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第二部 旅
73、何故
しおりを挟むリーリヤは皆に何か言い忘れたことがなかったかどうか、頭の中でよく考えてみた。
空中庭園や蕾となった貴人の世話は、心得のある侍従達に頼んでおいた。他にも様々な頼みごとはそれぞれに一応伝えておいたはずである。
「イオン。私は可能な限り努力しますし、必ず戻って来るつもりでいます。けれどもしもの時のことは話しておいた方がいいでしょうね」
「そうですね」
イオンは案じ顔である。リーリヤが明日にでも誰かに散らされるのではないかと心が不安に冒されているのだろう。リーリヤは笑ってしまった。まだ始まったばかりなのに今からこの調子では、イオンもさぞ疲れるに違いない。
万が一、リーリヤが旅の途中で散ってしまった場合。虫の女王の元へジェード一人で赴かせることは出来ない。よって女王に幻獣の角を修復してもらうという予定は中止しなくてはならないだろう。
「私の代わりに誰かを寄越さなくて結構です。女王は危険な方ですから、私以外が近づくのは避けるべきでしょう」
リーリヤが咲き直してから再び女王の元へ向かうかどうかは改めて検討すべきであり、その時の状況にもよる。他に角が直せる方法が見つかるかもしれず、王が帰還するかもしれない。考えたくない話だが、角を直すどころではないという騒ぎが起きていないとも限らない。
ジェードに問題がなければ、蕾になったリーリヤは彼の手によって宮殿に戻してもらうよう頼むつもりでいた。黒薔薇の蕾と折れた角も一緒にだ。
「虫の女王ですけど、ジェード殿下を連れて行って問題はないのですか? あの方は騎士団で虫の討伐にも何度も参加していますよ」
イオンが気にしているのは、ジェードが女王の同胞である虫の子を手にかけているという事実だろう。リーリヤは肩をすくめた。
「それを言い出したら、私も虫の子とは戦っていますし、女王陛下はそういったことは気になさらないと思いますがね。あの方は放任主義なんですよ。好きにやって好きに死ねばいい、と下々に仰っているそうですから」
「恐ろしい女だな……」
本音がぽろりとイオンの口からこぼれる。
虫の女王はある意味こだわらない性格で、奔放である。面白ければ力を貸してくれるし、気に入らなければ牙をむく。
虫の国に住む虫の女王だが、彼女はこれまで一度も全力を出してどこかの侵略を試みたことはない。よって真の力がいかほどかは不明だが、なんとなく皆、倒すのは不可能だろうと本能で感じていた。戯れにどこかを襲ったりはするが、肩を並べる者がほぼいない強者の余裕からか、本気で乗り出して来ないのが唯一の救いである。
ただ、気まぐれゆえに危険度も半端なものではない。
本音を言えば、リーリヤはジェードを彼女の元へ連れて行きたくはなかった。胡蝶蘭公ファラエナが言ったように、女王に頭からがぶりとやられるかもしれないのだ。特に理由もなく。
そうなったらおそらく巻き添えにしてしまう。どれほどジェードが強くても、女王には歯が立たない。自分は言い出した本人だからどうなっても構わないが、ジェードに害が及ぶのは避けたかった。
とはいえ、途中で待っていてくださいねと言って待つような人ではないというのは身に染みている。女王が自分に飽きておらず、機嫌が良く、手を貸してくれるのを期待する以外にできることはないだろう。幸運を信じるしかない。
イオンの方も花の国で動揺が広がらないよう尽力すると約束してくれた。彼は自分の故郷の他、少数の白百合族の様子も見に行ってくれると言う。
互いに時々連絡は取り合おうということになった。リーリヤは移動し続けるので、どれだけやりとりをする余裕があるのかはわからないが。
「私に何かあっても、慌てて駆けつけてはいけませんよ、イオン」
花の子にとって、人の国は花の国より危険が多い。ええ、と返事をして浮かない顔でイオンは頷いていた。
リーリヤもイオンも、互いに香水や造花についてさぐることを改めて確認し合った。そして、それを他人に気取られないように注意する、とも。
「リーリヤ。お願いですから人助けはほどほどにしてくださいよ。行きずりに何でもやってあげていたらあなたの健康やら何やらが損なわれるかもしれないんです。そうなったら旅が続けられないでしょう。目的を忘れないようお願いします」
「わかってますよ」
心外だなぁ、という思いをこめてリーリヤは目をしばたたく。それほど施しをしながら歩き回った経験はないつもりだ。するとイオンが「わかっているとは思えないが」と言いたげにリーリヤを眺めてくる。
「言い換えましょう。あなたの殿下のお心を大事にしてください」
「はあ、そのつもりですけど」
リーリヤとイオンは話を終えると、二人でジェードの方へと近寄って行った。イオンはジェードにくれぐれもリーリヤをよろしく頼む、この人は本当に突飛なことをしでかすので……と嘆き混じりに訴えていた。
二人の会話が盛り上がっていて手持ち無沙汰のリーリヤは、まだやるべきことがあったのを思い出して早速それに取りかかろうと決めた。懐から短剣を取り出す。
しゃり、しゃり、という音が聞こえたのか、ジェードがリーリヤの方に顔を向けた。
そして彼は、瞠目した。
硬直している王子に気づいたリーリヤが小首を傾げる。
「何か?」
声をかけてもジェードは固まったままである。普段、さほど表情に変化のない人ではあるが、今は開けっぴろげに驚愕していた。しかも絶句しているらしい。
これにはリーリヤも少々驚き、一体彼は何にそれほど衝撃を受けているのかと不思議に思った。
「何故……」
ジェードは酷く苦労した様子で言葉を押し出した。
「髪を?」
ジェードが見たのは、リーリヤが断髪している光景である。まだ半分ほどしか済んでいないが、肩から下の髪はばっさりと切られ、手に握られている。
「髪? ああ、だってこれからあちこち動き回る予定でしょう。長いと不便が多いですから。切ってしまおうと思って」
前回の旅の際、初めの頃は長いままでいたのだが、邪魔だなと感じる機会が多かった。走った時や隠れたりした際、引っかかったりもつれたりしてしまうのだ。なるべく身軽である方がいいし、長髪であることに利点はない。
説明を聞いてもジェードはリーリヤの切られた髪を凝視したままなかなか動こうとしなかった。
「お察しします、殿下」
イオンが同情をこめて声をかけている。リーリヤには意味がさっぱりわからなかった。
「お前は随分と……思い切ったことをするな」
「そうですか? だって、髪ですから。また伸びますよ。宮殿に戻れば一日で元の通りになりますし」
リーリヤは生まれた時から髪の長さは腰まである。それが基本の形であり、花の子はそういうものが最初から決まっている。術を使えばさらに伸ばしたりもできるが、放っておけば基本の形から変わりはしなかった。髪が元通りになるのはあくまで自分達に馴染む、濃い魔力が漂う花の国の中に限ってのことであり、人の国にいる間にすぐ長さが戻ったりはしないのだが。
「私、短い髪は似合いませんか?」
似合うとか似合わないとかを気にしたことがないのだが、もしかしたらジェードの好みではなかったのかもしれない。
「いや、断じてそういうわけではない。しかし……、しかし……」
ジェードは目を閉じると、一つ深呼吸をした。それから目を開けると船の外、遠方の景色に視線を向ける。
「今まで生きてきて、大して何かを惜しんだ経験はなかったが……。これほど勿体ないと感じたのは、今日が初めてかもしれない」
聞こえるか聞こえないかというくらいの声音でジェードが呟いている。独白なのだろう。
髪が勿体ないと言うのだろうか。だって、伸びるのに?
やはりリーリヤにはぴんとこない。
きょとんとしているリーリヤにジェードは頷いて見せ、「中断させてすまなかった。続けるがいい」と言ってくる。なのでリーリヤはさっさと髪を切り揃えた。よく切れる短剣なので、毛先も見栄え良く整えられる。軽く首を振って確認すると、やはり動きやすそうだった。
ジェードはまだ衝撃から完全に立ち直れていないようなのでリーリヤは励ました。髪ですから、と繰り返す。ジェードも頭ではわかっているつもりらしいが、これは理屈の問題ではないようだった。
「お前と出会ってから、初めて知る感情が多い」
ジェードはそう言うと、リーリヤの短くなった髪の毛先に指で触れた。
「懐かしいな。あの時の長さだ」
やっと少し笑って見せた。それからは納得したように、似合うと褒めてくる。気に入ったとも言ってくれた。
おそらく、切ってはいけないというわけではなくて、急な変化に驚いたのだ。今度からは何かする時、ジェードに一声かけた方が彼の心的負担も減らせるだろう。というような話をイオンにすると、イオンは「賢明な判断ですね」と支持してくれた。
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