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番外編

君は友達(前編)

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 レーヴェはその青年を一目見た瞬間、「とんでもない人間がこの世にいたもんだ」と思った。

 美しすぎる。悪い意味で。
 美しさというものにもいろいろ種類があるが、この男のそれはどこかしら不穏なものをまとっている。

 神々しい金の髪と瞳。白磁の肌。たおやかな肢体。
 造りが美しいということ以上に、人外の魅力を備えている。

「ああ、あなたがレーヴェルト・エデルルーク?」

 ぱっと、青年が、フィアリスが顔に笑みを浮かべた。意外なことに、笑うと奇妙な魅力は薄らいで、ただそこそこ綺麗な顔をしただけの男に見えたから内心ほっとする。

「初めまして。私はエヴァンの家庭教師のフィアリスです」

 差し出された手をレーヴェは握る。想像通りのすべらかな肌で、指は男のものとは思えないほど細かった。



 レーヴェはノア・アンリーシャがリトスロード侯爵家で働くことになり、いろいろあって追いかける形になった。

 ノアがアンリーシャ家を出ると言い、俺はどこに行けばいいのかと文句を垂れた。「どこへでも好きなところへ行けばいいでしょう、というか、いい加減王都に戻っては?」と呆れていたノアだったが、リトスロード侯爵に話をつけてくれたのだった。多分、いずれ押しかけるとわかっていたからだろう。
 魔物の駆除と三男エヴァンに剣の稽古をつけるという仕事をレーヴェは与えられることになった。

 正直魔物の駆除がこなせるかどうかはわからなかった。魔物なんてカーエント地方を除けば滅多に出ず、倒した経験も多くはない。人間と剣を打ち合わせるのとは全く違う戦い方をしなくてはならないだろう。

 まあ、暇だし面白そうだからやってみよう、といい加減な心持ちでここへやって来た。国王もふらふら傭兵をやるくらいならリトスロード家にいた方が目が届くと思ったのか了承してくれた。



「エヴァン、挨拶なさい」

 フィアリスに背中を押されて前に進み出たエヴァン・リトスロードは、人見知りなのかおずおずと挨拶をする。
 体が小さくて貧弱だ。十二にはとても見えない。これが本当に化け物揃いのリトスロード家の血をついでいるのかと疑いたくなった。いかにも繊細そうで、魔物と対峙すれば頭から食われておしまいなのではないだろうか。

「こんなひ弱なお坊ちゃんに剣が握れるかね」

 思ったままのことを口にすると、エヴァンは途端に傷ついた顔をする。見た通り、かなりナイーブらしい。
 フィアリスは笑顔をそのままに、「エヴァンは強くなりますよ、絶対に」と言い切った。



 フィアリスがレーヴェに丁寧な口調で接してくるので、「俺は気をつかわれるような人間じゃない」と注意した。

「ムズムズするんだよ、そういうの。もっとぞんざいな口をきいてもらわねーと調子が狂う」

 フィアリスは不思議そうに目をまたたかせている。

「でもあなたは、エデルルーク家のご子息でしょう? 貴族だ」

 自分は身分が下だから、と言いたいらしい。確かにレーヴェはエデルルーク家の血を引いているし、不本意ながらそう名乗ってはいる。しかし自分が貴族の一員だという自覚はない。

「ろくな生活してきてないから、ご丁寧な接し方されたくないわけ。具合悪くなるの、俺は。ごきげんいかがですかーなんて言われたら腹壊しちゃうかもしれない。嫌われ者で、殴り合いしながら過ごしてきたからさ」

 なおも不思議そうにしているフィアリスに、レーヴェは生い立ちをさらっと説明した。

「娼婦の腹から生まれてきて犬みたいに捨てられたのに運悪く聖剣の使い手になっちゃった俺はエデルルークの皆さんからすごく疎まれて、グレたの。わかるか?」

 エデルルーク家に代々伝わる聖剣は使い手を選ぶ。一度は存在さえなかったことにされたレーヴェは、聖剣に選ばれたためにエデルルーク家の者と認められたが、そのせいで全員が不幸になったと言っても過言ではない。

 レーヴェにとっては、そのまま犬みたいに生きていた方がまだましだった。
 もともと気性が荒かったこともあってあちこちで問題を起こし、国王が味方についてくれたおかげでなんとかこうして命があるのである。
 フィアリスはちょっと驚いた顔をしていたが、感じ入ったように頷いた。

「なるほど。あなたも随分苦労をしてきた人なんだ」

 身から出た錆みたいな事件が多すぎるので、同情されるほどでもないのだが。

「だから俺、品がないだろ?」
「うん」

 頷いて、フィアリスは吹き出した。
 初めからずっと感じていたことを指摘されたのがツボにはまったのか、笑いが止まらない。

 くたびれた服に無精ひげを生やした大柄で目つきの悪い男が、あの有名貴族の人間だと紹介されても、信じられたものではなかっただろう。
 ノアの紹介だから納得するしかないが、突然現れた無頼漢らしき見た目の男を訝しく思ったに違いない。
 にしてもだ。

「おい、お前、笑いすぎだぞ!」
「ごめんなさい。だって……」

 腹を抱えてフィアリスは子供のように笑っている。
 そうやって笑み崩れていると、どこにでもいそうなガキっぽい十九歳に見えるのだった。

 * * *

 魔物の駆除は、初めは数も少なくそれほど手を焼かないものを任されることになった。

「はあ、やっぱりあなたは強いんだね、レーヴェ」

 あっという間に小物を片づけたレーヴェのそばに近寄って、フィアリスは感心している。

「まるっきり初めてでもねえからな」

 護衛の仕事もしたし、各地の小競り合いに首も突っ込んできた。場所によっては魔物が出ることもあるから、倒した経験はある。

「それにしたって、初めからこうはいかないものだよ。あなたは戦いの天賦の才があるんだろう」

 フィアリスによると、これまでにもリトスロード家には魔物駆除の手伝いがしたいと押しかけてくる人間はいたそうだ。
 だが一月ともたない。出て行くか死ぬかのどちらかだという。

「じゃあ、この辺はあなたに任せた。私はあっちを掃除してくるから」

 フィアリスは馬にまたがると、手綱を引いて夜空へと駆けていく。
 姿が見えなくなったかと思うと、光がほとばしって魔法が周囲に放たれた。ああいった広範囲に渡る魔法を使える人間は王都でも一握りだ。

 フィアリスは線の細い見た目に反して攻撃魔法は力強い。洗練されていて無駄がなく、とにかく発するエネルギー量が膨大だった。
 本人いわく、体内に宿している魔力が多いからだというが。

 西の空で駆除を行うフィアリスの逆方向、東の空ではリトスロード侯爵が力を使っているのが見える。あれもまたとんでもない力だ。
 確かに、リトスロード家は化け物揃い。刃向かう貴族がほとんどいないのも頷ける。



 フィアリスが当主と肉体関係があるということはすぐに気がついた。
 あれだけの美貌であれば普通の成り行きというか、よくある話なので変なことだとは思わないが。
 ただ、意外ではあった。

 まずジュード・リトスロードが色事に一切関心がなさそうなのだ。性欲など前世に置いてきた、というような顔をしている。
 というか色事どころか息子にすら興味がなさそうな男だ。フィアリスのことだって気に入っているというほどの執着は見られない。

 食事すら億劫そうな侯爵が、フィアリスを頻繁に抱くのはどこか不自然な気がした。少なくとも欲のための関係ではないらしく、そうだとすると闇が深そうである。
 そして付き合いが長くなるうちに、フィアリスという魔術師も相当おかしな男であることが知れてきた。

 時々話が噛み合わなくなる。主に性行為に関することで。
 この男は誰かに体を求められれば、差し出すのが当然の義務のように思っているらしい。間違いなく異常である。

 以前この館に魔物の駆除に協力したいと願い出た剣士が数週間滞在したことがあったそうだが、早々に音を上げて出て行った。
 命があるうちに帰った方がいい、と諭したのはフィアリスだ。すると相手の剣士は「あなたを一度抱かせてくれたらすぐに出て行く」と答えたという。

「それでお前はどうしたの?」
「抱かれたけど」

 ジュード様がいない時なら、と地下室で体を許したそうだ。

「違うだろ。そういう時は、その発言が出た瞬間にそのクソ野郎をぶち殺すか、情けをかけて半殺しで済ませるかのどっちかだ」
「いや、殺すほどのことでは……。実際、その人はすぐ出て行ったし、酷い怪我をする前でよかったよ」

 偽りなく心の底からそう思っていってるらしいフィアリスの笑顔はレーヴェに言わせれば狂気じみている。
 なんでそんな相手に抱かれなければならないのか。見た目によらず余程の淫乱でセックスが好きでたまらないのかと聞けば「別にそんなことはない」と答える。

 他にも度々、フィアリスは誰かと関係を持っていた。自分が体を許せば問題がさっさと解決する場合、その方法を安易に選んでしまうのである。ここまで気軽に自分の体を粗末にしようとする人間をレーヴェは他に知らなかった。娼婦だってもう少し矜持がある。

「いいか、お前、頭おかしいぞ。絶対におかしい」

 フィアリスは首を傾げて悩んでいたが、「そうだね、私はおかしいのかもしれない」と苦笑した。
 その後、幾度もこんな話が繰り返されたが、なかなか考えを改めようとしない。この手の話で説教すると、今日初めて聞いたというような反応をする。

 お前は人の話を聞いてんのか、とぶん殴りたくなった。
 自分を卑下するような発言も多かったが、原因は過去の出来事にあるようだとそのうち知った。
 子供の頃にあちこちに引きずり回されて乱暴された挙げ句、どこかの村の奥に閉じこめられて数え切れないほど強姦されたというから悲惨と言えば悲惨だ。

 おそらくフィアリスは生来潔癖性なのだろう。だから汚された自分には価値がないと思いこんでいる。そしてより体を汚すことによって過去の出来事をどうにか受け入れている。「そうされるのが当然だった」と自分に言い聞かせ、心を保っている。

 自分には手が負えないようだ、とレーヴェは白旗をあげた。聖職者でもないし、まともな話はしてやれない。殴るか抱くかでしか他者とコミュニケーションを取ってこなかったレーヴェにとって、フィアリスはあまりにも脆すぎて危うく、下手に踏みこめない存在だった。

 中途半端に関われば、より悪い方に転がりかねない。
 フィアリスと接する誰もが、そんな感じで気を揉みながらも余計なお節介は焼きすぎないよう配慮していた。どこで癇癪を起こして自棄になるかわからないからだ。

 * * *

 ある晩レーヴェが談話室の前を通りかかると、中にフィアリスの姿があった。
 珍しく椅子の上で眠りこけている。
 起こしてやるかと近づいて、目の前に立ってフィアリスを見下ろしたレーヴェはふと眉をひそめた。

 無防備なその姿が、妙に情欲をかきたてる。
 わずかに開いた口、力の抜けた身体。

(こいつはやっぱり何か……「異常」だな)

 はっきり言って、フィアリスはレーヴェの好みのタイプではない。面倒くさい奴とは関係を持ちたくないし、どちらかというとこういう優しそうな奴よりキツそうな奴が好きだった。

 勿論、顔はとんでもなく美形だとは思う。
 ただ、フィアリスという男は特にあだっぽいわけでもないのだ。色気がだだ漏れというほどではない。
 どこか抜けているし、ガキっぽいし、仕草を見ていてもそそられない。

 それなのに時折、おかしなくらい狂わされそうになる。
 押し倒してめちゃくちゃにしてやりたくなる。

 服の下の白い肌の手触りはどんなものだろう?
 足をこじあけてその奥に己の欲望を突っこんだら、こいつはどんな声で喘ぐのだろう?
 美しく可憐なこの男がよがる姿はどんなものなのだ?
 見てみたい。聞いてみたい。感じてみたい。

 そんな衝動が起こるのだ。しかもそれが突発的な上に猛烈だ。
 たとえるなら、耐え難いほど酷い渇きを感じている時に、目の前に瑞々しい桃でも置かれたような。しゃぶりつかないでいる方が難しい。

 単に顔が綺麗なだけで、見た者をそれほどの気持ちにさせるだろうか。
 異常なのだ、フィアリスは。
 おそらく何か原因があるのだろう。レーヴェも今まで妖艶な男女と幾度か交わった経験があったが、フィアリスのこの魅力は種類が違う気がした。というか、魅力の一言では片づけられない。

 身体に宿す魔力が通常の魔術師より多いとは聞いたが――。

(魔力が多いからってエロい身体になるとは聞いたことがねーしな……)

 もしくは呪いの一種か。
 魔法についての知識は一通りあるが、呪いなんて陰険なものには興味がわかず、詳しくない。

(うん、わからん)

 わかりそうもないことを考えるのは時間の無駄である。
 何にせよ不憫な男だ。
 リトスロード家の男共はこれまた異常な人間ばかりだからか、フィアリスの色香に惑わされたりはしないらしい。

 エヴァンはガキだが、長男と次男はもう成人している。しかしフィアリスに劣情を抱かないのだから立派なものである。

 フィアリスにとってはここの当主に囲われて幸せだったのかもしれない。たとえ村の奥から出られたとしても、まともには生きていけなかっただろう。それこそ、国が傾くような美しさなのだから。
 引きこもって魔物を倒す日々だから、厄介ごとには巻きこまれにくいし、あのリトスロード侯爵のお気に入りだと言えば絡まれる危険も少ないだろう。

(いや、こいつは自分から絡まれに行くんだったな……)

 レーヴェはため息をついて、もう一度フィアリスを見下ろした。

「ん……」

 フィアリスがわずかに声をもらして、身じろぎをした。
 獲物を前にした肉食獣の気持ちになる。
 本能に訴えかけられる。

 味見くらいなら大したことじゃない。そうだろ?
 こいつは男に犯されるのが似合ってるんだ。

 ――襲っちまえ。フィアリスもそうされたがってる。受け入れるぞ、こいつは、絶対に。

「チッ」

 盛大に舌打ちをすると、レーヴェはフィアリスの寝ている椅子に蹴りを入れた。

「おい、起きろ! どこでがっつり寝てんだよ、オメーは!」

 そこそこの力をこめたので、椅子は動いて音を立てる。
 途端にフィアリスは肩をびくつかせて目を開けた。

「う、うわっ、えっ、寝てた?」

 乱暴に起こされたフィアリスはすっかり眠気も飛んだようで、きょろきょろ辺りを見回している。

「俺への迷惑を考えろ! 何かあったらどうしてくれるんだよ!」
「え? 私、あなたに何かしたかな……?」

 レーヴェの八つ当たりにフィアリスは困惑顔だ。寝起きだからますます何がなんだかわからないのだろう。

「あ、レーヴェ、ダメだよ、家具に蹴りなんて入れたら……。傷がついたら大変じゃないか。高価なんだから」

 スケベなことを考えてこれほど胸くそが悪くなったのは初めてだ。スケベこそ我が人生、みたいに歩んできたというのに。
 怒っているのはフィアリスに対してではない。こいつを取り巻く理不尽な何かに対してだ。

「俺は女は巨乳が好きなわけ! 男はガキっぽくない方がいいわけ! つんつんしてる奴の服を脱がすのがいいんだよ!」

 唐突に自分の好みを語り出したレーヴェに、フィアリスは引いた顔をしている。

「どうしたのレーヴェ、何かあったの?」
「いいから聞け、俺にはちゃんと好みがあるんだ。こだわりだってある。一応な。どこだっていつだって誰とだってヤるわけじゃない! 体格だって考慮するだろ、体位のこと考えたら……」
「レーヴェ!」

 フィアリスは赤面してレーヴェの腕をつかんできた。

「どうしたんだ、あなたは寝ぼけてるんじゃないの?」
「寝てたのはお前だろ、ああもう、マジでどーなってんだよ!」
「どうなってるのか聞きたいのはこっちの方なんだけど……とにかく、卑猥な話はやめてくれ!」

 起きてあわあわとしているフィアリスはいつものフィアリスで、さっきまでの危うい雰囲気は消えている。
 こいつと同じ館で暮らすには精神力が試されそうだとレーヴェは胸の内で嘆いた。
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