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第二部 旅
104、自分でも気づいていない
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それから、カーネリアンは地下室へと通い続けた。決して魔術を学ぶことに意欲があったというわけではない。兄に一矢を報いるほどの力をつけられるとも思っていなかった。
ファラエナの指導は荒々しくはないが苛烈で、肉体や精神力を酷使するのに慣れていないカーネリアンにとってはつらい時間が多かった。
では、何故彼の元へ行くのだろう、とカーネリアンは己に問う。今までも誰かに似たような説教をされ、言い訳をしては逃げてきたというのに。
それがわからないから、理由を見つけるために通っているというのもあった。妙なことに、胡蝶蘭公ファラエナにいくらなじられても、彼に一片の悪感情も抱かなかったので、そばにいるのは苦痛ではなかったのだ。
基礎の基礎の訓練を終えると、ファラエナはカーネリアンに杖を持たせた。大きな水晶がはまっているもので、魔術師は大抵、このような杖を持つ。
必ずしも石が必要なわけではないのだが、石に力を通すことによって、より早く複雑な術が編めるのだ。
「実戦的な魔術を学んでもらいます。敵がいると想定し、術を発動させます」
ファラエナがいつものようにカーネリアンを部屋に立たせる。
「しかし、宮殿では攻撃的な魔術は禁じられているのでは?」
だからこそ最低限の秩序は保たれ、大規模な攻撃は行われず、花の貴人達は不満があれば魔術ではなく物理的な暴力に訴えているはずである。禁止魔術は宮殿の敷地内全体にかけられていると聞いていた。屋内外問わず、攻撃を目的とした術は発動しないのだ。
「この部屋は例外です。外に魔力が漏れないように術をかけています」
禁止魔術に感知されないよう、限定的な空間を作り出したのだそうだ。瓶に術をかけて頑丈にし、密閉したその中で小さな術を使ってみたところ上手くいった。それを応用して部屋へと拡大したのだ。
破壊や殺傷に繋がらない仕組みを作れば、そこでの攻撃魔術の使用は可能だという事実をファラエナは見つけたのだった。修練の他、実験などには都合が良いだろう。
「よく思いつかれましたね」
「時間だけはたっぷりありましたから。誰だってその気になればこれくらいの仕組みは思いつきますよ。ここにいるのは腑抜けの馬鹿共ばかりだから考えもしないのでしょうが」
同族の花の子を徹底的に蔑んでいるファラエナだが、だからといって自己評価は高くなさそうであった。高慢な人物につきものの自慢話はほとんどせず、いやに謙虚なところがあるからカーネリアンも面食らう。
ファラエナが指を弾くと、部屋の真ん中の空間に銀色の球体が出現した。
「ここで放たれた力は全てこれに吸われて、外部には漏れません」
だから思う存分特訓できるのだそうだ。
カーネリアンはひたすらその球体に向かって力を放ち続けることとなった。杖を構え、雑念を払い、魔力を放出する。
「もう一度」
腕を組んで近くに立つファラエナが、淡々と指示を出し続けた。
編まれる魔術は、知識のないカーネリアンでもわかるほどにお粗末だった。
「もう一度」
新人の騎士見習いがやる剣の素振りのように、それは延々と繰り返された。息が切れて足元がよろめき、魔力が尽きてきたのを感じても、ファラエナはやめるのを許さない。
おかげで、もう無理だと思ってからでも人間は案外力が出るのだと学んだ。
しかし、その残り滓も絞ってしまえば限界が訪れる。カーネリアンは疲労困憊で床にうずくまった。
「何かお召し上がりになるものを用意しましょう。朝から何も口にされていないはずだ」
ファラエナの言葉に、カーネリアンは「食欲がありません」とかぶりを振った。
王子は特別な石持ちのせいか、小食な者が多い。中でもカーネリアンは飛び抜けてものを食べなかった。体質もあるが、精神的な要因が大きい。若い頃に毒殺されかけて苦しんだことや、毒に慣らすために、体調を崩すとわかっていて少量の毒物を服用した経験がかなりこたえたのだ。
元よりカーネリアンは、他の兄弟に比べて何事も限界点が低い。
王族として必要な時は食事の場に出て人並みにものを食べるが、そうでなければ一日にほんの少しの量しか口にしなかった。
「剣も駄目、魔術も駄目、食事すらまともに出来ないとなると、殿下は何であればお出来になるのです?」
カーネリアンはむっとしてファラエナを睨み上げる。
「何の才能もない私など、放っておけばよろしいではないですか」
王侯貴族には独特の話法があり、カーネリアンはそれに長けていた。いわゆる、「上辺だけの上品なやりとり」というやつだ。
けれどファラエナの前では取り繕うのを忘れてしまう。一つは、初めから彼にはみっともないところを見られているから今更だという理由もあり、もう一つはファラエナから「私の前で猫などかぶらなくて結構です」と言いつけられているというのもある。
「何の才能もない男の面倒を見るほど酔狂ではありません。私は忙しいのです」
ファラエナは姿を消したかと思うと、すぐに何かを手にして戻ってきた。液体の入った容器であり、それを差し出してくる。
「飲みなさい。滋養がつく湯薬です」
湯気が上がる容器をカーネリアンが見つめていると、ファラエナが一口飲んでみせた。
「毒など入っていません」
疑っているのではなく、彼が自らそういったものを用意してくれるなど思ってもいなくて、まごついていただけだったのだが。
カーネリアンはおそるおそる受け取って口へ運んだ。が、飲んだ瞬間に吐き出しそうになる。
「不味い……!」
酷いえぐみに涙が浮かぶ。舌に触れた感じで、毒ではないのはわかるのだが、それにしても飲めたものではなかった。目を見開いて、灰色に濁る液体をのぞきこむ。後味も悪く、喉の奥からしつこく嫌な香りがのぼってきた。
「美酒でも出してもてなすと思いましたか? 湯薬と言ったはずですが。疲れがとれますから、黙って全部飲みなさい。残したら承知しませんよ」
「飲めません! だってこんな……苦みも強くて、喉が締まって飲み込めませんよ」
「無理矢理口を開けさせられて流し込まれたいと仰っているのですか?」
「せめて砂糖をいただけませんか?」
ファラエナの怒気が膨らんで、眉がきっとつりあがる。
「あなたは今おいくつになるのですか!!」
彼の剣幕に、容器を持ったままカーネリアンは萎縮した。
「ひゃ、百二十です」
「百二十年も生きてきて、幼児のようなことを言うんじゃない! ふざけてるのか! 聞いているこちらが恥ずかしくなる!」
そこで舌打ちをしたり汚い言葉を吐かない辺り、品の良さがあらわれてはいた。ファラエナは侍従を呼び寄せると「あれを」と指示を出して下がらせる。
カーネリアンはいじけていた。本当の自分はこうではない。
子供じみた発言などしたりしないし、臣下にはそれなりに威厳を持って命令できる。社交性のあるカーネリアンは他国からの使者の相手をよく任されていたし、まともな王族として振る舞ってきたのだ。
だが――と、ふと思い直した。
本当の自分とは、何なのだろう。
もしかすると、生来甘えん坊だったのかもしれない。時に兄に対する口のきき方には一種の馴れ馴れしさが滲み、誰かをあてにしたり、寄りかかりたいという願望が強かったとも言える。
今、自分はこの人に甘えているのだと思う。心の奥底で、甘えてもいい対象だと判断しているから、怖々とではあるが素をさらけ出しているのだ。
侍従が持ってきた瓶には、黄金色の花の蜜が入っている。匙でたっぷりすくって湯薬にかき混ぜると、ファラエナは一口味をみてからカーネリアンに突き返した。
まだ不味いが、飲めないというほどではなくなった。
ちびちびとそれをすすりながら、カーネリアンはファラエナの方をうかがう。一緒にいる時間が増えるにつれ、胡蝶蘭公ファラエナの印象は、最初の頃とかなり変化してきていた。
――あなたは、優しい人なのですね。
そう言うと多分、逆鱗に触れる予感がするので口には出さないが、そうとしか言いようがなかった。
食欲がないと言えば気遣って体に良い飲み物を用意してくれる。毒がないと保証し、味にごねれば蜜を加えてくれたのだ。その上、味見までしている。そこまでする必要などないのに、口に合うか確かめたのだろう。
その行為の全てが、彼の優しさを示している。
優しいと言えば、きっとファラエナはああだこうだと否定するのだろう。けれど、その思いやりの深さを、彼は自分でも気づいていない。
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