【R-18】龍の騎士と龍を統べる王

白金犬

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第1章『3領地同時攻防戦』編

第27話 3領地同時攻防戦Ⅵ--南方イシス領戦線①

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 第2王女派による3領地同時侵攻戦において、最も安穏としているのが北方のノースポール領戦線だとしたら、最も凄惨な状況に陥っているのが南方のイシス領だった。

 開戦より1週間――戦況が硬直しているノースポール領とは対極の状況にあるイシス領は、既にその大勢を決していた。

「なんということだ。これ程までに……」

 イシス領の中心部にある街――領主であるエンディール=イシス侯爵が住まうそこは、第2王女派によって蹂躙されていた。

 門を突破し、なだれ込んできた龍の爪や新白薔薇騎士団の手によって、街の中の様々な設備は破壊されていた。何かしらの燃料から発火したのか、あちこちで火災まで起き始めている。

 逃げ遅れた領民達は敵に捕まると惨殺されるか、連れ去られる。その場で龍の爪の奴隷兵士に輪姦される女性すらいた。更に家屋からは食料を始め金品が好き放題に持ち出されており、その街は正に阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 ジュリアスよりこの血の防衛を任されていた龍牙騎士は、フィオリス=ガルダンダ。40を超える、龍牙騎士としてはベテランの域に達する誠実で実直な部隊長だった。

 そのフィリオスは、1週間も経たないうちに、第2王女派に敗北を喫したのだ。

「どうして、どうしてこんなことに……っ!」

 フィリオスの視界の中では、まだ懸命に抵抗を続ける龍牙騎士も残っているが、もはや軍としての形は成していない。部隊は完全に壊滅し、生き残った龍牙騎士達は各個で抵抗、今も逃げ惑う領民達を1人でも多く助けようと奮闘している。

 しかし、相手は欲望のままに略奪と虐殺を行いつつも、統率が取れた動きで――特に新白薔薇騎士に関しては――確実に生き残った人間を追い詰めている。フィリオスを含めた、この街に残っている人間の命は、そう長くないだろう。

 フィリオスを見つけた敵兵士が襲い掛かってくる。龍の爪の尖兵たる奴隷兵士だ。しかしフィリオスは簡単にその剣戟をいなし、反撃の刃を叩きこんで返り討ちにする。

 ベテランの部隊長だけあり、個人の勇では龍の爪の奴隷兵士などに遅れをとるはずもない。しかし押し寄せてくる敵の数は多い。その全てをフィリオスが斬り伏せるまで、体力が保つはずがない。

 更に最悪なことに、龍の爪に交じっている新白薔薇騎士に関しては、逆に1人1人が軽くフィリオスの実力を凌駕していた。彼女らに見つかれば、もうフィリオスは助からないだろう。

「くそ……くそぉぉぉ! おおおおおおお!」

 襲い掛かる龍の爪の奴隷兵士や正規兵を斬り伏せていくフィリオス。その返り血で、身体も顔も血に塗れながら、最後の命の炎を燃やすように街中を疾走する。

 苦しい戦いになることはジュリアスより聞かされて承知していたし、グラシャスやバーグランドでの戦いを聞いていたフィリオスは、新白薔薇騎士を始めとした第2王女派の実力を甘くみていたわけでもない。

 それでも、イシス領防衛部隊の部隊長として派遣されてから今日までの戦い――ここまで一方的な戦いになるとは思ってもいなかった。

「いくら相手が、あの『殲滅』のオーエンだといえど……ここまで龍牙騎士が一方的にやられるものなのか」

 もう何人もの敵を斬り殺しただろうか。肩で息をしながら、絶望の靄はずっとフィリオスの胸を苛んでいた。

 大陸に名を馳せる龍の爪の将軍――それがイシス領に侵攻してきた、相手の指揮官であった。

 イシス領は、中央のクラベール領との交通の便も良く、ここを占領されれば中央のクラベール戦線は、2方面からの同時攻撃にさらされるという非常に苦しい状況に立たされる。

 ノースポール領以上の戦略価値を持った、ジュリアス側としては絶対死守しなければならない領地。それ故にフェスティアも相応の戦力を割いてくると判断したジュリアスは、ノースポール領と比べれば大規模にあたる兵力を配置し、更に信頼のおける指揮力を持ったフィリオスを部隊長に任命した。

 対して第2王女派全軍の指揮を執るフェスティアは、ここイシス領にジュリアスの想定を超えた戦力を送り込んできた。ノースポール領には1人すら派遣しなかった新白薔薇騎士のほとんどを、ここイシス領に差し向けてきたのだ。

 結果、フィリオスの部隊とイシス領の現地部隊では、その新白薔薇騎士の怒涛の勢いを支えきれず、開戦から一矢報いることすら出来ず敗走を重ね続け、僅か1週間でここまで攻め入れられて敗北した。

「はぁ、はぁ……くそ。こんな……こんなことなど……」

 既に勝敗は決している。今更フィリオスがどれだけ奮闘したところで、イシス領を奪われるのは変えようがない。

 それでも彼が必死になって、敵を斬り伏せながら街を疾走するのは、まだやらねばならないことがあるからだった。

 龍牙騎士としてではなく、1人の人間――いや男として、必ず果たさなければならないことが。

「あら、フィリオス隊長ですか? お久しぶりです」

 唐突に、ここが戦場とは思えないくらいの軽い女性の声――まるで街中で買い物をしている最中に知人に偶然会ったような声が聞こえる。

 しかしその程度で気を緩める程に未熟なフィリオスではない。それでもフィリオスが動揺したのは、この戦場で女性の声がするということは、新白薔薇騎士以外には考えられない。そして、それすなわち、自らの死が間近に迫ったことを意味することだったからだ。

 フィリオスが覚悟を決めて剣を構えて、声のした方へ視線を向ける。

 そうして、フィリオスは驚愕に顔を染める。それは、おそらく彼が生きてきた中で、もっとも驚愕すべき、信じられないことだっただろう。

「ば、馬鹿な……ミ、ミリアム……? ミリアム=ティンカーズ……?」

「貴方がお相手だったんですね。うん、なるほど……そうして考えると、これまでに堅実な戦術指揮はうなずけます。でも残念ながら、私の旦那様には遠く及びませんでしたね」

 フィリオスが知る彼女は、龍牙騎士だった。

 女性ながら、男性の誰よりも龍牙騎士の緑色の鎧を着こなし、その美しい金髪を揺らしながら、戦場で華麗な舞を披露するように剣を奮う、前騎士団長ルエールに次ぐ実力の龍牙騎士だった。

 しかし今の目の前にいるミリアムがその身に纏っているのは、白銀の鎧だった。それは旧白薔薇騎士団の鎧をベースに、ヘルベルト連合の鍛冶技術で錬成された新白薔薇騎士団の鎧。

 その変わらぬ金髪は、その美しい翡翠色の瞳は、そしてなんといっても特徴的な幼女のような声は、間違いなくミリアムである。それなのに、その彼女が白薔薇騎士の鎧を着ていることは、フィリオスにとっては違和感しかない。

 そして、その鎧を着てこの場にいる意味は、更に理解不能だった。

「ここは戦場ですよ? そんな呆けていたら――」

「っ!」

 そんなフィリオスの動揺など置き去りに、ミリアムは容赦なく襲い掛かってくる。彼女が右手に持つ薄緑色の剣――『龍牙影打』でもってフィリオスに斬りかかる。

 それをすんでのところで受け止めたのは、フィリオスの長年の経験だろうか、生存本能の成せる技だろうか。金属音が鳴り響いてミリアムの龍牙影打を自らの騎士剣で受け止めるフィリオスは、ゾッと冷や汗を掻く。

 これは嘘偽りない、本当の殺気そのものだ。

「し、信じられん……行方不明という話だったはずだ。どうして、よりにもよってお前が第2王女派に……?」

 そうして自分で口にしていても、とても目の前の現実が信じられない。しかし、ミリアムは口元を緩めて、更に衝撃の真実を吐き出してくる。

「ルエール団長は……もうくたばりました? 致命傷を与えたはずなんですけど、治癒術師が紛れ込んでいたみたいで、一命を取り留めたそうですね。団長が死ねば、旦那様がもっと激しいセックスをしてくれるって言ってるので……早くくたばればいいのにって思ってるんですけど」

「――っ!」

 フィリオスが知るミリアムと同じ声で、同じ顔をして、この目の前の悪魔は信じられない台詞を吐く。そのあまりの衝撃に、フィリオスは言葉を失う。

「おおおおっ!」

 しかしすぐに我を取り戻すと、ミリアムの剣を受けていた剣で、ミリアムの身体を押し返す。ミリアムはその衝撃を受け流すように、軽やかな動きで後ろに2、3歩後退する。

「お前が……お前が、ルエール団長を? どうして……どうしてだ。そんなこと、有り得るわけが……っ? そ、その手に持っているのは……」

 先ほどから、ミリアムは右手一本で剣を振るってきている。左手は何かを持っているため、使えないのだ。

 フィリオスも、ミリアムが片手に何かを持っていることは気づいていたが、距離を取ってから冷静になってよく確認すると――

 それは、フィリオスと共にこの地を守るために戦った、領主エンディール=イシス侯爵の生首だった。

「な、なんだこれは……一体何なのだ……こんなことが、あっていいのか……」

 数いる侯爵位を持つ貴族の中でも、特に武闘派として知られていたエンディール侯爵。フィリオスと同年代で、まだまだこれから働き盛りで、活気あふれる精悍な顔つきをしていた彼の顔は、いまや無念と絶望と血で染まっていた。

 ミリアムはそのエンディール侯爵の髪を乱暴に掴み、ぶら下げるようにしていた。

「うわさに聞くエンディール侯も大したことありませんでしたね。弱い者イジメをしているみたいで、凄く気分悪かったですが……戦争ですし、仕方ありませんよね。何より旦那様が、ご褒美にエロいセックスをしてくれるっていうから、私思わず頑張り過ぎて、瞬殺しちゃいました」

 いちいち狂気を孕んだその物言いと、その邪気を感じられない笑顔が余計に狂気を感じさせる。

 もはやフィリオスは頭がクラクラとし始める。

(もうダメだ。完全に狂ってしまっている……)

 しかし逆に納得出来ることもある。

 突然に放棄した第2王女派ーーリリライトと旧白薔薇騎士、そしてミリアムに何かが起きたのだ。だからこそ、こんな異常な反乱が起こったのだ…と。

「さっきから旦那様と……一体誰のことを言っている?」

 気をしっかり持ちながら、フィリオスはミリアムを睨みつけながら問いかける。

「勿論、今回の部隊を指揮していらっしゃる『殲滅』のオーエン様ですよ?」

 さも当然といわんばかりに言うミリアムと、有り得ない言葉に意識が混濁しそうになるフィリオス。

 オーエンが何かしらの魔術を、或いは薬でも使ってミリアムを操っているのか? そうすると、まさかリリライトもそうなのか。そうだとすると、あまりにも不自然で唐突な戦線布告に至るのも分かるが、果たしてオーエンという人間がそこまでの力を持っているのか?

「さて、こんな汚いもの早く捨ててしまいたいですし、さっさと決着を付けましょう。首を持っていかないと、旦那様納得してくれないんですよね」

 最後はまるで新婚の妻が愚痴をこぼすような、どこか嬉しさを含んだような感情が見え隠れする。フィリオスは油断なく、両手で持った剣の先を向ける。

 ミリアムはグスタフの異能で異常なほどの強化をされている。勿論、グスタフの異能のことなど、フィリオスがそれを知ることはない。

 しかし、それを抜きにしたとしても、相手はルエールに後継として実力を認められた、名実ともに龍牙騎士ナンバー2であるミリアム=ティンカーズ。

 ベテランといえど、龍牙騎士としては平均点程度のフィリオスが敵う道理が無いと、自覚していた。それでも戦わなければならない。決して退くわけにはいかない。

 ――この街には彼が……フィリオスが愛する女性がいるのだ。

 相手が狂ってしまったかつての仲間であろうと、到底実力の及ばない強敵であろうが、愛する彼女を逃がすまでは、絶対に倒れるわけにはいかないのだ。

 こんな絶望的な状況下でも、それでも何か僅かな希望はないかと、必死に考えを張り巡らせるフィリオス。

(――そうだ。オーエンを倒してしまえば、何とかなるかもしれない)

 もし本当にミリアムを操っているのがオーエンならば、その張本人を倒してしまえばミリアムは正気に戻るのでは? それにミリアムとオーエンならば、どちらも強敵には違いないが、まだオーエン相手の方が勝機も見える。

 なんとかこの場をやり過ごし、オーエンを見つけ出して仕留めることさえ出来れば、ミリアムが味方に戻って形勢逆転――とまではいかなくとも、イシス領から生きて逃げるまでは出来るのではないか。

 いや、むしろそれしかない。

 フィリオスは必死にもがいて辿り着いた希望の可能性に賭けるべく、剣を握る両手に力を込める。

 そうして、懸命に探し当てたフィリオスの一縷の希望を、現実はさらに踏みにじる。

「――あぁ? まだ生き残りがいやがったのかよ。ったく、龍牙騎士ってのは害虫なみにしぶてぇ連中だな」

「っ!」

 ミリアムの後方から姿を現したのは岩のような大男――フィリオスは実際に目の当たりにするのは初めてだったが、敵部隊を率いる『殲滅』の二つ名を持つオーエン=ブラッドリィだった。

「あっ、あなた。どうでしたか?」

 戦闘中にも関わらず、ミリアムは媚びた表情と声でオーエンに振り向く。フィリオスも見たことのないような“女”を感じさせるそのミリアムは隙だらけだったが、フィリオスは動くことが出来なかった。

 剣を持つ手が震え、喉が渇く。目の奥が熱くなり、胃の底から胃液が込みあがってくる。

 フィリオスは驚愕に目を見開いていた。それは敵の指揮官が不意に現れたからでも、元仲間の信じられない姿を見たからでもない。

 そのオーエンが、軽々と肩に担ぐようにしている女性に見覚えがあったからだ。

「ああ、やっぱり地下に隠し部屋があったぜ。やっぱ、どこでも貴族だのって特権階級はクソ野郎ばっかりだな。何かあっても逃げられるようにしてたんだろうな。この女は戦利品だ。がははは」

「くすくす。まあ、そのエンディール侯爵は殺しちゃいましけど。ほら」

 ミリアムが手に持っていたエンディール侯爵の生首をオーエンに見せつける。

「おっ、やりやがったか。ははっ、じゃあ約束通り今晩はハメ倒してやるよ。って、気持ちわりぃから、そんなもんとっとと捨てろよ」

「やったぁ♪ たくさん可愛がってくださいね。私もこんな汚らしいの、持つの嫌だったんですよぉ」

 狂人の会話をしながら、ミリアムは本気の嫌悪感を顔に滲ませながら、文字通りエンディール侯爵の生首を投げ捨てる。そして恋人の様に――もう、実際そうなのだろう――オーエンの太い腕にしがみつく。

 しかし、その会話はもはやフィリオスの耳には響かない。フィリオスの視線と意識はただ1点――オーエンに担がれた女性に注がれていた。

 凶悪な敵の肩の腕で必死にもがいて抵抗しているその女性こそ、フィリオスがこんな状況になってまで、街の中を疾駆していた理由そのものだ。

「アイリス……! その手を放せっ!」

 そしてフィリオスの感情が怒りで沸騰する。

 もうミリアムの裏切りも、その狂った様も、何も気にならない。

 ただただ愛した女性が、決して渡してはいけない敵の手にあることに、フィリオスは怒りの炎で己の感情を焦がせる。

 気づけば地面を蹴り、愛する女性を物のように担ぐオーエンへと斬りかかっていた。

 オーエンは、片手は人間1人を担ぎ、もう片手はミリアムに捕まれている。隙だらけの状態である。その隙だらけの心臓を突き刺すために、フィリオスは剣先を向ける。

「あー、面倒くせぇな」

 その言葉通り面倒くさそうに、女性を担いでいる方の手を動かして耳をほじると、組み敷かれているミリアムの手を解く。そして腰に括りつけていた鎖を引きずりるようにすると、その先の鉄球を振り回すように軽々と動かす。

 フィリオスの眼には、それらの動きが不自然なまでに緩慢に映っていた。緩慢な動きのはずなのに、なぜか自分の身体が思うように動かない。

「死ねや、おっさん」

 振り回された鉄球が自分に向かって飛んでくる。とても緩慢な動きだ。欠伸をしながらでも避けれそうなくらいにゆっくりとした動き。しかしフィリオスは身体が思うように動かない。

 ゆっくり、ゆっくり近づいてくる鉄球――余裕で回避できるはずなのに、フィリオスはそれを動かず待つことしか出来ない。

 そして、その鉄球がフィリオスの身体を横殴りに直撃する。

「ぐぎゃ……」

 衝撃と激痛がフィリオスの身体を突き抜ける。

 肉が、骨が、内臓が、音を立てて崩壊していく。

 血が、命の雫が、口からこぼれ出る。

 呆気ない程に勝敗を決する、致命傷の一撃。

「アイ……リス……」

 徐々に暗くなっていく視界――やがて何も見えなくなる。地面に崩れ落ち、這うようにしながら、フィリオスはオーエンに担がれる最愛の人へ手を伸ばし、その名前を吐露する。

 何としても助けなくては。それが、それだけが――

 そして次の瞬間には、フィリオスの首と胴が分断される。

 最期は、声を発することも出来ずにフィリオスはその生涯を閉じた。

「フィリオス様……フィリオス様ぁぁぁぁぁ!」

 オーエンに担がれていた女性が絶望の声で泣き叫ぶ。

 フィリオスにトドメの一撃を与えたミリアムは、その返り血がついた指をぺろりと舐めながら、妖艶な笑みを浮かべる。

「これが、新白薔薇騎士です。フィリオスさん」

 かつては憎き敵だったはずのオーエンに対して誇ったのと同じ口上ーーそれを、今は信頼していたかつての仲間の死骸に向けて、吐き捨てるように言うミリアムだった。
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