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第1章『3領地同時攻防戦』編

第37話 3領地同時攻防戦16--中央クラベール領戦線⑧

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 一時は第1防衛線を奪われて、第2防衛線まで後退したジュリアス部隊。しかし第2防衛線での戦闘において勝利を収めると、そのまま第1防衛線を奪い返すことに成功。

 遂に第2王女派をクラベール領境まで押しやり、戦況を完全に押し戻していた。

 今回の戦いは内乱が始まってから第1王子派が初めて手にした勝利でもある。

 相手の指揮官ルルマンドが無能ということもあったが、ジュリアスのその戦術手腕により圧倒的な勝利を収めたジュリアス部隊は、その勝利に沸き立っていた。

 ――ということはなく、士気は高まりながらも、いつものジュリアス部隊のように平然としていた。

「ここで油断してはいけません。このまま、一気に敵を押しのけます」

 ルルマンド部隊に占領されていてからは、彼が肉の欲望を満たす空間となっていた幕舎――そこは再度、ジュリアスの幕舎として活用されていた。

 勝利を収めたその夜――幕舎に呼ばれたのはラディカル、リューイ、テアレスの3者であった。リューイは身体に包帯が巻かれているものの、それ以外に弱った様子は見られない。

「クラベールの部隊を退ければ、ノースポールやイシスにも援軍を向けられますからな。シャンディ部隊がいるノースポールはともかく、イシスは苦戦している可能性も高いですし、とっとと援軍に行ってやらんといけやせん」

 ラディカルが腕を組みながら答えると、ジュリアスはもう1人の副官へ顔を向ける。

「テアレス、各部隊から戦況報告は来てますか?」

 話を振られたテアレスはうなずいて答える。

「ニーナ隊長からは……その、相変わらずな感じで報告が……」

 少し言いづらそうなテアレスの言葉ーーその意味を理解するジュリアスとラディカルは、頬を緩ませる。

「と、とりあえず……北方は、特に問題なく敵の進撃を止められているようです」

 テアレスが目にした報告書の内容は「こっちはいつも通り元気ににゃんにゃんしていますので、今度はご褒美として旧白薔薇の可愛いわんわんをお願いします」という、大真面目な文体でふざけた内容――おそらくはニーナが書いた原文ーーに、取り消し線やら訂正文などが記されたそのままの状態で送られてきた。

 内容校正したのは、おそらく副隊長のゴーガンだろう。それにしても、それをそのまま送ってくるニーナの性格は……。テアレスからすると、ゴーガンの苦労がしのばれる。

「ぐわはははは! 相変わらずニーナの嬢ちゃんは頼もしいな」

 ラディカルが豪快に笑い飛ばすと、緊張に包まれていた幕舎内に緩んだ空気が流れる。思わず肩を貼っていたリューイも、力が抜ける程だった。

「それで、イシスからは?」

 しかし今度は逆に緊張が張り詰める。

 そのジュリアスの問いには、テアレスは首を横に振るのだった。

「今のところ、何も届いておりません」

「――そうですか。開戦から1週間程ですが……苦しい状況なのでしょう。いちはやく援軍を送らなければいけません」

 机の上に肘をついて、手を組んだ上に顎を乗せているジュリアスの表情は、当たり前だが明るくない。

「ルルマンド部隊は、既に壊滅状態。まともに戦える状態ではないでしょう。ラディカル将軍、早急に北方と南方への支援部隊の編成をまとめて下さい。明日にはすぐに援軍を向けられるように」

「了解ですぜ。フィリオスには少なくない酒代を借りっぱなしなんでね。くたばる前にとっとと返してやらんといけませんのでね」

 南方のイシス領防衛を任されている部隊長の名を口にしながら、腕をまくるような仕草をするラディカル。彼自身の士気も最高潮に達していた。

「リューイ君は、傷の方はいかがですか? 戦闘には出られますか?」

「はい、勿論です!」

 ジュリアスの問いに即答するリューイ。その覇気を見てみても、強がりではないだろう。ジュリアスはうなずく。

「クリス……いえ、クリスティアの件は報告をありがとうございます。私のこの傷は、先のミュリヌスの戦いで彼女に付けられたものです。いずれ、私自身が決着をつけなければならないと思っていました」

 ジュリアスは顔の右半分を覆っている眼帯をなぞると、おもむろに立ち上がり、リューイに頭を下げる。

「これは副団長としては失格なのかもしれませんが……彼女を救おうとしてくれて、ありがとうございます」

「ふ、副長……そんな……!」

 そのジュリアスの態度に、珍しくリューイが慌てていると、横からラディカルが口を挟んでくる。

「ったく、龍牙騎士団の副団長に頭を下げさせるなんて、大したやつだ! さすがは龍騎士様だなっ! ぐはははは!」

「ラ、ラディカル将軍もからかわないで下さい。副長も、そんな簡単に頭を下げないで下さい。俺は、自分に出来ることを必死にやっただけですから」

 ジュリアスが顔を上げて戸惑うリューイを見ると、いつもの柔和な彼らしく、微笑を浮かべる。

「そうですね。ただ副長としてではなく、ジュリアスという個人としては、やはり感謝せずにはいられません。君にリアラ=リンデブルグという大切な人がいるように、彼女もまた私にとっては大切な存在ですから」

「それは――」

 恋人ということだろうか。

 そう問いかけようとしたリューイだったが、それ以上は口をつぐんだ。クリスティアの名を口にして、どこか寂し気なその表情。なんとなくだが、それを見て恋人というにはどこか違うような感じがした。

 恋人という関係以外でも大切な相手というのはいくらでも存在するし、それはジュリアスとクリスティアの2人だけものもだ。リューイは、無関係の自分が無遠慮に立ち入っていいものではないとも感じた。

「さて、テアレス。今回リューイ君について、何か得るものはありましたか?」

 相変わらずの優し気な瞳を、ジュリアスは今度はテアレスへ向ける。

「その、自分は……」

 いつもジュリアスに報告を求められれば明々瞭々と答えるテアレスが、珍しく歯切れの悪い反応をする。

 しかし、そんなテアレスの反応を見ただけで、ジュリアスは何かを察したように満足そうにうなずく。

「おそらく、今回のリューイ君の強さを見た騎士のほとんどは、君と同じ感情を持っているでしょう。その強さを目の当たりにして、気づいたはずです。彼に寄せていたのは、ただの嫉妬だった……と」

 優し気な言葉の中に、自身が抱いていた陰鬱な感情を指摘されて、テアレスはビクリと身体を震わす。

「恥じるべきことはないです。醜い感情は、誰でも持っているものです。大事なのはそれを認めて前に進むこと――それに屈してしまえば、新白薔薇騎士……クリスティアのようになってしまいます。そうなることで強くなれることもあるかもしれませんが――」

 ジュリアスは、それ以上は口をつぐむ。

 あのクリスティアの変貌ぶりはグスタフの特殊能力によるものと説明を受けていた。だから、決してクリスティア自身の意志が、その汚い罵詈雑言を発したわけはないと信じている。

 しかし、家柄や龍騎士といういわばお飾りに過ぎない称号に執着する彼女の言動を見るに、やはり彼女自身の弱さもあったのではないか。そこを付け込まれてしまったのではないか、と思う。

 だが、今はテアレスの話である。

 油断すると沸々と湧いてくるクリスティアのことを強引に胸の奥に押しとどめるように、ジュリアスは眼を伏せてから、話を元に戻す。

「テアレス、君には引き続きリューイ君の補佐を命じます。彼の側で君と同じ2年目の騎士がそこまで強い理由を、言葉ではなく肌で感じ取って下さい。想いが、信念がある人は強くなる……それがどういうことかを学んでくれることを期待します。私が君に望んでいるのは、事務官ではありませんからね」

「――はっ」

 にっこりと笑いながら言うジュリアスに、テアレスは敬礼をしながら答えるのだった。

「さて……ルルマンド部隊は壊滅状態とはいえ、決して油断はしないように。明日は残ったルルマンド部隊を迅速に処理しつつ、北方と南方へ部隊を分けます。――戦闘は更に厳しくなっていきます。各自、くれぐれも心しておいてください」

 まだ1万を超える兵力を有するジュリアス部隊に対して、ルルマンド部隊が残す兵力は僅か数千程度だろう。

 それだけの戦力差があろうとも、ジュリアスは決して油断することなく、どのようにして確実に領内から第2王女派を撃退するかに集中していた。

    ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 ジュリアスの包囲戦術の前に、ものの見事に敗北を喫したルルマンド。部隊は壊滅的な被害を受け、せっかく奪い取った第1防衛線も奪い返された上、領境まで押し戻されてしまった。

「ひ、ひぃぃぃっ……!」

 クラベール領境に構築した陣地内の幕舎で、ルルマンドは怯えすくみ上っていた。地面に膝をつき、全身はガクガクと震えて、目の前にいる人物へ顔が上げられず、ずっと床とにらめっこをしていた。

 幕舎の中で優雅に微笑んでルルマンドを見下ろすのは『女傑』フェスティア=マリーン。この内乱において、第2王女派の軍事全権を預かる軍師である。

「お、おおおお……お許し……お許しを……!」

 同じヘルベルト連合内の人間同士である。ルルマンドがフェスティアを知ったのは今日明日というわけではない。ルルマンドは、ヘルベルト連合の代表としてのフェスティアの人となりを、それなりに知っている。

 期待に応えて功績を挙げたものには存分に報酬を施す程の懐の深さを見せるが、その反面失敗した者に対しては容赦がない。1度の失敗で降格や解雇など当たり前で、ひどい時には身分を奴隷に落とされたり、極刑に処されることも決して珍しいことではない。

 重大拠点であるクラベール領における大敗北――しかも、第1王子派との戦争が始まってから初めての敗北だ。どう考えても、部隊指揮を任されたルルマンドの責任は重大である。

 ジュリアス部隊にこっぴどくやられて必死にここまで逃げ延びたと安心したのも束の間、既にフェスティア率いる本隊が到着していたのを見て、もはやルルマンドは生きた心地はしなかった。懸命に、せめて命だけは救いを求めるように、額を地面に擦りつける。

「……あっははははは! 醜いわね!」

 額が赤くなるほどに必死に許しを乞うルルマンドを見下ろして、フェスティアは明るく笑い飛ばすのだった。

「だ、代表……?」

「なーに? まさか本気で、聖アルマイトの龍牙騎士団副団長に勝てるとでも思っていたの? そんなはずないじゃない。あなた、無能の愚図なんだから。無能なあなたとジュリアス=ジャスティンでは役者が違い過ぎるわ。本当、滑稽ね」

 椅子に座って足を組むフェスティアは、肘の上に顔を置いて余裕の表情を浮かべていた。

「う、ぐ……ぐ……し、しかしワシはリリライト女王陛下に期待をされて……」

「あー、はいはい。そうだったわね。じゃあ、期待を裏切ったということで、望み通り殺してあげましょうか?」

 相手を喰ったような笑みを浮かべたままフェスティアは流れるような仕草で腰に下げた剣を抜き取り、ルルマンドへ向ける。

「ひ、ひぃぃぃぃぃ! お、お助けをっ……わ、ワシは無能な豚でございますぅぅぅ!」

「あっそう。じゃあ豚らしく鳴いて見せなさいな」

「ぶ、ぶひいいいい! ぶひっ、ぶひっ!」

 フェスティアがその剣を一振りでもすれば、彼女が得意とする魔法剣「風刃」が放たれて、ルルマンドなど一撃で肉の塊と化してしまう。

 死の恐怖に涙をこぼしながら、必死に豚の鳴き真似をするルルマンド。そんな愚かで醜く浅ましいルルマンドを見ていると、それまでは笑いを浮かべていたフェスティアが急につまらなそうに顔を曇らせる。

「――思ったより面白くない、というかむしろ不快ね。もういいわ、止めなさい。もともとあなたの無能さなんて分かっていたわ。別に殺すつもりはないから、安心なさい」

 そのフェスティアの言葉を聞いて、ルルマンドはようやく本気で安堵することが出来た。あまりに力が抜け過ぎて、そのまま腰を抜かすと、地面に尻をついてしまう。

「あ……ふぁ……ほあぁ……」

 呆けたような声を出すルルマンドを前に、フェスティアは椅子から立ち上がる。

「全て想定通りよ。この状況になれば、もう馬鹿でも勝てるわ」

 そう言うフェスティアは、ニヤリと策士の笑みを浮かべた。

「優秀な戦略家は、どんな無能が指揮しても必ず勝てる状況を作り出すことが仕事なのよ。いくらジュリアス=ジャスティンが有能な戦術家だろうが、私の相手にはまるで足りないわね」

 それは口だけではない。実際に今日まで、そのジュリアスに無敗を誇り勝利を重ねてきたフェスティアが断言する。

「つまらない相手だったわね。龍牙騎士団副団長ジュリアス……いい加減、あなたの相手をしてあげるのも飽きてきたし、いよいよ明日は首を刎ねてあげるわ。――頼んだわよ、リアラ」

 フェスティアの顔が、ルルマンドの他にもう1人――ずっとこの幕舎内にいて、今までのやり取りを黙って見守っていた、新白薔薇騎士団長へ向けられる。

 テント内のほのかな燭台の光に照らされて、彼女――リアラ=リンデブルグは、その瞳に禍々しい赤い光を宿しながら、残忍な笑みを浮かべていた。

「お任せを、フェスティア代表。明日は、この地に龍牙騎士達の血の花を咲かせてみせましょう」

 いよいよフェスティア自らが部隊を率いてクラベール領攻略へ乗り出す。

 そして、龍騎士リューイ=イルスガンドが救おうと手を伸ばす相手――リアラ=リンデブルグとの邂逅が、早くも果たされようとしていた。
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