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10、異端者

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 * * *

「ティリシア様は、オーダントン伯爵に会わせるべきではないでしょう」

 ノアが資料をめくりながらフィアリスに言った。互いに執務室の椅子に腰かけ、ノアは机に向かっている。
 フィアリス達が館に到着するまでに、ノアはある程度情報を集めていたらしかった。この侯爵家の家令は独自のルートを持っていて、情報収集能力にも長けている。

「やっぱり、その伯爵は良くない噂が多いの?」
「ええ、とても」

 侯爵家ほどの影響力のある大貴族ともなると、敵も非常に多い。ノアは常に、国内外の貴族の動きに目を光らせ、侯爵家が不利益を被らないように気をつけている。
 フィアリスも多少は見聞きしているものの、基本的にはこの館に引っ込んで駆除の仕事ばかりしているので詳しくはなかった。

「オーダントン伯爵家は、三代前に戦争であげた功績により爵位を賜った家です。侯爵家とはほとんど関わりがなく、国内の派閥にもこれといって関与していない、どちらかと言えば孤立している貴族です」

 侯爵家の人間が言える立場ではないが、そのオーダントン伯爵は変わり者であるらしい。

「彼は魔術師だったね?」
「そうです。王都の学院で学んでいました」
「私もその頃、名前を聞いたことがあるんだ。いくつか著書があったはずだけど」

 するとノアが「この二冊です」と掲げて見せる。さすがに仕事が早い。
 フィアリスも学院にいた時期があり、彼が通っていた頃とは時代が違ったが、人から話は聞いていた。大人になってからも名前を聞く機会があり、少しだが印象に残っていたのだ。

 ――異端者、オーダントン伯爵。

「彼は貴族ですが、研究職につき王都で生活していました。専門は生物学と医学。学生時代は大層成績が良かったようですね」

 どういう手を使ったのか、ノアは伯爵の成績表まで入手していた。フィアリスは特に理系というわけでもないので、伯爵の論文は読んでいない。

「オーダントン伯爵は倫理に反する実験を複数回行ったかどで、職を追われています」
「人を……殺したとか?」
「そこが微妙なところです。彼は治療だと主張している。爵位まで奪われなかったのは、結果的に実験によって複数人を死に至らしめたのですが、殺人と認定されなかったからですね。腐っても貴族ですし」

 伯爵はその後領地に引っ込み、目立った活動はしていないという。まるっきり他人と関わらないというほどでもないが、人付き合いは良くない方だそうだ。

「魔術師としても優秀だって聞いてるよ」
「そこがまた厄介です。敵に回すとすれば」

 フィアリスもノアも、優秀な魔術師の部類に入る。噂で聞く限り、伯爵の魔術師としての力量は中の上なので、面と向かって戦えばまず負けない相手ではあるが。
 普段仕事に私情を挟まないノアだったが、どうもこのオーダントン伯爵が気に食わないらしかった。

「まともな研究をしていない、そこそこの力を持つ魔術師というのはろくな方面に向かわないのが常ですから。いえ、これは私の偏見です。身内が研究好きの貴族崩れに絡まれたことがありまして、恨みがあると言いますか……。権力と金があって、倫理観の欠如した、知的探求心が異常に強い研究者兼魔術師は、禁忌の術に手を出す場合が多いのです」

 フィアリスは目を細めた。

「呪術だね」
「そうです。オーダントン伯爵の周囲は、あまりに死の臭いが強い」

 実験の末の死者。そして二人の妻達。使用人も度々死んでいる。
 だがどれも閉鎖された場所で起きたことなので、真実は伝わってこなかった。己の領地でのことはどうとでも処理がしやすいのだ。

「ノア、君はティリシア嬢の件はどう思う?」
「魔力を狙われているのではないでしょうか。聖女の魔力は変わっています。それに伯爵が目をつけたのでしょう。彼女の力は後少しで失われますから、執拗な求婚はそれが原因かと思われます。ちなみに、伯爵に嫁いだ二人の女性も、聖女ではないですが魔力を持った方だったそうです」

 伯爵の動きを考えると、ノアの推測が妥当である気がする。
 もう少し手の回しようもあっただろうが、エヴァンの名前を出して婚約する予定だと言ってしまったのだからこのまま突き進む方がいいかもしれない。
 ここで保護していれば、伯爵だって手の出しようがないのだからティリシアの身は安全だ。

「一時的にでも、エヴァンには彼女の婚約者になってもらおうか」

 何気なくフィアリスはそう言ったが、ノアは無言で探るような視線を向けてきた。何か言いたいことがたくさんありそうだったが、彼はこの家の使用人として出過ぎた真似や言動は常日頃慎んでいる。

「それはエヴァン様と改めて相談しなければなりませんね」

 ところで、エヴァンの父や兄は何と言っているかとフィアリスは尋ねた。
 エヴァンの父、ジュード・リトスロード侯爵は現在療養中で領地を離れており、侯爵家の裁可などは代理として長男クリストフが任されている。当然ノアはこのことについて、二人にも報告しているはずだ。

「クリストフ様は一度おいでになられるそうですが、エヴァンの意見を尊重する、と仰っています。ジュード様は、お前達に全て任せる、とのことです」
「そう言うと思ったよ。良くも悪くも放任主義だものねぇ、侯爵閣下は」

 フィアリスは頭を掻いた。侯爵は何かあれば出てきてくれるだろうが、頼まなければやって来ない。療養中なので、今の段階でこちらに戻ってもらうのは負担になってしまうだろう。
 出来る限り自分達で解決した方が良さそうだった。

「伯爵の屋敷は見張らせています」
「動きはある?」
「今のところは静かです。ティリシア様を追いかけていた使用人が戻っているため、婚約うんぬんの件が伯爵の耳には入っているはずですが」
「彼女のお父上の方は?」
「人を送って、警護をさせています。そちらも問題ありません」

 さすが、ノアは抜かりなかった。
 とにかく、ティリシアは誕生日を迎えるまでは保護して、それからについては本人を交えて話し合おうとのことでまとまった。
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