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53 気をつけて
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イリスはぼんやりと、山の中で立ち尽くしていた。
何も考えられなくて、無心で空を眺めている。
すると、活発で負けん気の強い精霊、シエラがイリスのそばに現れた。
「ディアレアン様の気配がしたぞ。来たみたいだ」
では、ついに。
イリスは小さなため息をついた。近々来てセフィドリーフを連れて行くと言っていたのだから、その用で訪れたのだろう。
「いいのか?」
シエラは地面から浮かんでいて、ポケットに手を突っ込んでイリスの様子をうかがっている。イリスは浅く頷いた。
もう、あれこれ考えるのはやめたのだ。
「それでこれからお前はどうする気なんだよ」
「剣だけは、手放さないむねを神殿側に伝えるよ。私が保管したいから。これだけは譲れない。後は……そうだな、食べて行かなくちゃならないもんな……仕事をさがさないと……」
実家に戻ってもやはり迷惑なのだろう。長男だがイリスが爵位を継ぐなんて話は今まで出た試しがない。弟は公爵令嬢のもとに婿入りするかもしれないし、誰か親戚にでも継がせるのだろうか。とにかく、イリスは関係がない。
でもイリスが長男だからな、と渋々継がされるのも気まずくてたまらなかった。
こうなったら一人で生きていくべきだろう。
「父上にお金を借りて、店でも開こうかな……。料理屋なら頑張ればできるかもしれないし」
一人で店をやるなんて、そう簡単なことではないのだろう。けれどとりあえずやってみるしかない。
幸い、見てくれは成長してぎりぎり大人には見える。もう剣を抜いても手から離してしまわないくらいの握力や腕力はついたし、力仕事もそれなりにできるだろう。
「セフィドリーフ様には相談しないのか?」
「相談したらどういう展開になるか想像つくもの……」
それはいけない、イリス。君はここにいなさい。私もずっとここにいるから。
セフィドリーフはそう言うに決まっている。そして意固地になるだろう。
いつもイリスに同情してくれる彼だ。山にとどまる理由の一つがイリスになってしまう。
とりあえずはディアレアンに強引に天上へ連れて行ってもらって、落ち着いて考えてもらおう。ディアレアンも本気の目をしていたから、彼がどうにかしてくれるはずだ。
もしかしたら上で揉めてまた降りてくるかもしれない。それまでに、イリスは生計を立てられるようにしてセフィドリーフの庇護がなくても生きていけることを証明しなければならない。そして手を尽くして、精霊の少年達も消えてしまわないようにしよう。
そうすればセフィドリーフも地上を離れられることになるのだ。
これからは忙しくなりそうだ。
「にしても、おっちょこちょいの僕にお店なんて経営できるかな……まず何から始めたらいいんだ……? 前世はバイトしかしたことないし、今世は貴族の子だもんなぁ……」
しかし四の五の言っても仕方ない。これはセフィドリーフのためでもあるのだ。
「まあ、いいか。何とかなるよな」
こういうところは楽観的で良かったと思う。
セフィドリーフと離れるのは、とても寂しい。記憶のある前世も含めて、初めてここが――セフィドリーフのそばが、自分の居場所だと感じたのだ。そして彼を守ることこそ、自分の使命だと信じられた。
この山では楽しいことばかりで、何年も住んでいたわけではないが思い出がたくさんあった。
「幸せだったよ」
イリスはまた空を見上げて微笑む。
そんなイリスを見つめていたシエラだったが、気配を感じたのか顔を動かした。シエラの視線の先に現れたのはアエラスだった。
アエラスは地上の天気が妙だから見に行ってみる、と朝方山を出て行ったのだ。
アエラス、と呼びかけようとしたイリスだったが、彼の顔を見てはっとした。アエラスはいつになく深刻な表情をしている。
「イリス。君の家の領地に魔獣が出た」
「魔獣……って……? どうして?」
魔獣というのは大昔にいたというくらいしかイリスは知識がない。どんなものかもよく知らない。
それは生き物を襲う凶暴な存在で、人間でも倒せないことはないが他の動物を相手にするより手を焼くという。
アエラスは風のように移動できる。素早く伯爵領を回って、情報収集してきたのだ。
「イリスの父上に恨みのある貴族が、困らせるためだけに魔獣の封印を破ったみたいだ。まあみんな、あれのことなんてよく知らないから危険性もわからないんだろう」
昔の人々は魔獣に悩まされていて、見かねたセフィドリーフがまとめて倒して残りは封印してくれたらしい。それを愚かにも人間が破ってしまったのだ。
魔獣が出ていた時代は人も倒す機会があったからある程度は慣れていた。だが今は経験がないから手こずるかもしれない、とアエラスは言う。
「騎士団が駆けつけて戦っているみたいだよ」
騎士団。弟のアルベルトの顔が頭に浮かんだ。
(父上、母上。アルベルト……)
イリスは背筋をのばして、アエラスとシエラに尋ねた。
「君達は力の強い精霊だって言ってたね」
「精霊の中では長生きしてる方だからね」
「魔法って使える? たとえば、私をなるべく早く移動させるとか」
アエラスとシエラは顔を見合わせていた。できないことはないと言う。
それでは、彼らに頼んで領地に移動しよう。イリスは走って白亜の城に戻った。いつも磨いて置いておいた白銀の甲冑を手早く身につける。
今までは武装する必要がなかったから、これを身につけるのはこれで二度目だ。あれほど重かった甲冑が、妙に軽い。体が成長した以上の何かがあるとしか思えなかった。身動きをとるのに全く支障がない。
剣を腰に帯びると、イリスは馬のいるところまで向かう。
アエラスとシエラ、そして呼び出されたガリーニとエオーリシもイリスを待っている。
「送るのはいいんだけど、イリス。セフィドリーフ様にはこのこと、話さなくていいの?」
イリスは首を縦に動かした。おそらくセフィドリーフは今、ディアレアンと込み入った話をしている最中だろう。
「これは人間の問題だからね。いつも聖獣様に頼んでいたら悪いじゃないか」
またセフィドリーフが地上に降りて人を助けるのを見たら、味をしめた人間達が再び彼を利用しようとするかもしれない。もしくは恐れて忌み嫌うか。
イリスは軽やかに馬にまたがった。
「大丈夫かなぁ」
精霊達は送り出すのに気が乗らない様子だった。けれど、イリスは引きとめられても行くつもりだ。家族と領地の危機なのだ。どれだけ期待されていなかったとしても、イリスは伯爵夫妻の息子で、領民に対して責任がある。
「大丈夫だよ。私はセフィドリーフ様に剣を教えてもらったじゃないか。それにこの身を包むのはセフィドリーフ様の牙なんだ。魔獣なんかにやられたりはしないよ」
自信たっぷりに見えるように、イリスはみんなに笑ってみせた。精霊達は、「仕方ないなぁ」というような表情で頷きあっている。
「では行くよ。少し目がくらむかもしれないけど、落ちないように気をつけて」
アエラスがそう言い終わり、馬が踏み出すのと同時に、視界の中に広がる景色が一気に後方へと過ぎ去っていった。
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