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第一部 再会
43、これはまだまだ
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菫のイオンは、白百合のリーリヤと共にとある庭園に佇んでいた。そこは時折あの野蛮な「花追い」が行われる、訓練場だった。
二人が見ているのは、植物の大鹿に乗って走るジェード王子だ。
ジェード王子が、鹿に乗る練習をしたいと言い出したのだと言う。リーリヤではあの鹿を出す力がないので、イオンがやって来て力を貸したのだ。
先日の二人の王子が起こした騒動の痕跡は、綺麗になくなっていた。それなりに芝はめくれ、トピアリーも形が欠けていたのだが、修復の術がかけられているので元通りになっている。
ジェードが何を思ったのか詳しくはわからないが、「ああいうものは慣れておくに越したことはない」と言っていた。
もう花追いはしないでほしいとリーリヤは頼み込んでいて、ジェードもそのつもりだと答えていたが、またあの兄王子が何を言い出すかわかったものではない。彼の言うように、何事も慣れておいて損はないだろう。
ジェードは軽やかに鹿を操り、障害物を飛び越えていた。二度目とはとても思えない。長年あの鹿と付き合いがあるかのようだし、借り物に乗っている不安定さがなかった。
「私などより余程お上手だ」
とイオンは呟いた。練習など不必要に見える。
花の貴人は戦乱の時代にあれに乗ることが必須であったから、誰しも乗鹿の心得はあった。そんな花の貴人にも劣らない技術であった。
大鹿に乗る王子を眺めながら、イオンは先日のジェードと交わした会話を思い出していた。
ジェードはリーリヤに関しての相談相手を、菫のイオンに決めたらしい。以前の時のようにイオンが一人でいるところを尋ねてきて、あれこれ聞いてきた。
その時は、かなり突っ込んだ内容というか、主に花の子の体についての話であった。要するに交わりのことだ。
花の子と人の子は似ているが異種族であるから、肉体の事情も少々異なっている。ジェードは詳しくないだろう。真面目くさった顔で赤裸々な話をしてくるからイオンも面食らったものの、丁寧に説明してやった。
リーリヤはこの手の知識が薄いというのもあるし、本人に聞くと困らせるとの配慮だろう。一見強引そうだが、かなりリーリヤを気遣っている。
そんな話の中で、ジェードはある後悔を吐露した。
「私はあいつに謝っていない」
何かと思えば、初対面で押し倒した件だそうだ。
これについてイオンは両者から話は聞いている。リーリヤは了解済みというか、自ら勧めてそれにジェードが乗っただけなので、気に病まなくていいのではないかと思う。本人は強姦という強い言葉を使うが、そこまでではないだろう。
「乱暴をしたのは間違いない」
「あなたがそうされたいのであれば、謝ってはいかがです? リーリヤは許しますよ」
ジェードは少し黙ってから口を開いた。
「だからだ。許されたくはない」
リーリヤは、自分に関する無礼は何であっても許す男である。
ジェードはあの時に乱暴を働いたことを、ずっと悔いているらしかった。自分で自分を許せないのかもしれない。
謝罪したいという気持ちは山々で、しかし許しの言葉を受け取って丸く収まるのが彼は我慢ならないのだ。
「リーリヤには、私が多少乱暴でわがままな男だと思われたままの方がいい」
彼は自罰的なところがあるらしい。見かけによらず繊細な方だな、というのがイオンの感想だった。あんまり優しくしすぎるのが柄ではない、というのもあるだろうが。
彼はこれまで恋人などいたことはなかったそうだから、悩みも多かろう。ましてや相手があの白百合公だ。白百合公は少し、というか、かなり変わっている。自分の体と心に無頓着すぎる。
イオンは隣に立つリーリヤに目をやった。
「ジェード様は、何をなさっても絵になりますね。素敵です」
ジェードを眺めながら、リーリヤは嬉しそうにそんなことを言っている。
「リーリヤ」
「何ですか?」
「あなたは、ジェード殿下のことをどのように思っていますか?」
どのように? とリーリヤは首を傾げる。
「可愛らしい方です」
「可愛らしい……」
「ええ。あんな気難しそうな顔をされてますがお茶目ですし、いじらしいところがあります。強引なところとか、つい可愛いと思ってしまうのですよ」
今度はイオンが首を傾げた。
可愛い。この言い方は、赤薔薇のローザに対するものとさほど変わらない。ううん、とイオンは唸った。
「これは……まだまだか……」
「何がですか?」
「いえ……お気になさらず」
完全無欠に近い能力を持つ王子であるが、一人の花の子を真の意味で振り向かせるのはさらなる努力を要するようだ。
ちなみにイオンは、ジェードにこのまま押すのがよかろうと助言している。リーリヤは押しに弱い。遠慮をすると世話焼きリーリヤがうわ手になってしまい、恋愛というものからは遠ざかってしまうのだ。
押して押して圧倒し、恋というものに目覚めさせるしかないだろう。
が、そう上手くいかないのが世の常である。
恋人というものは、体だけでなく心の一部も共有する関係だ。リーリヤにはそこがわかっていない。相手の重荷をすぐに引き受けたがるが、自分の荷物を預けるのは断固として拒否をしている。
相互扶助、というのが彼の好きな言葉の一つらしいが、相手に手を出させないように気をつけているので全く相互ではない。
本人に自覚は多少あるが、リーリヤは自分勝手なのである。
「あなたはジェード殿下が好きなんですよね?」
「はい。大好きです」
世の中にこれほど残酷な「大好き」があるだろうか。
「殿下に口づけされる時、何か思うことはないのですか?」
「口づけが上手い方だなぁと思います」
「嗚呼!」
顔を覆って嘆くイオンにリーリヤは驚いている。
ジェードの方はあれほどリーリヤに恋い焦がれて悩んでいるというのに、こっちがこんな調子なのだからあんまりである。
初めは「まあリーリヤはこんなものだろう」と生温い目で見ていたが、ジェードの想いの強さを知るにつれ、やるせなくなってきていた。
ジェードはずっと片思いをしているのだ。だがこの片思いの意味すらも、リーリヤにはわからない。
でも、私だって好きですよ。この調子である。ジェードはさぞ歯がゆいだろう。
「私はもう部屋に戻ります。殿下がお気の毒で見ていられなくなってきた。鹿は適当なところで消してくださって結構ですから」
「はあ。ありがとうございます、イオン」
友の嘆きの理由がわからずに、リーリヤは不思議そうな顔である。
イオンは二人を残して庭園を去った。
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