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第一部 再会
47、頑張りましたね
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雨が降っている。
花宮殿の上に広がる空は、年中晴れていた。だが草花は雨を好む。時折、離宮の貴人、睡蓮公アイルが魔術によって雨を降らせることが決められていた。気紛れにではなく、きっちりと周期は定めてある。
だからリーリヤは、今日が雨の日だと知っていた。
しとしとと細い雨が、広大な庭を濡らしている。空気はひんやりと冷やされ、雨の日特有の匂いが感じられた。外は潤い、恵みの滴に花達は喜んで佇んでいる。
リーリヤは、ジェードの姿を求めて宮殿の中をさまよっていた。到着した兄王子達に呼び出されてから、戻って来ない。
行き交う花の子に見なかったかとは尋ねずに、自分の足で歩いてさがすことにした。
廊下から視線をのばすと、花園の中をごくゆっくりと動く黒い影があった。
(あんなところに)
リーリヤも、濡れるのに構わず外へと踏み出す。ジェードのところまではそこそこの距離があった。音もなく降る雨が、リーリヤの髪を、服を、肌を濡らしていく。
金雀児があった。花菖蒲が、紫陽花が咲いている。雛罌粟が雨を受けて微睡んでいる。
色とりどりの薔薇の花は、格別な美しさを見せていた。
濡れそぼったジェードがかがんで見下ろしているのは、白百合の花だった。
「体が冷えてしまいます、ジェード様」
声をかけられたジェードだが、足音で誰が近づいてきているかは察していたのだろう。特に反応は見せずにゆっくりと立ち上がった。雨に煙る景色の中に、黒い姿がくっきりと浮かんでいる。
目と目が合った。
「あなたは、テクタイト様とはちっとも似ておりませんよ」
ジェードはやはり反応を見せない。
申し訳ないとは思ったのだが、彼らのやりとりを盗み聞きしてしまった。偶然近くを通りかかって、剣呑な雰囲気を感じたので近づいてしまったのだ。
部屋に戻って彼を待っていたのだが、なかなか帰らないのでさがしに出た。
「私にはわかっています。あなたは、兄弟殺しをしたくないのでしょう?」
ジェードがテクタイトを手にかけたくない理由はごく単純で、血を分けた身内を殺すのが嫌なのだ。それだけなのだろう。
あの醜い闘争に参加したくない。同じようになりたくない。だから彼は拒絶し続けている。
「確かに私は兄上の言う通り、信念のない臆病者だ。殺さない理由はその程度なのだからな」
その上誓いを立てたわけでもないとジェードは言う。自分にとって余程不都合があれば、斬ろうとするだろう、と。
ただ他の者に命じられて、彼らのように身内を斬るのは抵抗があるだけだ。
「それでよいのです。詰る方もいるでしょうが、私は違います。あなたのお気持ちは理解できます」
人を斬る正義があれば、人を斬らない正義もある。正義という言葉を彼は嫌うかもしれない。リーリヤもさほど重んじているものではなかった。
その言葉はあまりに力強く他をねじ伏せて融通が利かない。
「ジェード様。よくぞこれまで耐えて、私のもとへ来られました。あなたが生きることを選択したことが、私は何より嬉しい」
「そうだな。命を捨てようと思ったこともあるが、そうしなかったのは正解だった。こうしてお前に、会えたのだから」
彼は繊細で、本来であれば争いごとを好まない人だ。利己的でなかったからこそ、誰の頼みも聞いてきた。彼なりの気遣いだ。
自分の意見がないわけではない。彼はただ人を斬るだけの道具ではない。
誰よりも思い煩って、他人を裁く権利はないと本音を押し殺して生きてきた。
彼の生き方が、リーリヤには切なくて、愛おしく感じられた。
リーリヤはジェードに歩み寄って、彼を抱きしめた。
「リーリヤ。私は大してこたえてはいない。あんなことを言われるのは日常茶飯事で、慣れている」
そうだろう。彼は強いのだから耐えられる。けれどいくら強くても、少しも傷つかないはずがない。
「頑張りましたね」
望まない地位に生まれて、さぞ苦労しただろう。
背中をさすればジェードが笑った。
「年上ぶっているな」
「年上ですもの。私はあなたより何千年も多く生きています」
リーリヤは微笑んでジェードを見上げる。そして彼の頬を両手でそっとはさんで囁いた。
「よく聞いて。私の言うことを信じてください。あなたは化け物などではない。花を愛する、ごく普通の男です。奪うためではなくて、守るためにここへ来た。テクタイト様とは違います。あなたはあの方と似てなどいない」
静かに、しかし確信を持って、彼の心に届くようにリーリヤは伝えた。
奪い続けてきた兄と、背負い続けてきたこの弟は、全く異なる人間だ。周囲に何を吹き込まれようとも、これだけは信じていてほしい。
リーリヤはジェードと唇を重ねた。
もう、私はつまらない花だと言うのはやめにしよう。彼に、他の花を選んでほしいとも望まない。
ジェードは白百合を愛している。その愛を光として、それだけを温めて過ごして来たのが伝わってくる。
「……私は、あなたに何をして差し上げられるでしょうか。私に何をしてほしいですか?」
雨に濡れた体を密着させて、リーリヤは翡翠の瞳をのぞきこみながら尋ねる。
「してほしいこと?」
リーリヤと触れ合っていると、ジェードの目つきはごく柔らかくなる。熱に潤んで、慈しみがそこに滲む。欲望と愛情が混ざってリーリヤにそそがれる。
「特にないな。強いて言うなら、いずれは私を愛してもらいたいが、それはお前が努力することではない。お前はいるだけでいい。私のために何もしなくていい」
ジェードが強くリーリヤを抱きしめて耳元で言った。
「私がお前に何かしてやりたいのだ。してやりたいことがたくさんある。そんな気持ちにさせたのは、お前が初めてだ」
この人は、こんなにも優しい。
リーリヤが知る限り、最も優しい王子だ。
お前がただの花ではなくてよかった、とジェードは抱きしめたまま呟いた。花であればしてやれることが少ないから、と。
こうして抱きしめることも、笑い合うこともできない。
地に咲く花であれば、ただ恋い焦がれるままに見下ろすしかなかった。
(この方の、花になろう)
改めてリーリヤは思う。
こぼれる彼の気持ちの一つ一つを拾いながら。彼が自分らしさを取り戻す助けになれるなら、それはありがたいことだろう。誰かの役に立つことが、リーリヤの喜びなのだから。
誰かのものになるというその意味を、リーリヤはまだしっかりとはつかんでいない。だが、これから少しずつ考えていけばいいのだ。
数秒見つめ合ってから、再び深い口づけをする。
雨は冷たいが、絡む舌と混ざる息は熱かった。ジェードがリーリヤを抱えて、ゆっくりと草の上に横たえた。
そこでジェードがふと手を止める。
「花の子は風邪をひくのか?」
「いいえ。雨は好きですよ」
「しかし、寒さは苦手だったはずだな」
「……あなたが抱いてくだされば、寒くはありません」
うっすら笑うリーリヤに、ジェードも笑みを深めた。
事実、あまり寒さは感じていない。中で熱が生まれて、体は火照っている。
土と草の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
こんなところで、と思わないでもない。茂みの中に身を隠すようにして横たわってはいるが、誰に目撃されるかわかったものではないのだ。
いけない。けれど、もう止められそうにない。
背徳感がさらに体を疼かせるのを自覚して、リーリヤは恥入った。
でも、これほど互いに肉体が反応していれば、我慢する方が不健康だろう。そんな馬鹿げた言い訳を誰にともなくする。
ジェードが、リーリヤにしか聞こえない声で名前を呼んだ。
しとどに濡れながら、王子と白百合は密やかに快楽を分け合って味わった。
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