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40 不意打ち
しおりを挟む太ったという自覚はあまりないのだが、あれほど食べて太らないということはないのではないだろうか。贅肉がついて動きが鈍くなっては困る。痩せる努力を始めた方がいいだろうか? これからも料理は続けるから、食事量は減らせないだろうし……。
などと考えていると、セフィドリーフがひたりとイリスの背中に身を寄せて、後ろから腹をつまんできた。
全くの不意打ちだった。
「ひゃわっ……!」
変な声が出てイリスは慌てて口を塞ぐ。腹を触られた瞬間、こそばゆくてぞわりとした感覚が背筋に走った。
「肉なんてついてないよ。君は毎日剣の素振りをして運動をしているし……。それにね、山のものは地上と栄養素が違うから、太ったりはしないはずだ」
「そ、そそそそそ、そうなんですね……」
「腹筋もついてきたな。来たときは体がぺらんぺらんだったじゃないか」
腹を軽く押されて、また声が出そうになった。
(ちょっともう離れてもらわないと……心臓がバクバクしてるのがバレそう……!)
動揺していることに動揺して、額に冷や汗が滲んでくる。もし胸に手でも当てられたら、どうしてこんなに心拍数が上がっているのかと訝られそうだ。理由を説明できないし、心配されたくない。
幸いセフィドリーフは気づくことなくすぐに身を離してくれた。
安堵の息を漏らして、イリスはセフィドリーフと並んで歩き出す。
(近頃、セフィドリーフ様に触られると、緊張するんだよな……)
初めもちょっとドキッとはしたが、今のものとは感覚が違う気がする。近くに寄りたいのに、寄れば寄ったでどぎまぎしてしまう時があった。
決して触られたくないわけではない。頭を撫でてもらうのも、抱擁してもらうのも嬉しいし、触れるということは受け入れているというあらわれだと思うのだ。
目線を下げると、隣にいるセフィドリーフの大きな手が見えた。
(手……)
握ってみたい、握ってほしい、とふと思った。体温と手触りを想像する。自分よりも大きい手。長い指。
そして慌てて想像を頭から追い出した。何を考えているんだ、と。
(わけがわかんないな。手を握ってほしいだなんて……子供じゃあるまいし)
自分の手を握ったりゆるめたりした。
ホームシックで寂しくなったりしてるのか? いや、それはない。実家に帰りたいとはこれっぽっちも思わないし、人間が住む地上に戻りたくなんてない。自分はここでこそ満たされるのだ。
(そういえば、手、なんて、誰にも握ってもらったことないや……)
弟の手を握ったことはあるが、親だとか他の誰かに愛情を持って手を繋いでもらった記憶はない。ひょっとしたら何度かはあるのかもしれないが、前世も今世もものごころついてからは覚えていなかった。
何とも言えない、淡い悲しみと自嘲が笑みとなって口辺にのぼった。
「イリス?」
うつむきがちでしばらく黙っていたからか、セフィドリーフが名前を呼んだ。
「すみません、ちょっとぼーっとしちゃってました……。あれ? なんだろう」
滑らかな岩肌に、均等な丸い穴がいくつも開いていた。几帳面な誰かがくり抜いていったみたいだ。
「蜂だろうな。石を削って持っていくのがいたはずだから」
へえ、と感心しながらイリスは穴のあいた岩肌を撫でていた。この山には怪力の蜂がいるようだ。
しかし、何か見覚えがある気がする。穴の並びといい、深さといい、前世でこれに似た何かを……。
「たこ焼きだっ!」
イリスは手を打った。
そうだ、これはたこ焼き器のプレートによく似ている。そう思うといてもたってもいられなくなった。
「セフィドリーフ様。この岩って火で熱しても大丈夫でしょうか?」
「そうだな。ここら辺のものは多分、熱がよく行き渡る岩だよ」
「お手数かけて申し訳ないんですけど、穴のある部分を切り出すことってできますか? この穴のところを表面にして、板みたいに加工したいんですけど」
「簡単だよ」
一体何をするつもりなのかとセフィドリーフが不思議がっているので、イリスは簡単に説明した。
まあ、たこがないのでたこ焼きは無理だろう。けれど具を変えたたこ焼きは作れるかもしれない。そう考えると興奮してきた。中に入れるのに適した面白い具の候補が次々と浮かんでくる。ソースも何種類も作って試してみよう。
「丸い、柔らかい球の形をした食べ物なんです。粉でタネを作って、これに流し込んで、焼くんですよ。くるくるひっくり返すところを見るのもまた一興なんです。みんなに見てもらいたいな! 上手くできるかはわからないけど、練習しますね!」
「張り切ってるな」
「あなたのお口に合うようなものを作れるように頑張ります」
セフィドリーフに「美味しい」と言ってもらうのが、何より嬉しいから。
過去にどれほど寂しい思いをしようが、気にしない。イリスは今目の前にあるものを大事にして生活したいと思っている。
役目があって、受け入れてくれる人達がいて。
セフィドリーフの笑顔を見ると、心には何の不足もなくて満たされる。
ああ、これが幸福っていうものなんだな、と二人日だまりの中で笑っていると実感するのだ。
ここに来ることができて、よかった。
イリスは運命に感謝した。
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