非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします

muku

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52 領地の危機

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 * * *

 トリーヴェルダ伯爵領の伯爵家の屋敷では、家族がいつものように過ごしていた。
 伯爵の悩みの一つは長男イリスと妻マデリンのことだった。幼い頃から妻は長男との関係が上手くいっておらず、何かというと癇癪を起こす。

 父から見てイリスは悪い子ではないのだが、酷く変わっていて、頓狂なことを言っては周囲を驚かせた。貴族は体面を重んじる。異様な発育不全のことや母親とのこともあって、彼は屋敷の奥に閉じ込められていた。
 気の毒だが、誰のためにもイリスはこの屋敷にいない方がいい。だからどう片づけようか迷っていたところで、聖獣の守護騎士の話が来たのでやらせることになったのだ。

 伯爵には聖獣のことなどよくわからないが、神殿から斡旋された聖なる仕事なのだし、一応は名誉なことになるのだろう――おそらく。
 マデリンは、精霊とか聖獣とか神殿とか、そういった話が大嫌いだった。その関係で一度怒り出すと手がつけられない。

 どうもしてやれないことに罪悪感がないでもなくて、伯爵もイリスと顔を合わせるのが忍びなかった。
 イリスがいなくなればマデリンも少しは落ち着くだろうと期待していたのだが、そうでもなかった。イリスが残していった持ち物を見れば眉根を寄せ、誰かがイリスに関する話題を口にすると不機嫌になる。
 お手上げだな、と伯爵は思った。彼も長い間妻を見てきているから、心の内が全く理解不能なわけではない。

 マデリン、いい加減にお前はあの子のことを――。
 核心をつくような言葉を何度か言いかけたが、その度にマデリンは激高して遮るのだ。刺激しないことを伯爵は選択した。

 この日は曇天で、朝から地上は暗く、気が塞ぐような光景が窓の外に広がっていた。じきに雨が降るのではないか、と使用人達は話をしていた。
 そこへ、誰かが屋敷を訪問してきた。
 応対した執事長が、これこれこうだと伯爵に報告して、伯爵は難しい顔をする。
 これは、一波乱ありそうだ、と。

 訪問者をお通ししなさい、と伯爵が言いかけたところで、その訪問者の名前を聞きつけたマデリンが「その必要はありません。玄関先で十分です」と足早に通り過ぎていく。
 訪ねてきた人物は、マデリンに会いに来たそうだった。

「しかしマデリン、神官の方を玄関先でなどと……」
「あなたは黙っていてください」

 玄関にたどり着いたマデリンは、客の前に立ちはだかった。

「何をしに来たの? 私はあなたともう縁を切ると言ったはずだけど」

 マデリンの前にいるのは、車椅子を押す従者に付き添われた女性神官、リリアーナだった。

「久しぶりね、マデリン」
「帰ってちょうだい」

 リリアーナは穏やかな顔で、かつての友人の顔を見上げていた。少しの間眺めてから、口を開く。

「マデリン。息子に、イリスに謝りなさい」

 マデリンは顔つきを険しくしたまま目を見開いた。

「話は聞いたわよ。そしてイリスにも会いました。あなたがどれだけ私を嫌おうが結構だけど、その怒りを息子にぶつけていいはずがないでしょう。長い間、あなたは息子になんて惨い仕打ちをしてきたの? あの子に謝罪しなさい。謝って済むことではないけれど」
「あなたに……」

 マデリンが唇を震わせる。

「あなたに何がわかるのよ。関係のないことに口を出さないでちょうだい。あなたはさっさと神殿に帰って、聖獣だとかそういう、存在するくせに何もしようとしないくだらない生き物に好きなだけ祈りを捧げていればいいわ」
「私が悪かったわ。赤ん坊だったイリスが精霊の欠片に反応すると聞いて、いつかはあの子が聖気に属するものに好かれるかもしれないと言ったのが気に障ったのでしょう」
「帰って」
「あなたはイリスを閉じ込めて、何がなんでも聖なる山に行かせないこともできたはずよ。イリスを行かせるべきだとあなたも思ったのでしょう?」
「帰ってちょうだい! もう話すことはないわ、リリアーナ!」

 マデリンはまたも癇癪を起こしそうだった。近くで話を聞いていた伯爵は、リリアーナに引き取ってもらうよう頼むべきかと悩んだ。怒らせると後が大変だ。
 伯爵が口を開きかけたその時だった。

「ヴァーレッド様!」

 馬に乗ったまま敷地内に飛び込んできたのは伯爵家の使用人だった。馬から飛び降りて駆けてくる。

「北の森の手前に……魔獣が現れました!」
「魔獣だと?!」

 耳を疑った。何かの冗談か聞き違いかと思って聞き返すが、確かに魔獣だという。それも一頭二頭ではなく、大量の群れが出現して人間を襲おうとしているらしい。
 魔獣という存在を、伯爵も知らないわけではなかった。だが見たことはない。
 それはまだこの辺りに小国が点在していた頃までは現れていたと聞いている。現在の伯爵領がまさしく、魔獣がよく発生していた地域なのだ。

 しかし、それは大昔の話だった。おとぎ話みたいなものだ。
 聖獣がその魔獣達を封印してからというもの、何百年も現れていない。それが何故、突然――。
 使用人はある程度の情報も握って戻ってきたらしかった。

「グルフト男爵の仕業のようです。あの方の家系はさかのぼると魔法と親しい者がいました。今では男爵には何の力もありませんが……、封印を解く方法を知っていたそうです」

 グルフト男爵は何度か伯爵領に姿を現し、魔獣が封印されているという場所を見に行っていたらしい。この騒ぎの中、男爵は早々に身柄を確保されていたが、再び封印する方法は知らないと笑っていたそうだ。
 伯爵は歯噛みした。

「まさか、嫌がらせのつもりではあるまいな」
「おそらくはそうなのでしょう」
「あの愚か者め!」

 グルフト男爵は隣国との違法な取り引きを行っており、トリーヴェルダ伯爵が証拠を集めてその罪を暴いたのだ。男爵は相当伯爵を恨んでいるに違いない。
 しかし、その仕返しとして魔獣を解き放つなど常軌を逸している。

「運良く、王都の騎士団の一隊が近くを通りかかっているそうですから、駆除を頼みました。しかし訪れている騎士団の方々も数が少ないので、倒しきれるかどうか」

 騎士団。とすると、伯爵家次男のアルベルトもその中にいるかもしれない。

「森の近隣に住む者達を避難させろ。そして至急更なる応援を王都や周辺の領地に頼め。私も行こう」

 さほど腕が立つ方でもないが、伯爵も剣が握れないわけではない。歩き始めた足を止め、伯爵は妻の方を振り向いた。

「ここも危ないかもしれない。お前達は先に逃げなさい」

 己の罪を暴かれた腹いせに、多くの人間の命を危険にさらすなど、正気とは思えない。
 苦々しい思いで、伯爵は使用人から剣を受け取った。
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