【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第86話 クリスティア=レイオール(前編)

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「貴女は幸せになるために生まれてきたのよ、クリス」

 それが、覚えている中で一番古くて優しい母親の記憶。いつも柔らかに微笑みながら、優しく抱き上げてくれた母親の笑顔と身体の温もりは、今も忘れられない。

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 クリスティア=レイオールは、名門レイオール家の娘としてこの世に生を受けた。但しレイオールの正統な子供ではない。

 当主サイドラス=レイオールが、火遊びのつもりで手を出した侍女に孕ませて生まれた子供だった。

「まま、抱っこ」

 ようやく自由に歩けるようになった年頃、クリスティアは屋敷内で忙しく歩き回る母親を探し当てて甘えるのだった。

「あらあら。お部屋で良い娘に過ごしておいてと言ったのに。仕方ない娘ね」

 母ティアリスは困りながらも嬉しそうな顔をして、足元にしがみついてくる愛娘を抱き上げるのだった。

 すると、ティアリスと同じ給仕服に身を包んだ中年女性が慌てて駆けつけてくる。

「クリスティアお嬢様! ここにいらっしゃったのですか!」

 母親に抱き上げられて満足そうにしているクリスティアを見た彼女は、安堵の息を漏らすと、ティアリス親娘に近づいてくる。

「全く、困ります。少し目を離すとすぐにどこかへ行ってしまわれるのですから」

「まま、好き。クリシュナ、嫌い」

「こら、クリス!」

 まだまだ幼いこの頃のクリスティアは、良くも悪くも他人への感情を素直に吐き出すのだった。

 所詮は子供の言うことーーいちいち本気で取り合ってイラつくこともないはずだが、その中年の侍女クリシュナは、あからさまに不機嫌な顔をして親娘を睨みつけてくる。

「あ、と……ごめんなさい、クリシュナさん」

 娘を抱いたまま礼儀正しく腰を追って謝罪するティアリスだったが、クリシュナは腰に手を当ててこれ見よがしに「ふん」と鼻息を立てる。

「ご主人様をたぶらかした悪女が、よくよくこの屋敷に残っていられるものね」

「……」

 遠慮のない悪意の言葉に、ティアリスは何も返すことが出来ない。それをいいことに、クリシュナは畳みかけるように悪意をぶつけてくる。

「どうして名誉あるレイオール家に仕える優秀な私が、ド田舎の貧乏農家の低俗な血を引いた子供の面倒を見なきゃなんないのさ。あー、半分とはいえレイオール家の血を引いているとはいえ……」

 ぶつぶつとねちっこくクリシュナに、ティアリスはひたすら申し訳なさそうに頭を下げるしかなかった。

 そうやって大好きな母親のことを目の前でチクチクと罵ることこそが、そもそもクリスティアに嫌われる原因だというのに、クリシュナはその行為を長々とクリスティアの前で続ける。というか、クリスティアに嫌われることなど、なんとも思っていないのだろう。

「さ、行きますよ。クリスティアお嬢様」

「クリシュナと行くの、いや。まま、抱っこ」

 ティアリスに下ろされて、クリシュナに手を取られたクリスティアは、それでも母親にまた抱いてもらいたいとせがむ。

「ごめんね、クリス。お仕事が終わったら、一緒に遊ぼうね」

「ほら、行きますよ。クリスティアお嬢様。全く、少しは姉君のシンパお嬢様を見習って下さいな。ほら!」

「いやっ! やーーーーっ! まま、抱っこ! ままぁ!」

 その境遇を差し引いても、おそらくクリスティアは人一倍の甘えん坊だった。そんなクリスティアの手を、クリシュナは強引に引っ張ってティアリスの前から連れて行くのだった。

「……ごめんね、クリス」

 クリシュナの悪意の言葉は、何も彼女の性格が悪いが故の個人的な攻撃ではない。むしろクリシュナは侍女の中でもそれなりの地位におり、厳格ではあるがそれに相応しい器の持ち主なのだ。

 つまり現状のレイオール家において今のクリシュナの言葉がこそが、現状のレイオール家では大多数、常識的な感情であるのだった。

 そんな悪意の矛先を向けられているティアリスが辛いはずがなかった。

 しかしティアリスが最もつらかったのは、その悪意の刃で自身が傷付けられることよりも、娘までもが悪意に晒されて傷付けられることだった。

 しかし自分ではどうすることも出来ない状況に、1人残されたティアリスは静かに涙をこぼすのだった。

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 いくら権力者は愛人を囲っているのが暗黙の了解とはいえ、レイオール家程の当主が愛人の娘ーーしかも屋敷内に仕える侍女に手を出したというのは、風体が悪いどころの話ではない。

 クリスティアは、レイオール家にとってはいわゆる”不名誉”な子供として、世間からはその存在を秘匿されながらレイオール邸の中で育てられていた。大袈裟に言ってしまえば、親娘そろって軟禁状態だったとすら言えるだろう。

 それでもこの時期までは、クリスティアには特別辛かった記憶はない。それは、おそらく惜しみない愛情を注いでくれた母ティアリスの存在があったからに他ならない。

 しかし10歳を超えるくらいになってから、次第に母ティアリスに向けられていた悪意は娘のクリスティアにも向けられるようになっていた。

 ――少なくともクリスティアはそう思っている。

「っあああ!」

 レイオール家屋敷の中庭で、まだ小さな少女であるクリスティアの可愛らしい悲鳴が響く。

「立ちなさい、クリスティア」

 相対しているのはシンパ=レイオール。

 クリスティアの異母姉にして、レイオール家の正統の血を継ぐ者。クリスティアとは10歳差である彼女は、20歳になったこの年に白薔薇騎士となっていた。

 2人はお互いに木剣を持っており、クリスティアは身体の各所のプロテクターを付けていた。そのクリスティアは地面に腰を付けており、クリスティアは木剣の切っ先をクリスティアに向けていた。

「痛い、痛いよぅお姉ちゃん!」

「大した傷ではないはずよ。立ちなさい。それでもレイオール家の血を継ぐ者ですか」

「無理だもん! 痛いもん! うわあああ~!」

 号泣し始めるクリスティアだったが、シンパは容赦しなかった。座ったまま泣き叫ぶクリスティアの腕を取り立ち上がらせようとする。

「立ちなさい! そんなことで、将来プリメータ王妃をお守りする騎士になどなれませんよ!」

「嫌だよ! そんなのにならなくてもいいもん! 離してっ!」

 感情的なクリスティアと、あくまでも冷淡に言い放つクリスティアが言い合いを続けていると、その騒ぎを聞きつけたのかティアリスが慌てて中庭に駆けつけてくる。

「シ、シンパお嬢様っ!」

「お母さんっ!」

 シンパに詰め寄られていたクリスティアは、味方である母親を見つけると、シンパの腕を振り払ってティアリスに駆け寄る。

「お姉ちゃんが虐めるんだよ! お母さん!」

「クリス……」

 ティアリスにぶつかるようにしてきたクリスティアを、ティアリスは優しく抱き止めてやる。そして困惑したような表情で、シンパとクリスティアを見比べながら

「シンパお嬢様。どうか、ご容赦を。クリスは剣を持つには優し過ぎる娘なのです。どうか、ご容赦を……」

 頭を下げてティアリスが言うと、シンパは嘆息しながら木剣を腰の鞘に収める。

「そんなことでは、貴女もクリスティアもレイオール家には残しておけませんよ」

 親娘とすれ違う際に、シンパはあくまでも冷静に落ち着いた口でそう言い残して中庭から去って行った。

「お母さん……?」

 まだ幼いクリスティアは、異母姉のその言葉の意味が分からずに、不思議そうな顔で愛する母親の顔を見上げていた。

「大丈夫よ、クリス」

 愛する娘を安心させるようにそう言ったティアリスの表情は、いつもの優しい笑顔ではなかった。

 何かに必死に耐えるように、唇を噛みしめて苦々しい顔をしていたのだった。

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 レイオール家は女系家族である。

 代々白薔薇騎士団長や或いはその幹部を輩出してきたこの家系の生まれには何故か女性が多い。

 しかしこの時の当主、シンパとクリスティアの父サイドラスは、そんなレイオール家の中では少数派となる男性であった。

 レイオール家の嫡男として生まれたサイドラスは、レイオールの家名には不相応の不良だった。正妻リューヌ=レイオールと結婚する前から、歓楽街などに出入りして遊びまわっている放蕩者で、特に異性関係にだらしないと評判の男だった。

 そんなサイドラスに見初められたリューヌは他の家系の出から嫁いできた女性だった。しかしサイドラス以上に、レイオール家として、白薔薇騎士として、相応しい誇り高き女性だった。実際、レイオール家に嫁入りしたというのもあっただろうが、白薔薇騎士団長にまで上り詰めた程の逸材である。

「父上、お話があります」

「ん? おお、シンパか。な、何か用か?」

 娘であるシンパは、この男の娘とは思えないくらい真面目で厳格な人間に育っていた。

 ただでさえ女系家族の中で、特に気が強い娘のことがサイドラスは苦手だった。こうして感情が見えない声で静かに詰め寄られるだけで、思わず顔がひきつってしまう。

「ティアリス、クリスティア親娘のことです。」

「また、その話か」

 シンパの口から、その2人の名を聞かされるとサイドラスはうんざりしたようにため息を吐く。

「言っただろう。外の世界で、あの2人が生きていけるわけがないだろう。屋敷から放逐するわけにはいかん」

「貴方は自分の不名誉を世間から隠すために、あの2人を匿っているのでしょう。まさかレイオール家の当主ともあろう者が、侍女に手を出して子を孕ませるなどといった不祥事ーーヴァルガンダル家やアルマイト王家に知られれば、自分の居場所がなくなるから」

「――ふん。白薔薇騎士となったからといえ、あまり調子に乗るなよ」

 強気に責めてくる生意気な娘の態度に、サイドラスはあからさまに不快な顔をして反論する。

「これはレイオール家のためでもあるんだぞ。妾を孕ませただけならともかく、よもやそれを屋敷から追い出して野垂れ死にでもされれば、栄誉あるレイオール家の名は地に堕ちる。リューヌの名誉もな。

 お前も白薔薇騎士団を退団させられるかもしれないぞ。リューヌの後を継いで、白薔薇騎士団長になるのが憧れなんだろ? んん?」

「……っ!」

 父とは違って誇り高い白薔薇騎士だった母リューヌ――その母がどうしてこんな男と結婚することになったのか、詳しいことをシンパは知らない――は、先のファヌス魔法大国との戦争で戦死した。

 王妃プリメータを守るための名誉ある死。尊敬していた母の死は何よりも悲しかったが、シンパは白薔薇騎士団長としての責務を果たして逝った母のことを、何よりの誇りと感じていた。

 その母のこと、そしてその誇り高き栄誉を守ることを引き合いにだされれば、シンパとしても何も言えなくなってしまう。

「分かったら、お前はあの2人に関わるな。特にクリスティアには構うな。あれは生まれてきてはいかん娘だったんだよ。レイオール家には不要な子供だ」

 自分が孕ませて生まれた子供に対して、これ以上ない最低の発言だった。レイオール家などといった以前の問題ーー人間として最低な発言にシンパは拳を握りしめて怒りに震える。

 こんな男の元にいて、あの親娘が幸せになれるはずがない。これだけ最低な男であってもレイオール家の当主には変わりなく、この屋敷の中では最高権力者なのだ。使用人達も敏感にその気配を感じ取っており、誰もがティアリス親娘を白い目で見ている。もはやあの2人の居場所はこの屋敷にはないのだ。

 そんな状況を鑑みて、クリスティアはあの親娘はこの屋敷にいては不幸にしかならないと確信していた。

 しかし、ティアリスらをこの屋敷から追い出したところでどうなるのか。

 ティアリスは田舎から出てきてレイオール家に仕えている平民で、しかも貧困層の家庭だ。既に身寄りも亡くなっていると聞いており、学も何もないティアリスがこの屋敷を出て1人で幼いクリスティアを育てるのは、とても現実的には思えない。

 せめてシンパに出来ることといえば、周りの悪意に負けないようにクリスティアを強く鍛える事ーーしかし、ティアリスの言う通りクリスティアは優し過ぎる。とても剣を持って悪意に立ち向かう程の強さは身に付けられないだろう。

 ーーシンパには、これ以上父に対して異議を申し立てる手立てが無かった。

「レイオール家に最も不要なのは貴方です、父上」

 彼女に出来るのは、せいぜいそんな悪口レベルの毒を吐くことくらいだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 そしてある日。

 突然ティアリスが死んだ。

 場所はレイオール邸内のとある一室で、状況から服毒自殺以外には考えられなかった。

 クリスティアは15歳、シンパは24歳になる暑い夏の日だった。

「お母さんっ! お母さんっ……!」

 あまりにも突然すぎる死。クリスティアにとっては理不尽過ぎる現実だった。

 この年齢になれば、クリスティアも当主の妾である母が屋敷中の皆から嫌われていたのは分かる。そしてその悪意が自分にも向けられていたことも。

 はっきり言って、この屋敷の中での生活は息苦しいことこの上無かった。母ティアリスも他の使用人から陰湿ないじめを受けているのもなんとなく分かっていた。

 だけど、親娘でつつましく生きていこうと言っていた。どんな場所であって楽しいことはある。止まない雨はないように、いつか必ず報われる。そんな話もしていた。

 それに何よりも

『貴女は幸せになるために生まれてきたのよ、クリス』

 そう言ったのは母本人ではないか。

 自分の幸せは母あってのものだ。その母が先に死んでしまうなんて、その先に自分の幸せがあるはずがない。

 そして、自分が幸せになるために生まれてきたのなら、母だって幸せになるために生まれてきたのではないのか……!

「いやだ……嫌だよ、お母さんっ! どうして……どうしてよ……!」

 血を吐き、既に冷たくなっている母親の遺体にいつまでも縋り付いて泣き続けるクリスティア。しかし、この屋敷にはクリスティアの半分も悲しがっている人間は存在しなかった。むしろ、忌み嫌われ者の死を歓迎すらしている気配すらあったのだ。

□■□■

「クリスティアはレイオール家の娘として、普通の生活を送らせる」

 ティリアスの死を知ったサイドラスが、シンパに向かって突然そのように宣言した。

 これまでレイオール家のためという建前にして自分の保身を図るために、ティリアス親娘を屋敷内に軟禁していたにも関わらず、不自然極まりないことだった。

「どういうことですが、父上」

 当然、シンパとしては納得がいかない。父の部屋へ行きいつものように詰め寄るが

「お前に話すことはない。今後は姉として、よく指導してやってくれ」

「何を今さら……っ!」

 あまりに自分勝手すぎる父の言動に、シンパは冷静の仮面を剥がして殴りかかりそうになったが、寸前で止まった。

 父の顔が、明らかに疲労していたからだ。

「まさか……彼女は自分の命を取引条件に……?」

 サイドラスの火遊びとして手を出されたティアリス。悪いのはサイドラスのはずなのに、当主を惑わした悪女として屋敷中の人間から忌み嫌われていた。更に図らずともレイオール家の恥部ともなってしまった彼女は屋敷に閉じ込められた。

 それでもおそらく自分だけなら耐えられたのだろう。

 レイオール家の不名誉の娘として、世間から存在を秘匿されながらこの辛い環境の中で残り長い人生を生きていく――それを娘にまで強いるのは耐えられなかったのだ。

 父と異母の間でどのような会話がなされたのは分からないが、察したシンパに対して頭を抑えるようにするサイドラスの様子を見る限り、的外れな予想ではないようだ。

「まさか本当に自ら命を断つとはな……さすがに生命を賭けられてまでは、な」

 サイドラスは、レイオール家の当主としても男としても不誠実で不真面目な男だった。良くも悪くも、由緒正しき貴族の当主としての器には相応しくない小者だった。

 だから自身の保身に必死になりながらも、ティアリスがその命まで賭けられればそれを貫くことすら出来なかった。罪悪感に苛まれる彼は、よく言えば善人だが、悪く言えば小心者なのであった。

「父上っ……お母さんが……お母さんが……!」

 すると、突然クリスティアが部屋のドアを開けて入ってくる。

 いつまで経ってもティアリスの死を確認しに来ないサイドラスを呼びに来たのだろうか。

 父の部屋に現れたクリスティアは、涙で顔がぐしゃぐしゃになっており、身体全体が震えていた。身体の線も細くて弱弱しい。そういえばよく体調も崩していた虚弱な妹だった。

 その姿は、弱弱しい小動物そのものだ。

 そして父も、姿を現した異母妹に言葉を掛けることなく、ただ黙って首を横にふるだけだ。

 そんなサイドラスも、シンパにとっては弱弱しく映る。

 別にシンパは、ティアリス親娘が憎かったわけではない。むしろその不遇な境遇に同情していていたくらいだ。不幸になって欲しいなど、ましてや死んでほしいと思ったことは無い。

 母は違えど、血が繋がったクリスティアも、シンパなりには可愛がっていたつもりだったのだが。

(――どうして、こうなった)

 誰がこんな状況を望んだというのか。少なくともシンパは、可愛い妹がこんなに悲しむ姿など望んでいない。

 それでもそんなことになったのは

(誰も彼も弱いからだ。大した意志も誇りもなく、自分の保身だけを考えて日々を安穏と生きていたからだ)

 目の前でその弱さをさらけ出す父と異母妹を見て、シンパは心の中でそう吐き捨てる。

(でも、それは自分も同じだったのではないか?)

 どうすればよかったのか。全員が不幸になってしまうこの結果は、防げたのではなかったのか。

 心も身体も強く無ければ、自分が望む未来など手に出来ないということなのか。

(だとしたら、誰よりも弱いのは……おそらく私だ)

 目の前でしくしくと泣き続ける以外に出来ない弱くて情けない異母妹を見ながら、シンパは拳を握りしめるのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 自分が誰よりも弱いと認めたシンパは、異母の死より2年後――白薔薇騎士団長へと就任した。この時シンパ27歳であり、史上最年少で王国3騎士にその名を連ねることとなった。

 白薔薇騎士団長となり、第2王女護衛を主任務とする多忙な日々にも関わらず、シンパは屋敷に戻ってはクリスティアの鍛錬を行っていた。

「っきゃあああ!」

「立ちなさい。もう貴女を助けにくる人はいないわよ」

 いつものようにレイオール邸の中庭でシンパがクリスティアを叩きのめしていた。

 クリスティアは、母ティアリスが健在だった頃は、剣を学ぶよりも部屋で本を読むのを好むような物静かな少女だった。身体も強い方ではなく、体調を崩すことも珍しくなかった。

「はぁ……はぁ……」

「弱い者にレイオール家を名乗る資格はない。立ちなさい。立って強さを証明しなさい。じゃないと、貴女は一生日陰者よ」

「う、く……」

 読書を好む少女は、異母姉のことを憎悪の視線で射抜く。が、既に聖アルマイト王国の騎士3騎士という地位に就いている程の彼女は、それ如きではビクともしない。

「貴女が弱いから、貴女の母も……」

「お前が、お母さんのことを語るなぁぁぁっ!」

 いつまで立っても立ち上がらないクリスティアを煽るようにシンパの口からティアリスの名前が出てくると、クリスティアは激昂する。

 模擬剣を杖にしながら、よろよろと立ち上がり

「お母さんは自殺なんかじゃない……姉上が……レイオール家が殺したんだ」

 まるで獲物に噛みつかんとする獰猛な肉食獣を思わせるような攻撃的な口調だった。しかしシンパは瞑目して、それを静かに受け入れる。

「そうね。それは否定しないわ。でも、貴女が弱いから彼女は死んだ。それも事実よ」

「っっっっあああああああ!」

 さらりと言うシンパに、クリスティア猛然と剣で斬りかかる。

 全身全霊、身体のあらゆる箇所から全力で剣戟を繰り出す。

 しかしそれは全くシンパに届かない。表情を1つも変えることもなく、至って余裕でクリスティアの剣を受ける異母姉の姿に

(どうして……どうして、どうして、どうしてっ! どうして勝てないっ!)

 幼い頃からレイオール家の正統後継者として鍛錬を続け、今や王国3騎士の白薔薇騎士団長となったシンパ。

 幼い頃からずっと母親にべったりで、身体を動かすこともなく本ばかり読んでいたクリスティア。

 クリスティアがシンパに全く歯が立たないのは当然だった。

 しかしクリスティアにとっては

(こんなことがあっていいものか! お母さんは何も悪くないのにっ! 悪いのは全部レイオール家じゃないかっ! それなのにっ! 正しいのはこちらなのにっ! 悪に手も足も出ないなんて、こんな――)

 ――こんなことが許されていいのか!

「っあああ!」

 猛攻を続けるクリスティアに対して、その一瞬の隙をついて、シンパが誰もが見とれる程の流麗な剣捌き1つでクリスティアの身体を打ち払う。

 模擬剣で腹を痛烈に打たれたクリスティアは思わずその箇所を手で押さえて、よろよろと後退すると

「うげええええっ……!」

 こらえきれずに吐瀉物を吐き出してしまう。

「望む未来を手に入れたいなら……もしも貴女が亡くなった母の名誉を守りたいというなら、強くなりなさい。強くなって、貴女がレイオール家を変えるのよ」

 今日はこれで終わりと言わんばかりに、シンパは模擬剣をしまってクリスティアに背を向ける。

「う、ぐ……ぐ……まだ……」

 地面に膝をついているクリスティアはもう立ち上がることすら出来ない。痛みと体力の限界で、視界が霞む。鍛錬場から去って行く異母姉の姿を見送ることしか出来なかった。

「ず、るい……ずるいじゃない。レイオール家の娘に生まれて、白薔薇騎士団長になって……そんな、そんな姉上に……妾の娘なんかの私が勝てるわけがない……!」

 誰からも期待されて、愛されて、大切に育てられた異母姉。

 母以外からは疎まれて、嫌われて、ぞんざいに扱われた自分。

 勝負になるはずがない。生まれる前から勝負は決まっているのだ。

 ――こんなの、ずるい。

『強くなりなさい』

 残酷にすら感じるシンパの冷たい声が頭の中でリフレインされる。

『望む未来を手に入れたいのなら、強くなりなさい』

 地面についた手を、クリスティアは震わせる。

「見てて、お母さん。姉上も、見ていなさい……」

 そう言うなら強くなろう。

 どれだけ泥をすすって草を食むことになったとしても、必ず強くなろう。

 レイオール家を、姉を超える。

 考えてみれば、妾の娘が正統後継者であるシンパを負かすなど、なんと痛快なことだろう。

 そして、自分が必ず証明して見せる。

 ティアリスという、誰よりも優しく偉大な母がいたことを。

 そして悪しき者がどれだけ強かろうと、正しき者が必ず勝つということを。

「家名なんて……血筋なんて関係ない! 必ず強くなってみせる!」

 異母姉に打ち負かされたことで身も心も苦痛に苛まれていた。しかしクリスティアは必死に歯を食いしばってそれに耐えると、剣によりかかりながら立ち上がる。

 この時、クリスティアは17歳。

 高等教育機関へ進み、ジュリアスと出会う1年前の頃だった。
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