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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第60話 首脳会議(内政編)
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王都ユールディアからの増援部隊本隊に遅れること約1日、いよいよ聖アルマイト元帥コウメイ=ショカツリョウがクラベール城塞都市に入った。
城塞都市に入ると、彼は護衛騎士代理プリシティア=ハートリングを伴いながら都市内を簡単に見回った後、領主アイドラド=クラベールと面会し、緊急的に会議の場を設けることとなった。
出席者はこのクラベール領戦線における首脳陣である。
すなわち元帥コウメイ、領主アイドラド、副団長ジュリアス、副官ラディカルなど。これに加えてクラベール領側の重役ーークラベール領部隊の部隊長や、領主秘書官などといった面々も参加している。その他、コウメイの意向によって彼の護衛を務める騎士2人ーーリューイとプリシティアが同席していた。といっても彼らの席は無く、護衛騎士よろしくコウメイの後ろに立っている形での参加となっている。
「さて、遅れてすみませんでした。色々やることがあったもんでね」
開口一番に、出席者の中では最も上役のコウメイがそう言うと、いち早く反応したのは領主アイドラドだった。
「いえいえ。そんなこと気になさらないでください、元帥閣下。閣下がお越しくだされば、もはやこの戦争の勝利は約束されたものですぞ。ささ、どうぞ第2王女派を追い払う秘策を我々にご説明くださいませ」
揉み手をしながら、胡麻をするようにコウメイにそう言ってくるのはクラベール領主アイドラドだった。
アイドラドは、頭髪が禿げ上がっており、恰幅の良い中年男性だ。見た目は50歳前後といったところだろう。
人の好い笑顔を浮かべながら、腰が低い態度ですり寄るようにしてくるアイドラドを、コウメイは目を細めて見返す。
(狸タイプだな)
ーー外見じゃなくて中身が。
と、自分の頭の中でつぶやいてからコウメイは簡単に軽く咳払いをする。
「クラベール候、先ほど少し都市内を見て回らせていただきましたが……いや、なんとも素晴らしい街ですね。戦時中だというのに、都市内は日常そのものだ。領民が外を行き交って、談笑の声が響いている。さすがは聖アルマイト西方を代表する大都市です。貴方あってこそ、クラベールはここまで栄えたのでしょうね」
元帥であるコウメイに褒められると、アイドラドはその調子の良い笑顔を更に緩ませて、揉み手をもみもみと揉み続ける。
「いやはや、なんとも勿体ないお言葉です、コウメイ閣下。それもこれも、全て偉大なるヴィジオール陛下やカリオス殿下のご威光があってのことです」
あくまで腰が低い態度で調子の良い言葉を並べ立てていくアイドラドを見て、コウメイは意地の悪い笑みを浮かべる。
「いやー、まるで王都からの避難指示をガン無視しているみたいでしたよ。とても住み慣れた都市から避難する準備を進めているようには見えませんでしたね。普段から素晴らしい統治をされているからこそ、住民の方もこんな非常時でも平常心を保っていられるのでしょうね。
で? 避難計画については、どこまで進んでいますか? カリオス殿下からの避難指示についてはジュリアス副長より伝わっていますよね?」
「--え」
そのコウメイの皮肉たっぷりな言葉に、アイドラドはそのまま笑顔を張りつかせた。同席しているジュリアスも若干気まずそうな顔をしている。
そんなあまりにも予想通りな領主の反応に、コウメイは笑みを崩して大きくため息を吐く。
「あのですね、クラベール候ーー」
この領主に、領地を捨てて避難しようなどという気が一切無いことは、当然コウメイは把握していた。生真面目なジュリアスが、彼への説得が上手くいっていないことをコウメイに報告をしていないはずがない。
「バーグランド領の話は聞き及んでいらっしゃいますでしょう。他の領地がことごとく落とされているにも関わらず、どうしてご自分の領地だけは大丈夫だと思えるんですか?」
激昂して怒鳴り散らすのではなく、やんわりと諭すように言ってくるコウメイ。そんな彼の態度にアイドラドは意外だったのが、少しの間きょとんとしながら、やがて反論する。
「た、確かにジュリアス副長が敗れて、この城塞都市にまで攻めよられるのは想定外でしたが……しかし都市戦に入ってから、ジュリアス副長は敵の一兵たりとも都市内に入れておりませんぞ。それに、今こうして元帥閣下自ら加勢に来てくださっておりますし、こうなれば無敵の聖アルマイトが愚かな叛乱軍に敗北するなど、有り得ませぬ」
「今都市内が平和なのは、ジュリアス副長が必死にぎりぎりのところで尽力してくれているからです。決して楽勝なんかじゃなくて、もうぎりぎりの状態なんですよ。それに、聖アルマイトは無敵なんかじゃない。その認識を改めないと、あなたも含めて領民は皆死にますよ?」
「し、しかし--」
しばらく2人の押し問答が続くが、コウメイはまるで手ごたえを感じない。
アイドラドは前線で戦う戦士ではなく、後方に腰を据える政治家タイプの人間だ。実際に戦場で第2王女派の力を目の当たりにしていなければ、グスタフの異能のことも知らないはずだ。そんな彼からすれば、元白薔薇騎士と龍の爪などといった烏合の衆に、龍牙騎士が負けることなど想像出来ないのだろう。
それにコウメイが調べた限りではこの男、黒い噂が少なくない。領主と言った立場を利用して少なからず私腹を肥やしているのは明らかだ。だからこのクラベール領から撤退することで、既得権益を手放すことになりかねない、という抵抗もあるのだろう。
自国戦力への過信と既得権益への執着。この2つがある限りアイドラドは領地を捨てて避難などしたくないし、その必要も感じていないのだろう。
「よーくわかりました。もういいでしょう」
いくら話を重ねても、こちらの意見を頑として受け入れないアイドラドにコウメイは諸手を挙げた。
出来れば領主自ら積極的に領民を避難誘導して欲しかったーーその方が住民へ与える動揺が混乱が抑えられるだろうと思っていたーーので、時間をかけてでも説得するつもりだった。
しかしそれを早々に切り上げた理由は、アイドラドの頑固さではない。
背後に立つ真顔の護衛騎士代理の少女から得も知れぬ絶大な怒りのオーラを感じたからだ。このままではアイドラドに襲い掛かりかねない。
「--ま、どちらにせよ避難はしてもらわざるを得ませんから、問答無用で従っていただきますよ」
そのコウメイの口調はいつものように軽いが、冗談の色は一切混じっていない。アイドラドがどれだけ反対したところで、必ず強制的に実行することを確信させるほどだ。
「何を馬鹿なことをおっしゃっていられるのですか! 今から慌てて、全ての領民に家財から何まで、全てを捨てて都市から逃げろとおっしゃるか! そんなこと、出来るわけないでしょう」
そんなコウメイの態度にアイドラドも慌てたように反論するが、コウメイは首を横に振る。
「いいや。今更都市外へ逃げたところで、すぐそこまで迫ってきている敵部隊に追撃されて皆殺しにされるでしょう。だから、ジュリアス副長が各防衛線を維持しているうちに領民だけでも避難させたかったんですよ。もう、こんなことになったのは貴方のせいですよ、クラベール候」
と、容赦なくアイドラドの不手際を指摘してから
「連中を撃退するには、言わずもがな総力戦になる。こちらも負ける気はないが、都市内に被害が及ぶ可能性も充分にある。だけど、俺は指揮官として、あなたは領主として、万が一にも領民達を戦争に巻き込むわけにはいかないでしょう。だから、都市内の安全な場所へ全領民が”直ちに”避難出来るように、手配をお願いしますよ」
”直ちに”という言葉を強調して言うコウメイだが、それでもアイドラドは一歩も譲らない。
「そのような横暴なやり方、カリオス殿下が許す訳がありませぬ! いくら元帥閣下とはいえ、王都に問題として報告させていただきますぞ!」
強圧的な姿勢を見せるコウメイに対して、アイドラドは温厚な面の皮を剥がし、感情的になりながら席を立ちあがる。
しかしコウメイは至って冷静に瞑目して、片手を上げると
「--プリシティア」
背後に控える護衛騎士代理の少女の名を呼ぶ。
呼ばれたプリシティアは、相変わらず感情の動きが見えない真顔で、黙ってスタスタとアイドラドの席へ歩いていく。そしてコウメイより渡されていた一片の書類をアイドラドに、やはり無言で差し出す。
「どうぞ、受け取って下さい。私はコウメイ元帥に言われて、これを大事に預かっていました。言われたら、すぐにクラベール侯爵に渡すように、私はその言葉をコウメイ元帥より受け取りました」
「ん? う、うむ……ありがとう……?」
奇妙な言葉遣いのプリシティアに、アイドラドは意表を突かれて、興奮していた感情が落ち着いていったようだった。彼女への反応をどうすればいいのか困惑しながら、それを受け取って再び席に座る。
そのままアイドラドが書類の内容を読み進めていくと、やがてブルブルと全身を震わせる。
「ば、馬鹿なっ! こ、このような……カリオス殿下がこのような横暴な手段をお許しに……!」
「ご覧の通り、貴方がしぶった場合は強制的に従わせていいと許可はもらっています。それでも反抗するようであれば、反逆罪を適用して領主も解任。俺を暫定領主に据えるそうです。……ショカツリョウ領かぁ。語呂わるっ!」
そんなコウメイの軽口に反応する余裕もなく、ただブルブルと震えているだけしかできないアイドラド。書かれている内容を読み違えているのではと何度も何度も読み返すが、そんなことはない。カリオスがそのことを承知している証拠ーー王印もしっかりと押されている。
「ジュリアス副長は優しかったでしょうけど、厳しいことを言うならその優しさが今の状況を招いてしまっています。だから、俺は容赦しませんよクラベール候。2日以内には避難計画を提出して下さい。ここまで緊急だと混乱は避けられないでしょうけど、出来るだけ混乱は最少に抑えられるよう。特に老人や子供については、厳重な配慮をお願いしますよ」
「す、少しお待ちください! 避難計画作成はともかく……こ、この侯爵専用のシェルターとか、何のことですか! 滅茶苦茶すぎますぞ!」
書類の中のそう書かれた部分を指差して、コウメイに必死に訴えるアイドラド。確かにその書類の中には、そういった上流層のみしか存在を知らされていない避難施設についても、今回は全て領民に開放して保護することを命じている文があることをコウメイも知っている。
清廉潔白な為政者ーーを振舞うアイドラドにとって、そのような存在を認めるわけにもいかないのだろう。
しかしコウメイは、気持ち悪い程に満面の笑みで答える。
「あははー、やだな。万が一のために、自分だけでも逃げられるような、そんな感じの奴持ってるでしょう? 別にクラベール候だけじゃないですってば。王族や領主クラスの人なら、みんな普通に持っているから、別に気にしなくていいのに。皆も知ってる、暗黙の了解ってやつですよ。ていうか、そんな焦って否定するとますます怪しくなりますよ?」
「し、しかし事実無根だ! 根拠もなくこのようなことを……これは侮辱ですぞ!」
「--根拠が無いと、本気で思っています?」
コウメイが笑いながらーーしかし、アイドラドを見返してくるその目は決して笑っていない。ヒヤリと底冷えするような冷たい視線を向けられて、後ろ暗いものを持っているアイドラドは思わず背筋を凍らせる。
--まあ、根拠なんて無いんだけど。
とは、とても口に出すことは出来ないので、それについては黙ったままコウメイは続ける。
「はぁー、面倒臭い。もうね、こういう無駄な問答の時間も勿体ないんです。本来なら、貴方が最初からジュリアス副長に従って領民を避難させていてくれれば、そもそもこういう話をする必要も無かったんですよ! この状況に追い込まれたのは、ジュリアス副長だけではなく貴方にも要因がある。だから、貴方が何を言おうとも、こういった形で責任を取ってもらいますからね」
「う、く……」
カリオスという後ろ盾があるコウメイに、アイドラドが逆らう手立てなどない。コウメイの指摘が、本当に事実無根なのであれば食い下がることも出来るのだが、生憎とそれらは真実なのである。
アイドラドの方が分が悪いのは、周りで見ている者からしても明らかだった。
アイドラドはコウメイのことを、態度の軽いお調子者、あまりに他人に介入してこない人畜無害な元帥ーーそういった初対面や傍目からの印象とはまるで違っていた。
確かに態度も会話も軽い。しかし、その底には自分の信念や想いを決して曲げない芯の強さが通っている。
アイドラドは、これまでにもクラベール領主として王都側と政治的な駆け引きを乗り越えてきた、良くも悪くも優秀な領主である。しかしこの新しい元帥は、そんなアイドラドがこれまで相手にしてきた中にはいなかった、今までにはない御しにくいタイプの人間。
「さて時間も無いし、さっさと第2王子派をどうするかって話をしたいんです。そういうわけで、住民達のことについてはお任せしますから、どうか宜しくお願いしますよ、クラベール候」
柔らかい口調ではあるものの、有無を言わさず圧力を掛けながら、コウメイは強制的にその話題を終わらせるのだった。
城塞都市に入ると、彼は護衛騎士代理プリシティア=ハートリングを伴いながら都市内を簡単に見回った後、領主アイドラド=クラベールと面会し、緊急的に会議の場を設けることとなった。
出席者はこのクラベール領戦線における首脳陣である。
すなわち元帥コウメイ、領主アイドラド、副団長ジュリアス、副官ラディカルなど。これに加えてクラベール領側の重役ーークラベール領部隊の部隊長や、領主秘書官などといった面々も参加している。その他、コウメイの意向によって彼の護衛を務める騎士2人ーーリューイとプリシティアが同席していた。といっても彼らの席は無く、護衛騎士よろしくコウメイの後ろに立っている形での参加となっている。
「さて、遅れてすみませんでした。色々やることがあったもんでね」
開口一番に、出席者の中では最も上役のコウメイがそう言うと、いち早く反応したのは領主アイドラドだった。
「いえいえ。そんなこと気になさらないでください、元帥閣下。閣下がお越しくだされば、もはやこの戦争の勝利は約束されたものですぞ。ささ、どうぞ第2王女派を追い払う秘策を我々にご説明くださいませ」
揉み手をしながら、胡麻をするようにコウメイにそう言ってくるのはクラベール領主アイドラドだった。
アイドラドは、頭髪が禿げ上がっており、恰幅の良い中年男性だ。見た目は50歳前後といったところだろう。
人の好い笑顔を浮かべながら、腰が低い態度ですり寄るようにしてくるアイドラドを、コウメイは目を細めて見返す。
(狸タイプだな)
ーー外見じゃなくて中身が。
と、自分の頭の中でつぶやいてからコウメイは簡単に軽く咳払いをする。
「クラベール候、先ほど少し都市内を見て回らせていただきましたが……いや、なんとも素晴らしい街ですね。戦時中だというのに、都市内は日常そのものだ。領民が外を行き交って、談笑の声が響いている。さすがは聖アルマイト西方を代表する大都市です。貴方あってこそ、クラベールはここまで栄えたのでしょうね」
元帥であるコウメイに褒められると、アイドラドはその調子の良い笑顔を更に緩ませて、揉み手をもみもみと揉み続ける。
「いやはや、なんとも勿体ないお言葉です、コウメイ閣下。それもこれも、全て偉大なるヴィジオール陛下やカリオス殿下のご威光があってのことです」
あくまで腰が低い態度で調子の良い言葉を並べ立てていくアイドラドを見て、コウメイは意地の悪い笑みを浮かべる。
「いやー、まるで王都からの避難指示をガン無視しているみたいでしたよ。とても住み慣れた都市から避難する準備を進めているようには見えませんでしたね。普段から素晴らしい統治をされているからこそ、住民の方もこんな非常時でも平常心を保っていられるのでしょうね。
で? 避難計画については、どこまで進んでいますか? カリオス殿下からの避難指示についてはジュリアス副長より伝わっていますよね?」
「--え」
そのコウメイの皮肉たっぷりな言葉に、アイドラドはそのまま笑顔を張りつかせた。同席しているジュリアスも若干気まずそうな顔をしている。
そんなあまりにも予想通りな領主の反応に、コウメイは笑みを崩して大きくため息を吐く。
「あのですね、クラベール候ーー」
この領主に、領地を捨てて避難しようなどという気が一切無いことは、当然コウメイは把握していた。生真面目なジュリアスが、彼への説得が上手くいっていないことをコウメイに報告をしていないはずがない。
「バーグランド領の話は聞き及んでいらっしゃいますでしょう。他の領地がことごとく落とされているにも関わらず、どうしてご自分の領地だけは大丈夫だと思えるんですか?」
激昂して怒鳴り散らすのではなく、やんわりと諭すように言ってくるコウメイ。そんな彼の態度にアイドラドは意外だったのが、少しの間きょとんとしながら、やがて反論する。
「た、確かにジュリアス副長が敗れて、この城塞都市にまで攻めよられるのは想定外でしたが……しかし都市戦に入ってから、ジュリアス副長は敵の一兵たりとも都市内に入れておりませんぞ。それに、今こうして元帥閣下自ら加勢に来てくださっておりますし、こうなれば無敵の聖アルマイトが愚かな叛乱軍に敗北するなど、有り得ませぬ」
「今都市内が平和なのは、ジュリアス副長が必死にぎりぎりのところで尽力してくれているからです。決して楽勝なんかじゃなくて、もうぎりぎりの状態なんですよ。それに、聖アルマイトは無敵なんかじゃない。その認識を改めないと、あなたも含めて領民は皆死にますよ?」
「し、しかし--」
しばらく2人の押し問答が続くが、コウメイはまるで手ごたえを感じない。
アイドラドは前線で戦う戦士ではなく、後方に腰を据える政治家タイプの人間だ。実際に戦場で第2王女派の力を目の当たりにしていなければ、グスタフの異能のことも知らないはずだ。そんな彼からすれば、元白薔薇騎士と龍の爪などといった烏合の衆に、龍牙騎士が負けることなど想像出来ないのだろう。
それにコウメイが調べた限りではこの男、黒い噂が少なくない。領主と言った立場を利用して少なからず私腹を肥やしているのは明らかだ。だからこのクラベール領から撤退することで、既得権益を手放すことになりかねない、という抵抗もあるのだろう。
自国戦力への過信と既得権益への執着。この2つがある限りアイドラドは領地を捨てて避難などしたくないし、その必要も感じていないのだろう。
「よーくわかりました。もういいでしょう」
いくら話を重ねても、こちらの意見を頑として受け入れないアイドラドにコウメイは諸手を挙げた。
出来れば領主自ら積極的に領民を避難誘導して欲しかったーーその方が住民へ与える動揺が混乱が抑えられるだろうと思っていたーーので、時間をかけてでも説得するつもりだった。
しかしそれを早々に切り上げた理由は、アイドラドの頑固さではない。
背後に立つ真顔の護衛騎士代理の少女から得も知れぬ絶大な怒りのオーラを感じたからだ。このままではアイドラドに襲い掛かりかねない。
「--ま、どちらにせよ避難はしてもらわざるを得ませんから、問答無用で従っていただきますよ」
そのコウメイの口調はいつものように軽いが、冗談の色は一切混じっていない。アイドラドがどれだけ反対したところで、必ず強制的に実行することを確信させるほどだ。
「何を馬鹿なことをおっしゃっていられるのですか! 今から慌てて、全ての領民に家財から何まで、全てを捨てて都市から逃げろとおっしゃるか! そんなこと、出来るわけないでしょう」
そんなコウメイの態度にアイドラドも慌てたように反論するが、コウメイは首を横に振る。
「いいや。今更都市外へ逃げたところで、すぐそこまで迫ってきている敵部隊に追撃されて皆殺しにされるでしょう。だから、ジュリアス副長が各防衛線を維持しているうちに領民だけでも避難させたかったんですよ。もう、こんなことになったのは貴方のせいですよ、クラベール候」
と、容赦なくアイドラドの不手際を指摘してから
「連中を撃退するには、言わずもがな総力戦になる。こちらも負ける気はないが、都市内に被害が及ぶ可能性も充分にある。だけど、俺は指揮官として、あなたは領主として、万が一にも領民達を戦争に巻き込むわけにはいかないでしょう。だから、都市内の安全な場所へ全領民が”直ちに”避難出来るように、手配をお願いしますよ」
”直ちに”という言葉を強調して言うコウメイだが、それでもアイドラドは一歩も譲らない。
「そのような横暴なやり方、カリオス殿下が許す訳がありませぬ! いくら元帥閣下とはいえ、王都に問題として報告させていただきますぞ!」
強圧的な姿勢を見せるコウメイに対して、アイドラドは温厚な面の皮を剥がし、感情的になりながら席を立ちあがる。
しかしコウメイは至って冷静に瞑目して、片手を上げると
「--プリシティア」
背後に控える護衛騎士代理の少女の名を呼ぶ。
呼ばれたプリシティアは、相変わらず感情の動きが見えない真顔で、黙ってスタスタとアイドラドの席へ歩いていく。そしてコウメイより渡されていた一片の書類をアイドラドに、やはり無言で差し出す。
「どうぞ、受け取って下さい。私はコウメイ元帥に言われて、これを大事に預かっていました。言われたら、すぐにクラベール侯爵に渡すように、私はその言葉をコウメイ元帥より受け取りました」
「ん? う、うむ……ありがとう……?」
奇妙な言葉遣いのプリシティアに、アイドラドは意表を突かれて、興奮していた感情が落ち着いていったようだった。彼女への反応をどうすればいいのか困惑しながら、それを受け取って再び席に座る。
そのままアイドラドが書類の内容を読み進めていくと、やがてブルブルと全身を震わせる。
「ば、馬鹿なっ! こ、このような……カリオス殿下がこのような横暴な手段をお許しに……!」
「ご覧の通り、貴方がしぶった場合は強制的に従わせていいと許可はもらっています。それでも反抗するようであれば、反逆罪を適用して領主も解任。俺を暫定領主に据えるそうです。……ショカツリョウ領かぁ。語呂わるっ!」
そんなコウメイの軽口に反応する余裕もなく、ただブルブルと震えているだけしかできないアイドラド。書かれている内容を読み違えているのではと何度も何度も読み返すが、そんなことはない。カリオスがそのことを承知している証拠ーー王印もしっかりと押されている。
「ジュリアス副長は優しかったでしょうけど、厳しいことを言うならその優しさが今の状況を招いてしまっています。だから、俺は容赦しませんよクラベール候。2日以内には避難計画を提出して下さい。ここまで緊急だと混乱は避けられないでしょうけど、出来るだけ混乱は最少に抑えられるよう。特に老人や子供については、厳重な配慮をお願いしますよ」
「す、少しお待ちください! 避難計画作成はともかく……こ、この侯爵専用のシェルターとか、何のことですか! 滅茶苦茶すぎますぞ!」
書類の中のそう書かれた部分を指差して、コウメイに必死に訴えるアイドラド。確かにその書類の中には、そういった上流層のみしか存在を知らされていない避難施設についても、今回は全て領民に開放して保護することを命じている文があることをコウメイも知っている。
清廉潔白な為政者ーーを振舞うアイドラドにとって、そのような存在を認めるわけにもいかないのだろう。
しかしコウメイは、気持ち悪い程に満面の笑みで答える。
「あははー、やだな。万が一のために、自分だけでも逃げられるような、そんな感じの奴持ってるでしょう? 別にクラベール候だけじゃないですってば。王族や領主クラスの人なら、みんな普通に持っているから、別に気にしなくていいのに。皆も知ってる、暗黙の了解ってやつですよ。ていうか、そんな焦って否定するとますます怪しくなりますよ?」
「し、しかし事実無根だ! 根拠もなくこのようなことを……これは侮辱ですぞ!」
「--根拠が無いと、本気で思っています?」
コウメイが笑いながらーーしかし、アイドラドを見返してくるその目は決して笑っていない。ヒヤリと底冷えするような冷たい視線を向けられて、後ろ暗いものを持っているアイドラドは思わず背筋を凍らせる。
--まあ、根拠なんて無いんだけど。
とは、とても口に出すことは出来ないので、それについては黙ったままコウメイは続ける。
「はぁー、面倒臭い。もうね、こういう無駄な問答の時間も勿体ないんです。本来なら、貴方が最初からジュリアス副長に従って領民を避難させていてくれれば、そもそもこういう話をする必要も無かったんですよ! この状況に追い込まれたのは、ジュリアス副長だけではなく貴方にも要因がある。だから、貴方が何を言おうとも、こういった形で責任を取ってもらいますからね」
「う、く……」
カリオスという後ろ盾があるコウメイに、アイドラドが逆らう手立てなどない。コウメイの指摘が、本当に事実無根なのであれば食い下がることも出来るのだが、生憎とそれらは真実なのである。
アイドラドの方が分が悪いのは、周りで見ている者からしても明らかだった。
アイドラドはコウメイのことを、態度の軽いお調子者、あまりに他人に介入してこない人畜無害な元帥ーーそういった初対面や傍目からの印象とはまるで違っていた。
確かに態度も会話も軽い。しかし、その底には自分の信念や想いを決して曲げない芯の強さが通っている。
アイドラドは、これまでにもクラベール領主として王都側と政治的な駆け引きを乗り越えてきた、良くも悪くも優秀な領主である。しかしこの新しい元帥は、そんなアイドラドがこれまで相手にしてきた中にはいなかった、今までにはない御しにくいタイプの人間。
「さて時間も無いし、さっさと第2王子派をどうするかって話をしたいんです。そういうわけで、住民達のことについてはお任せしますから、どうか宜しくお願いしますよ、クラベール候」
柔らかい口調ではあるものの、有無を言わさず圧力を掛けながら、コウメイは強制的にその話題を終わらせるのだった。
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