【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第84話 ジュリアス=ジャスティン(後編)

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 1日の始まりを告げる朝焼けが世界を照らす早朝の時間帯、クリスティアは河川敷で1人走り込んでいた。

「はっ……はっ……!」

 早朝の走り込み自体は昔からの習慣である。高等教育へ進学と共に王都で一人暮らしを始めてからは毎朝このコースを走っていた。

 まだ人通りもほとんどなく、景観が良いこのコースは、クリスティアのお気に入りだった。

「おはようございます」

「……ジュリアス」

 後ろから追いかけてくる足音が聞こえてくると、それはクリスティアと併走してくる。

 それはジュリアスだった。

 自分と同じように汗を掻きながら、それでも爽やかな笑顔をクリスティアに向けてくる。

 ちなみに、彼はその甘いマスクで女生徒に人気であることはクリスティアも知っていたが、クリスティア自身はあまりそこに興味を抱いていない。

「随分早いのね」

 足を止めずに、彼と併走しながらクリスティアは感心したように言った。

 ジュリアス程の家系の人間がこうして朝早くから走り込むをするという泥臭い鍛錬をするのは、正直なところクリスティアにとっては意外だった。

 そんなクリスティアの言葉に、ジュリアスは微笑を浮かべながら答える。

「私も余裕がありませんからね。強くなるためには何でもしないと」

 そう返してきたジュリアスに、クリスティアは驚いたように目を見張る。

 そして、その表情はすぐに緩んでいく。

「そうね」

 クリスティアは短い言葉でそれだけを返してきた。

 ーーあのミリアムとの手合わせの後から、ジュリアスは変わった。

 「天才」という便利な言い訳を使うことを止めて、ジュリアスもまた愚直にミリアムやランディに追いすがろうと、目の前の越えられない壁と向き合うようになったのだ。

 こんな朝の走り込み1つで何が変わるということもないだろう。

 しかし挑戦する前から勝てないと諦めるのではなく、越えようとするために行動を始めたこと。そうすることでジュリアスは、ジャスティン家の名前に囚われていたことから一歩踏み出し始めた。

 名家の嫡子と名家の妾の娘――違う出自でありながら同じ思いを持った2人はいつしかお互いを認め合い距離を近づけていたのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 クリスティアの天才2人への挑戦は、1年を超えても尚続いていた。

「っあああああ!」

「いや、本当に根性あるよな。クリスティアは」

 今日もクリスティアはランディに叩き伏せられていた。1年以上も、こうまで完膚無きまでに倒されても決して折れないクリスティアに、ランディは改めて感心させられていた。

「はぁ、はぁ……でも、全然貴方との距離が縮まる感じはしないわ」

 攻撃を受けた脇腹を抑え、流れる汗を腕で拭いながら、クリスティアは差し出されたランディの手を取って立ち上がる。

「ん~、そうだなぁ。でも、クリスティアも随分と強くなったけどなぁ」

 しかし自分との実力差に関してはクリスティアの言葉を否定しないランディ。その点においては、ランディは誠実であり、決して気休めの誤魔化しなどはしなかった。

 いくら折れずに挑戦を続けていると言っても、クリスティアとて人間だ。

 1年以上の時を経ても、ランディやミリアムに少しも迫れる気がしない現実に、歯を食いしばりながら言葉なき悔しさをその胸に湛えているのは分かる。

「ジュリアスの剣筋は、性格と同じで正直過ぎるのよ。絡めても覚えた方がいいわ。――そうね、今度ランディに夜の街にでも遊びに連れて行ってもらったらどう?」

「なるほど……それは思いつきませんでしたね。意外と効果があるかもしれません」

「あのねぇ。そういう所よ」

 別の場所で手合わせをしていたミリアムとジュリアスが、クリスティアらが鍛錬をしていた運動場に姿を現してくる。ジュリアスもクリスティアと同様に、ミリアムに叩き伏せられたのか、顔も腕も、身体中が痣だらけだった。

「お互い、やられたい放題ですね」

 同じく痣だらけのクリスティアを前にして、ジュリアスはそう言って彼女に笑いかけた。それを傍で聞いていたミリアムが「何よ。クリスティアになら冗談も言えるのね」とこぼすのを聞きながら

「……くす」

 クリスティアも自然な笑みをこぼすのだった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

「っかー! マジかぁぁっ!」

 それはとある授業の時。

 この日は戦術学の授業で、実践としてとあるボードゲームに課題として取り組んでいた。ゲームといってもかなり作り込まれているもので、王立の教育機関の授業でも取り入れられているものだ。

 この日ジュリアスは、時間・被害・戦果と全ての面においての最高記録でもって、ランディを完全に打ち負かしていた。

「うをををを……まさかあの部隊が囮だとは。ていうか、俺の考えた最強師団があんな少数部隊に撃破されるなんて……!」

 ワナワナと悔しさに全身を震わせるランディ。その一戦を観戦していたミリアムが彼の横から

「ランディは部隊の編成が適当過ぎるのよ。もっと部隊に特性を持たせて、適性に合った動きをさせないと」

「それじゃあ俺が何も考えてないみたいだろっ! 俺なりに色々作戦はあったんだぜ!」

「まあ、ランディは馬鹿だからね。足りない頭でジュリアスに敵うはずもないものね」

 ランディはミリアムの言う通り馬鹿というわけでは決してない。むしろ指揮官としての資質も非常に高い。ただジュリアスの才覚がそれを超えているというだけだ。

 しかし個人戦ではいつもランディに言われたい放題になっているジュリアスの代わりに、ミリアムがここぞと言わんばかりに言い返していただけだった。

 まともな反論が出来ず、悔しそうに唸っているだけのランディを尻目に、ミリアムはジュリアスにウインクを送ってくる。

「次は私ね。悪いけど、戦術戦でも負ける気はないから」

「望む所です。返り討ちにしてあげますよ」

 珍しく好戦的なジュリアスの言葉に、ミリアムは笑みを浮かべる。

 ミリアムの才能も剣だけではない。ティンカーズ家という名家に相応しい指揮官たる資質はランディ以上だ。全体を見渡し状況に合わせた指揮を執ることは、既に現役の龍牙騎士にも勝る程である。

 そんな彼女が指揮する部隊を、ジュリアスはランディ戦をも超える速さで撃破したのだった。

□■□■

 越えられない天才2人ーーミリアムとランディとの出会い。

 そして絶対に手が届かないにも関わらず、決して心を折らずに彼女らを追い続けるクリスティアとの出会い。

 これらを経て、ジュリアスは大きく変わった。

 戦わずに逃げることを止めた。本当に強くなるために、諦めることは止めて、出来ることは何でも試した。

 早朝の走り込みから放課後の基礎トレーニング、ぼこぼこに打ちのめされるミリアムやランディとの毎日の手合わせ。

 本来、ジャスティン家程の名家の人間ならば考えられない程に泥臭い方法で、そして傷だらけになったジュリアス。それでも一緒に頑張っているクリスティアがいる限り、もうジュリアスも折れることは無かった。

 しかしいくら頑張っても、何をしても、目の前の天才2人は超えられない。それどころか届く気すらしない。気が遠くなり、普通の人間ならば何度も絶望して心が折れるに違いないであろうその中で、とにかくジュリアスは自分に出来ることを探し続ける暗中模索の日々を続けていき――

 遂にジュリアスは己の才覚を見出した。

 現役龍牙騎士と学生の交流行事の一貫である模擬部隊戦。龍牙騎士団と学生でそれぞれ部隊を組んで、互いの本拠地の旗を取り合うというオーソドックスな模擬戦において、学生側の指揮官を担ったジュリアスは見事勝利を収めたのだった。

 更に龍牙騎士側を指揮していたのは、当時既に『堅鱗』の称号を得ていたクルーズ=ルメイラ。学生側が現役龍牙騎士に勝利するだけでも前代未聞である上に、団長ルエールに次ぐ程の指揮権力を持っていたクルーズをジュリアスが撃破したのは、正に大金星だった。

「自分の居場所を見つけたのね」

 あっという間の高等教育3年が終わった卒業式の日。

 桜が舞うような絵にかいたような春の別れの風景の中、この3年間で友好を深めたクリスティアは、すっかり柔らかい表情でジュリアスに笑いかけてきた。

「龍牙騎士団に入団しても、頑張ってね。応援しているわ」

「ありがとうございます。クリスティアは……ミュリヌス学園に進学ですね」

「ええ。白薔薇騎士はずっと憧れだったから。私も、必ず姉上に追いついて見せるわ」

 白薔薇騎士団長シンパ=レイオール。クリスティアの異母姉にしてレイオール家の正当の血筋を引く彼女は、クリスティアにとっては劣等感の象徴でありながら、目指すべき目標であるという。

「本当に、貴女はすごいですね」

 クリスティアは、これまで歪むことなく真っ直ぐにひたすらそれを目指してきた。そしてこれからも歪むことはないだろう。

「この3年間私なりに必死に頑張ってきたつもりだったけど、どうだったかな。正直空回りしている部分もあったかもしれないけどね」

 彼女がそう言うのは、結局この3年間、クリスティアはミリアムにもランディにも勝てることは1度も無かったのだ。

 それはジュリアスも同じだった。しかし自分は部隊戦術といった分野で自分の才能を見出した。それにおいてはミリアムやランディはおろか、現役龍牙騎士将軍にすら土をつけたのだ。

 しかしクリスティアにそういったことは無かった。必死に努力していたのは事実だが、結果的には負け続けて叩きのめされただけだ。しかし、それでもやはり歪むことなく、真っ直ぐなままのクリスティアの心を、ジュリアスは心の底から尊敬する。

「でも貴方やミリアム、ランディと仲良くなれたのは本当に良かった。貴方達に教えてもらったことを大切に、ミュリヌスでも頑張るわね」

 彼女はこれまでも、そしてこれからもその心が曲がることも無いのだろう。

 だから、ジュリアスは別れの際に伝えたかった。

 ――君の存在が、自分を強くした。完全に折れて歪み切っていた己の心を直し、すぐ側で頑張る姿を見せてくれたから、自分も頑張れた。強くなれた。

 そしてクリスティアが頑張ってきたことは決して無駄じゃない。空回りじゃない。結果はもう出ている。そのことはすぐ側で見続けていたジュリアスが知っている。

 感謝の気持ちと、そして彼女自身もしっかりと強くなっていること。

 それを証明するために。

「最後に、手合わせに付き合ってくれませんか?」

□■□■

 2人以外には誰もいない鍛錬場。

 卒業式が終わったその足で鍛錬場に向かったその2人は、式用の礼服の上着を脱いだそのままの恰好で模擬剣を打ち合っていた。

 ミリアムやランディと言う分かりやすい指標が側にあったせいか、この2人が直接手合わせをしたのは、これまでにほんの数回程度。一番最近でも1年以上も前のことだ。

 ジュリアスとクリスティアの実力を比較するならば、血筋などは本当に関係なく、圧倒的にジュリアスの方が上手であった。

 いくらミリアムとランディに劣るとはいえ、名門ジャスティン家の長男としての才覚、しかも近年稀に見る程と言われるジュリアスが弱いはずがない。

 一方クリスティアは名門レイオール家の出身ながら、才能は平凡。その努力量はジュリアスそのほか、ミリアム、ランディにも勝る程だったが、しかしその才能の差を埋めるにはまるで足りなかった。

 --そのはずだった。

「はぁっ……はぁっ……!」

「――参りました。貴女の勝ちです、クリスティア」

 地面に腰を付いているジュリアスに剣を突き付けているのはクリスティア。そのクリスティア本人が、この現実を一番信じられないような驚愕な表情を見せていた。

「私が……勝った? ジュリアスに……?」

 絶対に届かないと思っていた名門ジャスティン家の人間に、妾の人間に過ぎない自分が実力で勝利した、というのか。

 この期に及んで、ジュリアスが手を抜くはずがない。そんなことはクリスティアに対する最大で最低の侮辱であり、誠実な親友と認めてくれる自分にそんな真似をするはずがない。

 そもそも実際に剣を交える中で分かる。ジュリアスは全力で剣を振るってきたということを、クリスティアは剣を打ち合う中で理解していた。

 だから、実力で勝ったのだと分かる。自分はジュリアスに……国内でも有数の上流貴族の人間に実力で勝利することが出来た。

「~~~っ!」

 思わず喜びに身体が震えるのを止められない。

 思えばこの3年間は、追いかけても追いかけても、全く届かない高みを目指していた。届く気すらなかった敗北続きの3年間。そんなだったから、実は無意味だったのでは、自分がやっていることに何の意味があるのか、その不安に怯えていた。

 しかし、意味はあった。

 1年次には全く勝てる気がしなかったジュリアスに、ぎりぎりとはいえ勝利することが出来たのだ。

 それはクリスティアが初めて実感する努力の賜物。この負け続きの3年間が無駄ではなかったと、しかと自分の価値を感じることが出来た瞬間だった。

「あはははははは! 本当に情けない……負けるというのは本当に悔しいですね」

「ジュリアス……?」

 負けたにも関わらず笑うジュリアス。それも彼らしく気取った上品な笑いではなく、まるで悪戯がバレた悪ガキのような笑い方だった。

「貴女の努力は決して無駄なんかじゃありませんよ。貴女は強い。本当に強い。心も、そして実力もあります。自信を持って下さい」

 倒れたジュリアスが起き上がりながらそう言う。

「それを、私の教えるために……?」

「私は、貴女以上に貴女の強さを知っている自信がありましたから。”今の”私では勝てない、ということを」

 それは、以前の臆病なジュリアスであっても似たような言葉を使っただろう。しかし、クリスティアの強い心に触れて成長したジュリアスの言葉には『今の』がつく。

 圧倒的な努力量によって急成長をしたクリスティア。そんな彼女に、おそらく現状では敵わない。その実力差を素直に認めることが出来るからこそ、ジュリアスはそれを超えるためにまた立ち上がることが出来るのだ。

 そして心から信じあえる親友と想いを共にしながら高みを目指せることは、本当に嬉しくて楽しくてたまらない。

 だから、ジュリアスは負けを認めながらも心の底から笑える。

 ジュリアスは、それ程に強くなった。

「これが、私からクリスティアへ向けての卒業の餞別です。ミュリヌスに行っても、頑張って下さい」

 これが同じ機関の学生として交わす最後の握手――そう思ってジュリアスは手を差し出す。

「ジュリアス……ありがとう」

 その手を取るクリスティアは笑っていた。それは今までの彼女らしからぬ、優しくて嬉しそうな笑み。そしてその瞳には涙が滲んでいた。

「私は一足先に龍牙騎士団で頑張っていますよ。貴方が言うように、家名など関係なく私のやり方で騎士団長にまで昇り詰めて見せますよ」

 ジャスティン家が龍牙騎士団長に。かつての栄光を彷彿とさせるその志は、レイオール家でありながら妾の娘として生まれたクリスティアが白薔薇騎士団長を目指すのと同じものだ。

 多くの人は一笑に付す程度でまともに取り合わないだろう。

 しかし、少なくともこの2人だけはお互いの想いを笑わない。

 目の前の親友がそれだけ真剣で、そのためにどれだけ苦しんで努力を重ねてきたからを知っているから。

「私も、絶対に姉上を超えて白薔薇騎士団長になって見せる。ジュリアス、私は貴方が龍牙騎士団でのし上がっているのをちゃんと見ているわ。だから、お願い――私のことも、見ていてね」

 ジュリアスの手を固く握りしめて、決して揺るがない決意を、挫けない心を彼に伝えるクリスティア。

 ここから2人の道は分かれることとなる。しかし目指すべき場所は同じだ。この別れはひと時の事――しかしお互いに真に認め合った親友との別れは、一時とはいえ胸を刺すものがある。

 クリスティアの瞳には、また涙がにじみ出る。

「ええ。私も貴女のことを見ていますよ、クリスティア」

 力強く笑顔でうなずいてくるジュリアス――その彼に、クリスティアも笑顔を向ける。

「クリス、よ」

 それはいつもクールで淡々としていた彼女の笑みからは全く想像だに出来ないもの。年頃の女性らしく、可憐で美しい満面の笑みをしながら言う。

「死んだ母様が、私を愛してくれた母様だけが、いつも私のことをそう呼んでくれていたの。だから、これからはジュリアスもクリスって呼んで? ね?」

 鍛錬場を2人で出る。

 桜が舞い落ちる中、おそらくは彼女の母親にしか見せたことのない、その満面の笑みを浮かべるクリスティア。

 ジャスティン家の復活――それは生半可な道ではない。しかし、それを必ず果たして見せると真の覚悟を決められたのはクリスティアがいたからだ。

 だからジュリアスは強くなる覚悟を、自分が出来ることをとことんやりぬくことを、そうしてその容易ではない使命を果たしてみせると決意した。

 そうして弱くて臆病な自分と向き合うことが出来たジュリアスは、現実に「ミリアム世代」の中で、最速で将軍格へと昇進した。それこそミリアムもランディも出来なかったことだ。

 更には、異例の若さでの副団長への就任――

 ジャスティン家の栄誉は確実に復活しつつある。ジュリアスの両親も彼を称え喜んでくれている。それは、自分を愛して育ててくれた両親への最大の孝行だとも思っている。

 ――それらは全てクリスティアがいてくれたからだ。

 彼女の気高き強い心があったからこそ、今のジュリアスがいる。今の龍牙騎士団副団長ジュリアス=ジャスティンがいるのは、クリスティアの存在があってこそだ。

 だからジュリアスは、クリスティアのためならば――
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