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第2章『クラベール城塞都市決戦』編
第51話 作戦最終承認
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まだ朝の早い時間、王下直轄部隊へ正式に転属したスタインは王宮内の廊下を歩いていた。向かう先は元帥の執務室である。
いよいよ明日に控えたコウメイの出立を前に、急ぎでコウメイの確認が必要な書類などが溜まっている。そのため、スタインは少しでも余裕をつくるべく、随分と早めに出仕していたのだった。
(とはいえ、元帥閣下は随分とお疲れの様子だったし、まだお休みになられているかもしれないな)
と、廊下を歩きながら胸中でつぶやくスタイン。
どうやら先日の談義で話したスタインの考えはコウメイの評価に叶ったようだった。その後すぐに、いきなり元帥補佐官兼南方担当外交官に任ぜられた。これは龍牙騎士団長付から元帥へとなったコウメイには及ばずとも、それに次ぐ程の大抜擢と言ってよい。
そうして直接コウメイの補佐をする立場になったスタインだったが、コウメイが随分と疲労を溜めこんでいることをすっかり見抜いていた。
様々なことに視点も思考も及んでいるにしては、ケアレスミスが多い。書類の不備もそうだが、普通に歩いてても物につまづきそうになったり、会話の受け答えも時々ボーっとしているような時がある。
顔を合わせてからまだ僅か数日だが、その中でもコウメイのことをよく観察しているスタイン。そんな彼からすると、コウメイが部下ーー自分やプリシティアなどーーだけではなく、目上の人間ーーカリオスやリューゲルなどーーに対しても、軽いお調子者を振舞うその態度は、無理をしているようにしか見えない。
元帥という立場上、様々な悩みもあるだろうし、周りに弱みを見せられないのもうなずける。しかも、第2王女派に劣勢であるという苦しい状況だ。コウメイの心労はスタインが察するには余りあるだろう。
(いずれにせよ自分に出来ることは、少しでも閣下の仕事量を減らすことくらいあ)
幸いにもコウメイはスタインの能力を買ってくれている。次々に大量の仕事をスタインへ渡してくるのは、期待の表れでもあるだろう。それに応えることで、コウメイが少しでも楽になるならば……と思いスタインは執務室のドアをノックする。
「スタインです、よろしいでしょうか」
「おお、早いね。開いてるよ」
すぐに返事が返ってくると、スタインは少し意外そうな顔をした。
そして扉を開くと、中には書類棚の前で資料を物色しているコウメイと、昨日と同じようにコウメイの側に立っているプリシティアの姿があった。
「おはよう」
「お、おはようございます」
にこやかに笑顔をしてくるコウメイに、虚を突かれたような顔をするスタインは反射的に挨拶を返す。
窓から差し込む朝日を背景に微笑むその笑顔は、昨日までスタインが感じていた無理をしている雰囲気は消えていた。コウメイの自然な感情がそのまま出た、いわゆる『爽やか』な微笑みだった。
「もうお目覚めでしたか。まだお休みだとばかり……」
「ん~、いくらスタインが優秀だからといって、仕事押し付けてばかりなのもなぁって思ってさ。ましてや明日から俺、いなくなるし」
ちょっと出かけてくる、それくらいのノリで話すコウメイの態度は相変わらず軽い。しかし、それはやはり無理をしているというよりは、彼の素の人間性が出ているような感じだった。
「あ、そうだ。昨日作ってもらった書類、必要なものは承認して机の上にあるから確認しといてくれ。もしここで見ていくなら、そこのソファでも自由に使ってくれ」
テキパキと指示を下してくるコウメイに、スタインは呆気に取られたような顔をしているも束の間、すぐに動き出して
「では、失礼します」
執務室の中央にあるソファに座りながら、コウメイが手掛けた書類に目を通していく。
(これは……)
書類へ目線を滑らせながら、スタインは表情には出さないものの、舌を巻く思いだった。
今しがた心配していたケアレスミスはほとんどない。コウメイの手によって修正されている箇所も、内容が明確で分かりやすい。
「ちょっと前のも見直してみたら、結構俺も見落としとかしてやがんの。いや、人のことなんて言えないなぁ。すまなかったね、スタイン。これからは俺のミスは指摘してくれていいから――って言っても、明日からいないんだけどさ」
ははは、と白い歯を見せながら笑うコウメイは、いつの間にやら用意していた紅茶をスタインの前に置く。元帥本人が自らの補佐官へ、いとも自然に差し出すのだった。
「なっ……げ、元帥閣下。さすがに……」
「いいからいいから。俺が飲みたいからついでだよ。なんでもカリオス殿下お勧めの、リリライト殿下がお気に入りだった茶葉らしいよ」
と、言ってからコウメイはしまった……というような顔を見せる。
今、正に敵の旗印となっているリリライトをスタインの前で口にするのは不謹慎とでも思ったのか――しかしスタインは、それよりもまさか元帥にお茶を汲まれるという驚きに、目を剥いていた。
それから、スタインはようやくして表情を緩める。
「お元気になられたようで、安心しました。お疲れがかなり溜まっているようでしたので、少しだけ不安に思っていたんですが」
そう言うスタインの言葉に、コウメイは苦笑する。彼の心中としては、弱みを見せまいとしていたくせに、部下に見抜かれていたのでは元も子もない……といたところか。
スタインは出された紅茶に口をつけると、口の中に爽やかなミントの風味が広がっていく。一日の始まりである朝に口にするには、実に心地よい味だった。
それを味わいながら、それとなく室内に視線を滑らせていると、プリシティアが先ほどから無言で、変わらず同じ位置に立っている。
しかし、その表情はいつもの無表情ではなく
「ふふん」
「?」
なぜか、自信満々のドヤ顔をしていた。スタインにはちょっと理由が分からない。せいぜい思いつくのは、コウメイが元気になったことが彼女にも嬉しいことなのだろうか。
「プリティも座って飲んだらどうだ? 紅茶は飲めるだろう?」
不意にコウメイが彼女に呼びかけると、ドヤ顔から一転、プリシティアは頭から湯気を出して顔を真っ赤にするのだった。
「わ……わーはその呼び方、でいにやーだと……!」
もじもじとしながら涙目になるプリシティアーーそれを意外そうな表情でじっと見つめるスタインの視線に、彼女は気づく。
「あう……ぐ……ぁ……あうぅぅぅぅぅ」
思わずスタインの前で方言を出してしまったことか、コウメイに気恥ずかしい愛称で呼ばれてしまったことか、どちらが大きく作用したのかは定かではない。いずれにせよ、プリティシアは両手で顔を覆い隠して、そのまま地面に崩れ落ちてしまう。
「こっちが恥ずかしくなるから止めてくんない? ってか、お前昨日あれだけのことしておいて、どの面下げて恥ずかしがってんの?」
思わずコウメイも顔を赤くしながら、結構辛辣な突っ込みを入れていた。
会話の内容はスタインにはよく分からなかったが、鉄面皮だと思っていた同僚プリシティアの意外な一面、そして珍しくコウメイが慌てる姿を見て
「……ふふ」
あまり感情を表に出さないスタインも、笑みをこぼしていた。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
さて、王都出立を翌日に控えたコウメイは、大きな仕事のほとんどは終わらせていた。正確に言うなら、優秀な補佐官であるスタインがコウメイの体調を配慮して、その多くを肩代わりしてくれていたのだが。
そしてコウメイは、出立前にやるべき残してあった最後の大仕事を終えるべく、カリオスの執務室へ出向いていた。
「やっぱり、考えは変わらないか」
コウメイから提出された書類を見たカリオスは難しい表情をしていた。
2人だけで会話をするときは、真面目な話も暗い話も、お互いに努めて軽い口調で会話をしている。にも関わず、今カリオスが吐いている言葉は、重苦しいものだった。
そのカリオスの言葉に対してうなずくコウメイも、いつものおちゃらけた雰囲気は無い。暗くはないが、彼にしては珍しい真顔だった。
そのコウメイの反応に、カリオスは大きなため息を吐く。
これは現在第2王女派から攻撃を受けている3領地戦において、コウメイが考えた最終決着案であった。今後全てがコウメイが描いた通りに事が運んだ場合、という仮定の上のことだが、その内容にカリオスは素直にうなずくことが出来なかった。
実はこの案、今日にくるまでほとんど同じものを何度も提案されていた。そのたびにカリオスは、その内容を問答無用に却下することは無かったが、ぎりぎりまで考え直せと突き返したものだった。
そして、遂に「ぎりぎり」でも同じ案を提出してきたコウメイに、カリオスは瞑目しながら首を振った。
「出来れば避けたい方法ではある」
こめかみを指でつまみながら、どこか疲れたようにカリオスは言う。しかしコウメイは、やはり感情を見せない表情のまま淡々と答える。
「綺麗ごとばかりでは政治も戦争も立ちいかないことは、殿下の方がご理解されていると思いますが」
「そうだが……ここまでする必要があるのか? しかも自分達の手で」
そんなカリオスの言葉に、今度はコウメイがため息を吐く。
「この期に及んで、殿下はまだフェスティアを……いや、グスタフを甘く見ていらっしゃる。目の前の現実を、フェスティアやリアラの脅威をきちんと直視して下さい。とても犠牲なくして勝てる相手ではありません。
あなたは開戦前の演説、そしてその後に最高幹部達の前で覚悟を決めたはずです。国王代理としての責任を果たすことと、妹姫であるリリライト殿下を救い出す--この2つを両立させると。
元帥の自分からカリオス殿下へ所望することは、目の前の綺麗事にとらわれることなく、結末を迎えるその時まで、その覚悟を貫き通していただくことです」
「う、む……」
いつもとは逆にコウメイがカリオスを諭すような空気である。淡々としたコウメイの様子が、逆にカリオスに圧をかけているようにすら見える。
(相変わらず、こいつは先に覚悟を決めちまっているわけか)
これまで出来うる限り人道的な手段を選んできたコウメイが作成した案としては、冷酷で過激な内容だった。当然巻き込まれる人間からの猛反発も予想される。だからこそ、コウメイがこれを無理にでも実行するには、絶対権力者たるカリオスの最終承認が必要なのだ。
コウメイの性格からしてもこれを実行するに心穏やかではないだろう。この無表情で提案する彼の様子自体が、それを物語っている。
そう考えて、カリオスは口元に手を当てたまま数分間沈黙し熟考する。
そして、ようやく
「分かった」
机の引き出しから印を取り出す。王族しか使用出来ないその印鑑は、そのまま王族の人間による許可を証明するものだ。
「開戦当初から、ずっとお前の主義主張は一貫している。それは間違いない。だから信じよう。ただ、ここまでやるからには絶対に最良の結果を残せ。いいな」
印を押された書類を差し出されたコウメイは、それをよく確認しながら、静かな口調で
「……御意」
と、一言だけ答えた。
「あと殿下、もう1つ宜しいですか?」
しんどい話がようやく終わったと思ったが、コウメイの様子を見るにまだ続きがあるらしい。これ以上重苦しい話ではないことを切に望みながら、カリオスは顎を彼に向けて、続きを促す。
「フェスティアが情報を得ているであろう、例の話です」
「--ああ。あの件か」
フェスティアが戦闘前にこちらの戦力情報を把握している方法について、カリオスとコウメイはその内容をほぼ確信していた。
その対策案はコウメイに預けられていたのだが
「この件については、私の独断で処理させていただきたい。必ず結果を出すことをお約束します。その代わり、一切を私にお任せ下さい」
「つまり、何をどうするかは話せないが、何をしても大目に見ろってことか」
コウメイの意図を察して代弁するカリオス。これまではしつこいくらいに何事もカリオスに相談や報告をしてきたコウメイからの初めての要望だった。
過激な作戦案の流れでこの話をするということは、その内容は決して褒められたものでないのだろうーーカリオスはすぐにそう察すると、コウメイが自分から話し始める。
「おおよそ人道から外れた方法ーーになる可能性があります。勿論そうならないように努力しますが、未知数な部分があるため何とも言えません。そして、カリオス殿下はその内容を知る必要がない。全ては元帥である私の独断で行うことです。但し、結果だけは必ずお約束します」
やはり淡々と、しかし容赦なく判断を迫ってくるコウメイの顔を見つめるカリオス。
そんなこと、前線でコウメイが黙ってやってしまえばカリオスには知る由もないことだ。だから黙ってやってしまえばいいのに、こうしてわざわざカリオスに断ってくるコウメイへと
「--任せる」
その一言に信頼を乗せて、カリオスは承認した。
指揮官として多くの命を預かる立場上、例えばより多くの命を助けるために少数を犠牲にする、などといった非情さはどうしても求められる。コウメイはそれをよく理解しているはずだ。
それを理解した上で、それでも人命を優先したいというコウメイの考えは、元帥になってから首尾一貫変わっていない。
奪われても壊されても後で取り戻すことが出来る物よりも、決して取り戻すことが出来ない人命を大切にする、そんな性格・思考を見込んでカリオスはコウメイを元帥へ抜擢したのだった。
カリオスはそのコウメイを信じると決めた。だから、それ以上の追求はしなかった。
「前線で苦しんでいるジュリアス達を助けて、元帥としての責任を果たしてこい。それが俺からの命令だ」
その厳しい口調の命令も、コウメイに対する信頼と期待の表れだった。
いよいよ明日に控えたコウメイの出立を前に、急ぎでコウメイの確認が必要な書類などが溜まっている。そのため、スタインは少しでも余裕をつくるべく、随分と早めに出仕していたのだった。
(とはいえ、元帥閣下は随分とお疲れの様子だったし、まだお休みになられているかもしれないな)
と、廊下を歩きながら胸中でつぶやくスタイン。
どうやら先日の談義で話したスタインの考えはコウメイの評価に叶ったようだった。その後すぐに、いきなり元帥補佐官兼南方担当外交官に任ぜられた。これは龍牙騎士団長付から元帥へとなったコウメイには及ばずとも、それに次ぐ程の大抜擢と言ってよい。
そうして直接コウメイの補佐をする立場になったスタインだったが、コウメイが随分と疲労を溜めこんでいることをすっかり見抜いていた。
様々なことに視点も思考も及んでいるにしては、ケアレスミスが多い。書類の不備もそうだが、普通に歩いてても物につまづきそうになったり、会話の受け答えも時々ボーっとしているような時がある。
顔を合わせてからまだ僅か数日だが、その中でもコウメイのことをよく観察しているスタイン。そんな彼からすると、コウメイが部下ーー自分やプリシティアなどーーだけではなく、目上の人間ーーカリオスやリューゲルなどーーに対しても、軽いお調子者を振舞うその態度は、無理をしているようにしか見えない。
元帥という立場上、様々な悩みもあるだろうし、周りに弱みを見せられないのもうなずける。しかも、第2王女派に劣勢であるという苦しい状況だ。コウメイの心労はスタインが察するには余りあるだろう。
(いずれにせよ自分に出来ることは、少しでも閣下の仕事量を減らすことくらいあ)
幸いにもコウメイはスタインの能力を買ってくれている。次々に大量の仕事をスタインへ渡してくるのは、期待の表れでもあるだろう。それに応えることで、コウメイが少しでも楽になるならば……と思いスタインは執務室のドアをノックする。
「スタインです、よろしいでしょうか」
「おお、早いね。開いてるよ」
すぐに返事が返ってくると、スタインは少し意外そうな顔をした。
そして扉を開くと、中には書類棚の前で資料を物色しているコウメイと、昨日と同じようにコウメイの側に立っているプリシティアの姿があった。
「おはよう」
「お、おはようございます」
にこやかに笑顔をしてくるコウメイに、虚を突かれたような顔をするスタインは反射的に挨拶を返す。
窓から差し込む朝日を背景に微笑むその笑顔は、昨日までスタインが感じていた無理をしている雰囲気は消えていた。コウメイの自然な感情がそのまま出た、いわゆる『爽やか』な微笑みだった。
「もうお目覚めでしたか。まだお休みだとばかり……」
「ん~、いくらスタインが優秀だからといって、仕事押し付けてばかりなのもなぁって思ってさ。ましてや明日から俺、いなくなるし」
ちょっと出かけてくる、それくらいのノリで話すコウメイの態度は相変わらず軽い。しかし、それはやはり無理をしているというよりは、彼の素の人間性が出ているような感じだった。
「あ、そうだ。昨日作ってもらった書類、必要なものは承認して机の上にあるから確認しといてくれ。もしここで見ていくなら、そこのソファでも自由に使ってくれ」
テキパキと指示を下してくるコウメイに、スタインは呆気に取られたような顔をしているも束の間、すぐに動き出して
「では、失礼します」
執務室の中央にあるソファに座りながら、コウメイが手掛けた書類に目を通していく。
(これは……)
書類へ目線を滑らせながら、スタインは表情には出さないものの、舌を巻く思いだった。
今しがた心配していたケアレスミスはほとんどない。コウメイの手によって修正されている箇所も、内容が明確で分かりやすい。
「ちょっと前のも見直してみたら、結構俺も見落としとかしてやがんの。いや、人のことなんて言えないなぁ。すまなかったね、スタイン。これからは俺のミスは指摘してくれていいから――って言っても、明日からいないんだけどさ」
ははは、と白い歯を見せながら笑うコウメイは、いつの間にやら用意していた紅茶をスタインの前に置く。元帥本人が自らの補佐官へ、いとも自然に差し出すのだった。
「なっ……げ、元帥閣下。さすがに……」
「いいからいいから。俺が飲みたいからついでだよ。なんでもカリオス殿下お勧めの、リリライト殿下がお気に入りだった茶葉らしいよ」
と、言ってからコウメイはしまった……というような顔を見せる。
今、正に敵の旗印となっているリリライトをスタインの前で口にするのは不謹慎とでも思ったのか――しかしスタインは、それよりもまさか元帥にお茶を汲まれるという驚きに、目を剥いていた。
それから、スタインはようやくして表情を緩める。
「お元気になられたようで、安心しました。お疲れがかなり溜まっているようでしたので、少しだけ不安に思っていたんですが」
そう言うスタインの言葉に、コウメイは苦笑する。彼の心中としては、弱みを見せまいとしていたくせに、部下に見抜かれていたのでは元も子もない……といたところか。
スタインは出された紅茶に口をつけると、口の中に爽やかなミントの風味が広がっていく。一日の始まりである朝に口にするには、実に心地よい味だった。
それを味わいながら、それとなく室内に視線を滑らせていると、プリシティアが先ほどから無言で、変わらず同じ位置に立っている。
しかし、その表情はいつもの無表情ではなく
「ふふん」
「?」
なぜか、自信満々のドヤ顔をしていた。スタインにはちょっと理由が分からない。せいぜい思いつくのは、コウメイが元気になったことが彼女にも嬉しいことなのだろうか。
「プリティも座って飲んだらどうだ? 紅茶は飲めるだろう?」
不意にコウメイが彼女に呼びかけると、ドヤ顔から一転、プリシティアは頭から湯気を出して顔を真っ赤にするのだった。
「わ……わーはその呼び方、でいにやーだと……!」
もじもじとしながら涙目になるプリシティアーーそれを意外そうな表情でじっと見つめるスタインの視線に、彼女は気づく。
「あう……ぐ……ぁ……あうぅぅぅぅぅ」
思わずスタインの前で方言を出してしまったことか、コウメイに気恥ずかしい愛称で呼ばれてしまったことか、どちらが大きく作用したのかは定かではない。いずれにせよ、プリティシアは両手で顔を覆い隠して、そのまま地面に崩れ落ちてしまう。
「こっちが恥ずかしくなるから止めてくんない? ってか、お前昨日あれだけのことしておいて、どの面下げて恥ずかしがってんの?」
思わずコウメイも顔を赤くしながら、結構辛辣な突っ込みを入れていた。
会話の内容はスタインにはよく分からなかったが、鉄面皮だと思っていた同僚プリシティアの意外な一面、そして珍しくコウメイが慌てる姿を見て
「……ふふ」
あまり感情を表に出さないスタインも、笑みをこぼしていた。
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さて、王都出立を翌日に控えたコウメイは、大きな仕事のほとんどは終わらせていた。正確に言うなら、優秀な補佐官であるスタインがコウメイの体調を配慮して、その多くを肩代わりしてくれていたのだが。
そしてコウメイは、出立前にやるべき残してあった最後の大仕事を終えるべく、カリオスの執務室へ出向いていた。
「やっぱり、考えは変わらないか」
コウメイから提出された書類を見たカリオスは難しい表情をしていた。
2人だけで会話をするときは、真面目な話も暗い話も、お互いに努めて軽い口調で会話をしている。にも関わず、今カリオスが吐いている言葉は、重苦しいものだった。
そのカリオスの言葉に対してうなずくコウメイも、いつものおちゃらけた雰囲気は無い。暗くはないが、彼にしては珍しい真顔だった。
そのコウメイの反応に、カリオスは大きなため息を吐く。
これは現在第2王女派から攻撃を受けている3領地戦において、コウメイが考えた最終決着案であった。今後全てがコウメイが描いた通りに事が運んだ場合、という仮定の上のことだが、その内容にカリオスは素直にうなずくことが出来なかった。
実はこの案、今日にくるまでほとんど同じものを何度も提案されていた。そのたびにカリオスは、その内容を問答無用に却下することは無かったが、ぎりぎりまで考え直せと突き返したものだった。
そして、遂に「ぎりぎり」でも同じ案を提出してきたコウメイに、カリオスは瞑目しながら首を振った。
「出来れば避けたい方法ではある」
こめかみを指でつまみながら、どこか疲れたようにカリオスは言う。しかしコウメイは、やはり感情を見せない表情のまま淡々と答える。
「綺麗ごとばかりでは政治も戦争も立ちいかないことは、殿下の方がご理解されていると思いますが」
「そうだが……ここまでする必要があるのか? しかも自分達の手で」
そんなカリオスの言葉に、今度はコウメイがため息を吐く。
「この期に及んで、殿下はまだフェスティアを……いや、グスタフを甘く見ていらっしゃる。目の前の現実を、フェスティアやリアラの脅威をきちんと直視して下さい。とても犠牲なくして勝てる相手ではありません。
あなたは開戦前の演説、そしてその後に最高幹部達の前で覚悟を決めたはずです。国王代理としての責任を果たすことと、妹姫であるリリライト殿下を救い出す--この2つを両立させると。
元帥の自分からカリオス殿下へ所望することは、目の前の綺麗事にとらわれることなく、結末を迎えるその時まで、その覚悟を貫き通していただくことです」
「う、む……」
いつもとは逆にコウメイがカリオスを諭すような空気である。淡々としたコウメイの様子が、逆にカリオスに圧をかけているようにすら見える。
(相変わらず、こいつは先に覚悟を決めちまっているわけか)
これまで出来うる限り人道的な手段を選んできたコウメイが作成した案としては、冷酷で過激な内容だった。当然巻き込まれる人間からの猛反発も予想される。だからこそ、コウメイがこれを無理にでも実行するには、絶対権力者たるカリオスの最終承認が必要なのだ。
コウメイの性格からしてもこれを実行するに心穏やかではないだろう。この無表情で提案する彼の様子自体が、それを物語っている。
そう考えて、カリオスは口元に手を当てたまま数分間沈黙し熟考する。
そして、ようやく
「分かった」
机の引き出しから印を取り出す。王族しか使用出来ないその印鑑は、そのまま王族の人間による許可を証明するものだ。
「開戦当初から、ずっとお前の主義主張は一貫している。それは間違いない。だから信じよう。ただ、ここまでやるからには絶対に最良の結果を残せ。いいな」
印を押された書類を差し出されたコウメイは、それをよく確認しながら、静かな口調で
「……御意」
と、一言だけ答えた。
「あと殿下、もう1つ宜しいですか?」
しんどい話がようやく終わったと思ったが、コウメイの様子を見るにまだ続きがあるらしい。これ以上重苦しい話ではないことを切に望みながら、カリオスは顎を彼に向けて、続きを促す。
「フェスティアが情報を得ているであろう、例の話です」
「--ああ。あの件か」
フェスティアが戦闘前にこちらの戦力情報を把握している方法について、カリオスとコウメイはその内容をほぼ確信していた。
その対策案はコウメイに預けられていたのだが
「この件については、私の独断で処理させていただきたい。必ず結果を出すことをお約束します。その代わり、一切を私にお任せ下さい」
「つまり、何をどうするかは話せないが、何をしても大目に見ろってことか」
コウメイの意図を察して代弁するカリオス。これまではしつこいくらいに何事もカリオスに相談や報告をしてきたコウメイからの初めての要望だった。
過激な作戦案の流れでこの話をするということは、その内容は決して褒められたものでないのだろうーーカリオスはすぐにそう察すると、コウメイが自分から話し始める。
「おおよそ人道から外れた方法ーーになる可能性があります。勿論そうならないように努力しますが、未知数な部分があるため何とも言えません。そして、カリオス殿下はその内容を知る必要がない。全ては元帥である私の独断で行うことです。但し、結果だけは必ずお約束します」
やはり淡々と、しかし容赦なく判断を迫ってくるコウメイの顔を見つめるカリオス。
そんなこと、前線でコウメイが黙ってやってしまえばカリオスには知る由もないことだ。だから黙ってやってしまえばいいのに、こうしてわざわざカリオスに断ってくるコウメイへと
「--任せる」
その一言に信頼を乗せて、カリオスは承認した。
指揮官として多くの命を預かる立場上、例えばより多くの命を助けるために少数を犠牲にする、などといった非情さはどうしても求められる。コウメイはそれをよく理解しているはずだ。
それを理解した上で、それでも人命を優先したいというコウメイの考えは、元帥になってから首尾一貫変わっていない。
奪われても壊されても後で取り戻すことが出来る物よりも、決して取り戻すことが出来ない人命を大切にする、そんな性格・思考を見込んでカリオスはコウメイを元帥へ抜擢したのだった。
カリオスはそのコウメイを信じると決めた。だから、それ以上の追求はしなかった。
「前線で苦しんでいるジュリアス達を助けて、元帥としての責任を果たしてこい。それが俺からの命令だ」
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授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。
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