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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第85話 クラベール城塞都市決戦(Ⅹ)--誰が為の強さ
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クラベール城塞都市正門前では、第1王子派の都市防衛隊と第2王女派の突撃部隊の戦いが続いていた。
突撃部隊が狙うは、先行して都市内に入った部隊に続いて侵攻して、都市を占領すること。
逆の立場である第1王子派からすると、それは絶対阻止せねばならない。特に、新白薔薇騎士の中でも超人的な実力を持つクリスティア=レイオールだけは、何としても絶対止める必要がある。
そんなクリスティアの猛攻を止める最終防衛線ーーそこに立つのは龍牙騎士団副団長ジュリアス=ジャスティンだった。
「ウオオオオオオオオ! オオオオオオ!」
いつも柔和で理知的なジュリアスが、今は獣のような咆哮をあげていた。
今、彼が手にしているのは呪具『黒牙』。ジュリアスの身の丈以上もある、死神を思わせるような大鎌を振り回しながら、クリスティアの攻撃を受けていた。
「う、く……っ!」
攻撃スタイルも性格も、何もかもが豹変したジュリアスに攻撃を仕掛けるクリスティア。攻撃を仕掛けているのは彼女のはずなのに、その大鎌の圧力に押し負けて後退する。
「オアアアアアアア!」
「こ、このっ……!」
後退したクリスティアを追撃するように、追いすがってくるジュリアス。決して速度は速くないが、巨大な鎌を振り回してくるその圧力は壮絶の一言。
地面を抉り、殺意を乗せた風圧を巻き起こし、ジュリアスがクリスティアに襲い掛かる!
「調子に乗るなよっ! クソ雑魚が!」
鎌によるすさまじい圧力を伴ったジュリアスの攻撃。
異能で超絶な肉体強化をされているはずクリスティアだが、ジュリアスの一撃一撃は想像を絶する程に重い。剣で受け止めている手がどんどん痺れてきて防御に徹することで精一杯で、攻めに転じることが出来ない。
それでも剣から身の丈以上の大鎌という超重武器に持ち変えたジュリアスの動きは明らかに遅くなっている。クリスティアはジュリアスの攻撃を受けながらも、その鈍重になった動きの隙をつくようにしてジュリアスの失われた左眼ーークリスティアから見て右側の方へ、視界が無い方へと身体を滑らせるように動かす。
ジュリアスの視線はクリスティアを捉え切れていない。一瞬前までクリスティアがいた方を見たままのジュリアスへ向けて、クリスティアは剣戟を繰り出す。
「--っつう!」
しかし、クリスティアはジュリアスの鎌によって後ろへ弾き飛ばされた。
ジュリアスはクリスティアの方など見ていない。
しかし、そんなことは関係なかった。右だろうが、左だろうが、見えない方向だろうが、ありとあらゆる方向へ大鎌を振り回しているのだ。ジュリアスの周囲の地面が抉れて、草や土が飛び散り、轟音が響く。
それは猛烈な攻撃であると共に鉄壁の防御でもあった。巨大な武器による広範囲攻撃出来るからこそ可能な、あまりに乱暴な戦い方である。
「はぁっ……はぁっ……こ、この野郎っ……!」
軽く胸を打ったが、それほどのダメージではない。クリスティアは立ち上がり、顎まで垂れてきた汗を手の甲で拭う。
「ウオオオオオオオオ! オオオオオオオオ!」
呪具『黒牙』を持ったその時から、ジュリアスは身体の周りに黒いオーラのようなものを纏った。そして、いつもの優しいジュリアスから様子が豹変するのはすぐだった。
理性を失った獣のように咆哮を上げながら、とにかく力任せで乱暴でムチャクチャな攻撃ばかりを仕掛けてくる。とても名高きジャスティン家の誇りある戦い方とは思えない、力押しによる原始的な戦い方。
ジュリアスが大鎌を振り回すその中に、味方とてその範囲内に入ってしまったら、果たして手が止まるのだろうか。そう思わせる程にまでジュリアスは狂暴化していた。
「ガアアアアアアアアっ! アアアアアアアアっ!」
まるで血が噴き出すように、彼の全身からはドス黒い液体が流れ出ている。いや、或いはそれは呪具による呪いで黒くなった本物の血なのかもしれない。
傷が完全に塞がっているはずの左目ーーその眼帯の下からも、そのドス黒い血は流れ落ちている。そしてジュリアスが咆哮するのは、敵への威嚇というよりは、苦痛に喘いでいるようにも見える。
これが、呪具の力ーー
(ま、まさか……私が怖がっている?)
そんなジュリアスの様子に、自分の身体がが震えていることに気づくクリスティア。それに気づくと、今度は胸が激しく動悸していることを自覚する。
理性を失い発狂し、耐え難い呪具の呪いに苦しむその姿。そしてそれと引き換えに圧倒的な力でこちらを殺しにかかってくるジュリアスに--
クリスティアは明確な死の恐怖を感じていた。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁぁぁぁぁっ! そんなこと……そんなことあるはずがっ……!」
グスタフに凌辱されてその異能強化を付与されてから、この世界の誰にも負けない万能感を得たクリスティア。それこそ、まるで世界最強の超人ーーいや神にすらなったようなその高揚を感じていた。
そうしてからのクリスティアに、これまでに死の恐怖を与えたのは唯一人しかいない。
その人物とは
(まさか、勇者リアラと同等だというのか……!)
勇者特性による恐怖支配と、そもそもの圧倒的な実力差ーー同じ人間であるなどと、とても信じられない程の強さ。そんなリアラの実力に、自分こそが人類最強だと思い込んだクリスティアは、完膚無きまでに敗北の屈辱を味合わされたのだ。
決して敵わない程の強さ。挑もうと思う、それだけで死の恐怖が全身を這いまわり動けなくなる。
それほどと同じ恐怖を、今クリスティアは目の前のジュリアスから与えられていた。
□■□■
「ジュ、ジュリアス副長ぉ……」
ジュリアスへと呪具『黒牙』を手渡した張本人であるレーディルは、ジュリアスとクリスティアの激闘を遠巻きに見ながら、情けない声を出していた。
消耗が激しい『黒牙』を、戦場で常に使用するわけにはいかない。しかしこの巨大な超重武器を、使わないにも関わらず、戦場で持ち歩くわけにもいかない。
それらの理由から、認識阻害魔法で周りから姿を隠せるレーディルが、その『黒牙』を持ってジュリアスに帯同する役目を負っていた。クリスティアとの戦闘になり、窮地に陥った際にはすぐに渡せるように。
「う、ぐ……あぁぁ……っ!」
黒いオーラに包まれながら、これまでは苦悶の咆哮を上げていたジュリアスに、僅かながら理性の色が戻っているように見える。しかし苦痛は相変わらずなのか、眼帯に覆われた顔左半分を抑えながら、地面に膝をつく。
「う、おおおおおおっ……!」
しかし膝をついたのは一瞬のこと。ジュリアスはすぐに立ち上がる。
『黒牙』の力を解放してからは一転、ジュリアスがクリスティアを圧倒しているように見える。こうしてジュリアスが苦しんでいるのにも関わらず、クリスティアも苦渋の表情を浮かべていて攻めてこれないのだ。
しかし、ジュリアスの苦痛は最高潮に達しているようだった。
「っげほっ……ごほおっ!」
全身から噴き出ている黒い血のようなものが、口からも吐き出される。もはや吐血そのものだ。
そしてそれらはジュリアスが持つ『黒牙』へ吸い込まれるようにしていく。
少なくともレーディルがこれまで生きてきた中で見たことなどない、呪具による壮絶なその光景は、まるでジュリアスの生命の源がその禍々しい鎌に吸い込まれているように見える。
「大丈夫、です。心配しないで下さい」
息を荒げながら、レーディルを見なくてもその不安を感じ取ったように、ジュリアスはいつもの柔和な声をかけてくる。
□■□■
距離を取ったジュリアスとクリスティアの2人は、そのまま動きを止めて睨み合う。お互い共に息は荒く、立っているのがやっとの状態。体力は限界に近付いていた。
見た目にはジュリアスが重傷に見えるが、追い詰められているのはクリスティアの方にも見える。ジュリアスは苦痛に苛まれていてもクリスティアを射抜く視線に迷いはないし、クリスティアは明らかに焦りと動揺が顔に現れていた。
「ちくしょう……ちくしょうっ……!」
クリスティアが悔し気な言葉を吐き捨てる。
「なんだよ……結局そういう力かよ! 努力も何も関係ねぇじゃねーか! 呪具とかなんとか……つまるところ、てめぇの力じゃねえ! 他の力……家名みたいなもんじゃねーかぁぁぁぁ! 家名なんて関係ないって、言ってたじゃねーか! この嘘つき、嘘つき、嘘つき野郎ぉぉぉ!」
『黒牙』の圧倒的な力の前に自らの力では勝てないことを悟ったのか、クリスティアは粗暴な言葉でジュリアスを罵る。
かつての学生時代、家名など関係なく自らの力でのし上がって見せる。そんなお互いの姿をずっと見ていよう。そう約束した卒業式のあの日のあの言葉。
あの何よりも尊くて大切な思い出ーーそれを裏切ったと侮蔑してくる。
そんなクリスティアの、暴力的でありながら悲しい言葉に、ジュリアスは静かに瞑目して答える。
「――やはり、貴女は本来のクリスではない」
「なんだと?」
『黒牙』の呪いに蝕まれている中、慣れなのか制御しつつあるのか、いつもの理性的な口調に戻っていたジュリアスは、静かに言う。
「例え相対する敵と絶望的な力の差があっても、クリスならばそれでもと歯を食いしばって挑み続けるはず。何があったのかは分かりませんーーですが簡単に諦めて、汚い言葉を使って逃げようとする今の貴女を私は全力で否定します」
「あ……ああん?」
その表情は、怯えつつも威嚇するような表情。もはやそこら辺にいる、強者に媚びへつらうようなチンピラと同じ程度のものである。
そんな変貌してしまった彼女の行動1つ1つが、いちいちジュリアスの心を抉る。それは『黒牙』による呪いよりも、何倍も痛くて苦しい。
ジュリアスは深く、深く息を吸いこむ。静かに、眼をつぶりながら。
そして次の瞬間、その胸に抱えていた感情――怒りも悲しみも迷いも全て――を吐き出すように息を吐くと、そのありったけの感情を込めてクリスティアを射抜く。
それは視線だけでクリスティアの心臓を止めてしまいそうなくらい、強い殺意と怒りがこもったものだ。
そんな圧倒的なジュリアスの殺意に、思わずクリスティアは全身を震え上がらせる。
「なっ……なんだよなんだよなんだよ! 救うとかなんとか言っておきながら、結局それかよ! そんなに私を殺したいのかよ! どうして、そんなに私のことを……みんな……みんな……!」
言葉の後半――強気で暴力的だったクリスティアの口調に変化が訪れた。目にも涙が溢れ出ている。
その感情は、恐怖でも怯えでもない。
悲しみの色だった。
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「これは数代前にアルマイト王家より授かった家宝だ」
龍牙騎士団への入団が決まった時、ジュリアスは父バラシオンよりその存在を知らされ、受け継ぐこととなった。
「この呪具が一番最近で使われたのは、5代前の当主が参加した大型魔獣討伐戦――それ以後は厳として封印されている。これから龍牙騎士になるお前に託そう」
そう言って渡された巨大鎌ーー呪具『黒牙』。
見るだけで身が凍るような恐怖を感じるそれは、まさに『呪具』と呼ぶにふさわしい禍々しい空気を放っていた。
「『黒牙』の管理はこれからお前に任せよう。しかし、安易に強大な力に頼ることのないようにな。これは呪具の中でも最高位に値する、忌むべき暗黒の武器だ。神器に匹敵する程の力を持つが、代価として心と身体の崩壊は免れないだろう。決して使用してはいけない」
物静かながら真剣且つどこか冷淡に言い放つ父の言葉に、ジュリアスはゴクリと生唾を飲み込む。
「ジャスティン家跡取りとしての強き心と誇りを忘れるな。真の強さは努力を積み重ねて、己で身に付けるべきだ。くれぐてもその強さは誰が為の強さなのかーーそれを見失わぬようすれば、安易にこのような呪われた武器に頼ることもないだろうが」
バラシオンは龍牙騎士としては平凡で、ジャスティン家の血筋としては見劣りする程だったかもしれない。しかしその龍牙騎士としての誇り、そしてジャスティン家のことを想う真摯さは誰にも負けていない。
そんな尊敬すべき父の言葉にジュリアスが真剣にうなずくと、それまで真剣な表情だった父が、少しだけ表情を緩める。
「それでもこれを使用する時は、どうしても守りたい物がある時だけだ。例えば、ジャスティン家の誇りを守るためあd。どうしても譲れないものがある時は遠慮なく使うと良い」
そしてバラシオンは最後に、龍牙騎士の先輩としてではなく、父親の顔をして言った。
「ただ、親としてはお前の人生の中でこれを使う機会が訪れないことを願うよ」
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涙を滲ませて、表情を恐怖に歪ませるクリスティア。
そんな彼女に対して、ジュリアスは歯を噛みしめて、地面を踏みしめ、両手に持つ『黒牙』を半身に構える。
(父上、申し訳ありません。私は約束を破ります)
記憶の中に父へ、届かぬ言葉を胸中でつぶやく。
父はこの呪具を使うなと、使う機会がジュリアスの人生に訪れないようにと願っていた。それでも使うことがあるならば、それはジャスティン家のために…と。
ジュリアスは、尊敬する父親から言いつけられたその全てを破る。
「クリス! 私は貴女を救うためにーー」
今日までジュリアスが必死に積み重ねた強さは、ジュリアスが守りたいと思うものを守るための強さだ。
それはジャスティン家の家名のためではない。龍牙騎士団副団長になるためではない。聖アルマイト王国のためですらない。
ジュリアスが真に守りたい――助けたいと思うのは、ただ1人の個人だ。
「これは、そのために手にした私の強さですっ!」
「いちいちうるっせえんだよ、軟弱野郎ぉぉぉぉ!」
あらん限りの声で絶叫するジュリアスとクリスティア。
両者は地面を蹴ってお互いに突っ込み、最後の攻防が始まる。
□■□■
それはまるで嵐を思わせる程の壮絶な攻撃。
ジュリアスの『黒牙』の範囲内に入れば、上から右から左からありとあらゆる方向から鎌の刃がクリスティアを襲ってくる。決して速い攻撃ではないが、巨大な武器故に隙間が全く生じない。それら攻撃の嵐をかいくぐってジュリアスの懐に入り込む隙がない。
超重武器から繰り出される攻撃は、その一撃一撃が重い。これまで受けていたダメージも蓄積されており、いよいよ剣がまともに握れなくなりそうだ。
終盤にきて『黒牙』の能力によってクリスティアは完全に追い詰められていた。
しかし、ぎりぎりの状態なの彼女だけではない。
「ぐはあっ……! はぁ、はぁ……!」
理性を取り戻したといえど、ジュリアスも満身創痍である。といっても、クリスティアの攻撃を受けたわけではない。『黒牙』による呪いで生命力を吸い上げられながら。全身の至るところから黒い血を噴き出しては時折態勢を崩している。
「そんなに、ボロボロになってまで……!」
クリスティアは渾身の力で、剣戟を繰り出す。しかし『黒牙』を持つジュリアスにはびくともしない。どころか、逆に押し返され、剣を弾かれる始末だ。
「くたばれっ! くたばれっ! この野郎っ」
これまで一方的に龍牙騎士も、ジュリアスも、その力で蹂躙してきたクリスティアが、この戦争で初めて窮地に立たされていた。
「クリスぅぅ! っがああああああ!」
いくら呪具の影響を受けているとはいえ、その表情を怒りと憎悪に歪めながら攻撃してくる、かつての親友の姿に。
「どうして……どうして……」
クリスティアも自身の感情が分からなくなっていってしまい、その表情はだんだんと弱弱しくなっていく。
--と、ここで突然、ジュリアスが大量の黒い血を吐き出し、地面に膝をつく。
「ごほっ……げほっ、げほっ!」
そのまま苦しそうに咳き込むジュリアスは、顔の眼帯が緩んで外れると地面に落ちる。外れた眼帯の下にある閉じられた左眼からは、やはり黒い血が涙のように流れ落ちていた。
――呪具による、体力の限界が訪れたのだった。
「う……ぐ……この……っ!」
ジュリアスは立ち上がろうとするが、足に力が入らないのかそれが叶わない。
勝負は決した。
苛烈な攻撃でジュリアスの消耗を早めたクリスティアの勝利という形で。
「はぁ、はぁ……」
もう立ち上がれないジュリアスを見下ろすようにするクリスティア。痺れながらも右手で剣をしっかりと握りなおす。顔に伝ってくる汗を拭いながら、まだドクドクと緊張している心臓を、剣と握っているのとは逆の左手で抑えるようにしながら、クリスティアは安堵の吐息をこぼした。
「この……クソ野郎が……!」
あまりに想定外で強大な力に、思わずクリスティアの心がくじけそうになった。弱気になり、頭も感情も混乱していたが――
何のことはない。自分は何も間違っていない。
異能による暴力で全てを蹂躙し、ゆくゆくはあの勇者すら超えて見せる。そして、グスタフという偉大な雄に生涯肉便器として仕え、女としての最高の幸福を手に入れるのだ。
その道のどこに間違いがあろうものか。
だって、歯向かう者はこうして、誰も彼も膝をついて屈するのだ!
「あは……あはははは……あはははははは!」
急に弱ったジュリアスを前にして、途端にクリスティアは驕り勝ち誇った高笑いを上げる。
相手が自分では敵わないと強いと分かれば、怯えて逃げ腰になる。しかしその相手が弱りきって、もう自分が負けることがないと知ると
「雑魚が! クソ雑魚! この私をこんなに手こずらせやがって! 死ね、死ね、死ね! 100回死ね! 奴隷のクソにまみれて死ね! 家畜の餌にでもなって死ね!」
思い付く限りの罵詈雑言ーーしかし語彙も表現も幼稚な言葉を何度も吐きかけながら、持った剣を振り上げるクリスティア。
(おかしい)
――それは、ジュリアスの胸の内か、クリスティアの胸の内の言葉なのか。
(どんなに強い相手でも、決して挫けない心があったはずなのに)
(決して弱者を虐め、自身を驕るような人間ではなかったはずなのに)
((一体、何があった。どうしてこんなことに)
「死ねぇぇぇぇ! ジュリアスぅぅぅぅぅぅ!」
「うあああああああああああああ!」
ジュリアスの脳天へと剣を振り下ろすクリスティアの咆哮と、『黒牙』の呪いによる苦痛に喘ぐジュリアスの咆哮が重なる。
――そして数秒後
「馬鹿、な……」
クリスティアの胴体は、龍の顎に喰いつかれていた。
それは本物の龍ではない。
ジュリアスが持つ『黒牙』、その黒い刃が吸い上げたジュリアスの生命力――それによって刃の形を変えたのだ。
黒いオーラを纏いながら、龍の頭のような形に変わった『黒牙』の刀身はクリスティアの腹部へ伸びると、そのまま喰いついていた。
「っがああああっ!」
クリスティアが弾かれるように後ろへ飛ばされる。
――とりあえず胴体はくっついている。内臓がはみ出ているということもない。これだけで致命傷ということは無さそうだ。大丈夫。
「うげえええええっ! げえええっ!」
しかし、鈍器で抉られたような強烈な痛みがクリスティアを襲う。胃の中からこみ上げたものが食道を通って、口から吐瀉される。
「げほっ……うげぇえ……ぁあああ」
(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い……!)
今までにないくらいの壮絶な激痛に涙を流しながら喘ぐクリスティア。
「ク、リスぅ……!」
「っ!」
しかし、すぐに相手の殺気を感じて我に戻る。
『黒牙』が変貌した龍の顎に弾き飛ばされたクリスティアだったが、そんな彼女にジュリアスは近づくことはしていない。2人の距離は、まだ3m程は離れている。
その少し離れたところからこちらを見るジュリアスは、相変わらず全身は黒い血塗れ。閉じている左眼からも、空いている右眼からも黒い血の涙を流して、射殺すように睨みつけてくる。
その様子は、正気を保っているのか、それともまた理性を失ってしまったのか、どちらとも取れないものだった。
「ひ……」
ジュリアスが持つ『黒牙』の形は、今は鎌でも龍の頭でもない。いつの間にかその形状は、両刃の大剣へと姿となっていた。しかしその刀身は異常に長て大きく、鎌の形状を超える程の超重武器と化していた。ジュリアスがその場からそれを振るえば、クリスティアを一刀両断に出来てしまえそうな程の。
「た、助けて……!」
「おああああああっ!」
助けを乞うクリスティアに、容赦なく振り上げた『黒牙』を振り下ろすジュリアス。その巨大な大剣を、クリスティアはもはや本能的だけで、剣でそれを受け止めようとする。
が、『黒牙』の苛烈な攻撃を受け続けたクリスティアの剣は、ここまで保ったのが不思議なくらいで、その刀身を木っ端微塵砕かれる。
「っうああああ!」
そのまま武器を失ったクリスティアを、ジュリアスは大剣の腹で殴りつける。
刃で斬り殺すのではなく、鉄で殴打するような攻撃に、クリスティアはくるくると身体を回転しながら後ろに飛ばされる。
「ぎゃあああああっ! 痛い、痛いよぅ! 痛いのよぉぉぉ!」
痛みに泣き叫ぶクリスティア。今のでおそらく肋骨が何本か折れている。いやそれだけではない。身体の至るところに重傷を負った。もうどこが痛いのかすら分からない。とにかく痛い。苦しい。
「貴女は、そんなに弱い人ではなかった」
「こ、こないで……やだ、やだ……!」
黒いオーラを纏いながら、1歩1歩クリスティアに近づいてくるジュリアス。逃げようにも、もうクリスティアは立ち上がることすら出来ない。
「助けて、助けて……」
涙と鼻水を流しながら、必死に助けを乞うクリスティア。
しかし、ジュリアスは決してその歩みを止めない。
怒りと憎しみと殺意を込めた目で自分を睨んでくる。それはジュリアスが『黒牙』を手にしてから、微塵にも揺らぐことはない、クリスティアへと向けられた憎悪だ。
「なんだよ……なんだよ……救うとか言っておいて……」
そのジュリアスの怒りを正面から受けて、クリスティアは弱弱しい女性のようにグスグスと泣き始める。
傷の痛みよりも、死の恐怖よりもーー
「そんなに私を殺したいの……?」
いくら自分が悪いとはいえ。
自分が親友だと思っていた相手からの憎悪ーーそれは死ぬことなどよりも、よっぽど恐ろしくて悲しかった。
そうして、ジュリアスは最後の一撃をクリスティアへ放った。
突撃部隊が狙うは、先行して都市内に入った部隊に続いて侵攻して、都市を占領すること。
逆の立場である第1王子派からすると、それは絶対阻止せねばならない。特に、新白薔薇騎士の中でも超人的な実力を持つクリスティア=レイオールだけは、何としても絶対止める必要がある。
そんなクリスティアの猛攻を止める最終防衛線ーーそこに立つのは龍牙騎士団副団長ジュリアス=ジャスティンだった。
「ウオオオオオオオオ! オオオオオオ!」
いつも柔和で理知的なジュリアスが、今は獣のような咆哮をあげていた。
今、彼が手にしているのは呪具『黒牙』。ジュリアスの身の丈以上もある、死神を思わせるような大鎌を振り回しながら、クリスティアの攻撃を受けていた。
「う、く……っ!」
攻撃スタイルも性格も、何もかもが豹変したジュリアスに攻撃を仕掛けるクリスティア。攻撃を仕掛けているのは彼女のはずなのに、その大鎌の圧力に押し負けて後退する。
「オアアアアアアア!」
「こ、このっ……!」
後退したクリスティアを追撃するように、追いすがってくるジュリアス。決して速度は速くないが、巨大な鎌を振り回してくるその圧力は壮絶の一言。
地面を抉り、殺意を乗せた風圧を巻き起こし、ジュリアスがクリスティアに襲い掛かる!
「調子に乗るなよっ! クソ雑魚が!」
鎌によるすさまじい圧力を伴ったジュリアスの攻撃。
異能で超絶な肉体強化をされているはずクリスティアだが、ジュリアスの一撃一撃は想像を絶する程に重い。剣で受け止めている手がどんどん痺れてきて防御に徹することで精一杯で、攻めに転じることが出来ない。
それでも剣から身の丈以上の大鎌という超重武器に持ち変えたジュリアスの動きは明らかに遅くなっている。クリスティアはジュリアスの攻撃を受けながらも、その鈍重になった動きの隙をつくようにしてジュリアスの失われた左眼ーークリスティアから見て右側の方へ、視界が無い方へと身体を滑らせるように動かす。
ジュリアスの視線はクリスティアを捉え切れていない。一瞬前までクリスティアがいた方を見たままのジュリアスへ向けて、クリスティアは剣戟を繰り出す。
「--っつう!」
しかし、クリスティアはジュリアスの鎌によって後ろへ弾き飛ばされた。
ジュリアスはクリスティアの方など見ていない。
しかし、そんなことは関係なかった。右だろうが、左だろうが、見えない方向だろうが、ありとあらゆる方向へ大鎌を振り回しているのだ。ジュリアスの周囲の地面が抉れて、草や土が飛び散り、轟音が響く。
それは猛烈な攻撃であると共に鉄壁の防御でもあった。巨大な武器による広範囲攻撃出来るからこそ可能な、あまりに乱暴な戦い方である。
「はぁっ……はぁっ……こ、この野郎っ……!」
軽く胸を打ったが、それほどのダメージではない。クリスティアは立ち上がり、顎まで垂れてきた汗を手の甲で拭う。
「ウオオオオオオオオ! オオオオオオオオ!」
呪具『黒牙』を持ったその時から、ジュリアスは身体の周りに黒いオーラのようなものを纏った。そして、いつもの優しいジュリアスから様子が豹変するのはすぐだった。
理性を失った獣のように咆哮を上げながら、とにかく力任せで乱暴でムチャクチャな攻撃ばかりを仕掛けてくる。とても名高きジャスティン家の誇りある戦い方とは思えない、力押しによる原始的な戦い方。
ジュリアスが大鎌を振り回すその中に、味方とてその範囲内に入ってしまったら、果たして手が止まるのだろうか。そう思わせる程にまでジュリアスは狂暴化していた。
「ガアアアアアアアアっ! アアアアアアアアっ!」
まるで血が噴き出すように、彼の全身からはドス黒い液体が流れ出ている。いや、或いはそれは呪具による呪いで黒くなった本物の血なのかもしれない。
傷が完全に塞がっているはずの左目ーーその眼帯の下からも、そのドス黒い血は流れ落ちている。そしてジュリアスが咆哮するのは、敵への威嚇というよりは、苦痛に喘いでいるようにも見える。
これが、呪具の力ーー
(ま、まさか……私が怖がっている?)
そんなジュリアスの様子に、自分の身体がが震えていることに気づくクリスティア。それに気づくと、今度は胸が激しく動悸していることを自覚する。
理性を失い発狂し、耐え難い呪具の呪いに苦しむその姿。そしてそれと引き換えに圧倒的な力でこちらを殺しにかかってくるジュリアスに--
クリスティアは明確な死の恐怖を感じていた。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁぁぁぁぁっ! そんなこと……そんなことあるはずがっ……!」
グスタフに凌辱されてその異能強化を付与されてから、この世界の誰にも負けない万能感を得たクリスティア。それこそ、まるで世界最強の超人ーーいや神にすらなったようなその高揚を感じていた。
そうしてからのクリスティアに、これまでに死の恐怖を与えたのは唯一人しかいない。
その人物とは
(まさか、勇者リアラと同等だというのか……!)
勇者特性による恐怖支配と、そもそもの圧倒的な実力差ーー同じ人間であるなどと、とても信じられない程の強さ。そんなリアラの実力に、自分こそが人類最強だと思い込んだクリスティアは、完膚無きまでに敗北の屈辱を味合わされたのだ。
決して敵わない程の強さ。挑もうと思う、それだけで死の恐怖が全身を這いまわり動けなくなる。
それほどと同じ恐怖を、今クリスティアは目の前のジュリアスから与えられていた。
□■□■
「ジュ、ジュリアス副長ぉ……」
ジュリアスへと呪具『黒牙』を手渡した張本人であるレーディルは、ジュリアスとクリスティアの激闘を遠巻きに見ながら、情けない声を出していた。
消耗が激しい『黒牙』を、戦場で常に使用するわけにはいかない。しかしこの巨大な超重武器を、使わないにも関わらず、戦場で持ち歩くわけにもいかない。
それらの理由から、認識阻害魔法で周りから姿を隠せるレーディルが、その『黒牙』を持ってジュリアスに帯同する役目を負っていた。クリスティアとの戦闘になり、窮地に陥った際にはすぐに渡せるように。
「う、ぐ……あぁぁ……っ!」
黒いオーラに包まれながら、これまでは苦悶の咆哮を上げていたジュリアスに、僅かながら理性の色が戻っているように見える。しかし苦痛は相変わらずなのか、眼帯に覆われた顔左半分を抑えながら、地面に膝をつく。
「う、おおおおおおっ……!」
しかし膝をついたのは一瞬のこと。ジュリアスはすぐに立ち上がる。
『黒牙』の力を解放してからは一転、ジュリアスがクリスティアを圧倒しているように見える。こうしてジュリアスが苦しんでいるのにも関わらず、クリスティアも苦渋の表情を浮かべていて攻めてこれないのだ。
しかし、ジュリアスの苦痛は最高潮に達しているようだった。
「っげほっ……ごほおっ!」
全身から噴き出ている黒い血のようなものが、口からも吐き出される。もはや吐血そのものだ。
そしてそれらはジュリアスが持つ『黒牙』へ吸い込まれるようにしていく。
少なくともレーディルがこれまで生きてきた中で見たことなどない、呪具による壮絶なその光景は、まるでジュリアスの生命の源がその禍々しい鎌に吸い込まれているように見える。
「大丈夫、です。心配しないで下さい」
息を荒げながら、レーディルを見なくてもその不安を感じ取ったように、ジュリアスはいつもの柔和な声をかけてくる。
□■□■
距離を取ったジュリアスとクリスティアの2人は、そのまま動きを止めて睨み合う。お互い共に息は荒く、立っているのがやっとの状態。体力は限界に近付いていた。
見た目にはジュリアスが重傷に見えるが、追い詰められているのはクリスティアの方にも見える。ジュリアスは苦痛に苛まれていてもクリスティアを射抜く視線に迷いはないし、クリスティアは明らかに焦りと動揺が顔に現れていた。
「ちくしょう……ちくしょうっ……!」
クリスティアが悔し気な言葉を吐き捨てる。
「なんだよ……結局そういう力かよ! 努力も何も関係ねぇじゃねーか! 呪具とかなんとか……つまるところ、てめぇの力じゃねえ! 他の力……家名みたいなもんじゃねーかぁぁぁぁ! 家名なんて関係ないって、言ってたじゃねーか! この嘘つき、嘘つき、嘘つき野郎ぉぉぉ!」
『黒牙』の圧倒的な力の前に自らの力では勝てないことを悟ったのか、クリスティアは粗暴な言葉でジュリアスを罵る。
かつての学生時代、家名など関係なく自らの力でのし上がって見せる。そんなお互いの姿をずっと見ていよう。そう約束した卒業式のあの日のあの言葉。
あの何よりも尊くて大切な思い出ーーそれを裏切ったと侮蔑してくる。
そんなクリスティアの、暴力的でありながら悲しい言葉に、ジュリアスは静かに瞑目して答える。
「――やはり、貴女は本来のクリスではない」
「なんだと?」
『黒牙』の呪いに蝕まれている中、慣れなのか制御しつつあるのか、いつもの理性的な口調に戻っていたジュリアスは、静かに言う。
「例え相対する敵と絶望的な力の差があっても、クリスならばそれでもと歯を食いしばって挑み続けるはず。何があったのかは分かりませんーーですが簡単に諦めて、汚い言葉を使って逃げようとする今の貴女を私は全力で否定します」
「あ……ああん?」
その表情は、怯えつつも威嚇するような表情。もはやそこら辺にいる、強者に媚びへつらうようなチンピラと同じ程度のものである。
そんな変貌してしまった彼女の行動1つ1つが、いちいちジュリアスの心を抉る。それは『黒牙』による呪いよりも、何倍も痛くて苦しい。
ジュリアスは深く、深く息を吸いこむ。静かに、眼をつぶりながら。
そして次の瞬間、その胸に抱えていた感情――怒りも悲しみも迷いも全て――を吐き出すように息を吐くと、そのありったけの感情を込めてクリスティアを射抜く。
それは視線だけでクリスティアの心臓を止めてしまいそうなくらい、強い殺意と怒りがこもったものだ。
そんな圧倒的なジュリアスの殺意に、思わずクリスティアは全身を震え上がらせる。
「なっ……なんだよなんだよなんだよ! 救うとかなんとか言っておきながら、結局それかよ! そんなに私を殺したいのかよ! どうして、そんなに私のことを……みんな……みんな……!」
言葉の後半――強気で暴力的だったクリスティアの口調に変化が訪れた。目にも涙が溢れ出ている。
その感情は、恐怖でも怯えでもない。
悲しみの色だった。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
「これは数代前にアルマイト王家より授かった家宝だ」
龍牙騎士団への入団が決まった時、ジュリアスは父バラシオンよりその存在を知らされ、受け継ぐこととなった。
「この呪具が一番最近で使われたのは、5代前の当主が参加した大型魔獣討伐戦――それ以後は厳として封印されている。これから龍牙騎士になるお前に託そう」
そう言って渡された巨大鎌ーー呪具『黒牙』。
見るだけで身が凍るような恐怖を感じるそれは、まさに『呪具』と呼ぶにふさわしい禍々しい空気を放っていた。
「『黒牙』の管理はこれからお前に任せよう。しかし、安易に強大な力に頼ることのないようにな。これは呪具の中でも最高位に値する、忌むべき暗黒の武器だ。神器に匹敵する程の力を持つが、代価として心と身体の崩壊は免れないだろう。決して使用してはいけない」
物静かながら真剣且つどこか冷淡に言い放つ父の言葉に、ジュリアスはゴクリと生唾を飲み込む。
「ジャスティン家跡取りとしての強き心と誇りを忘れるな。真の強さは努力を積み重ねて、己で身に付けるべきだ。くれぐてもその強さは誰が為の強さなのかーーそれを見失わぬようすれば、安易にこのような呪われた武器に頼ることもないだろうが」
バラシオンは龍牙騎士としては平凡で、ジャスティン家の血筋としては見劣りする程だったかもしれない。しかしその龍牙騎士としての誇り、そしてジャスティン家のことを想う真摯さは誰にも負けていない。
そんな尊敬すべき父の言葉にジュリアスが真剣にうなずくと、それまで真剣な表情だった父が、少しだけ表情を緩める。
「それでもこれを使用する時は、どうしても守りたい物がある時だけだ。例えば、ジャスティン家の誇りを守るためあd。どうしても譲れないものがある時は遠慮なく使うと良い」
そしてバラシオンは最後に、龍牙騎士の先輩としてではなく、父親の顔をして言った。
「ただ、親としてはお前の人生の中でこれを使う機会が訪れないことを願うよ」
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
涙を滲ませて、表情を恐怖に歪ませるクリスティア。
そんな彼女に対して、ジュリアスは歯を噛みしめて、地面を踏みしめ、両手に持つ『黒牙』を半身に構える。
(父上、申し訳ありません。私は約束を破ります)
記憶の中に父へ、届かぬ言葉を胸中でつぶやく。
父はこの呪具を使うなと、使う機会がジュリアスの人生に訪れないようにと願っていた。それでも使うことがあるならば、それはジャスティン家のために…と。
ジュリアスは、尊敬する父親から言いつけられたその全てを破る。
「クリス! 私は貴女を救うためにーー」
今日までジュリアスが必死に積み重ねた強さは、ジュリアスが守りたいと思うものを守るための強さだ。
それはジャスティン家の家名のためではない。龍牙騎士団副団長になるためではない。聖アルマイト王国のためですらない。
ジュリアスが真に守りたい――助けたいと思うのは、ただ1人の個人だ。
「これは、そのために手にした私の強さですっ!」
「いちいちうるっせえんだよ、軟弱野郎ぉぉぉぉ!」
あらん限りの声で絶叫するジュリアスとクリスティア。
両者は地面を蹴ってお互いに突っ込み、最後の攻防が始まる。
□■□■
それはまるで嵐を思わせる程の壮絶な攻撃。
ジュリアスの『黒牙』の範囲内に入れば、上から右から左からありとあらゆる方向から鎌の刃がクリスティアを襲ってくる。決して速い攻撃ではないが、巨大な武器故に隙間が全く生じない。それら攻撃の嵐をかいくぐってジュリアスの懐に入り込む隙がない。
超重武器から繰り出される攻撃は、その一撃一撃が重い。これまで受けていたダメージも蓄積されており、いよいよ剣がまともに握れなくなりそうだ。
終盤にきて『黒牙』の能力によってクリスティアは完全に追い詰められていた。
しかし、ぎりぎりの状態なの彼女だけではない。
「ぐはあっ……! はぁ、はぁ……!」
理性を取り戻したといえど、ジュリアスも満身創痍である。といっても、クリスティアの攻撃を受けたわけではない。『黒牙』による呪いで生命力を吸い上げられながら。全身の至るところから黒い血を噴き出しては時折態勢を崩している。
「そんなに、ボロボロになってまで……!」
クリスティアは渾身の力で、剣戟を繰り出す。しかし『黒牙』を持つジュリアスにはびくともしない。どころか、逆に押し返され、剣を弾かれる始末だ。
「くたばれっ! くたばれっ! この野郎っ」
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「クリスぅぅ! っがああああああ!」
いくら呪具の影響を受けているとはいえ、その表情を怒りと憎悪に歪めながら攻撃してくる、かつての親友の姿に。
「どうして……どうして……」
クリスティアも自身の感情が分からなくなっていってしまい、その表情はだんだんと弱弱しくなっていく。
--と、ここで突然、ジュリアスが大量の黒い血を吐き出し、地面に膝をつく。
「ごほっ……げほっ、げほっ!」
そのまま苦しそうに咳き込むジュリアスは、顔の眼帯が緩んで外れると地面に落ちる。外れた眼帯の下にある閉じられた左眼からは、やはり黒い血が涙のように流れ落ちていた。
――呪具による、体力の限界が訪れたのだった。
「う……ぐ……この……っ!」
ジュリアスは立ち上がろうとするが、足に力が入らないのかそれが叶わない。
勝負は決した。
苛烈な攻撃でジュリアスの消耗を早めたクリスティアの勝利という形で。
「はぁ、はぁ……」
もう立ち上がれないジュリアスを見下ろすようにするクリスティア。痺れながらも右手で剣をしっかりと握りなおす。顔に伝ってくる汗を拭いながら、まだドクドクと緊張している心臓を、剣と握っているのとは逆の左手で抑えるようにしながら、クリスティアは安堵の吐息をこぼした。
「この……クソ野郎が……!」
あまりに想定外で強大な力に、思わずクリスティアの心がくじけそうになった。弱気になり、頭も感情も混乱していたが――
何のことはない。自分は何も間違っていない。
異能による暴力で全てを蹂躙し、ゆくゆくはあの勇者すら超えて見せる。そして、グスタフという偉大な雄に生涯肉便器として仕え、女としての最高の幸福を手に入れるのだ。
その道のどこに間違いがあろうものか。
だって、歯向かう者はこうして、誰も彼も膝をついて屈するのだ!
「あは……あはははは……あはははははは!」
急に弱ったジュリアスを前にして、途端にクリスティアは驕り勝ち誇った高笑いを上げる。
相手が自分では敵わないと強いと分かれば、怯えて逃げ腰になる。しかしその相手が弱りきって、もう自分が負けることがないと知ると
「雑魚が! クソ雑魚! この私をこんなに手こずらせやがって! 死ね、死ね、死ね! 100回死ね! 奴隷のクソにまみれて死ね! 家畜の餌にでもなって死ね!」
思い付く限りの罵詈雑言ーーしかし語彙も表現も幼稚な言葉を何度も吐きかけながら、持った剣を振り上げるクリスティア。
(おかしい)
――それは、ジュリアスの胸の内か、クリスティアの胸の内の言葉なのか。
(どんなに強い相手でも、決して挫けない心があったはずなのに)
(決して弱者を虐め、自身を驕るような人間ではなかったはずなのに)
((一体、何があった。どうしてこんなことに)
「死ねぇぇぇぇ! ジュリアスぅぅぅぅぅぅ!」
「うあああああああああああああ!」
ジュリアスの脳天へと剣を振り下ろすクリスティアの咆哮と、『黒牙』の呪いによる苦痛に喘ぐジュリアスの咆哮が重なる。
――そして数秒後
「馬鹿、な……」
クリスティアの胴体は、龍の顎に喰いつかれていた。
それは本物の龍ではない。
ジュリアスが持つ『黒牙』、その黒い刃が吸い上げたジュリアスの生命力――それによって刃の形を変えたのだ。
黒いオーラを纏いながら、龍の頭のような形に変わった『黒牙』の刀身はクリスティアの腹部へ伸びると、そのまま喰いついていた。
「っがああああっ!」
クリスティアが弾かれるように後ろへ飛ばされる。
――とりあえず胴体はくっついている。内臓がはみ出ているということもない。これだけで致命傷ということは無さそうだ。大丈夫。
「うげえええええっ! げえええっ!」
しかし、鈍器で抉られたような強烈な痛みがクリスティアを襲う。胃の中からこみ上げたものが食道を通って、口から吐瀉される。
「げほっ……うげぇえ……ぁあああ」
(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い……!)
今までにないくらいの壮絶な激痛に涙を流しながら喘ぐクリスティア。
「ク、リスぅ……!」
「っ!」
しかし、すぐに相手の殺気を感じて我に戻る。
『黒牙』が変貌した龍の顎に弾き飛ばされたクリスティアだったが、そんな彼女にジュリアスは近づくことはしていない。2人の距離は、まだ3m程は離れている。
その少し離れたところからこちらを見るジュリアスは、相変わらず全身は黒い血塗れ。閉じている左眼からも、空いている右眼からも黒い血の涙を流して、射殺すように睨みつけてくる。
その様子は、正気を保っているのか、それともまた理性を失ってしまったのか、どちらとも取れないものだった。
「ひ……」
ジュリアスが持つ『黒牙』の形は、今は鎌でも龍の頭でもない。いつの間にかその形状は、両刃の大剣へと姿となっていた。しかしその刀身は異常に長て大きく、鎌の形状を超える程の超重武器と化していた。ジュリアスがその場からそれを振るえば、クリスティアを一刀両断に出来てしまえそうな程の。
「た、助けて……!」
「おああああああっ!」
助けを乞うクリスティアに、容赦なく振り上げた『黒牙』を振り下ろすジュリアス。その巨大な大剣を、クリスティアはもはや本能的だけで、剣でそれを受け止めようとする。
が、『黒牙』の苛烈な攻撃を受け続けたクリスティアの剣は、ここまで保ったのが不思議なくらいで、その刀身を木っ端微塵砕かれる。
「っうああああ!」
そのまま武器を失ったクリスティアを、ジュリアスは大剣の腹で殴りつける。
刃で斬り殺すのではなく、鉄で殴打するような攻撃に、クリスティアはくるくると身体を回転しながら後ろに飛ばされる。
「ぎゃあああああっ! 痛い、痛いよぅ! 痛いのよぉぉぉ!」
痛みに泣き叫ぶクリスティア。今のでおそらく肋骨が何本か折れている。いやそれだけではない。身体の至るところに重傷を負った。もうどこが痛いのかすら分からない。とにかく痛い。苦しい。
「貴女は、そんなに弱い人ではなかった」
「こ、こないで……やだ、やだ……!」
黒いオーラを纏いながら、1歩1歩クリスティアに近づいてくるジュリアス。逃げようにも、もうクリスティアは立ち上がることすら出来ない。
「助けて、助けて……」
涙と鼻水を流しながら、必死に助けを乞うクリスティア。
しかし、ジュリアスは決してその歩みを止めない。
怒りと憎しみと殺意を込めた目で自分を睨んでくる。それはジュリアスが『黒牙』を手にしてから、微塵にも揺らぐことはない、クリスティアへと向けられた憎悪だ。
「なんだよ……なんだよ……救うとか言っておいて……」
そのジュリアスの怒りを正面から受けて、クリスティアは弱弱しい女性のようにグスグスと泣き始める。
傷の痛みよりも、死の恐怖よりもーー
「そんなに私を殺したいの……?」
いくら自分が悪いとはいえ。
自分が親友だと思っていた相手からの憎悪ーーそれは死ぬことなどよりも、よっぽど恐ろしくて悲しかった。
そうして、ジュリアスは最後の一撃をクリスティアへ放った。
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