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07、意気投合
しおりを挟む「どういうことだ? あなたは家で一人なのか?」
ティリシアは頷き、フィアリスも驚いている。いくら家計が火の車だと言っても彼女は貴族である。一人もいないというのは異常だ。
「いないということではないのです。数人残っていますが、皆父について行くように私が指示したので」
病に倒れた父親は療養中で、専門の医者の元で看てもらっているという。その父の身の回りの世話のために、使用人達は屋敷を空けているのだそうだ。通いの庭師が建物の管理をしているが、ティリシアの身の回りを世話する人物ではない。
「最低限の人間しか残していないのです。ですから、私の周りには、誰も……」
エヴァンは呆気にとられていた。
ティリシアは聖女の魔力について魔術師に見てもらうため、王城を訪れていたという。しかし一人きりというのは妙だと思ったが、ついて来ていないのではなく、事実、まるきり一人きりだったのだ。しかし、そんなことがあり得るのだろうか。
「父の治療費にかなりの額がかかるのです。財産のほとんどを整理しました。どの道、貴族としての体面を保つほどの資産はうちにはありませんでしたし、そのうち貴族ではなくなりますから。どうってことないんです」
「リトスロード家があなたの支援をしてもいいが」
あんまり彼女の境遇が哀れだったので、エヴァンはそう申し出た。
すると、ティリシアは気丈に笑って見せる。
「エヴァン様。そのお心遣いだけ、感謝して頂戴いたします。父の治療費については当分間に合いますし、もしいずれ足りなくなるようでしたら遠くの親戚に頼んでどうにか工面致します。私はどうとでも生きていけますから、お金は必要ありません」
当然だが、侯爵家ともなると金に困ったという話は出ない。出るはずもない。
エヴァンは、魔物の駆除という仕事上、肉体的にはかなり大変な日々を過ごしてきた。ただ、貧困というのは知りようがない。
ティリシアの苦悩はエヴァンには想像もつかないことだった。
「お金も、仕事の紹介も結構ですわ。あの伯爵とさえ縁が切れれば、どうにかして誰にも頼らず生きていきます」
その歳の少女が、一人で生きていくのは難しいことだろうと、世間知らずのエヴァンでも思う。かといって助力を求めていないのならどうにもできず、沈黙してしまった。
「ティリシア様。あなたをこのままご自宅へお連れしない方がよろしいかもしれませんね。侯爵家本邸で匿うべきかもしれない。どうでしょう。来ていただけますか?」
フィアリスの提案に、ティリシアとエヴァンは同時にそちらへ視線を向ける。
「伯爵がどう出るかわかりませんし、守るというなら侯爵家本邸より安全なところはそうありません。あそこは瘴気が濃くて普通の人間は立ち入るのが難しい地域ですが、今のあなたの魔力であれば問題なくとどまれるでしょう」
どうかな? とフィアリスはエヴァンにも目顔で尋ねてくるから、エヴァンは首を縦に動かして賛成の意を示した。
屋敷に一人しかいないという彼女を送り届けて帰るわけにはいかない。
ティリシアは恐縮していたが、結局一度、本邸へ連れて行くこととなった。
「お二人の邪魔をするつもりではなかったのですけれど……」
ティリシアはしゅんとしている。そして、並んで座るエヴァンとフィアリスを申し訳なさそうに眺めた。
「やはり、一時的にとか、フリだったとしても、エヴァン様は心に決めた方がいらっしゃるのですものね。婚約だなんて、私、馬鹿でした!」
思い詰めた様子のティリシアは、このまま馬車を飛び降りかねない勢いだった。エヴァンとフィアリスは慌ててそれをとどめようとする。
「まあまあ、ティリシア様」
「ティリシア、落ち着くんだ。だって、我々は結婚するわけじゃないだろう」
「それはありませんわ、あり得ません。でも、お二人が暮らすお屋敷に私なんかがいては邪魔でしょうし」
「私達二人きりで暮らしているはずがないだろう。邪魔ではない。それに、あなたが私と結婚を望んでいないのだから、何かあるわけじゃな……」
ティリシアは興奮気味にエヴァンの言葉を遮った。
「何もありませんわ、エヴァン様、絶対に! 大丈夫です、私、エヴァン様のことはちっとも男性として愛しておりませんから。本当です。エヴァン様は私の好みのタイプの男性ではありませんので、恋情を抱いたりはしません。なので、どうぞご安心を……」
真剣な眼差しで喋っていたティリシアだったが、己の失言に気づいて、みるみる顔を青くしていく。
「あっ……、私、何ということを……! ああ、違うのです、エヴァン様。私が言いたかったのは、あなたのお顔は魅力的ですけど、私が好きなのはもっとこう、眉が太くて……違うわ! 私の好みなんてどうでもいいじゃない! 何て言っても失礼になってしまう!」
錯乱しかけるティリシアに、エヴァンはこらえきれずに苦笑して吹き出した。フィアリスも隣で肩を震わせている。
「エヴァン……君、早くもフラれてしまったみたいだね」
「そうですね。初めての経験です」
ティリシアは泣き出しそうな顔をしてかぶりを振り、フィアリスに訴える。
「違うのです、フィアリス様! あなたの恋人のエヴァン様は、誰よりも素敵な男性です! 令嬢はみんなこの方に見とれます! でも、万が一私や誰かがエヴァン様に懸想したところで、入り込む余地がないことは明白ですわね。私、あの時の口づけを一生忘れないと思いますわ。本当に美しくて、絵のようで、お似合いで、息が止まりかけましたもの! 恋人同士の口づけというのは初めて見ましたが、あんなに美しいものだとは……」
興奮するティリシアに、「すみません、その辺で勘弁していただけると……」と赤い顔を片手で覆ったフィアリスが懇願している。人前であんなことをしたのを思い出し、羞恥に耐えられなくなっているらしい。
ティリシアは、その若さ故か元からの性質か、かなり素直な少女であるらしかった。
「ティリシア。私はあなたのことが気に入った」
エヴァンは口元に笑みを漂わせながら言う。気に入る要因はいくつかあった。貧しくても気丈に頑張っているところだとか、エヴァンを好きにならないと言い切ったところ。しかし何より心動かされたのはフィアリスを褒めちぎるところである。
お似合い。この言葉にエヴァンは弱い。
「これも何かの縁だ。あなたの身を守ることを約束しよう」
困っている少女を放り出して帰るほど、自分は薄情な男ではないつもりだった。
ティリシアはひとしきり恐縮して礼を述べた後、目を細めてエヴァンとフィアリスを見つめていた。
「どうかしましたか、ティリシア様」
「ええ……なんて言いますかその……眩しいのです。お二人のお顔が美しすぎて、直視できないような」
そんなことは、とフィアリスは言いかけたが、エヴァンが頷く。
「わかる。私のことはさておき、フィアリスの顔は神々しいほど美しいから、無理もない。こんな綺麗な顔はそうないだろう、ティリシア」
「全くです。一度拝見したら、別れた後もしばらく、思い出しては心が慰められるでしょうね。どんな宝石の輝きも、この方にはかなわないと思いますわ」
「私もいつもそう思っている」
勝手に盛り上がる若者達に、フィアリスはほとほと困り果てた様子だった。
「君達、いい加減にしてくれないか」
そうして三人は一路、リトスロード侯爵領の侯爵家本邸を目指すことになったのだった。
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