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第0章 物語が始まる前にあった物語
第3話 英雄達の物語Ⅲ--エンディング、そして伝説へーー
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魔王が勇者の聖剣で滅されたその日から、太陽の光が再び地上を照らし出した。
太陽の存在は知識として知っていても、見たことがないのがその当時生き残っていた人のほとんどだった。
本当は当たり前だった地上を優しく照らす太陽の光。それは当時の人々にとっては、まるで天上の存在が降臨してきたかのように神々しく、魔王の支配に絶望していた人間達に再び夢と希望を与えたのだった。
そして各地で生き残っていた魔族に対して、絶望から立ち上がった人間達の圧倒的な逆転劇が始まった。
数も力も上回る魔族に対して、各地で息をひそめていた人類軍が結託して猛反抗。序盤こそ人類軍に対して優位を保っていた魔族だったが、魔王を失ったダメージはあらゆる意味で甚大だった。
いくら倒しても、倒しても向かってくる人類軍に、魔族側は徐々に圧され始めていったのだ。更に、そこに勇者リンデブルグ達の加勢もあり、やがて各地で魔族は討滅されていく。
そして遂に魔族軍は地上から姿を消したのだった。
息を潜めて生き延びている魔族も少なからずいるだろうが、組織だって動く程の戦力は完全に滅された。
少なくとも断言できることは、外を、地上を出歩く際は常に魔族の眼に怯えていた人類が、これからは太陽に照らされ、希望に満ち溢れた地上をいつでも大手を振って歩けるということだ。
戦士アルマイトによって魔族軍の壊滅が宣言されたその日――決して多くはない人類の生き残りは狂喜乱舞した。
実に百年ーーいやそれ以上の長い間催されることの無かった『宴』というもの。
日が暮れても尚、人類は新しい世界へ希望を馳せて喜び、歌い、踊るのだった。この日ばかりは、魔族の支配に怯えながら何とか確保していた貴重な糧食も出し惜しみすることなく贅沢に振舞っていた。何しろ、これからはこの広大な地上で、様々な食料を自由に育てることが出来るようになったのだ。何を遠慮する必要があるのか。
「みんなの喜ぶ顔が見れて良かった。魔王を倒した甲斐があったね」
すっかり陽が暮れて夜の闇が支配する時分――その闇は、もはや魔族の瘴気ではない。自然の理である夜の闇だ。同じ闇だというのに、胸が沈むような重苦しい感じはしない。涼しい夜風が相まって、胸が透くような爽やかな闇だ。
リンデブルグは宴の喧騒から離れた、小高い丘に立っていた。ここからでも、少し先の宴会場でバカ騒ぎをする人間達の声や歌が聞こえてくる。
辛くて苦しい旅と、死線を越える程の魔王との死闘を制して手に入れた、その代えがたい見返りに、リンデブルグは嬉しそうに微笑むのだった。
「俺は、これから国を作るぞ。でっかい国だ。みんなが安心して、幸せに暮らせる世界――そのための国だ」
魔王を倒すまでは禁酒を貫く――その宣言通りに、魔王討伐の旅の最中は全く酒を口にしなかったアルマイトは、実に何年振りかの酒を喉に流し込んで、赤い顔をしながらリンデブルグを見る。
「ずっと言ってたもんね。アルマイトが作る国かぁ、楽しそうだな」
「がははははは! 当たり前だ! 国の名ももう決めてある。俺の名前だ。アルマイト王国だ」
「あはは。アルマイトらしいね」
当たり前だが、魔王を倒せたことはアルマイトにとっても、この上ない至上の喜びだ。旅の最中もムード―メーカーだったアルマイトは、その時から豪快に笑うことが多かったが、酒に酔って笑う今のその笑顔は、その時とは一線を画しているように見えた。
そんな仲間が喜んでいる姿も、魔王を倒したからこそ得られたものだ。リンデブルグは胸に手を当てて、この幸せを堪能するように瞳を閉じる。
「で? お前はどうすんだ?」
手に持っていた一升瓶に口を付けながら、アルマイトが赤い顔で聞いてくる。
今の豪快な笑顔から一転、酔ってはいても至って真面目な顔つきで聞いてくる。
「お前なら特権階級で俺の国に迎えてやるぞ。貴族ってやつだ。それも最上級のな。何しろ魔王を倒した英雄様だし、当然――いや、むしろ足りねえくらいだぜ」
「ありがとう、アルマイト」
そんなアルマイトの申し出に、リンデブルグは笑いながら答え、そのまま流れるように言葉を続ける。
「でも、僕は旅を続けてみようかと思うんだ。もっと世界のいろいろなところを見て回って、そこで困っている人たちを助けて回る旅。特に目的もない、気軽で自由な旅をしてみたいんだ」
贅沢で豪華で権力を持った貴族の暮らしよりも、何にも縛られない根無し草の旅人の生活を選択するリンデブルグ。
自由奔放な性格の彼らしい回答だった。
アルマイトも断られることを予想していたのか、しつこく勧誘はしなかった。しかし、さすがにその表情には、どこか寂しさを滲ませているように見える。
「ま、いつでもここに戻ってこい。いつでも大歓迎だぜ」
「そうだね。いつか結婚したいような、ずっと人生を一緒に共にしたいと思える人が出来たら、アルマイトに甘えようかな。あ、でもその時はそんな上級貴族はちょっと恐縮しちゃうな。大好きな奥さんと一緒に、ほんの少しだけ贅沢出来れば満足だから、そうだなぁ……同じ貴族でも中の下でお願いしたいな」
冗談交じりに笑いながらリンデブルグが言うと、アルマイトもまた嬉しそうに笑い合う。
「本当にありがとう、アルマイト。君がいなかったら、僕は絶対に魔王を倒せなかった。これからもずっと、君は僕の大切な仲間だよ」
「当然だ。お前こそ、最高の仲間だったぜ。また絶対に戻って来いよな」
そうして見つめ合いながら、固く手を握り合う2人――
「うーん、ホモホモしいわねぇ」
と、突然の声に、リンデブルグもアルマイトもビクッと身体を震わて、そちらの方を見る。
そこにはいつの間にやら、しゃがみながらリンデブルグとアルマイトの2人を『賢者』サージュがジト目で見ていた。頬はほんのり赤く、彼女も酒を飲んでいることが見て取れる。
「な、なんだてめぇは! 音もなく現れやがって」
「サージュ、お疲れ様」
慌てながら怒鳴るアルマイトと、ニコやかに声を掛けるリンデブルグ。
それぞれの反応に、サージュは大きくため息をつきながら立ち上がる。
「サージュは、これからはどうするの?」
そんなサージュに、リンデブルグは変わらず無邪気な笑みを浮かべて問いかける。サージュは頭にかぶった帽子を触りながら、笑いをこぼして答える。
「私は相変わらず魔法の研究よ。それだけが生き甲斐なんだから」
「そんなだから、てめぇは男が出来ねぇんだよ。せっかく顔は良いんだからよ、少しは着飾ったり女らしいことに興味を持てよ」
サージュの答えに、即座に反応したのはアルマイトだった。そのアルマイトに、サージュは眼を釣り上げながら反論する。
「うるっさいわねぇ。いいのよ、私は研究が大好きなんだから。あんたこそ、王様になるつもりだったら、そのデリカシーの無さはなんとかならないの? 仲間の女1人も口説けなくて、大衆を口説き落とすなんて出来るわけないっしょ」
「あああああん?」
「ま、まあまあ。2人とも落ち着いて」
強気な態度のサージュに、チンピラのような口調で絡むアルマイト。そんな2人のやり取りに、あわあわと慌てながら両者に割って入る。
「2人とも、そこら辺にしておいたらどうです?」
そして、サージュに続くように、いつの間にか現れたヴァルガンダルが静かな声で、2人を諫めて、ようやく状況が収まる。
魔王討伐の旅を始めた頃からずっと変わらない。これがこの4人のいつもの光景だった。
魔王との最終決戦に臨むべく、霊峰レイボルグの魔王城に突入してから今日まで――ずっと久しく、こんな当たり前で微笑ましい光景を見ていなかったような気がする。
だから、このいつものやり取りを見て、ようやく日常が、平和が戻ってきたのだと実感する4人。しかもこれは、魔王の支配された中の束の間の平穏ではない。これからもずっと続く、暖かくて幸せな日常だ。
自分達が勝ち取ったそれに、4人はそれぞれの胸で幸福を感じていた。
「――で、ヴァルガンダルはどうすんだ?」
サージュとの言い合いを終えたアルマイトは、最後に現れたヴァルガンダルにも同じ問いを投げかける。ヴァルガンダルは、さも当然と言わんばかりに
「勿論、私はこれからもアルマイト様に付いていきますよ。あなたの作る国作りのお手伝いをさせていただきたいと思います」
旅が始まってから、こうして終わりを迎えても徹頭徹尾アルマイトに付き従うそのヴァルガンダルの首尾一貫した態度に、他の3人は笑いをこぼす。
「うーん、やっぱりホモホモしいわね」
「てめーは、そんなこと言ってるからリンデブルグにフラれるんだよ」
「うっさいわよ! あんたがそんなだから、私はあんたをフッたのよ」
「あああああん?」
「わわ、わ。二人とも落ち着いて」
再び火花を散らし始める2人に慌てるリンデブルグと、呆れたようにため息をこぼしながらもう止めようとしないヴァルガンダル。
「――ま、別にいいわ。それよりも約束通りちゃーんと私を貴族待遇にしてよね、アルマイト。超特別な特権階級でよろしく! 魔法の研究には、地位もお金も必要なんだから」
「……魔法研究家にしては、随分と俗っぽいやつだよな。お前も」
しかし、今回はそれ以上は激化することもなく、互いに矛を収めたようだった。リンデブルグはホッとする。
「あの、ごめんね。サージュ」
それが何に対する謝罪なのか、リンデブルグ自身も分かっていなかった。
しかしサージュはアルマイトに向けていた険しい表情から一転、人懐っこい笑みを浮かべながらリンデブルグにすり寄るようにして近づく。
「いいのよー、リンデブルグ! あーん、もう本当に可愛いなぁ! お嫁さんにしたい!」
「ち、ちょっと……くすぐったいよ、あはは!」
そうしてじゃれ合うようにしてから、サージュはリンデブルグの両手を握って、微笑みを浮かべながらリンデブルグの瞳をのぞき込む。
「止めても聞かないだろうし、あなたのやりたいことを邪魔するのも嫌だから何も言わないけど……だけど、アルマイトじゃないけど、いつでも戻ってきなさいよね。私も待っているわよ」
「うん、ありがとう! サージュ」
そんな仲間の純粋な想いに、リンデブルグは無垢な満面の笑みを浮かべると、サージュは身をぶるぶると震わせながら、「たまらない」といった至福の表情を浮かべて、彼に抱き着く。
「っやーん! 本当可愛いっ! ペットにしたいっ!」
「――そろそろ落ち着け、サージュ」
やや暴走気味のサージュを、ようやくヴァルガンダルが咳ばらいをしながら止めに入る。
ぶーぶーと頬を膨らませて不満を漏らすサージュは置いておいて、ヴァルガンダルはリンデブルグに向き合う。
「私も、アルマイト様やサージュと同じ気持ちだ。君のおかげで我々は魔王を倒せた――君には感謝しかない。君が戻る場所は我々が守っているから、安心してやりたいことをやってきてくれ」
「真面目でヴァルガンダルらしいね。うん、ありがとう。嬉しいよ」
リンデブルグは、ヴァルガンダルにもまた、同じように笑顔を向けて感謝の意を伝える。
「――にしても、この無敵のパーティーもいよいよ解散かぁ。長いようで、短かったよなぁ」
唐突にアルマイトがそんなことをつぶやく。
魔族の瘴気に覆われて、この百年見ることが叶わなかった夜空。星空がキラキラとまたたく、その幻想的な夜の天空を見上げながらのその言葉は、ここでようやく長い魔族の戦いの終わりと、この4人が離れ離れになることを意味していた。
「離れていても、我々の心は常に一緒にあるつもりです」
そんなクサい台詞が最も似合わないヴァルガンダルの口から出ると、他の3人は思わず吹き出す。
「そうだ。ちょっと真面目な話があるだけど」
と、思い出したように言うサージュの言葉に、全員が彼女に向き返る。
「私達の名前とか、あんまり広めない方がいいと思うのよね。特にリンデブルグなんかは、魔王を倒した張本人だし、隠しておいた方がいいと思うの」
そのサージュの言葉の意図がつかめずに、他の3人は首を傾げていた。それも承知であったろうサージュは、説明を続ける。
「魔族の軍勢はほぼほぼ壊滅させたとはいえ、生き延びた連中もいる――私が個人的に、絶対に始末しないといけないと思っていた淫魔にも逃げ延びられたみたいなのよ。あいつらは頭も回る上に厄介な術も持っているから、油断しない方がいいわ」
これまでふざけ合っていた様子から、『賢者』の表情に戻ったサージュは、そのまま続ける。
「あいつらからしたら、私たちのことは憎くて仕方ないだろうから、きっと子孫の代まで、執念深く復讐の機会を狙ってくると思うの。だから、子供達やその後に生まれてくる子達を守るためにも、私たちが「英雄」であることは後世に伝えない方が良いと思う。勿論、私たちが生きている間に、魔族の生き残りも討伐出来るのが理想的なんだけど、ね」
サージュ含めて、英雄達は自分達が生きている間に魔族を全て滅ぼすことは現実的ではない、というのが共通の考えだ。
件の淫魔という種族は、戦闘に関する術よりも、人を惑わしたり身を隠すことなど、厄介な方向に特化した能力を持つ。更に寿命はいつとも知れない程に永い。
淫魔は人間社会で言う貴族に当たる地位だったのかもしれない。魔王の近しい立場にいる者が多く、そして魔王と同じく悪逆の限りを尽くし、自らの私腹を肥やしていた。数いる魔族の中でも、その狡猾さと残忍さは別格。そんな種族だったからこそ、ある意味魔王よりも危険な存在とも言えた。
サージュの言い分は痛い程に理解できる。
「どうせここにいる連中は、魔王を倒した名誉とか栄光なんて、別に興味無いでしょう? 私達の功績は私達が知っている。それでいいじゃない。歴史の教科書に名を残したいなんて奴、いないでしょう?」
それは数多の苦難と共に乗り越えた仲間だからこそ吐ける言葉だった。そのサージュの言葉に、リンデブルグは笑いながらうなずく。
「そうだね。僕は皆が笑って暮らせる世界を作るためにがむしゃらに頑張ってただけだしね。それが、未来の僕の子供や子孫を守るためだっていうなら、それがいいと思う」
「――いや、俺はアルマイトの名は、永らく後世に伝えていくぜ」
ほぼ同時に、リンデブルグと正反対の言葉を言うアルマイト。
サージュにとっても予想外だったであろうその言葉に、彼女は最初は呆気に取られたような顔をしてから、ふつふつと全身を怒りに震わせる。
そして全霊の魔力を身に纏いながら、怒りの表情でアルマイトを睨みつける。
「あ・ん・た・はぁぁぁ! 何それ。私にフラれた腹いせ? 真面目な話をしている時に~~!」
「ば、馬鹿! 落ち着け! 話を聞け! 落ち着くんだ!」
その冗談も、手加減も感じられないサージュの迫力に身の危険を感じたアルマイトは、思い切り怯えながらサージュを制する。
そのいつものアルマイトらしからぬ狼狽ぶりに、サージュは渋々とだが矛を収める。
とりあえず落ち着いたサージュに、アルマイトは「ふー、やれやれ」と額の汗を拭ってから喋り始める。
「英雄の名前が揃って消えたら、余計奴らの注意を引くだろ。だから俺の名前は残す。勇者と共に魔王を滅ぼした戦士アルマイト、としてな」
自信満々に笑いながら、アルマイトは説明を続けていく。
アルマイトの名は、王の家系に連なる人間の名前として後世に伝えていく。そして今後増えていくであろう人口の中で、リンデブルグという名を珍しくないものにしていく。
そうして時が経てばリンデブルグの名は目立たなくなり、アルマイトの名ばかりが目立つようになるだろう。そうなってしまえば、魔族の眼をリンデブルグからより逸らせる。
「何だかんだ言っても、俺達の中で最重要なのはリンデブルグだ。淫魔の特性を考えると、勇者の力を利用されれば、また簡単に魔族が支配する世界に戻っちまう。だから、こいつの血筋だけは、俺達が全力で守ってやらねえとな」
「で、でも! それじゃ、アルマイトが……むぎゅ」
その言葉に反論しようとしたリンデブルグは、アルマイトに口を塞がれて変な声を出してしまう。
「ば~か、余計な心配すんなよ。俺の子孫だぞ? 淫魔如きにやられるような、貧弱なわけがないだろうが。それに、これからお前とは違って、アルマイトの名は人類の王の血筋になる。アルマイトが憎き英雄だと分かったところで、相手も迂闊には手を出せねえよ」
「う~……でもなぁ」
そんなアルマイトの言葉に、理解は出来ても納得は出来ないリンデブルグ。
そんな彼に、横からヴァルガンダルが口を挟む。
「リンデブルグ。君はもう少し自分の立場と存在価値を正しく理解するべきだ。君自身は淫魔などに囚われることなど有り得ないが、君の子供達は分からない。後世に渡ってまで、勇者の力を守るのも、君の仕事であり責任だろう」
「ん……」
アルマイトとは違って、冷静な口調で淡々と言われると、ぐうの音も出なくなってしまうリンデブルグだった。
「それに、アルマイト様だけではない。アルマイト様が名を残されるというのなら、私のヴァルガンダルの名も共に残そうと思う。アルマイト様の血筋だけを、危険には晒すことはしないさ」
相変わらずのアルマイトへの忠誠心だった。このヴァルガンダルという青年は、出会った頃からそうであり、その点においては旅が終わった後も変わらなかった。
この誠実で忠義深い性格こそが、ヴァルガンダルという人間の美徳なのだ。
「――ま、いいんじゃない。アルマイトなら大丈夫だと思うし、リンデブルグから魔族の眼を逸らすっていうなら私も賛成。勿論、個人的な感情抜きでね。ていうか、私らが何言っても、こいつ聞かないでしょう。諦めなさい、リンデブルグ」
呆れたように腕を組みながら、話をまとめるように言うサージュ。その言葉を受けて、アルマイトは自信満々に笑いを浮かべている。
それを見て、リンデブルグもようやく納得するのだった。
「分かったよ。サージュの言う通り、何言ってもアルマイトは止められそうにないしね。とりあえず、僕も僕が魔王を倒した勇者っていうことは吹聴しないように心がけるよ」
「まあ、リンデブルグは元々そんなキャラじゃないけどね」
うんうんと、にこやかにうなずくサージュ。
「リンデブルグはいいけどよ。サージュ、お前もだぞ」
「ん、なーに? 心配してくれてんの?」
そんな気遣うようにしてくるアルマイトに、サージュはからかうような口調で答える。
「馬鹿野郎、真面目な話だって言ったのはお前だろうが。俺ら4人の中で、淫魔と直接戦闘になったら、一番危険なのは後衛職のお前だろうが。正直なところ、リンデブルグよりもお前が心配だぞ、俺は」
いつも喧嘩ばかりしている相手を、珍しく不安そうに心配するアルマイト。そのアルマイトの気持ちを察して、そして軽やかに笑い飛ばすサージュ。
「ふふ、ありがと。でも心配しなさんな。私はあんたらと違って、サージュって名前に何のこだわりも誇りも無いから、私は名前を変えるわ。そしてリンデブルグと同じく、魔王を倒したことなんて忘れて、ひっそり魔法研究でもしながら暮らしていくわ。あ、でも贅沢はしたいから、ちゃんとお金は頂戴よ? アルマイト国王様?」
それは、おそらく心配をしてくれている仲間の不安を和らげようというサージュなりの気遣いなのだろう。あくまで軽い調子で、冗談交じりに言うサージュ。
「――分かったよ」
魔族と直接斬り合ったり、殴り合ったりする力はないが、『賢者』という称号を持つサージュは、パーティーの中で最も強かだ。それこそ淫魔を超える狡猾さを持っている。そんなサージュなら、きっと大丈夫だろう。
「おーい、アルマイト様達! まだまだ酒も料理も残っておりますぞー!」
会話が一区切りついたところで、宴会場の方から髭を生やした中年男性が4人の側に寄ってくる。今回の宴を、中心になって開いてくれた人物だ。
「おおっとぉ! 早く戻らねぇと、全部食べられちまうな。こんなに酒と肉が食える日なんて、そうそうないからな」
「これからはいくらでもありますよ。何せ、魔王はもういない――我々を徒に虐待する存在は滅されたのですから」
「さあ、戻ろうリンデブルグ! 明日からみんな離れ離れになるんだから、今夜は夜が明けるまで、みんなで騒ぎたおすよ!」
そうして笑顔を向けながら、リンデブルグへ手を差し出してくるかけがえなのない仲間達。
正直、魔王を倒すための長く辛い旅の途中で、諦めようと思ったことは少なくない。どうして自分だけがこんなに痛くて辛い思いをしないといけないのか、それを理不尽に思ったことだって数えきれないほどだ。
でも、それを乗り越えられたのは、この大切な仲間達と、今も宴会場でバカ騒ぎをしている、自分達に希望を託して、支えてくれて大勢の人達のおかげだ。
想像を絶する苦難の旅、壮絶な魔王との死闘。そんな苦しくて辛い目に合いながらも、リンデブルグが決して心を折らなかったのは。
ーーこの笑顔が見たかったからだ。
ただ、それだけのこと。だけど、それ以上の幸せの無い至福の報酬だ。
仲間達が喜んでいる顔を見るだけで、リンデブルグは胸が満たされていく。
(頑張って、良かった!)
明日からは、長い旅を共にした仲間とは別れて、それぞれが己の夢に向かって生きていく新しい日々が始まる。
別れは寂しい。でも、それでいいのだ。
自分達だけではなく、この世界に生きる人間1人1人が自分の夢に向かって希望を持って生きることが出来る平和な世界が、ようやく訪れたのだ。
リンデブルグはそのために、魔王を倒す度を続けて、そして遂にそれを果たしたのだ。
魔王の支配する暗黒の時代が、4人の英雄達の活躍によって終わった。そして人間達による希望の時代が訪れる。
ここから勇者リンデブルグと賢者サージュの名は歴史から消えて、戦士アルマイトと後にその護衛騎士となる剣士ヴァルガンダルの名が、後世に渡って語りづがれることとなったのだった。
4人の英雄達の物語はここに幕を閉じ、そして伝説となるのだった。
太陽の存在は知識として知っていても、見たことがないのがその当時生き残っていた人のほとんどだった。
本当は当たり前だった地上を優しく照らす太陽の光。それは当時の人々にとっては、まるで天上の存在が降臨してきたかのように神々しく、魔王の支配に絶望していた人間達に再び夢と希望を与えたのだった。
そして各地で生き残っていた魔族に対して、絶望から立ち上がった人間達の圧倒的な逆転劇が始まった。
数も力も上回る魔族に対して、各地で息をひそめていた人類軍が結託して猛反抗。序盤こそ人類軍に対して優位を保っていた魔族だったが、魔王を失ったダメージはあらゆる意味で甚大だった。
いくら倒しても、倒しても向かってくる人類軍に、魔族側は徐々に圧され始めていったのだ。更に、そこに勇者リンデブルグ達の加勢もあり、やがて各地で魔族は討滅されていく。
そして遂に魔族軍は地上から姿を消したのだった。
息を潜めて生き延びている魔族も少なからずいるだろうが、組織だって動く程の戦力は完全に滅された。
少なくとも断言できることは、外を、地上を出歩く際は常に魔族の眼に怯えていた人類が、これからは太陽に照らされ、希望に満ち溢れた地上をいつでも大手を振って歩けるということだ。
戦士アルマイトによって魔族軍の壊滅が宣言されたその日――決して多くはない人類の生き残りは狂喜乱舞した。
実に百年ーーいやそれ以上の長い間催されることの無かった『宴』というもの。
日が暮れても尚、人類は新しい世界へ希望を馳せて喜び、歌い、踊るのだった。この日ばかりは、魔族の支配に怯えながら何とか確保していた貴重な糧食も出し惜しみすることなく贅沢に振舞っていた。何しろ、これからはこの広大な地上で、様々な食料を自由に育てることが出来るようになったのだ。何を遠慮する必要があるのか。
「みんなの喜ぶ顔が見れて良かった。魔王を倒した甲斐があったね」
すっかり陽が暮れて夜の闇が支配する時分――その闇は、もはや魔族の瘴気ではない。自然の理である夜の闇だ。同じ闇だというのに、胸が沈むような重苦しい感じはしない。涼しい夜風が相まって、胸が透くような爽やかな闇だ。
リンデブルグは宴の喧騒から離れた、小高い丘に立っていた。ここからでも、少し先の宴会場でバカ騒ぎをする人間達の声や歌が聞こえてくる。
辛くて苦しい旅と、死線を越える程の魔王との死闘を制して手に入れた、その代えがたい見返りに、リンデブルグは嬉しそうに微笑むのだった。
「俺は、これから国を作るぞ。でっかい国だ。みんなが安心して、幸せに暮らせる世界――そのための国だ」
魔王を倒すまでは禁酒を貫く――その宣言通りに、魔王討伐の旅の最中は全く酒を口にしなかったアルマイトは、実に何年振りかの酒を喉に流し込んで、赤い顔をしながらリンデブルグを見る。
「ずっと言ってたもんね。アルマイトが作る国かぁ、楽しそうだな」
「がははははは! 当たり前だ! 国の名ももう決めてある。俺の名前だ。アルマイト王国だ」
「あはは。アルマイトらしいね」
当たり前だが、魔王を倒せたことはアルマイトにとっても、この上ない至上の喜びだ。旅の最中もムード―メーカーだったアルマイトは、その時から豪快に笑うことが多かったが、酒に酔って笑う今のその笑顔は、その時とは一線を画しているように見えた。
そんな仲間が喜んでいる姿も、魔王を倒したからこそ得られたものだ。リンデブルグは胸に手を当てて、この幸せを堪能するように瞳を閉じる。
「で? お前はどうすんだ?」
手に持っていた一升瓶に口を付けながら、アルマイトが赤い顔で聞いてくる。
今の豪快な笑顔から一転、酔ってはいても至って真面目な顔つきで聞いてくる。
「お前なら特権階級で俺の国に迎えてやるぞ。貴族ってやつだ。それも最上級のな。何しろ魔王を倒した英雄様だし、当然――いや、むしろ足りねえくらいだぜ」
「ありがとう、アルマイト」
そんなアルマイトの申し出に、リンデブルグは笑いながら答え、そのまま流れるように言葉を続ける。
「でも、僕は旅を続けてみようかと思うんだ。もっと世界のいろいろなところを見て回って、そこで困っている人たちを助けて回る旅。特に目的もない、気軽で自由な旅をしてみたいんだ」
贅沢で豪華で権力を持った貴族の暮らしよりも、何にも縛られない根無し草の旅人の生活を選択するリンデブルグ。
自由奔放な性格の彼らしい回答だった。
アルマイトも断られることを予想していたのか、しつこく勧誘はしなかった。しかし、さすがにその表情には、どこか寂しさを滲ませているように見える。
「ま、いつでもここに戻ってこい。いつでも大歓迎だぜ」
「そうだね。いつか結婚したいような、ずっと人生を一緒に共にしたいと思える人が出来たら、アルマイトに甘えようかな。あ、でもその時はそんな上級貴族はちょっと恐縮しちゃうな。大好きな奥さんと一緒に、ほんの少しだけ贅沢出来れば満足だから、そうだなぁ……同じ貴族でも中の下でお願いしたいな」
冗談交じりに笑いながらリンデブルグが言うと、アルマイトもまた嬉しそうに笑い合う。
「本当にありがとう、アルマイト。君がいなかったら、僕は絶対に魔王を倒せなかった。これからもずっと、君は僕の大切な仲間だよ」
「当然だ。お前こそ、最高の仲間だったぜ。また絶対に戻って来いよな」
そうして見つめ合いながら、固く手を握り合う2人――
「うーん、ホモホモしいわねぇ」
と、突然の声に、リンデブルグもアルマイトもビクッと身体を震わて、そちらの方を見る。
そこにはいつの間にやら、しゃがみながらリンデブルグとアルマイトの2人を『賢者』サージュがジト目で見ていた。頬はほんのり赤く、彼女も酒を飲んでいることが見て取れる。
「な、なんだてめぇは! 音もなく現れやがって」
「サージュ、お疲れ様」
慌てながら怒鳴るアルマイトと、ニコやかに声を掛けるリンデブルグ。
それぞれの反応に、サージュは大きくため息をつきながら立ち上がる。
「サージュは、これからはどうするの?」
そんなサージュに、リンデブルグは変わらず無邪気な笑みを浮かべて問いかける。サージュは頭にかぶった帽子を触りながら、笑いをこぼして答える。
「私は相変わらず魔法の研究よ。それだけが生き甲斐なんだから」
「そんなだから、てめぇは男が出来ねぇんだよ。せっかく顔は良いんだからよ、少しは着飾ったり女らしいことに興味を持てよ」
サージュの答えに、即座に反応したのはアルマイトだった。そのアルマイトに、サージュは眼を釣り上げながら反論する。
「うるっさいわねぇ。いいのよ、私は研究が大好きなんだから。あんたこそ、王様になるつもりだったら、そのデリカシーの無さはなんとかならないの? 仲間の女1人も口説けなくて、大衆を口説き落とすなんて出来るわけないっしょ」
「あああああん?」
「ま、まあまあ。2人とも落ち着いて」
強気な態度のサージュに、チンピラのような口調で絡むアルマイト。そんな2人のやり取りに、あわあわと慌てながら両者に割って入る。
「2人とも、そこら辺にしておいたらどうです?」
そして、サージュに続くように、いつの間にか現れたヴァルガンダルが静かな声で、2人を諫めて、ようやく状況が収まる。
魔王討伐の旅を始めた頃からずっと変わらない。これがこの4人のいつもの光景だった。
魔王との最終決戦に臨むべく、霊峰レイボルグの魔王城に突入してから今日まで――ずっと久しく、こんな当たり前で微笑ましい光景を見ていなかったような気がする。
だから、このいつものやり取りを見て、ようやく日常が、平和が戻ってきたのだと実感する4人。しかもこれは、魔王の支配された中の束の間の平穏ではない。これからもずっと続く、暖かくて幸せな日常だ。
自分達が勝ち取ったそれに、4人はそれぞれの胸で幸福を感じていた。
「――で、ヴァルガンダルはどうすんだ?」
サージュとの言い合いを終えたアルマイトは、最後に現れたヴァルガンダルにも同じ問いを投げかける。ヴァルガンダルは、さも当然と言わんばかりに
「勿論、私はこれからもアルマイト様に付いていきますよ。あなたの作る国作りのお手伝いをさせていただきたいと思います」
旅が始まってから、こうして終わりを迎えても徹頭徹尾アルマイトに付き従うそのヴァルガンダルの首尾一貫した態度に、他の3人は笑いをこぼす。
「うーん、やっぱりホモホモしいわね」
「てめーは、そんなこと言ってるからリンデブルグにフラれるんだよ」
「うっさいわよ! あんたがそんなだから、私はあんたをフッたのよ」
「あああああん?」
「わわ、わ。二人とも落ち着いて」
再び火花を散らし始める2人に慌てるリンデブルグと、呆れたようにため息をこぼしながらもう止めようとしないヴァルガンダル。
「――ま、別にいいわ。それよりも約束通りちゃーんと私を貴族待遇にしてよね、アルマイト。超特別な特権階級でよろしく! 魔法の研究には、地位もお金も必要なんだから」
「……魔法研究家にしては、随分と俗っぽいやつだよな。お前も」
しかし、今回はそれ以上は激化することもなく、互いに矛を収めたようだった。リンデブルグはホッとする。
「あの、ごめんね。サージュ」
それが何に対する謝罪なのか、リンデブルグ自身も分かっていなかった。
しかしサージュはアルマイトに向けていた険しい表情から一転、人懐っこい笑みを浮かべながらリンデブルグにすり寄るようにして近づく。
「いいのよー、リンデブルグ! あーん、もう本当に可愛いなぁ! お嫁さんにしたい!」
「ち、ちょっと……くすぐったいよ、あはは!」
そうしてじゃれ合うようにしてから、サージュはリンデブルグの両手を握って、微笑みを浮かべながらリンデブルグの瞳をのぞき込む。
「止めても聞かないだろうし、あなたのやりたいことを邪魔するのも嫌だから何も言わないけど……だけど、アルマイトじゃないけど、いつでも戻ってきなさいよね。私も待っているわよ」
「うん、ありがとう! サージュ」
そんな仲間の純粋な想いに、リンデブルグは無垢な満面の笑みを浮かべると、サージュは身をぶるぶると震わせながら、「たまらない」といった至福の表情を浮かべて、彼に抱き着く。
「っやーん! 本当可愛いっ! ペットにしたいっ!」
「――そろそろ落ち着け、サージュ」
やや暴走気味のサージュを、ようやくヴァルガンダルが咳ばらいをしながら止めに入る。
ぶーぶーと頬を膨らませて不満を漏らすサージュは置いておいて、ヴァルガンダルはリンデブルグに向き合う。
「私も、アルマイト様やサージュと同じ気持ちだ。君のおかげで我々は魔王を倒せた――君には感謝しかない。君が戻る場所は我々が守っているから、安心してやりたいことをやってきてくれ」
「真面目でヴァルガンダルらしいね。うん、ありがとう。嬉しいよ」
リンデブルグは、ヴァルガンダルにもまた、同じように笑顔を向けて感謝の意を伝える。
「――にしても、この無敵のパーティーもいよいよ解散かぁ。長いようで、短かったよなぁ」
唐突にアルマイトがそんなことをつぶやく。
魔族の瘴気に覆われて、この百年見ることが叶わなかった夜空。星空がキラキラとまたたく、その幻想的な夜の天空を見上げながらのその言葉は、ここでようやく長い魔族の戦いの終わりと、この4人が離れ離れになることを意味していた。
「離れていても、我々の心は常に一緒にあるつもりです」
そんなクサい台詞が最も似合わないヴァルガンダルの口から出ると、他の3人は思わず吹き出す。
「そうだ。ちょっと真面目な話があるだけど」
と、思い出したように言うサージュの言葉に、全員が彼女に向き返る。
「私達の名前とか、あんまり広めない方がいいと思うのよね。特にリンデブルグなんかは、魔王を倒した張本人だし、隠しておいた方がいいと思うの」
そのサージュの言葉の意図がつかめずに、他の3人は首を傾げていた。それも承知であったろうサージュは、説明を続ける。
「魔族の軍勢はほぼほぼ壊滅させたとはいえ、生き延びた連中もいる――私が個人的に、絶対に始末しないといけないと思っていた淫魔にも逃げ延びられたみたいなのよ。あいつらは頭も回る上に厄介な術も持っているから、油断しない方がいいわ」
これまでふざけ合っていた様子から、『賢者』の表情に戻ったサージュは、そのまま続ける。
「あいつらからしたら、私たちのことは憎くて仕方ないだろうから、きっと子孫の代まで、執念深く復讐の機会を狙ってくると思うの。だから、子供達やその後に生まれてくる子達を守るためにも、私たちが「英雄」であることは後世に伝えない方が良いと思う。勿論、私たちが生きている間に、魔族の生き残りも討伐出来るのが理想的なんだけど、ね」
サージュ含めて、英雄達は自分達が生きている間に魔族を全て滅ぼすことは現実的ではない、というのが共通の考えだ。
件の淫魔という種族は、戦闘に関する術よりも、人を惑わしたり身を隠すことなど、厄介な方向に特化した能力を持つ。更に寿命はいつとも知れない程に永い。
淫魔は人間社会で言う貴族に当たる地位だったのかもしれない。魔王の近しい立場にいる者が多く、そして魔王と同じく悪逆の限りを尽くし、自らの私腹を肥やしていた。数いる魔族の中でも、その狡猾さと残忍さは別格。そんな種族だったからこそ、ある意味魔王よりも危険な存在とも言えた。
サージュの言い分は痛い程に理解できる。
「どうせここにいる連中は、魔王を倒した名誉とか栄光なんて、別に興味無いでしょう? 私達の功績は私達が知っている。それでいいじゃない。歴史の教科書に名を残したいなんて奴、いないでしょう?」
それは数多の苦難と共に乗り越えた仲間だからこそ吐ける言葉だった。そのサージュの言葉に、リンデブルグは笑いながらうなずく。
「そうだね。僕は皆が笑って暮らせる世界を作るためにがむしゃらに頑張ってただけだしね。それが、未来の僕の子供や子孫を守るためだっていうなら、それがいいと思う」
「――いや、俺はアルマイトの名は、永らく後世に伝えていくぜ」
ほぼ同時に、リンデブルグと正反対の言葉を言うアルマイト。
サージュにとっても予想外だったであろうその言葉に、彼女は最初は呆気に取られたような顔をしてから、ふつふつと全身を怒りに震わせる。
そして全霊の魔力を身に纏いながら、怒りの表情でアルマイトを睨みつける。
「あ・ん・た・はぁぁぁ! 何それ。私にフラれた腹いせ? 真面目な話をしている時に~~!」
「ば、馬鹿! 落ち着け! 話を聞け! 落ち着くんだ!」
その冗談も、手加減も感じられないサージュの迫力に身の危険を感じたアルマイトは、思い切り怯えながらサージュを制する。
そのいつものアルマイトらしからぬ狼狽ぶりに、サージュは渋々とだが矛を収める。
とりあえず落ち着いたサージュに、アルマイトは「ふー、やれやれ」と額の汗を拭ってから喋り始める。
「英雄の名前が揃って消えたら、余計奴らの注意を引くだろ。だから俺の名前は残す。勇者と共に魔王を滅ぼした戦士アルマイト、としてな」
自信満々に笑いながら、アルマイトは説明を続けていく。
アルマイトの名は、王の家系に連なる人間の名前として後世に伝えていく。そして今後増えていくであろう人口の中で、リンデブルグという名を珍しくないものにしていく。
そうして時が経てばリンデブルグの名は目立たなくなり、アルマイトの名ばかりが目立つようになるだろう。そうなってしまえば、魔族の眼をリンデブルグからより逸らせる。
「何だかんだ言っても、俺達の中で最重要なのはリンデブルグだ。淫魔の特性を考えると、勇者の力を利用されれば、また簡単に魔族が支配する世界に戻っちまう。だから、こいつの血筋だけは、俺達が全力で守ってやらねえとな」
「で、でも! それじゃ、アルマイトが……むぎゅ」
その言葉に反論しようとしたリンデブルグは、アルマイトに口を塞がれて変な声を出してしまう。
「ば~か、余計な心配すんなよ。俺の子孫だぞ? 淫魔如きにやられるような、貧弱なわけがないだろうが。それに、これからお前とは違って、アルマイトの名は人類の王の血筋になる。アルマイトが憎き英雄だと分かったところで、相手も迂闊には手を出せねえよ」
「う~……でもなぁ」
そんなアルマイトの言葉に、理解は出来ても納得は出来ないリンデブルグ。
そんな彼に、横からヴァルガンダルが口を挟む。
「リンデブルグ。君はもう少し自分の立場と存在価値を正しく理解するべきだ。君自身は淫魔などに囚われることなど有り得ないが、君の子供達は分からない。後世に渡ってまで、勇者の力を守るのも、君の仕事であり責任だろう」
「ん……」
アルマイトとは違って、冷静な口調で淡々と言われると、ぐうの音も出なくなってしまうリンデブルグだった。
「それに、アルマイト様だけではない。アルマイト様が名を残されるというのなら、私のヴァルガンダルの名も共に残そうと思う。アルマイト様の血筋だけを、危険には晒すことはしないさ」
相変わらずのアルマイトへの忠誠心だった。このヴァルガンダルという青年は、出会った頃からそうであり、その点においては旅が終わった後も変わらなかった。
この誠実で忠義深い性格こそが、ヴァルガンダルという人間の美徳なのだ。
「――ま、いいんじゃない。アルマイトなら大丈夫だと思うし、リンデブルグから魔族の眼を逸らすっていうなら私も賛成。勿論、個人的な感情抜きでね。ていうか、私らが何言っても、こいつ聞かないでしょう。諦めなさい、リンデブルグ」
呆れたように腕を組みながら、話をまとめるように言うサージュ。その言葉を受けて、アルマイトは自信満々に笑いを浮かべている。
それを見て、リンデブルグもようやく納得するのだった。
「分かったよ。サージュの言う通り、何言ってもアルマイトは止められそうにないしね。とりあえず、僕も僕が魔王を倒した勇者っていうことは吹聴しないように心がけるよ」
「まあ、リンデブルグは元々そんなキャラじゃないけどね」
うんうんと、にこやかにうなずくサージュ。
「リンデブルグはいいけどよ。サージュ、お前もだぞ」
「ん、なーに? 心配してくれてんの?」
そんな気遣うようにしてくるアルマイトに、サージュはからかうような口調で答える。
「馬鹿野郎、真面目な話だって言ったのはお前だろうが。俺ら4人の中で、淫魔と直接戦闘になったら、一番危険なのは後衛職のお前だろうが。正直なところ、リンデブルグよりもお前が心配だぞ、俺は」
いつも喧嘩ばかりしている相手を、珍しく不安そうに心配するアルマイト。そのアルマイトの気持ちを察して、そして軽やかに笑い飛ばすサージュ。
「ふふ、ありがと。でも心配しなさんな。私はあんたらと違って、サージュって名前に何のこだわりも誇りも無いから、私は名前を変えるわ。そしてリンデブルグと同じく、魔王を倒したことなんて忘れて、ひっそり魔法研究でもしながら暮らしていくわ。あ、でも贅沢はしたいから、ちゃんとお金は頂戴よ? アルマイト国王様?」
それは、おそらく心配をしてくれている仲間の不安を和らげようというサージュなりの気遣いなのだろう。あくまで軽い調子で、冗談交じりに言うサージュ。
「――分かったよ」
魔族と直接斬り合ったり、殴り合ったりする力はないが、『賢者』という称号を持つサージュは、パーティーの中で最も強かだ。それこそ淫魔を超える狡猾さを持っている。そんなサージュなら、きっと大丈夫だろう。
「おーい、アルマイト様達! まだまだ酒も料理も残っておりますぞー!」
会話が一区切りついたところで、宴会場の方から髭を生やした中年男性が4人の側に寄ってくる。今回の宴を、中心になって開いてくれた人物だ。
「おおっとぉ! 早く戻らねぇと、全部食べられちまうな。こんなに酒と肉が食える日なんて、そうそうないからな」
「これからはいくらでもありますよ。何せ、魔王はもういない――我々を徒に虐待する存在は滅されたのですから」
「さあ、戻ろうリンデブルグ! 明日からみんな離れ離れになるんだから、今夜は夜が明けるまで、みんなで騒ぎたおすよ!」
そうして笑顔を向けながら、リンデブルグへ手を差し出してくるかけがえなのない仲間達。
正直、魔王を倒すための長く辛い旅の途中で、諦めようと思ったことは少なくない。どうして自分だけがこんなに痛くて辛い思いをしないといけないのか、それを理不尽に思ったことだって数えきれないほどだ。
でも、それを乗り越えられたのは、この大切な仲間達と、今も宴会場でバカ騒ぎをしている、自分達に希望を託して、支えてくれて大勢の人達のおかげだ。
想像を絶する苦難の旅、壮絶な魔王との死闘。そんな苦しくて辛い目に合いながらも、リンデブルグが決して心を折らなかったのは。
ーーこの笑顔が見たかったからだ。
ただ、それだけのこと。だけど、それ以上の幸せの無い至福の報酬だ。
仲間達が喜んでいる顔を見るだけで、リンデブルグは胸が満たされていく。
(頑張って、良かった!)
明日からは、長い旅を共にした仲間とは別れて、それぞれが己の夢に向かって生きていく新しい日々が始まる。
別れは寂しい。でも、それでいいのだ。
自分達だけではなく、この世界に生きる人間1人1人が自分の夢に向かって希望を持って生きることが出来る平和な世界が、ようやく訪れたのだ。
リンデブルグはそのために、魔王を倒す度を続けて、そして遂にそれを果たしたのだ。
魔王の支配する暗黒の時代が、4人の英雄達の活躍によって終わった。そして人間達による希望の時代が訪れる。
ここから勇者リンデブルグと賢者サージュの名は歴史から消えて、戦士アルマイトと後にその護衛騎士となる剣士ヴァルガンダルの名が、後世に渡って語りづがれることとなったのだった。
4人の英雄達の物語はここに幕を閉じ、そして伝説となるのだった。
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