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29、禁止行為

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 * * *

 侯爵家本邸が近づくにつれ、ノアから注意されることが多くなった。
 貧乏ゆすりをやめること。帰ったらいきなりフィアリスに飛びつかないこと。不安に思っているであろうティリシアにきちんと説明すること。
 うん、うん、と上の空でエヴァンは返事をする。
 到着し、馬車を降りたエヴァンは大股で歩き出す。玄関広間にはフィアリスとティリシアが待ちかまえていた。

(フィアリス……!)

 と、感激の声をあげそうになるのを、大きく息を吸ってこらえる。

「フィアリス、ただいま戻りました」
「お帰り、エヴァン。ご苦労様」

 そしてすぐにフィアリスから視線をはがしてティリシアを見た。
 ティリシアは心配そうに眉をひそめ、両手を胸の前で握りしめている。一応ノアが事前に手紙で何事もなかったことを伝えているが、それでも彼女は気が気ではなかったのだろう。

「エヴァン様、ご無事でお戻りになってよかったですわ。あの人に何かされませんでしたか?」
「嫌な男だったよ。あなたは伯爵とは縁を切るべきだな。大丈夫、私とあなたが婚約したことをしっかりと伝えておいた。あの男は身内でもないのだし、もう何もできないだろう」

 自分の力というより、侯爵家の威光のおかげではあるが。もう先の約束をしているティリシアを奪い取ることは不可能で、力を失った後の彼女に伯爵は必要性を感じなくなるだろう。それで終わりだ。
 後はノア達が調査を進め、これ以上伯爵の手による犠牲者が出ないよう追い込むだけだった。

「ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした。では、私は下がらせてもらいます。エヴァン様もどうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」

 ティリシアは侍女と頷き合うと、フィアリスとエヴァンに視線をやり、そそくさと去って行ってしまった。
 気をつかわれているらしい。
 ティリシア達が去って行ったのを見届けると、エヴァンは真っ直ぐにフィアリスの顔に見入った。

「フィアリス」

 じり、と一歩近づくと、心なしかフィアリスはのけぞる。いきなり飛びつかれるかもしれないと思われているのだろうか?

「あの、手を、出してもらってもいいでしょうか。手を貸してください」
「手? こう?」

 フィアリスが片手を差し出してくる。エヴァンは彼の手を見つめてから、両手でそっと包んだ。

「ああ……あーーーー………」

 柔らかくて温かい。触れた瞬間に温もりが伝わってきて、体にしみる。うなり声のようなものが漏れてしまった。
 エヴァンは深く頭を垂れる。ここ数日、どれほど彼に触れたかっただろう。
 本当なら抱きしめたいが、ノアに過度な触れ合いは禁じられているし、握手くらいならいいだろう。強く握りすぎないように気をつけて、感動に浸っていた。

「エヴァン、どうしたの?」
「あなたに会えて……嬉しいんです……」

 手を握られて戸惑うフィアリスに、お辞儀をするようにして顔を伏せてしっかり手を握るエヴァン。
 そこにレーヴェが通りかかった。

「抱きしめるより異様な光景に思えるがなぁ、俺には……」

 どれほど引かれたってエヴァンは構わなかった。
 好きな人が目の前にいて、こうして触れられることが、自分の何よりの幸せなのだ。
 エヴァン、と名前を呼ばれて顔を上げると、苦笑していたフィアリスがエヴァンの体に腕を回してぽんぽんと背中を叩いた。

「禁止行為、禁止行為!」

 レーヴェが騒ぎ立てるが、フィアリスは「これくらい、いいんじゃないの? 労をねぎらうために軽く抱擁するのは誰だってやる普通のことだ」と反論する。
 甘やかされたエヴァンは嬉しくなってはにかんで、そんなエヴァンを見上げるフィアリスも笑っている。

「少し離れていただけで、君はやることが大げさだよ」
「知っているでしょう? 私は小さな頃から甘えん坊なんです。まだ甘えたい時がある」
「いつもはもう大人になったと言い張っているのにねぇ」

 フィアリスは手をのばしてエヴァンのふわふわの髪を撫でる。

「すいませーん! ここ、イチャついてますよ家令さーん!」

 レーヴェがノアに告げ口しようと声を張り上げるが、忙しいノアは一瞥もくれず、「レーヴェ、館の中では騒がないでください」と言い捨てて足早に去って行った。こちらはやはり、手も握らせてくれなさそうであった。
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