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第一部 再会
52、花に好かれる
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「お隣、よろしいですか」
桜のサクヤに声をかけられ、ジェードは顔を上げた。
ここは空中庭園の片隅にある四阿だ。リーリヤが花の世話をしており、いつも立ったまま遠くから見守っているのだが、たまには座ってお茶でも飲んでいてくださいと頼みこまれたのでそうしている。
ジェードの返答を聞かずに、サクヤは腰を下ろしてしまった。連れてきた侍従に目で指示し、茶をいれさせる。
今日は清楚な姿を取り繕うつもりがないのか、ややだらしない姿勢で茶をすすり、遠くで作業をしている白百合のリーリヤを眺めていた。
「一目惚れというやつですか?」
サクヤに問われ、ジェードは少し考えた。
「初めて見た時は、別にさほど、何も思わなかった」
とびきり美しい顔だとは思った。だがそれ以上自分の中でどうこう評価する気にはならなかったし、容貌に惹かれた記憶はない。美しいものだから、ただ美しいと感じただけだ。感動したわけではなくて、形が優れていると思ったに過ぎなかった。
「そもそも、私には好みの形というものなどない。顔に限らずどんなものでも。だが、気づけば……あれが好みの顔になった」
あの系統の顔立ち、というのではなく、リーリヤの顔が好きになった。長く見ていたくなる。見ていると、心が安らぐのだ。
初めて抱いて、別れるまで。特に好意を抱きはしなかった。妙な奴だ、という印象しかない。
離れてから、気持ちは育まれていったようだった。何が決め手で、どこから変わり、確信したのか判然としない。いつの間にか身の内で開いていた花に気がついたといった感じだろうか。
「白百合公が人の国の王子に愛されるとはねェ。あれは、大して優れたところのある花ではございません」
サクヤは頬杖をついた。
「だが、とても良い奴です」
ジェードが視線を送ると、サクヤもこちらをちらりと見る。
「ご承知の通り、白百合公は元よりひ弱で、いろいろあって魔力まで失っている。無茶のできる体ではないのに出しゃばるのが好きな男ですから。誰かに守っていただかなければなりませんなァ。まあ、あなたなら適任でしょう」
白百合公という男は、助けが必要であるにも関わらず拒否をする。だから、何度振り払われてもその手をまたつかんで離さない根性のある者がそばにいてやらないといけないのだそうだ。
あなたならやれそうですな、とサクヤは笑う。
「あれのことはあなたにお任せしましたよ。散らせないようにしてください」
リーリヤほど魔力が減少した花の貴人は例がないのだと言う。通常、貴人が散ると半年ほどで咲き直すが、魔力を多く消費する。
リーリヤは千年散っていないのだが、万が一蕾になった場合、どのくらいで咲き直すかが不明なのだ。皆と同じように半年なのか、それとももっとかかるのか。
「それに、花の貴人は不死身ではないのです。場合によっては散った後、蕾にならず、二度と咲かないこともある。そうして消えていった貴人も何人かはおります」
あまりに強い衝撃には耐えられず、再生しなくなるのだそうだ。稀なことだが、確かに何度かあったという。
ほぼ不死身、というような言い回しを何度か聞いていたのでジェードもそうだろうとは考えていたのだが。
「白百合公がそうなってしまわないように、守ってやってください」
リーリヤなら、完全に散ってしまうことも恐れていないだろう。それが身勝手だと自覚があっても、目的のためなら彼は平気で自分を犠牲にする。
だが、サクヤはそんな結末をよしとしない者の一人であるようだ。
「絶対に、助けの必要な男ですので」
笑って懐から扇子を抜き、扇いでいる。呆れているような笑い方だが、リーリヤに向けている眼差しは柔らかかった。
桜公サクヤという男の性質を、垣間見たような気がした。
「貴殿はどうなのだ?」
こう聞けば、サクヤは片眉を上げて問い返すような表情を見せる。
「貴殿を助ける者はいるのか?」
思いもよらない質問だったらしい。目をしばたたいたサクヤは、驚きをすぐにおどけた苦笑に変えた。
「これは殿下、このようなやくざ者の身まで案じてくださって痛み入ります。生憎私は、一人でいるのが楽でして。自分のお守りは自分でするくらいの力はあると自負しておりますので、ご心配なく」
お優しい、白百合公の影響ですかな、とサクヤは笑い続けている。
サクヤがテクタイトに近づいているというのをジェードも知っていた。どうも自信があるようなのだが、あの兄の凶悪さをよく知っているので早いところ引いた方がいいと助言もしたくなる。
だが、言って素直に聞くような男でもなさそうだった。
ひとしきり笑ったサクヤは話題を変えた。
「お尋ねしたいことがあるのです。お身体に関することなので、無礼にならなければよいのですが。あなたを含め、宝玉王のご子息は皆、体に大きな石が埋まっているそうですね。あなたは翡翠と伺っております。それは外から見てわかるものなのですか?」
「そうだな。私の石はここにある。それは体表に露出している」
ジェードは己の上腕に触れた。
埋まっている石については特に秘匿するようなことはない。体の器官の一つのようなものではあるが、特別な弱点ではないのだ。他の内臓も傷つけば大事で、例えば胃のある場所を他人に隠したりはしない。それと同じである。
「それは、兄君や弟君も同じですか?」
ジェードは記憶をたどった。全ての兄弟のどこに石が埋まっているかまでは知らないが、見る機会があった者は覚えている。カーネリアンは年下なので世話をしたことがあり、左腿の外側に埋まっていたはずだ。マラカイトは着替えているところに出くわした。右の鎖骨の下にあった。
「テクタイト殿下の裸は見たことが?」
「いいや」
「あの方は、どこにも石が見られませんでしたよ」
サクヤの言葉に、ジェードは眉をひそめた。
そんなことがあるだろうか。しかし、サクヤはテクタイトと交わっていて、裸体をよく見ているはずだ。彼が確認できないと言うのだから、間違いはないのだろう。
ジェードが黙り込むと、サクヤも閉じた扇を顎に当てて考え込んでいた。
王子は例外なく石持ちだ。石があるからこそ強い魔術が使えており、正統な血筋をあらわす証でもある。
「テクタイト様は、本当にあなたの兄君なのでしょうね?」
問いかけに、ジェードは答えなかった。
そうであるに決まっている。その資格を持たないものが、兄弟の中に忍び込めるはずがない。他の者はともかく、宝玉王である父の目は欺けないはずだ。
となると、テクタイトの石はどこにあるのか。腹の奥にでも埋まっているのか?
「あなたの兄君の『絶技』には圧倒されますし、お顔も大変よろしいようだが、中身は最悪なお人だ」
サクヤはまるで酒でも呷るように茶を飲み干すと、今までのどこか深刻そうな顔つきをがらりと変えてにやりとし、扇で顔の下を隠しながら身を寄せてきた。
「そうそう、耳寄りな情報をお伝えしましょう。あなた、あの男とヤる時に、中で出すこともあるでしょうな? で、出す時ですが、一緒に少々魔力も混ぜておやんなさい。すると猛烈に感じます。飛びますぞ」
加減が難しいのだが、殿下は器用そうなので上手くできるでしょうと言ってくる。これは挿入側が人の子の時だけに可能なやり方なのだとサクヤは説明した。
「自慢ではありませんが、私は人の子とのまぐわいに関してはかなり知識が豊富です。いつでも相談に乗りますよ」
「桜公。あなたは一体何の話をしておられるのですか?」
ジェードとサクヤが同時に声のした方へ目を向けた。白百合のリーリヤが腰に両手を当てて、珍しくとがめるかのように目をつり上げている。
「お前に天国を見せてやるために、僭越ながらこの方に閨での技について教えて差し上げていたのだよ」
「猥談はおやめなさい」
「みんな、酒の肴にこの程度の話はしているぜ」
「相手は殿下なのですよ!」
恥じらいなのか憤りからなのか、リーリヤは顔をほんのり赤らめていて、それがジェードには色っぽく見えた。
仲間内でのことならそう目くじらも立てないのだろうが、外つ国の者がいる前となると、花の子全体の品位に関わると思ったのだろう。そういうところは真面目である。
サクヤはわざとらしく「おお、怖い怖い」と肩をすくめた。扇で隠した口元が笑っているのは言うまでもない。
そうは言ってもお前さん、この方と隠し合うところもなく知り抜いた間柄で、睦言も交わしているだろうに。と意地の悪いことの一つや二つ言えただろうが、サクヤはおとなしく引くことに決めたらしい。
邪魔したな、と立ち上がろうとする。
「サクヤ、ついでですから話し合いましょう。やはり私はあなたの目論見が……」
「うるせェな。俺は話し合うつもりはない。ジェード殿下、白百合公の口を塞いでやってくれませんかね? あなたの口で」
それを口実に口づけをしてもいいかもしれない、と戯れに思いながらジェードがリーリヤを見ると、リーリヤは目をむいて小刻みにかぶりを振っていた。勘弁してください、と顔に書いてある。そんな顔をされると余計に実行に移したくなるが、彼の体裁を考えてやめておいた。
無言で慌てるリーリヤの姿に、サクヤは笑い声をあげながら去って行く。
「全く……」
と額を押さえるリーリヤは、心配そうな表情でサクヤの背中を見送っていた。
「一度こうと決めたら曲げない方ですからね。考え直していただきたいのですが……」
憂いのある表情で立つリーリヤを、ジェードは黙って見つめていた。その視線に気がついたリーリヤがこちらを向く。
「何です?」
「お前に見惚れていた」
「……こんな格好なのにですか?」
今日のリーリヤは作業のために簡素で動きやすい服に着替えている。土で汚れてもいいもので、腰には道具を入れる小型の袋をつけていた。先ほどまではめていた手袋が腰にぶらさがっていて、まさに庭師という出で立ちである。
どんな格好をしていたところで、リーリヤであることには変わらない。だから見惚れてしまうのだ。身綺麗にしていれば美しいし、作業着を着ていればそれも似合うと思わせる。
泥がついていようが服が破れていようが、彼の美貌は損なわれないのだ。
着飾ればさぞ輝くだろうと思うこともあるが。
「お前はいつも美しい」
それはリーリヤに言い聞かせるというより、独白に近いものだった。
リーリヤは微妙に表情を変化させる。お世辞を言われた人間が見せる愛想笑いのようなもので、ほんのりとした気まずさが漂っていた。
容姿を誉めるといつもこうだ。誰が見てもその容貌が優れているのは明らかなはずなのだが、本人がそれを認めるのを拒んでいる。
ジェードは、自分がここに来てからの変化について話題を移した。
「会話をする機会が多い。国では私に近寄る者などほとんどいなかった」
赤薔薇のローザは、王子の愛想のなさなど微塵も気にならないらしく、稽古をせがんでやって来る。菫のイオンも知人以上の親しさで話しかけてしてくるし、桜のサクヤもあの調子だ。
ジェードの評判を知らぬわけでもないだろうに、気にして警戒をする者はいない。貴人も侍従も普通に挨拶をしてくる。ジェードの人生ではほとんど経験のないことだった。
「我々は長く生きておりますから、何が自分にとって危険かどうか察知できるのですよ」
リーリヤは微笑みを浮かべる。何故だか、とても喜んでいるような、とびきり柔らかい笑顔だった。
「あなたは花に好かれる方なのですね」
リーリヤがジェードの「美しい」という賛辞を拒むように、このリーリヤの言葉もジェードには受け入れ難かった。
これほど血を浴びた男が好かれるはずがない。
「私を恐れない者などいなかった」
「そうですか? 私はあなたに初めてお会いした時、ちっとも怖くありませんでしたけど」
「それはお前が変わり者だからだ」
「では、庭いじりが好きな白百合を愛するあなたも変わっていらっしゃいますし、私達はどちらも変わり者なのでしょう」
リーリヤがあまりに楽しげなので、ジェードもつられて口の片端だけで笑む。
人の国ではついぞ感じたことのない心地良い風を、花の国で感じるのは事実であった。
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