花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

107、資格

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 ◇

 侍従は途中で戻らせて、鳥兜トリカブトのヤートは宮殿の人が寄りつかない方へと歩いて行った。
 柱が並び、そこを抜けると庭へと続く外廊下である。ヤートは壁の前で立ち止まるとこちらを向いた。

「この宮殿には、あらゆる魔術が何重にもかけられているんだ。ご覧」

 ヤートが壁に手をかざし、魔力をこめた瞬間。壁に絡みつく、無数の光る植物の蔦のようなものが現れた。驚くカーネリアンに、「術を可視化したものだ」とヤートは説明する。

「王がかけた禁止魔術や、防火の術、他にもちょこちょこ誰かが術をかけていて、それが宮殿に複雑に絡みついている」

 魔術そのものの使用を完全に封じてはいないから、工夫さえすればある程度の術は使えるのだ。例えば、逢い引き用の空間を作ったり、秘密の部屋を作ったり。皆が好き勝手やっているから、全てを把握している者はいないだろうという話だ。何せ千年以上、花の族長達はここへ閉じ込められている。

「あなたの兄君である飛来石の殿下も、こうやって魔術を読んでいるらしいが、狙いは何だろうね。王冠の在処を知りたいのはわかるが、それにしたって執拗に調べている」

 そしてヤートは、己の胸に触れた。

「見えるかい?」

 カーネリアンははっとした。壁に絡みついていたのと似たような光の蔓が、ヤートの体にも巻きついているのだ。

「これは宮殿にいる貴人全員にかけられている魔術だ。何かを制限する、強力なものだよ」

 とすると、記憶を封じている術なのだろうか。

「それは、花の王が……」
「おっと。あの方の話はやめてもらおう。私もあらがえないのでね。頭の動きが鈍くなるのは嫌なものだよ。私はかなり苦労して、王について考えないようにしているのだから」
「何かご存じなのですか」
「あなたが期待しているほどのことは知らない」

 その蔦はヤートですら解けないものだそうで、つまりは他の貴人でも無理だということだ。
 山ほど聞きたい話があったが、とりあえず座ろう、とヤートは提案した。なんでも彼は体力がないそうだ。廊下の隅には談話用に机と椅子が置かれており、二人はそこで休憩した。

「魔術には自信がある方なんだがね、こんな堅牢な鳥籠に入れられちゃあ、何にもならないな。ここでは剣の腕がものを言うわけだ。非力な私は剣など持てないから、可愛い犬に身辺警護をさせているのだよ」

 可愛い犬、というのはフィーロ国の貴族の青年だろう。ヤートが優雅に長い脚を組むと、脚衣の切れ目から艶めかしい白いすねが覗いた。

「お察しの通り、我々は記憶の一部を封じられている。だから事態がややこしく感じられるようだが、実はそう難しい話ではないと思うのだよ。花の国や人の国で問題にされている多くの謎。その何もかもが、実は割と単純なことなのではないかな。あくまで私の想像だがね」

 ヤートもあらゆる事情に明るいわけではなく、問題の輪郭しか見えていないという。それでも彼は輪郭からその正体を自分なりに考えてみているのだ。

「ちょっと、手を貸してくれるかい? 殿下」

 ヤートが差し出した手に、戸惑いながらもカーネリアンは触れた。ヤートは軽く握り、目を閉じる。
 さわさわと、春風が体の中を駆け抜けていくかのような感覚があった。ヤートの魔力らしく、不快な感じはしなかった。

 しばらく集中していたようだったヤートが、大きく息をついて瞼を開ける。長い睫に縁取られた目を、幾度かまたたかせていた。

「……なるほどね。ファラエナがこだわるわけだ」

 よくぞこれまで隠してこられたね、とか、知られていたら一番先に消されただろう、などと言われるが、何のことやらわからないのでカーネリアンは曖昧な返事をした。

「うん、希望か。確かにな。これほどまでなら、賭けたい気持ちは理解できる。だが……どうかねぇ。素質はあっても、時間がないから。それに、魔術は精神力が大いに関係してくる。あなたは見るからに脆弱そうだからなぁ」

 いい歳をして兄に苛められ、泣いているのだから間違いなく精神が脆弱なのだろう。カーネリアンは苦笑いをするしかなかった。

「胡蝶蘭公から、私のことを何かお聞きになっていらっしゃるのですか」
「大した話はしてないよ。あの男がぺちゃくちゃ私とお喋りすると思うかい?」

 ファラエナが人の子の滋養になるものを聞きに来たことから、彼が人の子の誰かの面倒を見ているのだと考えた。そして姿の見えない時間がよくかぶっているのがカーネリアンだから、ファラエナが関わっているのは紅玉髄の王子だと判断したという。

「あなたと胡蝶蘭公は、どのような関係なのですか」
「私が魔術に詳しいから、あれこれと尋ねに来るんだよ。だから教えてやった。それだけだ」

 この口振りからすると、さして親密な関係でもなさそうである。

「一つ伺いたいのですが、あなたから見て胡蝶蘭公は……どのような方に見えますか」

 ヤートは笑った。

「真面目な男だよ。馬鹿みたいに真面目で、律儀だ。あの男は私に魔術を習ったからか、私には決して礼を失した態度をとらない。笑えるだろう? あれほどまでに、骨身を砕いて道化のような姿を演じているというのに、勝手に感じた恩義が邪魔をして、私の前では化けの皮が剥がれるのだから」

 ――ああ、やはり。

 私が見ているファラエナの姿は本物だったのだ。少なくとも幻などではなく、他にも真実を知る者がここにいる。
 けれど、何故なのだろう。どうしてファラエナはああやって他人の反感を買うようなことばかりをしているのか。ヤートに意見を聞いてみたが、「知らんね」と素っ気なく返された。
 本来は物静かなはずなのに、あえて会議で大声を出して人目を引く理由があるとすれば。悪目立ちするのを望むその事情は。

 ――もしも、私が彼のように振る舞うことを決めたとすれば、理由は一つしかない。

 何かから目をそらせるために、あえて大声を出しているのだ。黙っているより注目を浴びた方が、かえって隠せるものもある。
 それが何なのかまでは、見当がつかないが。

(ファラエナも、苦しんでいるのではないだろうか)

 重荷に耐えかねているような、やつれた横顔が頭をよぎる。相談できる相手は、彼にいるのだろうか。

「胡蝶蘭公にご友人はいらっしゃるのでしょうか」
「あんなへそ曲がりな男に、友などいるはずがない」

 それもそうだ。「友」という言葉を聞いただけでも虫酸が走ると言い出しそうである。
 黙して悩むカーネリアンの心の内を見透かしたヤートは、容赦なく釘を刺した。

「ねえ、殿下。自分の問題も解決できていないような者に、他人の問題へ首を突っ込む資格はないよ」

 カーネリアンは目を見開く。鋭い指摘は、息が詰まりそうなほどの痛みを伴って胸をえぐった。こちらを真っ直ぐ見据える紫の瞳は倦怠の膜に覆われているようにも見えたが、その奥から放たれる光は強い。詰問するような目つきに怯んだが、カーネリアンは勇を鼓して口を開いた。

「しかし、ファラエナをあのまま放っておいて、もし……」
「胡蝶蘭は苦悩の末にそれを選んだ。誰の手も借りないと決めた男の手をとって、より苦しめる覚悟はあなたにはあるのか? 勇気は? 力はあるか? 殿下、あなたは結局のところ、何も知らない余所者だ。中途半端な親切心から他種族の事情に首を突っ込んでも、悲劇しか生まないよ」

 今度こそカーネリアンは絶句した。何も反論できなかった。鳥兜の言うことが、いちいちもっともだったからだ。
 無力なくせに、何かわかったような気がして動くのは愚者のやることだ。例えば白百合公のように、無力であっても信念と覚悟があるならいいのだが、カーネリアンは誰かに身を捧げるなんて真似は出来ない。

 偽善者だと罵られるのが怖い。
 鳥兜のヤートは笑みを深めた。

「せっかくファラエナがあなたの利益になるようなことをしてやってくれてるんだ。ありがたく受け取っておけばいい。それだけでいいんだよ」

 それ以上踏み込まない方が互いのためだと、言外に含んでいる。
 そうなのかもしれない。どういう気紛れでファラエナが自分に魔術を教えているのか知らないが、ファラエナはカーネリアンがおとなしく従うのを望んでいる。余計な動きをすれば、恩を仇で返してしまうだろう。
 すがるような気持ちでヤートを見るが、彼は眉を上げてかぶりを振った。

「私は誰も助けないよ。面倒事が苦手だし、冷たい男だからね。目の前で誰が死のうが何とも思わないし、明日宮殿が崩壊したとしても、茶を飲みながら崩れゆくさまを眺めるだけだ」

 友愛とか哀れみとか、そういったものは持ち合わせていないようだった。だからこそ、かえってファラエナも彼とは交流できたのかもしれない。
 鳥兜公ヤートは彼なりにいろんな物事の推論を立てているのだろうが、それを誰かに話す気はなさそうだ。テクタイトと違って害はないが、非協力的であり、あてには出来ないと見た。

 そんな性質を非難する気にはならず、カーネリアンはただ打ちひしがれていた。自分がどれだけ役立たずな人間か、改めて思い知らされたのだ。
 加えてヤートは忠告した。

「面倒を見てもらったから、あなたはファラエナを善人だと思いたがっているみたいだが、断言しよう。あれは真面目だが善人ではないよ。態度を誇張はしていても他人に対する悪口雑言は本音だろうさ。自分を慰める幻想と期待は早く捨てるんだね。夢見る少女じゃないのだから、現実を受け入れて生きなければな」

 そう言われると、もう何がなんだかわからなくなってくる。わずかな希望が残酷にも打ち砕かれた気がするが、それは考えてみるまでもなく、気休めに舐めている飴玉程度の価値しかないものだったのだ。気が塞ぎ、背筋がどんどんと曲がっていった。

「いけないよ、殿下。そんな猫背じゃあ、みっともない。背筋をしゃんとしないと」
「……ファラエナにもよく言われます」
「あなたは王子だものね」
「王子って、何なのでしょう」
「王の子。選ばれし者だよ」

 そんなものになりたくなかったな、とまた思う。別の身分の自分も想像できないが、どうであっても今よりはかなりましだろう。
 けれどとにかく、自分は王子なのである。せめて王子らしく振る舞わなければ、何一つ価値がない。

 カーネリアンはため息をつくと背筋を伸ばし、顎を引いて上品な微笑みを浮かべた。

「いろいろ教えてくださってありがとうございます、鳥兜公ヤート。あなたのご忠告を胸に、私は私にできることを一つ一つやっていくつもりです」
「まあ、頑張るんだね」

 礼をしてカーネリアンはヤートと別れた。まだ胸の痛みは去らず、先も見えなくて苦しい。自分は力をつけて、そして――この争いから逃げ、遠くで何をするつもりなのだろう。
 どれほど努力したところで、せいぜい猫をかじる程度の力しかつけられない。自分への失望で目の前が暗くなり、その暗闇の中に浮かび上がる白い花が見えた。

 ――胡蝶蘭。

 止まりそうになる足を、幻視した花に向かって、一歩一歩どうにか進めていった。


 かろうじて王族らしい姿勢を保ったまま去り行く影を、鳥兜のヤートは薄笑いを浮かべて見守っていた。自分も戻りたいが動くのが大儀である。茶でも飲んで休みたい。
 このままここにいれば侍従達が来て面倒を見てくれるだろうし、それより早く下僕である忠犬が迎えに来るかもしれない。

「しかしねぇ。甘ったれで、何とも可愛い王子じゃないか」

 ヤートは頬杖をつき、庭に舞う花弁を目で追う。

「ファラエナも、ああいう庇護欲をくすぐられる相手には滅法弱いんだから面白い。甘いねぇ、あいつは。悪人を気取るにはまだまだ未熟だな」
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