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第2章『クラベール城塞都市決戦』編

第63話 ジュリアスからの相談(後編)

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「副団長の地位を返上したい……?」

 ジュリアスの部屋の中、ソファに案内されたコウメイは、クラベール邸の使用人が持ってきた紅茶を口にしていた。王都にいた時に好んで飲んできたカシアミとは違う、苦みが強い茶葉だが嫌いではない。

 その使用人が立ち去って2人きりとなった室内。コウメイはティーカップを机に置いて、対面に座るジュリアスをまじまじと見つめながらそう言った。

 ジュリアスの隻眼は、揺れるようにしながらコウメイを見返してくる。その瞳には、かつてコウメイが感じていた、静かだが力強い力を感じることが出来なかった。

「ジュリアス副長、それはーー」

「分かっております、コウメイ元帥」

 何かを言おうとしたコウメイを、強い言葉で遮るジュリアス。これまでは、どんなことでもまずは相手の話を聞いてから……という態度のジュリアスにしては珍しい。その強い口調からは、何かを強く決意したものを感じるーー悪い意味で。

「私はいわば敗軍の将です。副団長を辞することがその責任を取ることとは思いません。しかし……しかし、それでも私はもう、副団長として部隊の指揮をすることは出来ません」

 最初はいつも通りの静かな口調。

 しかし徐々にヒートアップしていくように、声の大きさも感情も大きくなっていく。最後の方には、ジュリアスは膝に乗せた両手を握りしめて、ワナワナと震わせるのだった。

「私は、大切な部下を見捨てたのです。死ぬと分かっていて、その場に置いて逃げ出した。それも、恐怖に打ち負けて。自分が死にたくないからと、その一点で逃げ出したのです。一軍の指揮官として有り得ない大罪です。戦争が終わった際には、龍牙騎士の称号も陛下に返上するつもりです」

 ――なるほど。

 コウメイはジュリアスではないから、その心労が分かることはない。しかし察することくらいは出来る。

 開戦からずっと敗戦に次ぐ敗戦。ジュリアスの上官であるコウメイがそれで構わないと言いつつも、フェスティアに手玉に取られて敗走を続けていたジュリアスからすれば、相当なストレスだったろう。

 特に決定的だったのが第1防衛線での戦いで、囮として出てきたルルマンド部隊を、それと気づくことが出来ずに深追いしたことで大損害を受けた戦いだろう。

 そして、これはラディカルから聞いたことだが、その戦場で副官の1人を失ったという。言葉を選ばずに言うなら、ジュリアスが自分で言ったように「見捨てた」ということらしい。勿論、それはジュリアスが臆病者だったからというわけではない。誰にもどうしようもない、勇者特性による恐怖の影響下にあったからだ。

 その副官ーーテアレスという若者は、ジュリアス自らが才能を見出して、自らの後継候補としてこれから育て上げていくとしていた人物らしい。

 あろうことかそれを自分が見捨てて、己の身可愛さに逃亡した自身の弱さと愚かさ――ジュリアスが誠実で優秀な騎士であればあるほど、それは彼の胸を強く苛むだろう。

 フェスティアとの戦術戦で完膚なきまでに叩き伏せられ自信喪失している中、重ねるようにして大事に育てていこうとしていた部下を見殺しにしてしまった――こんな状況では、のうのうと副団長として全軍の指揮が出来る心理状態ではないのも、確かにうなずける。

「どうにか元帥閣下が間に合って下さいました。ここで指揮権は元帥にお譲りすることで、私の副団長の任を解いていただきたく――その後は、私は命尽きるまで1人の騎士として戦うつもりです」

 彼らしく、仰々しく頭を下げて頼み込んでくる。

 それは決して軽い言葉ではない。静かではあるが、その言葉だけでコウメイは身が押されるような錯覚を覚える程の圧があった。コウメイは、思わずごくりと生唾を飲み込む。

 喉に渇きを覚えたコウメイは、再びティーカップを取ると一口紅茶を喉に流し込む。そうしてから、ゆっくりと冷静にジュリアスに回答する。

「申し訳ありませんが、私はジュリアス副長をその立場から降ろすことは考えていません。今後も、前線指揮官として手腕を奮っていただきます」

 いつもらしく努めて軽い口調で言おうとしたコウメイだったが、思わず声が上ずってしまう。それほどまでに強く、責任感のあるジュリアスの言葉を真っ向から否定するのだ。コウメイとて、それと同等の覚悟を持って答えなければならない。

 ジュリアスは顔を上げて、コウメイを見てくる。目を細めており、睨んでいると言ってもいい程の目つきで

「貴方は……また私に部下を見殺しにさせろと、そう言うのですか? 私は、戦場で再びあの勇者と会敵したとしても、もはや戦うことは出来ない……! 騎士失格の男なのです。栄えある龍牙騎士団の副団長など、とても……」

 全身を震わせて、悲痛な様子で訴えてくるジュリアス。

 龍牙騎士団の副団長――龍牙騎士の多分に漏れず、ジュリアスにとってもそれは憧れの地位だったはずだ。

 『ミリアム世代』において、個人の武ではミリアムやランディにはどうしても譲ってしまうジュリアスが目指していたのは、正に副団長や団長などの指揮官という立場だったはず。

 だからこの重大な内乱において副団長に任ぜられた時は誇りに思っていたはずだし、何が何でもフェスティアを打ち負かそうと決意していたはずだ。

 そうして勇んで戦いに臨んだはずだったのに、いざ結果は惨敗ばかり。おまけに各領主への撤退を促す説得も上手くいかない。

 そんな中でも、副団長としての責を果たすために必死にもがいてきた。擦り切れそうな心を奮い立たせ、それでも前線指揮官を任せてくれるコウメイや、信じて付いてきてくれる部下達に支えられて、とにかく出来ることをやろうとしていた。

 しかし、自らの恐怖に打ち負けてテアレスを失った時――ジュリアスの心は完全に挫かれたのだった。

 この体たらくに、誰よりも絶望しているのはジュリアス本人に他ならないはずだ。

「貴方は立派に副団長としての責務を果たしてくれている。フェスティアの理想としては、自分達増援部隊が到着するまでに城塞都市を完全に占領したかったはずだ。それでも持ちこたえられたのは、間違いなくジュリアス副長のおかげですよ」

 そう言ってからコウメイは、これと同じような柔らかな口調で、しかし今のジュリアスにとっては過酷な言葉を続ける。

「現在の龍牙騎士の中に、副長以上に副団長の仕事が出来る人間なんていない。貴方にはそれだけの実力も才能もある……だから、ジュリアス副長はそれ相応の責任を果たすべきです。

 いくら相手が強大で勝ち目がなくても、副団長を辞めることで逃げることは俺が許しません。以後も、副団長は続投してもらいます」

 コウメイは、あえて断じるように言う。これ以上食い下がっても無駄だと相手に知らしめるために。

 その言葉を聞いて、ジュリアスの表情は絶望ともいえるような色を混じらせる。その顔が蒼白になっていくのが分かり、それを見るコウメイも、表情には出さないが辛いものがあった。

「それでも、無理なのです……私にはとても……私はこの戦いで、既に多くの仲間や部下を死なせてしまった。大切に育てると決めたテアレスでさえ、あろうことか見捨てたのです。自分が助かりたいがために……本来なら、私は自害して然るべきなのですが、それでも内乱が終結するまでは、と。それが限界なのです。元帥閣下、どうか……どうかご容赦下さい……」

 コウメイの情け容赦ない言葉だったが、遂にジュリアスは感情に訴えてくる。震える声でそう言いながら頭を下げているその姿は、見ている者の胸を、それだけで締め付けてくる。

 コウメイが言ったことなど、ジュリアスが分かっていないはずがない。それでも耐え切れずに辞意を申し出てきたということは、もはや理屈ではなく感情なのだ。

 ジュリアスの心が副団長――いや、もはや龍牙騎士としての重責に耐えられないでいる。

 コウメイは唇を噛みしめて、腕組みをする。

 コウメイも普通の人間なので、こうまでされれば情けを掛けてやりたい。

 しかし、今コウメイは前線での軍事全権を預かる元帥という立場である。うっかり人情にほだされて迂闊な判断をすることが出来るはずもなく、最高指揮官として冷静に思考を巡らせる必要がある。

 ーーそうして出す結論は、やはりジュリアスの申し出などNG以外にあり得ない。

 ジュリアス以外に務まる者がいないという現実もあるにはある。しかしそういった実力や才能だけではない。こうして味方の死に対して心を震わせることが出来る彼こそが、多くの騎士達の命を預かる副団長として相応しい人物だと確信する。

 だからといって、このままジュリアスに強制させたところで、状況が好転することもなど有り得ない。それは情ではなく、冷静にジュリアスの精神状態を考えても明らかだった。

 副団長として相応しい精神の持ち主だからこそ、その重責に耐えかねているというのは、何とも皮肉な話だ。

 コウメイも、ジュリアスに敗軍の指揮官を任せている自覚がある以上、その心労は気遣っていたつもりだったが、どうも想像以上だったようだ。テアレスと言う副官を失ったのが、相当なショックだったのだろう。

 もう全てを勇者のせいにして開き直ればいいのに。ここまでの真面目さは、逆に面倒くさいな……などと、コウメイは胸中で毒吐きながら思案する。

「――ジュリアス=ジャスティン将軍。貴方には副団長を継続していただきます」

 十数秒黙考した結果、コウメイの結論はやはり変わらない。

 このクラベール城塞都市だけの戦いだけではない。以後の第2王女派との戦い、それに今後は東西南北の諸国との戦いも始まるかもしれない。そんな中で、優秀な指揮官であるジュリアスを遊ばせる余裕など、今の第1王子派にはないのだ。

 冷酷なコウメイの言葉に、ジュリアスは顔を引きつらせる。それは恐怖にひきつり、課せられた責任の重さに苦しみ喘いでいる、見ている側からすると哀れでならないような表情。その顔を向けられるだけで、その場にいられなくなるようなものだった。

「げんす――」「但し」

 先ほどとは逆に、今度はコウメイがジュリアスの言葉を、強い口調で遮る。

「今回の城塞都市戦に限っては、指揮官の役目は免除します。ただの1人の騎士――いや1人の男として、やるべきことをやり遂げて下さい」

 果たして、それは意味があることなのかどうか。それはコウメイにも分からなかった、凡才に過ぎないコウメイがあれこれ考えて悩んだ結果、そうすることに決めた。

「レイオール家のご息女――確か名前は、クリスティア=レイオール……今回のフェスティア部隊に帯同しているようですね。第1防衛線の戦いで、副長も会っていますね? 同窓だったとか?」

 思いも掛けず、クリスティアの名前が出てきたところで、ジュリアスは意表を突かれるように隻眼を見開いていた。

「俺が騎士団長付としてミュリヌス領へ行った時、クリスティアさんの姉であるシンパ白薔薇騎士団長に命を救われました。そして俺も副長と同じく、我が身可愛さにシンパ団長を見捨てて、おめおめと王都に逃げ帰ってきたんですよ」

 ふう、と大きく息を吐くコウメイ。

 良い意味でコウメイはジュリアス程に生真面目ではなかったため、それに苦しんで動けなくなるということは無かった。しかし、シンパが生死不明という状況が続く中、その事実は今もコウメイの心の中にしこりとして残っているのも確かだ。

「シンパ団長ご本人も勿論ですが、彼女に縁のある方なら助けたいと、私も思っています。クリスティアという人物に関しては、副長も同じ思いなのでは?」

「ラディカル将軍、ですか……」

 コウメイが、ジュリアスとクリスティアのことを知るルートはそれしかあり得ず、その通りである。とはいえ、何かしら関係がある以上のことをラディカルは知らないはずだし、コウメイも詳しいことは分かっていない。

「昨日の会議で副長に任せることにした防衛本隊の指揮は俺が代わりましょう。副長の指揮官の任を取り消します。だから、今回は副長――いや、ジュリアス将軍は1人の騎士として、大切な人を救うこと。それだけを考えて、それをやり通してください。これが、元帥としての命令です」

 敗北による無能感、仲間や部下の死、副団長としての責任感――今のジュリアスは、あまりに多くの、そして複雑なものを背負い過ぎている。だからその量を減らして、やるべきことを1つに絞らせる。

 しかし、そのたった1つのやるべきことも、果たすことは決して容易ではないだろう。困難であることは間違いないはずだが、考えることがそれだけになれば、今の様に動けなくなることはないだろう。そしてもしもそれが果たされれば、また自信を取り戻してくれるのではないだろうか。

 正直なところ、それが意味のあることはどうかかコウメイにも分からない。万事うまくいったところで、やはり副団長は続けられないと、同じことを申し出てくる可能性だって低くはない。

 でも、現状においてコウメイがジュリアスのために出来ることといえば、それくらいしか考えられなかった。

 だから、コウメイは最後に付け加える。それまでの、真面目で重苦しい空気を吹き飛ばすくらいの笑いを浮かべて。いつもの軽々しい、白い歯を見せた笑顔で。

「とりあえず、その後のことはその時に考えましょ。今は目の前のやるべきことだけを考えるってことで。なーに、大丈夫ですよ。“なんとかなる”」

 と、例の『魔法の言葉』をジュリアスにかけるのだった。
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