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36 闇の大猫
しおりを挟む後ろを向くと、黒い髪に黒い服をまとった男が立っていた。
彼は多分、聖獣なのだろうとイリスはすぐに考えた。というのも、彼の頭からは獣の耳が生え、後ろには長い尾が見えたのだ。間違いなく人間ではない。
「あの……」
イリスは少々まごついた。どのような態度をとっていいのか迷う。セフィドリーフはあまり格式張った挨拶などを好まなかったから、すっかり緊張感が抜けて、礼儀正しい接し方を思い出すのに苦労した。
「ディアレアン様でしょうか」
彼のまとう色から、当てずっぽうで尋ねてみる。
「そうだ。闇のディアレアンだ」
膝をつこうとするとディアレアンがそれを制する。なんだか彼は酷く怒っているらしくて困惑した。
ディアレアンは値踏みするかのように、イリスの全身を眺めてから言った。
「この山から出て行け」
それに対してイリスは眉を下げながら言葉を返す。
「嫌です」
顔は申し訳なさそうなのにきっぱりとした言い方に、ディアレアンは顔つきを険しくする。
イリスも自分が驚くほどはっきりと言い切ったのに内心驚いていた。考える前に言葉が飛び出していたのだ。逡巡する素振りをすることも思いつかなかった。
「お前は守護騎士だと言うが、セフィドリーフが守護など必要としていると思うか?」
「それは……ないでしょうね」
彼の力の片鱗しか見ていないが、その凄さは理解している。イリスのような役立たずでなく、もっと腕の立つ者だったとしても彼の助けになどならないだろう。おそらくセフィドリーフは何でもこなせるし、自分の身など自分で守れるのだ。本人もそう言っていった。
「だったらお前などいなくていいではないか。わかるだろう」
「わかります。でも……ここを離れるのは嫌です。私はどこにも行きたくありません」
声に出して確信する。どんなにいる意味がなかったとしても、セフィドリーフから「いらない」「出て行け」と言われるまではここにいたい。甘えだったとしてもそうしたい。
そして、いさせてもらう限りは努力をし続けたい。少しでも力になって、支えたい。
それは人生で初めてのイリスの夢で、真剣な願いだった。
「人間が……いつもお前達が……」
ウウウ……とディアレアンの喉の奥から獣のようなうなり声が響いてきた。ざわざわと空気が揺れ、一瞬ディアレアンの体の輪郭がぼやけたように見えた。
すると、黒い大きな塊がイリスの方に飛びかかってきて、イリスは地面へと押し倒された。
突然のことに声もあげられない。
気がつくと、巨大なものがイリスに覆い被さっていた。黒い毛の生えた前脚が、小さなネズミを押さえつけるみたいにイリスの胸に乗せられている。強く力がこめられているようではなかったが、身動きはとれそうになかった。
「人間風情が! 口答えをするな!!」
大きな黒い猫がそこにいた。黄金の目を輝かせ、興奮しているのか瞳孔が変化している。
(猫だ……)
ぽかんとしてイリスは四つ足のディアレアンを見上げた。
なんて美しい被毛なのだろう。それは漆黒で艶があり、毛並みは揃って見るからに滑らかだった。ぴんと伸びたヒゲ。指からにょっきりと飛び出した爪の形すら優雅で見とれてしまう。
(すごく……綺麗な獣だ)
夜空が産み落としたかのような闇の色を持つ大猫。
目を輝かせながら見つめていたら、ディアレアンが鼻に皺を寄せる。
「何を呆けた顔をしている、人間め。このまま食ってやろうか?」
「あの……もし食べられるなら、私はセフィドリーフ様にお願いしたいのですけど、いけないでしょうか……」
どうしても聖獣に誰かが食べられなければならないというのなら自分でも仕方ないと思っているが、そうなるのならせめてセフィドリーフに食べられたいと密かに思っている。
ディアレアンはしばし沈黙した。
「……怖くないのか?」
「何がでしょう?」
「私がだ」
「えーと……ディアレアン様の……何に恐れを抱いたらよいのでしょうか……」
もしかしたら、恐れないと非礼にあたるのだろうか。戸惑っていると、ディアレアンは何を悩んでいるのかにわかに首を傾げてから舌打ちのような音を出した。――猫って舌打ちできるんだっけ?
「そんなことはどうでもいい。とにかくだ、お前は即刻、山を離れて地上に戻れ。どんなに間抜けそうな奴だとしても、セフィドリーフに人間を近づけるわけにはいかない」
「嫌です! 私はあの方に許される限り、お側にいます!」
ディアレアンの怒りが高じていくのを肌で感じる。彼は目を細め、歯をむき出した。
前脚に軽く体重をかけると、その重みが胸にのしかかって息が詰まる。ディアレアンはすぐにでもイリスの全身の骨を粉々にできるのだろう。
「……っ」
「黙れ。お前に何がわかる? お前達がセフィドリーフをあんな風にしたのだぞ! どれだけ傷つけた? あの男が決して怒らないのをいいことに、散々利用して、犬のように扱って尊厳を踏みにじり、追いつめたではないか!」
忌々しげに睨みつけ、ディアレアンは顔を近づける。
「あの、欲もなく寝ているばかりだったセフィドリーフが、お前達人間を守るために我らに挑み、王となったのだぞ! あれほどまでに上に立つのに向いていない男がだ! お前達がセフィドリーフに要らぬものを数え切れないほど背負わせたのだ! わかるか!」
爪はすぐにでも服を破って肌に食い込みそうで、牙も今にも喉に突き立てられそうだった。けれど恐怖感はない。
イリスは、怒りに燃えるディアレアンの目を凝視して、ようやく呟いた。
「……申し訳、ありません」
代わりに謝るくらいしか、イリスにはできることがなかった。ディアレアンの言い方は漠然としていたが、その苛烈な怒りが起きたことの悲惨さを物語っていた。
そうか。セフィドリーフ様は人間のために、同胞に戦いを挑んだのか。人間が嫌いなはずなのに。
あの人は、すごく、優しいから――。
他の聖獣と疎遠になるのも無理からぬ話だ。おそらく彼らも人間を好いていないから、天上へ去って行ってしまったのだろうから。人間のために行動を起こしたセフィドリーフを理解できなくても仕方がない。
けれど。
イリスはディアレアンに微笑みかけた。
「ディアレアン様は、セフィドリーフ様のことがお好きなんですね」
「…………………………は?」
うなり声が止み、ディアレアンが硬直する。
「よかったです! 私、てっきりセフィドリーフ様は聖獣様方の中で孤立してしまっているのだとばかり思っていましたから。ディアレアン様のように、あの方を心配してくださる方がいると知って安心しました」
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