった。元の大鎌の形状に戻って、彼の背後の地面に突き刺さっている。
「生きてるの、私……?」
「ええ、生きていますよ! 心臓が動いています。呼吸をしています。言葉を喋っています。その目で、私を見てくれています! クリス……本当に良かった」
大の男が、良い年をした男が、しかも龍牙騎士団副団長ともあろう男が、取るに足らない愚かしい女1人のために大泣きをしている。
なんという情けない姿だろう。
もともと中性的で女性らしい顔つきが弱弱しいと思っていた。片目を失って多少は厳つくなったと思ったが、それでもどこかなよなよとした雰囲気は払拭しきれていない。やっぱり、龍牙騎士らしくない、弱弱しく見えるけど、優しい人。
「――ふふ」
思わず笑けてしまう。
――でも、クリスティアは知っている。
ジュリアスがどれだけ強くなったのか。どれほどの誇り高き意志を持って、その強さを得ることが出来たのか。
だって、戦闘中から最後の一撃までジュリアスがクリスティアへ向けていたのは、本当に憎悪だったのか?
――答えは否。
ジュリアスは最初から言っていたじゃないか。
『私は、貴女を救います』
ジュリアスは自分を殺すなどと一言も口にしなかった。
ただ救うと、それだけをずっと言っていた。
そんな彼が、自分に殺意など、怒りなど寄せるはずがない。
最後の最後――自分に向けられていたと思っていたのは呪具の刃などではない。それは自分の心の弱さが見せた錯覚だった。本当は、あの最後の瞬間――自分には優しくて、暖かくて、力強い手が差し伸べられていただけだった。だから痛みも苦しみもあるはずがない。
自分があれだけ嘲り、侮蔑し、傷つけ、裏切ったにも関わらず、ジュリアスは救おうとしてくれていたのだ。それでも自分を信じて、呪具の呪いに蝕まれながらも、親友の私を救おうとしてくれていたのだ。
それなのに私は表面に見えるものだけを見て、ジュリアスに憎まれていると思い込んでしまっていた。彼を信じることが出来なかった。
母もジュリアスも、最初から単純明快にその言葉で示してくれていた。その何よりも暖かくて優しい気持ちに気づくことが出来なかった自分は、どれだけ愚かなのだろうか。
取り返しのつかない、とても大変なことをしでかしてしまった。罪悪感はあるし、これからその罪を償っていかなければいけないだろう。償い切れるのかどうかも分からない。
しかし今のクリスティアは、憑き物が取れたような、晴れやかな軽い気分になっていた。
それは--世界の誰からも嫌われていたと思っていたのに、だから自分も世界の誰をも嫌って傷付けていたのに--そんな中でも自分を信じてくれる愛の存在に、ようやく気付けたからだ。
「一緒にアルマイトに戻りましょう。もう誰も貴女を傷付ける人はいません。だから不安にならないで。もう大丈夫ですから……クリス」
ありったけの愛情を込めて、その愛称で呼んでくれるジュリアス。
「クリス、お帰りなさい」
母以外に、その呼び方で呼んでくれる人は、この世界にまだいるのだ。だから――
(ごめんね、ママ。まだそっちにはいけない)
クリスティアは、力が入らない手を、それでも懸命に動かす。そうして泣きながらこちらを見てくるジュリアスの顔を、頬を優しく撫でる。
「すごいね、ジュリアス」
黒い血で汚れた顔を、手でふき取るように、優しく撫でる。
彼は、親友は成し遂げたのだ。
どれだけ傷つき、裏切られても、最後には助けようとした人間を救った。この世界には存在しない、全てを理不尽に穢し尽くす悪魔の「異能」の力を退けたのだ。
それはどれほどの強さだろうか。クリスティアは素直に感嘆する。尊敬し、感謝する。
だから、ジュリアスがクリスティアにしてくれたように、クリスティアもジュリアスへ最大の愛情を込めて伝える。
「強くなったね」
――貴方のことを見ていて良かった。これからもずっと見ているね。
クラベール城塞都市正門前。
龍牙騎士団副団長ジュリアスと新白薔薇騎士クリスティアの決闘はここに幕が下りたのだった。
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クラベール城塞都市決戦戦況
・都市内防衛戦 <決着>
〇ラディカル(全身火傷、右拳重傷) VS ×ルルマンド(戦死)
・正門前防衛線 <決着>
〇ジュリアス(呪具の呪いにより重傷)VS ×クリスティア(捕縛)
・前線防衛線 <戦闘中>
コウメイ VS フェスティア 【フェスティア側優勢】
・兵糧強襲部隊<戦闘待機中>
リューイ VS リアラ 【???】
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クリスティア撃破後、完全に士気と勢いを挫かれた第2王女派部隊は霧散するように撤退していった。城塞都市内に入ってきた龍の爪と新白薔薇騎士らも、そのほとんどが壊滅し、戦死又は第1王子派に拘束されていた。
城塞都市内及び周辺における結果は、ジュリアス・ラディカル側の勝利という形で終結したのだった。
「大丈夫ですかい、副長」
残存戦力の掃討にもひと段落つき、ラディカルは城塞都市内の部隊を率いて、ジュリアスの部隊と合流していた。
ルルマンドとの戦いで負った怪我を治療する余裕などなく、ラディカルの全身には相変わらず火傷跡が目立つ。特にひどいのは、呪具『炎の暴君(フレイムタイランド)』の強烈な業火にまともにさらされた右手であり、ラディカルは応急処置的にそこには乱雑に包帯を巻いていた。
「はぁ……はぁ……ええ。大丈夫ですよ」
一方、ジュリアスも重傷である。
クリスティアにやられたケガに加えて呪具『黒牙』の呪いによる、身体へと精神へのダメージ。呪いの影響を受けて全身から噴き出るようにしていた黒い血はようやく止まったようだが、痛みや苦しみは重しのようにジュリアスの全身に残っている。
ジュリアスは顔についた黒い血をタオルで拭いながら、外れた眼帯をしっかりと装着しなおす。
「レーディル、ありがとうございました。貴方は都市に戻って、負傷者の手当や住民の皆さんを安心させてあげて下さい。それと『黒牙』と……彼女を頼みます」
この戦いで緊急的に自身の側近を務めてくれた王下直轄騎士レーディルへと、ジュリアスは側で横たわらせているクリスティアを視線で指し示す。彼女は今は意識を失って、眠ったようにしていた。
「クリスについては、細かいことはダストンさんに伝えています。あの人に託してくれれば、良いようにしてくれるはずですので」
「副長……」
ジュリアスより『黒牙』を渡されて、その巨大鎌を両手で抱えるようにしているレーディル。目の前の優男然としているジュリアスが、両手で持つのがやっとなくらいのこの超重武器を、先ほどまで軽々と振り回していたのが未だに信じられない。
それはさておき、レーディルははボロボロになったジュリアスとラディカルを不安そうに見ながら
「お二人が任された仕事はもう果たしたのでは? そんなボロボロになってまで、また最前線に行くんですか?」
第2王女派の突撃部隊の迎撃――これだけで充分すぎる戦果だろう。満身創痍の2人を見ていれば、もうこれ以上は無理をせずに、後方に控えていても褒める者はいれど責める者などいないだろう。
「がはははははははっ!」
そんな心配そうなレーディルの言葉を、ラディカルは笑い飛ばす。それを横で聞いているジュリアスも、静かに微笑を浮かべていた。
「ありがとうございます、レーディル。ですが、まだ戦いは終わっていません。コウメイ元帥が、最前線で命を賭けて戦ってくれています」
今まで歯が立たなかった第2王女派に、ここにきてようやく一矢報うことに成功した。
それは、この状況を作り上げたコウメイの功績が何よりも大きい。こうして大切な親友を取り戻し救えたことは、コウメイの力があってこそのことだ。
しかし今ジュリアスが言った通り、戦闘はまだ終わりではない。むしろここでの勝利によって、全体的な状況としてはようやく五分五分に押し戻せたくらいだ。
コウメイが支える前線が崩されてフェスティア本隊がここまで押し寄せてくれば、城塞都市は再び陥落の危機に瀕するのだ。そうならないためにも、ジュリアスもラディカルもゆっくりと休んでいる場合ではない。
それに何より--
(彼を敗者にするわけにはいかない)
聖アルマイト王国のため、そして何よりも自信を喪失して何もかも暗闇に閉ざされていた自分に親友を救わせてくれた。そのきっかけとなる部隊を与えてくれらコウメイに報いるために、ジュリアスは今自分が出来ることを全力でやり切るだけだ。
クリスティアに勝利し、彼女を救えたことで、龍牙騎士団副騎士団長ジュリアス=ジャスティンは完全復活した。
「うし。まだ動けれる連中をまとめましたぜ。いつでも行けます」
「ありがとうございます、ラディカル将軍」
ラディカルの報告に、力強くうなずくジュリアス。
部下が連れてきてくれた馬に跨ると、痛みと疲労からバランスを崩しそうになる。しかし歯を食いしばり、真っ直ぐと前を見据える。
「これより前線のコウメイ元帥の部隊へ合流! 一気に敵部隊を押し返し、クラベール領から第2王女派を追い出します」
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