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第二部 旅
89、白い紙
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宝玉王の手による素描が描かれている本を戻しに行かなくてはならない。リーリヤとジェードは出立を翌日に控えた午後、ジェードの部屋を出た。
だがリーリヤの希望もあり、真っ直ぐに王の居室へは向かわないつもりだ。リーリヤは宝玉王の肖像を見てみたいとジェードに頼んだのだった。
深い理由はなく、調べてもいまいち人物像がわからない宝玉王を少しでも知る術はないかと思い、在りし日の面影を求めたのだ。
宝玉王は自身の肖像を、絵であれ彫刻であれ残すのを嫌ったそうだった。けれど全くないというのは不自然だからと臣下に懇願され、いくらかは許可したという。
初代宝玉王の隣に二代目宝玉王の肖像画は飾られており、その部屋に案内してもらってリーリヤは一度目にしていた。
厳めしい顔つきの白髪の男であった。石持ちの王族は長命だったが、宝玉王もある時期から少しずつ老化が始まったようである。老いてもなお外見は美しく、容貌が優れているという点では息子達と共通点があったが、それ以外では特に親子の繋がりは感じさせなかった。
若い頃に王妃を二人迎えたことはあったが、それ以降はほとんどの時間を一人で過ごした。妻とは子ができなかったのもあり、寿命が違いすぎて上手くいかなかったと周囲からは考えられている。
だというのに三百年ほど前から突然子作りに励み、まともな王妃として迎えた女はいなかったがとにかくたくさんの女との間に子を成して、周囲を唖然とさせた。
王子を産んだ女達はさほど厚遇を受けたわけではない。王の行いは女にしてみれば子宮だけを要求される侮辱のようなものでもあったが、数千年生きる神にも等しい国王へ文句を言う勇気のある者はいなかった。
沈黙の多い、不可解な王。それが宝玉王であった。彼の存在がユウェル国の力そのものであるから、いるだけで最低限の役目は果たしている。だが息子達に言わせれば「それだけ」なのだ。
国政に関心を持たず、息子達は争うままにさせ、混乱だけを残して消えていった王。
たどり着いたのは千晶城の外周に近い場所にある塔だった。物置みたいな部屋があり、そこへ宮廷画家が描いた国王の肖像画も置かれている。描きかけのものであったり、処分するよう命じられたものだ。
不要物ということになってはいたが、宝玉王の姿が描かれているものであるから雑な扱いをするわけにはいかない。破棄の方法に頭を悩ませ、長らくここにひっそり保管されているのだった。
ジェードが棚から絵を引っ張りだしてリーリヤに見せてくれた。先日見た肖像画と印象は変わらない。他人が近づくのを拒むような威圧に満ちていて、しかしそれ以外には何も感じられないのだ。
「お父上はどんな方でしたか?」
「よくわからない男だったとしか言いようがない」
リーリヤは未完成の肖像画にじっと眼差しを注ぐ。暴君ではなく、かといって賢王でもなかった宝玉王。彼について書かれた書物も、人となりについてはあまり触れていなかった。
「陛下も当然石持ちだったのでしょう? あなたは翡翠、フローライト殿下は蛍石、オニキス殿下は黒瑪瑙。陛下のお持ちになっていた石は何なのです?」
宝玉王は王位を継いだ瞬間から身の内に宝玉という力の源である特殊な石ができる。しかしそれ以前、まだ王子である時には別の石を持っているはずだった。
ジェードは眉をひそめて答えた。
「誰にもわからないのだ。記録が消失している」
「そこなんですよ……」
リーリヤは人差し指を眉間にあてた。
「思うに、意図的に消されたのではないでしょうか。確かに二千年という時間はとても長いものです。全てを記し、語り継ぐのは難しい。しかし、王冠のこともそうですが、綺麗さっぱりそれに関する全ての記録が失われているというのは、いくらなんでも不自然です」
ユウェル国が建国されたのがおよそ三千年前。初代宝玉王の治世は千年。人の世が荒れていたのはユウェル国という大国が生まれる前であり、二代目宝玉王が在位していた期間、目立った動乱は見られない。戦争が起きて城が焼け落ちたというならまだしも、特定の記録のみの消失はあまりにも作為的である。
初代宝玉王の名はトパーズ、石は黄玉だとわかっている。二代目だけ忘れられているのはおかしい。
だとすると誰が隠したのかということになるが、二代目宝玉王本人の仕業であるという説が濃厚だ。彼は即位の条件についてわざと教えず、王冠もどこかに隠した疑いがある。
記憶の操作は花の貴人が人の子に使っていたお家芸的な魔術であるが、宝玉王なら使えないこともないだろう。自分の名前や王になる前の出来事など、魔術でわからなくしてしまったとも考えられる。
何のために、というのが問題なのだが。
宝玉王の行動は謎が多すぎる。どれもが混乱を招いており、理由が判然としない。
(人の国の王も花の国の王も、秘密の多い方だな……)
眉間をさすっていたリーリヤは息を吐いた。
宝玉王の公務について書かれたものを読んだ時、ある箇所がどうにも気になった。若い頃はそうでもなかったが、宝玉王は次第に部屋に引きこもりがちになった。ここ千年はユウェル国から出ていない。だが、最後に国を出た時についての記述が引っかかるのだ。
記録によれば宝玉王は一週間私的な用事で国を離れており、その詳細は不明。問題は時期だった。偶然かもしれないが、花宮殿で貴人が一度に吹き飛んだあの事故の辺りとかぶっている。
侍従以外は暦も気にしない花の貴人達は、何がいつ起きたか几帳面に覚えていない。大体このくらいの時期、という曖昧さだ。ゆえに断言はできないのだが。
宝玉王は花の貴人を愛人にしていたという話がある。誰かと面識があるのなら、彼が花宮殿に赴いていてもおかしくはない。
謎は増え続け、真実は見つからない。またリーリヤがため息をついた時、何かが足下に落ちた。
それはこれから返却する予定だった本から落ちた白紙である。本にはさまっていたもので、ジェードが魔力を使って調べてみたのだが何も書かれていないただの紙だった。だが一応この中にあったのだからと元通りにしておいたのだ。
リーリヤは紙を拾い上げた。
すると、折り畳んだ紙の内側から光が迸った。それほど激しいものではなかったがリーリヤは仰天して目を丸くする。
慌てて紙を開くと、なかったはずの線がそこに浮き上がっていた。
絵であった。遠景の、手慣れた者がささっと描いたというような、あっさりとした素描。
リーリヤは言葉を失った。
崩れかけた花宮殿が描かれていたのだ。
「これは……」
ジェードも近寄ってきてのぞき込む。リーリヤがごくりと唾を飲んだ。
「事故のあった直後の、宮殿のように思われます……」
「何だと?」
咲き直しの期間は個人差がある。原因不明の異様な事故だったのが関係しているのか、かなり早く咲き直した者もいれば、遅かった者もいる。
リーリヤは遅い方で、目が覚めると宮殿は混乱の中でも再建が進んでいた。陣頭指揮をとっているのはやはり天竺牡丹公ギアルギーナで、当初はこれくらい崩れていたらしいというのをリーリヤは彼から教えられたのだ。
絵の様子は、聞いていたものと一致している。そして筆遣いは、宝玉王のそれと酷似していた。
「お前が触れたから現れたのかもしれないな。花の子の魔力に反応したのだろう」
リーリヤはほとんど魔力を持たないが、全くないというほどでもないのだ。先日白紙を手にとったのはジェードだけだったので、絵が浮かんでこなかったのか。
花の子のみに反応する仕掛けが施されていたとしたら、今までこの絵を目にする機会は人の子にはなかっただろう。
「やはり宝玉王は、花の国に来ていた……?」
それは、何を意味しているのか。
リーリヤとジェードが顔を見合わせたところで、扉を叩く音が響いた。ジェードはやけに強張った表情でそちらの方を睨んだ。
「誰だ」
「ジェード殿下。やはりこちらにおいででしたか。お尋ねしたいことがございます。入室してもよろしいでしょうか」
剣の柄に手をやり、ジェードはここで待てと目で指示してリーリヤから離れる。外の気配を探るように扉に耳を寄せた。
と、俄に部屋の空気が揺れる。リーリヤより先にジェードが異変に気づいたが、遅かった。
背後に立った何者かがリーリヤの顎の下に冷たい刃を触れさせる。駆けつけようとしたジェードだが、踏みとどまるしかなかった。
突然の出来事にリーリヤは呆然として言葉もない。
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