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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第81話 クラベール城塞都市決戦(Ⅸ)--ジュリアスVSクリスティア

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 黒焦げになった体から、黒煙が上がっていた。

 ラディカルの一撃で胴体を裂かれたルルマンドは、既に事切れている。四肢を投げ出すようにしながら地面に仰向けに横たわり、それからピクリと動くことはない。

 金の力で地位を手にした欲望塗れの愚かな男の最期は、あまりにも惨めであった。

「に、逃げろ! 撤退だっ!」

 『呪具』によって異形化したルルマンドが倒されたことで、新白薔薇騎士達は動揺し、ラディカルらの前から素早く逃げ去って行く。

「将軍、大丈夫ですか?」

 彼女らと剣を交えていたラディカルの部下達が寄ってくる。

 勝利したとはいえ、右拳は思わず目を覆いたくなるくらいにグロテスクな見た目になっており、完全に使い物にならなくなっている。全身にも火傷を負った。さすがのラディカルといえど苦しい表情を隠すことは出来ず、息を弾ませながら片膝を地面につくのであった。

「あいつら逃がすなよ。生きて捕まえろ」

 激痛に顔をしかめながらも、やせ我慢の笑みを浮かべられるラディカルは、それだけでも大したものだった。部下達はラディカルの指示にうなずき、すぐに監視塔で全状況を把握している部隊と連携を取り始める。

「――ふー、これで人心地ついたかねぇ」

 大きく息を吐きながら、当面の脅威を打ち払ったラディカルがそう言う。

 この状態では、すぐにラディカルが戦闘に戻ることは難しい。しかしルルマンドのような化物がもう出て来なければ、都市内に侵攻してきた敵部隊に対しては問題なく制圧出来るはずだ。

(一服といきたいところだが…)

 さすがに戦場の現場へ煙草は持ち込んでいなかった。戦闘の緊張から心も身体も弛緩し、途端にあの紫煙の味が恋しくなるが、グッと堪えるしかない。

 それに、そもそもまだ終わってなどいない。

 ルルマンドのような化物が現れなければ、もうラディカルが直接戦闘に参加する必要もないだろう。

 しかし敵の中にはまだ存在する。ルルマンド以上の化物が。

「俺の役割は果たしやしたぜ。後はたのんます、ジュリアス将軍――」

 クリスティア=レイオール。

 ルルマンドを倒しても尚、まだ彼女1人の存在で戦局は容易にひっくり返るような状況だった。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 ラディカルとルルマンドの死闘に決着がついたのとほぼ同時刻、クラベール城塞都市正門前。

「うっ……ぐっ……ぐはあっ!」

 ジュリアスはクリスティアの猛攻を受け止めきれず、後ろにのけぞった。

 元白薔薇騎士のような流麗で華麗な技などはそこにはない。ただただ力任せの剣技によるクリスティアの苛烈な剣戟。

 一撃一撃が重い。その速度には追いつけるものの、剣を受け止めているはずなのに、それを通して伝わる衝撃は着実にジュリアスの体力を奪っていき、ダメージを与えていた。蓄積されていくダメージはジュリアスの身体を蝕んでいき、ジュリアスの動きは明らかに鈍くなっていく。

 やがてクリスティアの拳がジュリアスの顔面にまともに叩き入れられた。

 戦闘が始まってから最初の直撃を受けたのはジュリアスの方だった。

 噴き出る鼻血を抑えながら、ジュリアスは後退してクリスティアと距離を取る。

「ふんっ、どうしたジュリアス! 相変わらずへろっちょろいわね!」

 顔を合わせるたびに、クリスティアがジュリアスの知る人間から変わっていく。

 粗暴な口調で、口にする言葉も汚い。それは彼女が白薔薇騎士団長の家系に相応しい淑女たろうと努力していた頃の面影など微塵にも残っていなかった。

 それは、そうして努力していた彼女自身の努力が、姿を見せない悪魔に凌辱されているような気がして――

 ジュリアスはよろけそうになった足でしっかりと地面をしっかりと踏みしめる。まともに攻撃を喰らってしまったが、幸いにも傷は浅かったようで鼻血はすぐに止まった。

 鼻の下についた血を指で払いながら、隻眼の龍牙騎士は目の前に立ちふさがる新白薔薇騎士を見据える。

「――ち。やっぱり、城塞都市内で何かやっているわね」

 ジュリアスの背後にある城塞都市正門は、ルルマンドの部隊を飲み込むようにした後、堅く閉ざされて。その後、城塞都市内では大きな動きも無さそうだし、何よりも都市内への侵入を許したジュリアスに焦りが無い。

 ここにきて、クリスティアはようやくジュリアス側の企みを確信したのだった。

「まあ別にあんな豚がどうなってところで知らないけど、ここで私が手柄を立てないとまずいのよ。新白薔薇騎士団でのし上がっていくために、あの勇者を退けて団長になるために、ね」

「クリス……」

 改めて痛感する。

 目の前の、かつての親友が本当に変わってしまったのだと。

「どんなに愚かしい相手でも、貴女は相手を侮蔑するような、そんな言葉は決して吐かなかった……!」

 かつて切磋琢磨しながら互いを高め合い、共に強くあろうとした仲間。とても強く、気高い意志を持った友人は変わってしまい、もういなくなってしまった。

 でもジュリアスは、そんな事実が受け入れられない。

 何があったのかは知らないが、あれだけ強かった彼女の心がそんな簡単に歪められるとは信じたくなかった。

 しかし――

「はっ、何それっ! 相変わらず、ジャスティン家のお坊ちゃんらしい、甘くて生温い言葉ね。あ~、きもいきもい! 豚を豚と言って何が悪ぃんだよ。てめぇも、ごみっかすだろうが、ジュリアス! フェスティアにただの1勝も出来ずに、無駄に部下を殺されてさぁ!」

 ズキン!と、ジュリアスの胸が痛む。

 特にジュリアスの胸に暗く重く残っているテアレスの死を持ち出されれば、動揺せずにはいられない。

「あんだけ負け続けて、よく副団長を首にならないものね! ていうか、恥ずかしくて自分から返上しようと思わないのぉ? あっ、そうかぁ! そんなことより、ジャスティン家の名誉とか地位とかの方が大事だもんねぇ! さすが、崇高で誇り高い龍牙騎士様だ! キャハハハハハハ!」

 まるで悪魔の高笑いのように、クリスティアは笑い続ける。

 ーー全くその通りだ。

 もしかしたら自分はここにいるべきではないのかもしれない。フェスティアに完膚無きまでに叩きのめされて、多くの部下を見捨ててきた。実際、クリスティアの言う通り決戦前には副団長の地位を返上しようとしたのだ。

「全く、貴女の言う通りです。反論の余地が1つもありませんね」

 それでも、今も龍牙騎士団副団長としてここに立っている。

 副団長の座を捨てることで、その責任から逃げることをコウメイは許さなかった。その苦しみから逃げるのではなく、背負い続けて責任を果たすことをジュリアスに求めてきた。

 あの柔和なコウメイが、頑としてジュリアスの副団長の辞任を受け付けなかったのだった。

 ――ただ、それだけであれば、ジュリアスはこの場に立てなかっただろう。

 とにかく味方が死なないように、逃げて逃げて逃げまくっていたに違いない。そうすればクリスティアら突撃部隊に圧倒されてしまい、瞬く間に都市を占領されていたに違いない。『味方を死なせないため』という言い訳を建前にして、逃げ続けていただろう。

 しかしコウメイからジュリアスに与えられた役割は、副団長として都市を防衛することではなかった。

 かつて心の底から信頼し合い、絆を紡いだ仲間を救いだすこと。

 コウメイは、ジュリアスの今最もやるべきことを明確に絞ってくれたのだ。

「副団長とか、龍牙騎士とか、ジャスティン家とか……そういうことは関係ないんです」

 やることが、明確になった。

 そう思うと、フェスティアとの戦いの敗戦も、テアレスを死なせてしまったことも、不思議と気にならなくなった。気持ちが楽になった。

 勿論、いずれはそれらの責任は龍牙騎士団副団長として取らねばならないことは言うまでもない。

 しかしそれは今ではない。

 今やるべきことは、1人の男として、ジュリアス=ジャスティンとしての意志を貫くことなのだ。

「逃げるばかりでは、私の意志は貫き通せません。私がやるべきこをと果たせません。クリス……私は、貴方を必ず救う―ーそれが、私がここに立っている理由です」

 剣を構え、もう挫くことは出来ない自らの強固な意志を示すジュリアス。

 そんな彼を、クリスティアは――

「はんっ!」

 鼻で笑い飛ばすと、再びジュリアスに斬りかかる。

「うっ……くっ……!」

「随分と大層な想いだけれども、この如何ともしがたい実力差はどうするつもり?」

 微塵にも緩んでいないクリスティアの猛攻。いや、むしろその攻撃に乗せられている憎悪は増しているようにすら感じる。

 相変わらず攻撃を受け切っているにもかかわらず、剣を通して、その剣を握っている腕から全身へと衝撃を伝わってくる。クリスティアの剣を受け止めれば、それだけでバランスを崩してしまうジュリアス。

「ほら、隙だらけっ!」

「……っぐあ!」

 先の戦いで他でもないクリスティアによって奪われた左眼、その欠けた視界に回り込まれての一撃を、ジュリアスはまともに食らう。その一撃は鎧ごとジュリアスの左脇腹を切り裂き、金属片が砕けて舞い散るのに遅れて、そこからジュリアスの血が流れ出てくる。

「ぐっ……!」

 傷を抑えてよろけるジュリアスに追撃を仕掛けるクリスティア。それでもジュリアスは歯を食いしばって、クリスティアの攻撃を受け続ける。

「気持ちだけで勝てるんだったら、誰も苦労なんてしねぇんだよゴミクズぅ! ほらほら、どうしたどうした! 反撃してみろよ! 私を救うんだろ? あ? 救うってのは何か? こんな哀れな感じになっちまった私を殺すことかぁ? 上等だよ、ごらぁ!」

「ぬ、ぐ……おおおっ……!」

 剣戟の嵐と共に浴びせかけられる罵詈雑言。激しい攻撃もそうだが、ジュリアスにとっては言葉の刃によるダメージの方が大きかった。

 何とかクリスティアの隙を突こうにも、相手の攻撃が苛烈過ぎて、攻めに転じる余地が全く見いだせない。少しでも踏み込めば、それだけで首を刎ね飛ばされそうだ。

 圧倒的な力と殺気――龍牙騎士副団長のジュリアスですら、手も足も出ない程の恐るべき相手。

「きゃはははははは! 悔しいねぇ! 内心では妾の娘だと蔑んでいた相手に、手も足も出ない気分はどうだい? 龍牙騎士団副団長様ぁ? 高名なジャスティン家の次期当主様よぉぉぉ!」

 無論、ジュリアスはクリスティアのことをそう想ったことなど1度もない。

「早く死んで、どいてくれよ! 私はさっさと都市内に入って、自分らは無関係だと思っている馬鹿どもを皆殺しにしないといけないんだよ! ルルマンドの豚なんぞ、知ったこっちゃない! 殺して、殺して、殺しまくって! 私は新白薔薇騎士団長兼あの御方の第1チンポ妻にしてもらうんだ! 雌として最高の人生を送るんだよぉぉぉぉ!」

 しかし悪魔の狂気に晒されて、憎悪と嫉妬を極限までに高められた今のクリスティアに、ジュリアスの誠実な思いを言葉にしても届くわけがない。

 ジュリアスは彼女の言う通り、何も出来ない悔しさに歯を食いしばることしか出来なかった。

 ――やがて、クリスティアの攻撃を受け切れなくなったジュリアスは、彼女の剣に左肩を貫かれる。

「っぐあああああああ!」

「もらった!」

 激痛にのけ反るジュリアス。クリスティアは突き刺した剣を引き抜くと、今度はその首元へと剣の切っ先を向ける。

「死ね! そこをどけ! ジュリアスぅぅぅ!」

「ここで、死ねるかぁぁぁぁ!」

 必死の形相で叫ぶジュリアスは、咄嗟にクリスティアの腹へ向けて蹴りを繰り出す。

「――!!?」

 予想外の攻撃にクリスティアは避けられない。不意の一撃をまともに腹部に喰らうと、えづくようにして胃の中からこみ上げたものを僅かに吐き出しながら、慌てて後退する。

「う……く……この野郎……」

「はぁはぁ……はぁ……」

 互いの攻撃を受けた箇所――ジュリアスは左肩、クリスティアは腹を――抑えながら睨み合う両者。

「貴女に、ここを通すわけにはいかない……!」

 本来なら自分の役割であったはずの都市内防衛戦――それを自ら買ってくれたラディカル。彼ならきっと誘い込んだ敵部隊を迎撃してくれているに違いない。そう信じている。

 しかしこの目の前の強敵の侵入を許してしまえば、一気に形勢は逆転するだろう。自分がラディカルを信じているように、きっと彼もジュリアスが己の役割を果たすことを信じながら、今も戦ってくれているはずだ。

 ここで彼女の凶行を止めて、そして救い出すことが、自分の果たすべき役目なのだ。

「くそ……調子ののってんじゃねえぞ……はぁ、はぁ……ラッキーパンチ……いや、ラッキーキックがたまたま入ったくらいでよぉ! はぁ……はぁ……」

 唇の端についた唾液を袖でふき取りながら、クリスティアは息を整える。

「大体ムカつくんだよ。救う救う言っておきながら、結局やることは殺すってことだろうがよぉ! 綺麗な言葉で誤魔化してんじゃねえぞ、ジュリアス! そういう、いい子ちゃんぶっているところが昔からむかついてんだよぉ! ちゃんと殺すっていえよぉぉぉぉ!」

 時間が経つにつれて、乱暴な口調は助長されて、饒舌になっていくクリスティア。

 果たしてそれは、決して折れないジュリアスの意志が彼女の心に何か働きかけているのか。それとも彼女を狂わせているものの効力が強まっているだけなのか。

 そのどちらかは分からないが、どんどん興奮を高めて激昂するクリスティアを見ていると、ジュリアスは逆に冷静になってくる。

 クリスティアの殺意と憎悪はどんどんと増していき、攻撃には容赦が無くなってくる。対するジュリアスは、体力は奪われ傷は増えて満身創痍。まともに立っているのがやっと、というところ。

 今自分が倒れれば、クリスティアは容易く城塞都市の中へ侵攻するだろう。今の彼女にとっては、城塞都市内に仕掛けている罠など小細工の域を出ない。彼女を城塞都市内に入れてしまえば、瞬く間にラディカル含めて中の人間は虐殺されてしまう。

 正に絶体絶命の窮地。どうしようもない絶望的な状況。

 にも関わらず、ジュリアスは極めて冷静な様子で瞑目するのだった。

「――あるいは、そうすることが救うということかもしれません」

「……あん?」

 クリスティアの問いに対して静かな口調で答えるジュリアス。そんな彼に、クリスティアは苛立ったような乱暴な反応を返す。

「正直、何を持って貴女を救うことになるのかは私も分かりません」

「何を言って……ああ?」

 言葉の途中でクリスティアが動揺したのは、ジュリアスに対してではない。

 ジュリアスとの戦闘に集中をしてはいたが、あくまでもここは戦場。横やりを入れられても返り討ちに出来る程度に、クリスティアも周りにも気を配っていた。

 しかし、そんなクリスティアの警戒に全く引っかからなかった龍牙騎士が1人、突然2人の戦場に割って入ってきていた。いつの間にか気づかないうちに、ジュリアスの側にその龍牙騎士はいた。

 クリスティアからすれば、何もない空間から突然現れたようにしか思えなかった。

(――こいつ、いつの間に……?)

 不自然にに現れたその騎士のこともそうだったが、それ以上にクリスティアの意識を奪う光景がそこにあった。

「ありがとうございます。レーディル」

「あう……ああ、大丈夫すか? 団長……?」

 そのレーディルという名の龍牙騎士は、龍牙騎士というには頼りなさげに狼狽えていた。そして自分の問いに力強くうなずいたジュリアスに向けて、両手に抱えるようにしていた「それ」渡す。

「やはり、私も全てを捨てる覚悟で、貴女との戦いに臨まければいけないようです」

 ジュリアスは、満身創痍の身体のどこにそんな体力が残っていたのか、「それ」を自らの頭上でぐるんぐるんと回す。

 その光景を茫然として見ていたクリスティアの髪が、そこから発せられる風圧に撫でられて揺れる。

「クリス、もう1度言います」

 ジュリアスは、真っ直ぐとクリスティアのことを視線で射抜く。

 それは、この戦いの初めから一点の曇りもなく、微塵にも揺らぐことなかった、強き意志が込められたものだ。

 ジュリアスは視線だけではなく、言葉として自分の意志を吐き出す。

「私は、貴女を救います」

 静かにそう言ったジュリアスが両手に構えた「それ」は、彼が得意とする堅実で美麗ですらある程の型を極めた剣とは全く対照的な武器。

 鈍重で荒々しく、前に立ち塞ぐ者はみな磨り潰されて刻まれると思わされる程の。

 ジュリアスの身体の一回りも二回りもある、まるで死神を思わせるような巨大鎌だった。

 ジャスティン家に伝わる『呪具』“黒牙”を手に、ジュリアスは未だに親友と信じるクリスティアとの決着に臨むのだった。
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