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37 お似合い
しおりを挟むセフィドリーフが受けた仕打ちについて語る時、彼はまるで自分のことにように憤慨していた。それはセフィドリーフを心から思いやっている証だろう。
彼を案じているからこそ、こうやってイリスに近づいて排除しようという気になったのだ。どうでもよかったら、セフィドリーフが何をしようが、誰が近づこうが構わないはずだ。
ディアレアンは絶句し、呆然としていた。そんな漆黒の大猫を、イリスはにこにこと見上げる。今の話を聞いて胸が痛む一方、ディアレアンの思いやりを知って温かい気持ちになった。
ディアレアンは口を開けたり閉めたりしていたが、なかなか言葉が出てこないようだった。
すうっと姿が揺らいで、四つ足から二つ足に変わる。最初に見た青年の格好に戻ると、のしかかって片手をイリスの胸に乗せたままのディアレアンは、口元をぴくぴくさせながら睨み下ろしてくる。
「なん、で、……そうなる」
「何がでしょう?」
はて、と寝ころんだままイリスは首を横に倒す。
「いいか、人間。お前が何を言おうが、セフィドリーフは……」
その時、イリスの視界を、ころころと何かが横切っていった。
倒れた時に鞄の口が開いて、出てきてしまったらしい。ここは地面が傾斜しているから、転がっていってしまうのだ。
――あれは。
(おにぎりだ!)
いけない。あれは一個しかないのに。
慌ててイリスはディアレアンの下から抜け出すと、おにぎりを追いかけて走り出した。
「ちょ……」
「すみません、お話はまた後で!」
唖然としているディアレアンを置いて、イリスは足を動かす。すぐに追いつくと思ったのだが、坂を転がるおにぎりは加速していった。坂がどんどん急になっているからだ。
一度は届きそうになったが、すぐに引き離される。
イリスは無我夢中で追いかけ続けた。斜面はさらに勾配がきつくなり、走っているとつんのめって転びそうになる。
丸じゃなくて三角に握ったのに、ボールみたいに転がるものだな、と息を切らせて駆けていく。
(あれ、なんかこんな話を読んだことあるぞ。なんだっけ? そうだ、おじいさんが転がるおにぎりを追いかけて、穴に落ちて……)
おむすびころりんとかいったっけ。
前世の細かい人生が思い出せないのに、こんなことばかり覚えているから笑えてくる。
けれど、笑えたのはそこまでだった。
おにぎりがひと跳ねして空中に飛び上がる。そこを上手くキャッチしようとイリスは手を差しのべた。
斜面が途切れているのに遅れて気づく。どの道気づいたところでこの速度では止まれなかっただろうが。
そして勢いのまま、イリスも崖へ飛び出してしまった。
(あ、ヤバい)
と危機を察知したが、空中にいるのでどうしようもない。
落下が始まるのと同時に、背中に鈍い衝撃があった。
胴に腕が回されて、乱暴に引き寄せられる。黒い髪が顔をかすめる。
見るとディアレアンが手をのばして、険しい顔つきのまま宙にある握り飯をつかんでいた。イリスを抱えたまま崖を落ちていき、途中の岩棚に一度足をつく。それがとても優雅な動作で焦りなど一切なく、抱えられているイリスにも衝撃がほとんど伝わらない。
また跳ぶと、ディアレアンは崖下へと着地した。
地面に投げ出されたイリスは無傷であった。顔を上げると、怒りのためかわずかに息を乱したディアレアンがいる。
「この……大うつけが!!!」
大喝一声、雷が落ちるような声に、イリスはぴゃっと縮こまる。
「これは何だ?!」
ディアレアンはおにぎりをイリスに押しつけた。
「私の……昼飯です……」
「お前は、飯と己の命とどちらが大事なのだ!!」
「……い、命です……」
消え入りそうな声でイリスは答える。
ディアレアンが怒るのももっともで、イリスは何ら弁解の余地を持たなかった。
転がるおにぎりを追いかけて崖から飛び出すなんて、あまりにも馬鹿すぎる。幼い子供だってやらないのではないだろうか。恥ずかしくて、穴があったら入りたくなった。
このおにぎりは新しい試作品で、結構手間がかかって、早く味見して美味しかったらセフィドリーフ様に食べてもらいたくて、という気持ちが一気に湧いてきて衝動的に走り出してしまったのだ。
そういえばディアレアンと話をしている途中だった。不敬である。
「お前に何かあれば、私がセフィドリーフに殺されるではないか!」
ディアレアンの黒い髪の毛は少し逆立っている。
「知らぬのだろう、あの男がむきになるとどれほど恐ろしいか!」
どうしてイリスに何かあるとディアレアンが殺されるという流れになるのか意味不明だったが、何にせよ助けてもらってありがたかった。
「ありがとうございました。申し訳ありません……」
「他人の身を守る任を負った者が、後先考えず己の命を危険にさらしてどうする」
「仰る通りで……」
おにぎりを両手で包みこむように持っているイリスは、情けなくなってうつむいた。気をつけよう気をつけようと思っているのにこれだ。
ため息をつきたいところだが、イリスがそうする資格はないだろう。嘆息したいのはディアレアンのはずなのだ。
イリスは目が合わせられずに、横を向いた。
すると今気がついたが、見たこともない白い低木があちこちに生えていて、てのひらより大きい実がそこかしこになっている。
「お前のような注意力のない人間が、聖獣の王を守るなど……」
「えっ! これは初めて見たぞ!」
イリスは立ち上がると、低木に駆け寄って実を一つもいだ。雰囲気は瓜に似ているが、食べるとどうだろう。この山のものは大抵食べられるので、おそらくこれもいけるはずだ。
割ったら中身はどうなっているだろう。火を通したらどういう変化をするだろう。今日はもしかしたら新しいものが見つからないかもしれないと思っていたが、かなりの収穫だった。
「美味しかったらいいんだけど」
「人の話を聞けぇええ!!!!」
「あっ」
慌てて振り向くと、わなわなと震えるディアレアンの憤怒の形相が目に入った。
今度こそ、もうどうにも謝罪の言葉がない。
「お前といい……セフィドリーフといい……! どいつもこいつも私の話を聞かぬ……!」
イリスはそっとその場に正座をして反省を態度で示そうとした。
「無礼をお詫びいたします……その、どうぞ……お話の続きを……」
「もうよいわ!!」
ディアレアンは腕を組み、そっぽを向いた。
許してくださいと言ったところで聞き入れられないだろう。イリスはおにぎりと瓜をそれぞれ手にして悄然としていた。
「お前もセフィドリーフも、うつけ者だ。おかしなことばかりするし、話は聞かぬし、似た者同士というわけだな。もう勝手にするがいい。お前とセフィドリーフはお似合いだ」
イリスに一瞥をくれると、ディアレアンは四つ足の姿に変わって飛び上がった。その跳躍力は凄まじいもので、崖上までのぼってしまう。そのまま彼は去っていった。
残されたイリスはしばらく崖を見上げていたが、ディアレアンが去り際に残した言葉を思い出す。
「お似……合い……?」
口に出した瞬間、頬がかっと熱くなった。
そんな自分の反応にイリスは慌てふためく。誰も見ていないというのに顔をこすり出した。
――お前とセフィドリーフはお似合いだ。
皮肉だというのはわかっている。別に深い意味はない。それなのに、何故だか恥ずかしくなって赤面してしまったのだ。
(おかしいな……)
自分がおかしな人間であるのは重々承知しているが。
手で顔をあおいで熱を冷まそうとしながら、さてこれからどうしようかと考えた。
荷物は上の方にあるし、戻らなければならないだろう。上がる道をさがさなくては。
でもその前にとりあえず。
「お昼ご飯にしようかな……」
と、無事に救われたおにぎりを持ち上げたのだった。
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