【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第68話 決戦前Ⅸ--@最前線クラベール城塞都市

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【クラベール城塞都市 外壁上】

 クラベール城塞都市決戦における全ての準備が整った。

 全ては順調に、想定通りに進んでいる。そのようにフェスティアに思わされている可能性がないわけではない。しかし、それが分かるのは明日の決戦を終えた後だ。事前にやるべきことは、全て終えたのだ。

 陽は西に沈みかけ、オレンジ色の光が世界を支配する夕刻――コウメイは、見張り台となっているクラベール城塞都市の外壁の上に立っていた。

 6月初夏の今日この頃ーーこの日は、その時期に似合わない冷たい風が吹いていた。その風がコウメイの身体を撫ぜるように吹き、彼の髪や服を揺らしている。

 ここからだと、正門前に布陣しているフェスティア部隊の陣地が遠目に小さく見える。

 コウメイは城壁上から、それを見下ろすようにしていた。その表情は、明るくも暗くもなく、余裕でも追い詰められているでもなく、何を考えているのかがいまいち読めない無表情だった。

「コウメイ元帥、少し寒くなってきていると私は感じます。私はあなたに、そろそろ部屋に戻って休むことを提案しようと思います。なぜならば、明日は決戦ですので、ゆっくり休んで完璧な状態にしておかないといけないからです」

「――うん、そうだね。ありがとう、プリティ」

 小康状態とはいえ戦争中である今、彼ら以外にも見張りの兵士達はそこに詰めている。しかしコウメイは、基本的には2人だけの時にしか呼ばない愛称で、護衛騎士代理の少女に笑いかけた。

「私は、コウメイ元帥を見て少し不安を感じました。何か悩み事があるのかどうかを聞いても宜しいでしょうか? それはひょっとすると、明日のフェスティアとの決戦のことでしょうか」

「あっはっは。そんな訳ないだろう」

 相変わらず不自然でしかないプリシティアの口調だったが、もうそれには突っ込まないコウメイは、彼女の言葉を豪快に笑い飛ばした。

 そして、まるで周りの兵士達にも聞かせるかのような大声で

「完全無欠の『女傑』っていったって、所詮大したこたぁない。万事全て上手くいっている。フェスティアが俺の狙いに気づいている様子はない。明日は楽勝だよ」

 コウメイにしては珍しく、自信満々な口調だった。

 いわゆる『護衛騎士モード』に入っているプリシティアは、その特徴である真顔のまま、じっとコウメイを見つめる。

 沈黙を守りながら、その間数十秒が経ち

「――そうですか。それを聞いて安心しました」

 そう言って瞑目しながら、頭を下げるのだった。

「リューイにも、今日くらいはゆっくり休んで明日に備えるよう言っておこう。それじゃ、戻ろうかプリティ」

 笑いながらそう言って、コウメイは城壁上から降りるべく階段へと向かう。

「……」

 しかしプリシティアはそのまましばらく動かずに、『護衛騎士モード』の表情のままコウメイの背中を見送っていた。


【クラベール領主邸内 貴賓室】

 マグナ=クラベール侯爵の屋敷内にある貴賓室の1つで、ジュリアスは神妙な顔をしていた。

 今、戦闘は起こっていないが戦争中であることに変わりない――にも関わらず、ジュリアスは珍しく酒を飲んでいた。

 指揮権がコウメイに渡されて、部隊を統括する責任が無くなったということもあるのだろう。ジュリアスは半分を布に包まれた顔を、ほんのりと赤くしながら、どこか険しい表情をしていた。

 課せられた責任から逃げようとしたジュリアスは、コウメイにそれを許されることは無かった。しかしコウメイは、それまでジュリアスが1人で背負っていたものを下ろしてくれた。

 ジュリアスは、明日の決戦では副騎士団長としてではなく、1人の騎士として戦場に臨む。

 やる事はシンプルに1つ。

 強大な敵、新白薔薇騎士クリスティア=レイオールの撃破だ。

 かつての学友であり親友であったはずの彼女は、すっかり変貌してしまった。どす黒い感情と欲望に染まり、狂気を孕んだ言葉を吐き出し、明日彼女はジュリアスを本気で殺しにかかってくるだろう。

 ーークリスティアを何とかする……これすら果たせなければ、その時は本当に自分の存在価値がなくなる。ジュリアスは本気でそう思い込んでいた。

 同世代の天才達――ミリアムやランディとは違って、突出した才能を持ちえない自分には、やはり何も出来ないのか。実際、無能で凡庸な自分ではフェスティアのような化け物じみた敵にはまるで歯が立たなかった。

 龍牙騎士になり、副団長になり……他人から見れば順調な出世コースを歩んでいるように思われるかもしれない。しかし、第2王女反乱前から今日まで、結局ジュリアスが成し得たものなど何1つないのだ。

 ーーそれでも……そんな自分でも、もしかしたら出来るかもしれない残された最後の可能性の1つ。ここまで追いつめられて、唯一残された最後の可能性。

『貴女を救います』

 ルルマンド部隊との戦場で、クリスティアにジュリアスが放った言葉。

 副団長としての使命は果たせなくとも、大切な副官を見殺しにしてしまったといえど、せめてこれだけは必ず成し遂げて見せる。

 最後の最後のこの場面で、その機会をコウメイに許されたのは僥倖以外の何物でもない。

 これが出来なければ、自分は何故ここにいるのか――

 決戦を明日に控えて精神的に追い詰められていたジュリアスは、その過重に耐えかねて、アルコールを口にせずにはいられなかったのだ。

「し、失礼します! ジュリアス副長!」

 不意に部屋のドアがノックされる。聞き覚えのない声だった。

「どうぞ。鍵は開いています」

 ジュリアスが答えると、1人の騎士が入ってくる。龍牙騎士団の騎士服を着ているが、彼はコウメイが統括する王下直轄部隊の騎士だ。コウメイが『寄り道』のため増援部隊本隊より遅れて城塞都市に入ることになり、その彼の伝言役を務めた騎士。確か名は……

「お、王下直轄騎士……れれれ、レーディルと申します。明日の戦いでは、副長のお付きを務めさせていただきます」

「――ああ、君がコウメイ元帥推薦の騎士ですか。宜しくお願いします」

 緊張のせいかしどろもどろになりながら頭を下げてくるレーディルに、ジュリアスは丁寧に返答をする。そんなジュリアスが手に持っている物に気づくと、レーディルは恐縮したような表情を見せる。

「あ……も、申し訳ありません。お休み中でしたか?」

「いいえ、構いませんよ。私の方こそ、こんな時にアルコールなど……申し訳ありません」

「い、いや……全然いいんじゃないですか。コウメイ元帥も今夜は攻撃もないだろうから、休める人はゆっくり休んで欲しいって言っていましたし。ラディカル将軍も、さっきまで随分と飲んでいましたよ」

 自覚がないであろうレーディルの告げ口に、ジュリアスは苦笑する。

「あっ、あの……コウメイ元帥から聞いていると思いますが、俺は戦いの方はからっきしで……王下直轄部隊の前は龍牙騎士でダイグロフ領方面部隊にいましたけど、落ちこぼれもいいところで――」

「構いませんよ」

 弱気な言葉を口にするレーディルを遮るように、ジュリアスは柔らかな言葉で答える。

「戦闘は全て私が受け持ちます。ただ明日使おうと思っている武器が、少々重いものでして。いざという時が来るまで、それを持って私の近くにいて欲しいんです。貴方にお願いしたいのはその役目です」

 そう言いながら、ジュリアスは目配せをする。それに気づいたレーディルは、そちらの方向を見ると――

 部屋の壁に立てかけられていた巨大な『それ』に気づく。

「――な、ななななな……こ、これを……副長が使うんですか?」

 顔に恐怖すら滲ませながら、レーディルは思いっきりひいていた。

 そんなレーディルの反応を見て、ジュリアスは無言でうなずく。

(何をもって貴女を助けることになるのかは私も分かりません。――ですが、最悪でも、貴女のことは私の生命を持ってでも……)

 龍牙騎士団副団長ジュリアス=ジャスティン。

 明日の決戦に備え、静かで激しい闘志と決意を、その胸の中で燃やしていた。


【城塞都市内空き家(元帥用仮宿)】

 時刻の上では既に日が変わってから数時間経ったくらいの時間。

 必要最低限の警備に充てられた人員のみが起きている時間であり、コウメイを始めとした明日の決戦に臨む者は、全て命令通りに充分に休息をとるべく床についていた。

 しかし、その命令を下したコウメイ自身は、ベッドの中で眠れずにいた。

(――怖い、怖い怖い怖い怖い怖い……)

 自分の身を抱きしめるようにしながら、恐怖に身体を震わせていた。

 それは、王都で出立を前にした時に感じていたのと同じ種類の恐怖だ。しかしいざ戦場に訪れて、決戦を明日に控えた今では、その程度は段違いだ。

 多くの将校の前では、なんとかかんとか余裕を演じられた――と、思う――が、こうして1人になると、どうしてもその重圧に耐えられない。とてもジュリアスに何かを言う資格などないと、つくづく思う。

 明日の決戦では、こちらが勝つにしろ負けるにしろ、多くの死者が出ることは間違いない。コウメイの思うがままになれば敵側に、もしもフェスティアに上手を取られれば味方側に。

 自分の判断1つで敵味方関わずに多くの命が失われるというのは、それだけでとてつもない重圧だ。『戦争だから』という理由で強引に自分の気持ちを納得させられなくもないが、それが通じるのは敵側の死者に対してだけだ。

 自らの失敗により、味方側の多くが死ぬこととなった場合……コウメイはその重圧に耐えることが出来るとは、とても思えなかった。

 明日の決戦、はっきり言ってコウメイに自信などない。

 敵は、優秀なジュリアスをこれまで完全に降してきた実績を持つ、それだけ見てもまぎれもない天才であるフェスティアだ。

 出来る限りの手は打ったつもりだが、その全てが見透かされている可能性だって少なくない。こちらが泳がされているなんてことは充分に考えられる。

 仮にそうでないとしても、コウメイの作戦は運に頼る要素も多く、確実さを欠いていることは自分自身が誰よりも自覚していた。

 上手くいけば大勝利を収めることが出来るが、上手くいかなかったときの結果は惨憺(さんたん)たるものだろう。作戦というよりは、博打といった方が相応しい。今のネガティブな精神状態では、とてもその博打に勝てる気などしない。

 多くの生命を左右する立場であるその重圧に、コウメイはどうしても耐えかねてしまう。やはり彼は、どこまでいってもごく平凡な一般人なのだ。

(ダメだ……眠らないと。こんなんじゃ、明日……本当に死ぬ)

 明日、コウメイが担うのは後方での指揮ではない。自らが前線に立って動き回り、その都度迅速で正確な判断を求められる役目だ。寝不足で集中力を欠いた状態で、その役目を全うできるはずがない。

 戦場で駆け回るのだから、ちょっとした判断ミスは勿論、少し運が悪い程度のことで簡単に死んでしまうだろう。

(――ダメだ。考えるな。寝ろ……眠るんだ)

 ベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、自分に言い聞かせるコウメイ。しかしそう考えれば考える程、身体は恐怖で緊張して眠れなくなる。

 これでは、まるで王都にいた時と同じ鬱状態だった。

 ――そう言えば、その時その状態から立ち直れたのは……

「元帥さ、子作りっちするやがー! ――って、うわ気づいてたっち?」

「何なの、君!?」

 まさかと思って思い切り布団をまくり上げると、いつの間にか布団の中に忍び込んでいたプリシティアがびっくりしたような顔をしていた。

 いや、びっくりするのはこっちだけど。ここまでされて気づかなかった自分もどうかと思うが。

「いや、おかあが言うには、男はみんなとりあえずヤレば満足するっち言ってたっけ、わーが相手しようと思ったやが」

 と、「てへへー」と後頭部に手を笑いながら能天気な笑いを浮かべるプリシティア。

「アホかー! 明日は決戦だからゆっくり休めって言ったろ! こんなことしている体力あるかー!」

 思わず突っ込みを入れるコウメイに、プリシティアはやはり笑いながら

「でもわーは、代理やが元帥さの護衛騎士だっち。こういうのも護衛騎士のお勤めやと思ったっちー」

「いやいや。こんなことが護衛騎士の役割なわけないだろ! 君の仕事は戦場で俺を守ることでしょ!?」

「あ、でも実はわーは初めてっち……優しくしてくれると嬉しいやがー」

「人の話、聞いてる? ってか、初体験の次の日に戦場で戦うもりなの? いろいろな意味で大丈夫か!?」

 頬を赤く染めながら、嬉し恥ずかしそうにしているプリシティアはこちらの話を聞いている様子はなかった。コウメイは大きくため息を吐く。

「ぐふふ、おかあが言ってたっち。とにかくじょうな身分の男には、でいに媚びっち売っとけって。既成事実さえ作ってしまえば、出世街道は約束されたものやが。子供まで出来たら完璧っちね。特にでいに弱っとる時っち、付け込めば完璧やが……ぐふふふ」

「全部、聞こえているぞ」

 悪い笑みを浮かべながら、独り言になってない独り言をつぶやくプリシティアを、コウメイは冷たい目で見ていた。

 ある意味では凄く危険な発言を突っ込まれて、プリシティアはあからさまに慌てる。

「あ、あうおえいえうあえおを? ち、ちちちち……違うっち。わーは、わーは……」

「……ぷ」

 動揺して何も言えなくなっているプリシティアを見ていると、コウメイは思わず吹き出してしまう。

 それは先ほど城壁の上で見せた芝居がかった表情ではなく、彼本来の自然で素の感情でありーー

「あはははははは」

「げ、元帥さ?」

「こういう時は元帥じゃなくてコウメイで良いって言ったろ? ったく、君は本当に……もう……」

 良くも悪くもこんな状況で、ハチャメチャな行動や発言をする護衛騎士代理。そんな彼女を見ていると、自分の生死について、他人の生死の命運を握っていることについて、真面目に考えて悩んでいたのが馬鹿らしくなる。

 “なんとかなる”。

 もう1人の護衛騎士に魔法の言葉と称してそう言ったのは、他でもない自分じゃないか。

 そうだ。意外になんとなるかもしれない。現実なんて得てしてそんなものだ。ここまで来たら悩むことも怯えることも、無駄なことだ。

「……そりゃっ!」

「き、きゃあああっ?」

 突然コウメイはプリシティアの身体を背中から抱きしめると、そのまま横たわって布団をかける。

「げ……げげげ、げんす……じゃなくて、コウメイさ?」

「――いや、君から夜這いしてきたんだろ? 何故にここに来て恥ずかしがるんだよ……」

 呆れるようにしながら言うコウメイは、そのまま布団の中でプリシティアの小柄で暖かで柔らかな身体を抱きしめる。

「セックスなんてしないけど、抱き心地がいいから今夜はこのまま一緒の寝るぞ。あー、気持ちいい……ちょうどいい抱き枕だ」

 プリシティアの身体の感触を感じ、彼女の暖かな体温に身をゆだねるようにして、コウメイは彼女の背中に顔を預けるようにする。

 こんなにも華奢で、このまま強く抱きしめたら折れてしまうのではないかと思わされる程の小柄な身体。しかし明日の戦場では、別行動をとる護衛騎士リューイに代わり、この小柄な娘がコウメイの近くで身を守ってくれることとなっている。

 年齢が一回りも違う、こんな小動物のような少女の面影を残すような娘に守ってもらうのは、恥ずかしいことかもしれない。

 しかし、コウメイは既に王都で彼女に教えられて救われている。

 元帥という立場上、コウメイはありとあらゆる人を助けなければいけないし、頼られるし、何があっても余裕で楽勝な態度を貫く必要がある。しかし、そんなコウメイだって誰かを頼っていいし、助けられてもいい。今のコウメイには、それが必要なのだ。

 そして、そんなコウメイが今唯一寄り掛かることが出来る存在が、プリシティアなのだ。

「明日は頼むよ、プリティ」

 眼を閉じながら、コウメイは静かにそう言った。

 そう言って、プリシティアの身体の前に回されたコウメイの手は僅かに震えている。

 寄り掛かることが出来る人がいるからといって、そう簡単に戦場の恐怖が消えるわけがない。ましてやコウメイは、一般人の中でも小者で小心者なのだ。

 プリシティアの体温を、存在を感じていても怖いものは怖い。それでも、彼女がいるだけでも随分と違う。頼れる人がいるというのは、こんなにも救われることなのか。

 騎士という立場で、今までも戦場を立ち回ったことがあるプリシティアからすれば情けなく思われるかもしれない。いい年齢をした、しかも元帥という立場にある男が、こうして戦場を前に怯える姿は。

「コウメイさ……」

 自分の身体に回されたコウメイの手が震えているのに気づいて、プリシティアはハッとした表情になる。

 そして、数秒間はどう反応していいのか分からずに戸惑ったような表情をしていたが、やがてプリシティアは微笑んだ。

「安心して下さいっち」

 それは、権力者に取り入ろうとするようなずる賢い笑みではなく、だからといって何も考えていない幼い笑みでもない。

 コウメイの恐怖を理解し、その上でその怖さを優しく包み込んで受け入れるような……まるで聖母のような、その幼げな容貌に似合わない優しい笑みを浮かべていた。

 そして、震えるコウメイの手に自らの小さな手を優しく重ねながら

「明日はコウメイさのこと、わーが必ず守るっち。やけん、大丈夫やがよ」

 こうして決戦前夜の夜は更けていき、やがて明けていく。

 天才フェスティアへの、コウメイの挑戦が始まる。

 クラベール城塞都市決戦の幕が上がるのだった。
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