花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

85、遭遇

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 ルカはいかにも元気の良い若者らしく多弁であり、城へ戻るまで喋り続けた。ジェードはそれを叱らなかったが自分は口を閉じたままで、ほとんど聞き流しているかのようだ。
 ジェードの役に立てたことに非常に満足している様子のルカは、機嫌良く二人と別れて去っていった。

「良い子ではないですか。みんながあなたを恐れて口もろくにきかなかったと言っていましたが、そうでない方もいるのですね」

 城の廊下を歩きながらリーリヤはジェードの方を見上げた。

「あれはほんの子供だ。幼い者は毒蛇の怖さも知らずに手を伸ばす」

 ジェードの中では気の毒にもルカはまだ、一人前の人間として勘定されていないようだった。

「あの子は信用できますよ」
「世の中を知らぬ子供は皆無邪気に見える。ああいう者が変わっていくところを、私は何度も見てきた」

 その声には経験による諦めよりも、もっと固く切実な何かがこめられていた。いっそルカが変わってしまってほしいとでも願っているかのようだ。
 ジェードは、ルカが信用に足る相手だと自分が認めた途端、ルカが何者かの毒牙にかかって命を落とすかもしれないと危ぶんでおり、だから彼を信じるわけにはいかないと決めている。己の信頼が、彼を死に導くのだと拒んでいた。

 ルカがある程度力をつけたら、騎士団を辞めさせて別の国に行かせようとジェードは決めていたという。しかしルカは頷かず、それがジェードを悩ませている。
 リーリヤはジェードに何も言わなかった。自分には力がないからどうにもしてやれない。彼の心配はもっともだから、無責任に励ますこともできなかった。

 だからリーリヤは、ただ彼の手を握った。戦士らしく節くれ立った大きな手。孤独の中で希望も求めず剣を握り続けたこの手は、ひんやりしている。リーリヤより体温は低いがしかし、握っていると確かに熱を感じるのだ。彼は血が通った人間だから。

「私はあの子が気に入りました。あなたが孤児であった彼を助けたのは、間違いなく善いことです。あの子に会わせてくれて、ありがとうございます。おかげで私は、また人の子が好きになる」

 ジェードは前を見据えたまま、ほんの少しリーリヤの手を握り返した。

 * * *

 城には後五日滞在し、その間に体を休めつつ旅装を整えようという話になった。造花の方は占い婆の他に知っている人間が見つかっておらず、残りの時間は城内で宝玉王について調べてみる予定だ。

 他の者が大体調べ尽くしているので新発見があるとも思えないのだが、一度ここを出れば当分戻らない。出来る限りのことはしておいた方がいい。
 人も使えるのだが、ジェードは恐れられているものの軽んじられてもいて、脅さなければ動かない者が多い。脅されて言うことを聞く人間は信用できないに決まっている。だから自分達で調べるしかないのである。

 王の居室からは、重要でなさそうなものであれば持ち出しは王子に限り許可されていた。リーリヤとジェードはいくつかの本を持って、ジェードの部屋へ戻ろうと廊下を歩いていた。
 そこへ侍従がやって来てジェードに声をかける。何でも第三王子オニキスや高官が呼んでいるらしく、急いで顔を出してくれとのことだった。

 ジェードは明らかに不服そうで、侍従はここで断られて板挟みになるのを心配してか顔面蒼白だ。部屋はもうすぐ目の前だったのでジェードは扉を開け、リーリヤに中で待っているよう指示をした。
 なるべくなら兄弟と顔を合わせたくないジェードだが、呼び出しを無視すれば面倒事に発展するかもしれないと思ったのだろう。

 リーリヤを一人にしたくないというのも気が進まない理由の一つだ。だが部屋にいればある程度の安全は確保されているのを彼も知っている。リーリヤが中に入って扉が閉まると、ジェードの足音が遠ざかっていった。

 リーリヤは持ってきた本を机に置いた。宝玉王に趣味などはなかったそうなのだが、彼は時折絵を描いていたらしい。この本には簡単な素描が残されている。交流があったとされる花の子の手がかりになるものが何かないかと調べることにしたのだ。

(徹底的に調べられているらしいから、見落としなんてないだろうけどなぁ)

 リーリヤは重ねられた本の表紙に手を置き、手首を見てはっとした。

「あれ? ……ない」

 印象を薄くするまじないがかけてある銀の腕輪が確かにそこにはまっていたはずなのだが、消えている。どこかで落としたのだろうか。ぴったりしたものではないので抜け落ちやすくはあった。

(ここへ来る途中で一度触って、その時はあったはずなのだけれど……)

 そうだ。ジェードの部屋が見えた頃に一度触っている。その時まではあった。ということはその後に落としたのだ。
 では部屋のすぐ前に落ちているかもしれない。逡巡した末、リーリヤは細く扉を開いた。廊下に人のいる気配はなく、視線をのばすと、曲がり角のところの床、黒い絨毯の上に銀色に光るものが落ちていた。

 部屋から出るなと言いつけられているが、ちょっとそこまで行って拾うくらいは出ていないも同然だろう。
 なくしたわけではなくてよかった、とリーリヤは胸をなで下ろしながらこそこそと扉を離れ、そちらへ向かった。

 銀の輪に手をのばす。
 すると、曲がり角の向こうから別の手がのびてきて、リーリヤよりも先に腕輪を拾ってしまった。

 ――お前は危機感が足りない、とは誰に言われたのだったか。自分の身に降りかかる災いを気にしなさすぎるあまり、口を開けた巨獣のあぎとにものんきに踏み込んでしまって、後に泡を食う羽目にならないとも限らない。ゆめゆめ用心するように。

 ありがたい忠告だが、今思い出しても遅すぎる。

 リーリヤは手をのばした格好のまま少しの間硬直し、そろそろと視線を上げた。
 まず白いローブの裾が視界に入る。美しい縫い取りが施された上下揃いの黒い衣服。病的な青白い顔は麗しく、蛍石のような色をした瞳は異様に虚ろだ。

「あなたが、白百合公?」

 ユウェル国第二王子のフローライトが、銀の腕輪をもてあそびながらリーリヤを見て微笑んだ。今日の彼の手は土で汚れてはいない。
 リーリヤは即座に頭を下げた。

「ご挨拶にも伺わず、申し訳ありませんでした。無礼をお許しください、殿下。花の国、白百合族の族長、リーリヤと申します」

 礼をしつつ周囲に視線を走らせるが、付き人は一人もいないようだ。声をかけようにも誰もいない。
 フローライトは首を傾けながらリーリヤを眺めていた。

「白百合公。もしよかったら、私とお話をしてくれないかな?」

 己の軽率さを悔やみながら、リーリヤはフローライトを見つめてどう返すべきか迷っていた。断るべきだろうが、返答如何で彼の心を無駄に刺激してしまうかもしれない。
 フローライトはやはり今日も生気が乏しく、病的な顔つきではあるが、会話はできるようだ。ぎりぎり、という感じだが。

「一人ぼっちで寂しいんだ。あなたが私と一緒にお茶を飲んでくれたら嬉しいのだけど」

 危うい目つきからは彼の考えを読めそうにない。助けも来ない。あまり返事を引き延ばすのも危険と見た。
 リーリヤは目をつぶり、覚悟を決めることにした。
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