花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

110、ありがとう、ごめんなさい

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 西南のフィーロと南のレウシスの間にある町で、ジェードは掘り出しものの魔道具を見つけた。

「旦那ァ、お目が高いですな。そいつは大昔の戦争で名のある魔術師が生み出したとされる、移動魔石ですぜ」

 丁寧にカットされた燐灰石アパタイトは、蒼茫たる海を連想させる色をしていた。首飾りに加工されているその石を、ジェードはやや胡散臭げに目の前でぶら下げて眺めていた。
 ここは、ほどほどの大きさの交易街であり、その片隅にあった露店商を二人は半分冷やかしでのぞいたのだった。

 いわくありげな道具が多く、店主の男もどうにも怪しい。

「移動の魔術が組まれているとすると、相当貴重なもののはずだが?」
「闇で流れて来たんでさぁ。仰る通り、本来ならば王侯貴族の方が手にするような品でしょうな。まあこれは、使用回数に限りがありまして、五度なんですが、もう三度使われていて、残りは二度なんですよ。それが終わればただの綺麗な宝飾品ってことで、お安くしておるんです、はい」

 何度も使えるならまだしも、たった二度なら価値は下がる。それも距離には限界があるということで、便利な代物ではあるがさほど求められず、ここまで流れてきたそうだ。

「……呪術の気配はないな」

 ジェードは石を握りしめて呟いた。リーリヤも触らせてもらったが、危険なものではなさそうだった。

「貰おう」

 ジェードの言葉に、店主は「まいどありぃ!」と元気な声をあげた。とんでもなく高いというほどの額ではないが、それでも安くはない。普通の旅人であれば躊躇する値段だろう。
 とはいえ、彼は王子である。路銀に困るはずもなかった。

「それを何にお使いになるのです?」
「よく迷子になる私の花が、すぐに私のところへ戻って来られるようにだ」

 よく、は言い過ぎである。まだ片手で数えられる程度の回数だ。
 首飾りの移動の術を使えるのは後二度。念のためジェードが一度確認してみると言った。自分の首にかけて、リーリヤから離れていく。店主の話によると、街の端から端くらいの距離は飛べるそうだ。しかし、国と国などの遠距離は移動できず、使用人数は一人のみで、多少の魔力は消費する、などと条件や制限は多い。

 リーリヤは少しの間立って待っていたが、突然目の前にジェードが現れた。どこかから勢いをつけて、ぽんと飛んできたというような着地の仕方である。

「なるほど。説明に偽りはないようだな」
「旦那、あっしは嘘なんかつかんと言ったではないですか!」

 リーリヤが待っていたのは露店の目の前である。ジェードはここを離れる前に「たばかったのなら斬る」と脅したが、店主はかなり肝が据わっているのか飄々ひょうひょうとしていた。

 ジェードが戻って来る前にリーリヤは店主と雑談をしていて、「彼が怖くありませんか」と尋ねてみた。すると怪しい店主は肩をすくめて、「まあ、あの旦那は確かにおっかない雰囲気の御方だ。しかしあっしも色々ありましたからね。何度もおったまげてるうちに、恐怖心もどこかに落としてきちまいましたよ。もっとも、その方がきわどい商売ってやつはやりやすいですがね」と笑っていた。

 納得したジェードはリーリヤに首飾りをかける。移動地点は設定できるそうで、ジェードは自分の魔力と結びつけた。これで万一またはぐれたとしても、リーリヤはジェードの元へ飛んでいけるのだ。ジェードは少し憂いが晴れたような顔をした。

 もう離れないように注意します、というリーリヤの約束より、この首飾りの方が余程彼を安心させるようである。
 なかなかの掘り出し物を手に入れて、二人はその街を離れた。

 ◇

 今のところ、首飾りは使わずに済んでいる。
 フィーロ国東部、ノグレー伯爵領へとたどり着いたリーリヤとジェードは、ルウィアという街で宿をとることにした。

 街に入る前、道端に座り込んでいた物乞いの老人がいたため、リーリヤは隣に腰を下ろしてしばし話し込んだ。
 老人は足を悪くして仕事ができなくなったため、家族に疎んじられて捨てられたという。それから十年経ったそうで、身体は丈夫だからどうにか生きている、と悲壮感もなく笑っていた。

 意外にも情報通らしく、彼は己が頻繁に出入りをするルウィアの街の様々なことを聞き知っているそうだ。

「近頃ルウィアじゃあ、人さらいが出るって噂だよ」
「人さらいですか」
「だがその話もなんともあやふやでな、誰がさらわれたんだか、それを誰が目撃したのだかわからん。話が本当だとすると、さらわれたのは街の者ではないだろうな。さすがにいなくなったらもっと騒ぎになるだろうて」

 治安の悪い街ではないが、そんな噂が出回っているのもあってどことなく住民はそわついているという。
 予定を変更するべきか、リーリヤは少し考えた。ルウィアを抜けるのが今のところ目的地までの最短距離だ。真偽不明の話であれば、避けるほどの危険性は感じない。

 老人はしばらくとりとめのない話をして、足をさすりながら愚痴をこぼした。リーリヤは頷きながら耳を傾ける。

「たまに痛むんだなぁ、足が。金持ちの気まぐれな施しで、医者に診てもらったこともあったんだが、痛むうちは感覚があるんだからまだましだと言われたよ。『もう治らんね。歳だもの。老いも病の一種だから』だとさ。やぶ医者め」

 脚衣のほつれた裾から、枯れ木のようにやせ細った両脚がのぞいている。確かに、効く薬はなさそうであった。
 どうにもしてやれないのを悲しく思いながら、リーリヤは微笑を浮かべた。

「私の両脚を、あなたに差し上げられたらよかったのですが」

 リーリヤの呟きに、老人は一瞬固まった。目を見開いて、リーリヤの顔を凝視する。

「痛みを和らげる薬草がありますから、それを差し上げましょう。そして上着も。お金はどれだけ要りますか?」

 リーリヤは、ジェードを商家の若旦那だと紹介した。富める者が貧しき者へ施しをするのは、善行だと認められている。

「ありがたいが……あんまりたくさんは、要らんね。分不相応なものを持つと、身を滅ぼすから。羽振りが良くなれば、わしのような病人は殴り殺されて金を盗られて終わりだ。一日しのげるくらいで結構だよ」

 リーリヤは荷物の中身を思い浮かべた。他に彼に渡せるものがあっただろうか。

「酒はどうです?」
「好きだよ」

 リーリヤもジェードも酒など飲まないのだが、前に助けた商人に持たされたものがある。
 薬草や酒を出そうと立ち上がりかけるとジェードが制し、自分が持って来るからと繋いである馬の方へと歩いていった。
 そんな彼の背中を何とも言えない表情で見つめていた老人が小声で言った。

「儂に両の脚をやりたかったという今のあれだが、本気であんなことを言うとは、危ない男だなぁ、お前さんは」

 もちろん冗談ではなかったが、よく本気だとわかるものだとリーリヤは感心した。リーリヤのこの手の発言を真に受けず、かえって蔑まれたと腹を立てる者も少なくないのだ。
 老人は、目を見ればそれが本心かどうか見抜けるそうだった。そして彼は憂いを帯びた調子で続ける。

「お前さんみたいな綺麗な若者が、老い先短い、何の役にも立たない年寄りに脚をやりたいなんて思っちゃいけないよ」

 儂は無価値な人間だから、と呟く老人に、リーリヤは微笑みかけた。

「苦痛をしのんで今日まで生きてきたあなたは、とても立派です。あなたの生には価値があって、それは何があっても損なわれるものではありませんよ。そうであるから、私はあなたに自分のものを差し上げてもかまわないと思うのです。私はあなたとお話ができて愉快でした。有意義な時間をありがとうございます」

 生きているものは皆、美しい。それがリーリヤにとっての真実だった。
 老人も笑い返し、目元に皺が寄った。その皺はただ老いを示すだけのものではなくて、彼が長く生きた証であり、だから美しく見えるのだ。

「礼を言うのは儂の方だね。お前さんのような男が私に脚をくれてやってもいいと本気で思ってくれたという事実だけで、安らかに死ねる。しかし、お前さんももっと自分を大事にするべきだ。あの若旦那に惚れられてるんだろう?」

 問われたリーリヤは、ジェードの心中を老人が見抜いたことに驚いた。

「お前さんが脚をやりたいと言った時、あの綺麗な若旦那は、悲しそうな顔をしたよ。けれどすぐ、その悲しみを飲み込んでいたな」

 離れたところで薬草を荷物から取り出して量を確認しているジェードの姿を、リーリヤは見つめた。

「あの方は、お前さんのことが、本当に好きなんだねぇ」

 傷へ塩水がしみた時のようなひりつきを心に感じて、リーリヤは軽く唇を噛んだ。
 ジェードはリーリヤが身を削ることを良く思っていないはずだ。だから悲しむのは当然だろう。悲しみが彼の本音で――けれど、ジェードはそれを伝えずに飲み込んだのだ。

 その事実が、意味することが、リーリヤの胸を締めつけた。
 そして、強く愛おしいと思うのだ。今まで何かを愛おしいと感じた時はいつも、ただ甘く柔らかい心地がして幸せだった。
 こんな、複雑な愛おしさは初めて感じる。ありがとう、ごめんなさい。感謝と謝罪が同時に口から飛び出しそうになる。

 駆け寄って、彼を抱きしめたくなった。
 だがリーリヤは黙って待ち、ジェードが持ってきた薬草を笑顔で受け取った。老人に薬草について説明をして、酒は一気に飲み過ぎないよう注意をする。
 別れ際に老人が言った。

「まあ、気をつけるんだな。変な噂を除けばそこの街も荒れてはいないし世の中一見平和だが、どうもここ最近、空気がいつもと違う。お日様のことだけではないな」

 ユウェルの王様がお隠れになったからだろう、と彼は肩をすくめた。

「ここはユウェル国ではないが、全ての国が宝玉王という方の強大な力の影響を受けていたからなぁ」

 老人と別れて歩き始め、ジェードは馬上で北東を――ユウェル国がある方角に視線を向けた。

「中身がどうであれ、あの男は宝玉王だった。宝玉は、安定の象徴の石だ。それを失っての動揺は大きい」

 数千年ぶりの空白期間を人々は経験しているのであった。新しい宝玉が望まれている。
 多くの者が、岐路に立たされているのかもしれない。
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